第3話 ファンクラブNo.1の男
涼太と由貴の撮影は、それから毎日のように続いた。
スタジオ、カフェ、街中、公園、涼太は常に完璧なロケーションを用意し、由貴を飽きさせなかった。彼のスマホには由貴の過去の全投稿がデータベース化されており、
「去年の今日はこの服を着てたね」
「三ヶ月前のこのポーズ、もっとこうすれば良かった」と、具体的な改善点を次々と指摘する。
由貴はそのプロフェッショナルな姿勢に、次第に心を許していった。
「由貴ちゃん、いいね。今の笑顔、すごく自然だよ。でも、もう一つだけ」
涼太はカメラを構えたまま、由貴の髪の一束を指先で優しく整えた。
「……ここ、ちょっと跳ねてたから」
由貴はその指先の感触に、一瞬だけ心臓が跳ねた。涼太の動きは自然で、いやらしさが一切ない。まるで由貴のことを長年知っているかのような、親しみのある仕草だった。
「ありがとうございます、涼太さん」
「涼太でいいよ。さん付けは堅苦しい」
涼太は笑いながらシャッターを切った。その写真は後で由貴に見せられ、彼女は自分の笑顔に驚いた。自分でも気づかない角度の、柔らかい表情が写っていた。
(蒼石は、こういう風に撮ってくれない……)
由貴はその考えが頭をよぎると、すぐに振り払った。蒼石は蒼石だ。彼なりの良さがある。そう言い聞かせても、頭の片隅で涼太と蒼石が比較されるのは止められなかった。
その日の撮影が終わり、由貴が涼太に「今日のキャプション、お願いします」と言うと、涼太は即座にスマホを取り出した。
「もちろん。ちょっと待ってて。由貴ちゃんが今日着てたストライプのシャツ、それ、去年の夏に君が『夏はこれが定番』って投稿してたやつだよね?あれから一年、君のスタイルがどう変わったか、ファンに伝えたいな」
由貴は息を呑んだ。彼は自分の一年前の投稿まで覚えている。それも、ただ「見ていた」だけではなく、具体的な服の柄まで記憶している。
「……よく覚えてますね」
「当たり前だよ。君は俺のNo.1なんだから」
涼太は笑いながら、スマホに文章を打ち込んでいく。その横顔を見ながら、由貴は自分の心臓が少し早くなっていることに気づいた。
その夜、由貴は蒼石の部屋を訪れた。彼は机に向かって原稿用紙に何かを書いている。由貴は何気なく、涼太のキャプションを見せた。
『由貴ちゃんが今日着ていたストライプのシャツ。去年の夏、君はこれを「夏の定番」と言って可愛く着こなしていたね。一年経って、君の魅力はもっと深くなった。成長を共に見守れることが、ファンとしての誇りだ。』
「ねえ、これ。涼太さんが書いてくれたんだけど、すごくない?去年の私のことまで覚えてて、しかもちゃんと数字も伸びる言葉を使ってて」
蒼石は原稿用紙から顔を上げずに、「……そうか」とだけ言った。
「そうか、そうか。あなた、それしか言わないね。もう少し何か感想とかないの?嫉妬するとか、悔しいとか、そういうの」
「……嫉妬は、していない」
「は?してないの?私が他の男にこんなにベタ褒めされてるのに?」
「……涼太さんは、由貴のことをよく見ている。それは事実だ」
蒼石はペンを置き、初めて由貴の方に向き直った。彼の顔は相変わらず無表情だったが、その瞳の奥に何かが一瞬だけ揺れたように見えた。
「……でも、彼は写真を撮るとき、いつも君の右側から撮っている。君の左目の泣きぼくろを強調したいんだろう。でも、それだと君の表情が少し硬くなる。君は左から撮られる方が、自然な笑顔になる」
由貴はその言葉に、一瞬だけ固まった。
「……何それ。私の左目がどうとか、そんな細かいこと、知らないよ」
「……そうか」
蒼石はそれ以上何も言わず、再び原稿用紙にペンを走らせた。由貴はその背中を見つめながら、なぜか胸の奥がざわつくのを感じた。
(左から撮った方がいいって……そんなこと、言われたことない。でも、確かに涼太さんはいつも右側から撮ってるかも……)
由貴はその考えを頭から追い出そうとして、うまくいかなかった。
数日後、涼太が蒼石に直接話しかける場面があった。由貴がちょっとした打ち合わせで席を外している間のことだった。
「蒼石くん、ちょっと話があるんだ」
涼太はにこやかな笑顔のまま、蒼石の前に立った。蒼石はカメラのレンズを拭く手を止めずに、「……何だ」とだけ返した。
「由貴ちゃんのことなんだけど。君が書くキャプション、確かに文学的で美しい。でも、あれじゃ彼女の魅力は伝わらないよ」
「……伝わっている」
「伝わってないから、俺が呼ばれたんだ。彼女の『いいね』の数字を見れば一目瞭然だ」
涼太はスマホを取り出し、由貴のアカウントの分析データを見せた。蒼石と涼太の投稿を比較したグラフには、明らかな差が表示されている。
「君のキャプションの時は、平均して二千程度の『いいね』。でも俺の時は四千超え。倍だよ。この差をどう思う?」
「……数字が全てじゃない」
「そうだね。でも、彼女は数字で生きている。それを否定するのは、彼女の存在そのものを否定することになるよ」
蒼石は初めて、レンズを拭く手を止めた。彼はゆっくりと顔を上げ、涼太の目を真っ直ぐに見つめた。
「……由貴は、数字だけの人間じゃない」
「それは君が勝手にそう思ってるだけだよ。彼女は数字に飢えている。君が与えられないものを、俺が与えている。それだけの話だ」
涼太は一歩前に進み、声を潜めた。
「君が彼女に『綺麗』と言わない限り、僕はまたチャンスを作るよ。君の沈黙は、彼女を不安にさせるだけだ。彼女は言葉が欲しいんだ。具体的な、わかりやすい、愛情のこもった言葉を」
蒼石は何も言わなかった。彼の顔には、相変わらず感情が読み取れない。しかし、カメラを握る指先だけが、わずかに震えていた。
涼太はその反応を見逃さず、微かに口元を歪めた。
「……君、彼女のこと、本当に好きなの?」
蒼石は答えなかった。涼太はそれ以上何も言わずに、由貴が戻ってくる前にその場を離れた。
その日の夜、由貴は涼太からDMを受け取った。
『蒼石くんと少し話したんだけど、彼、君のことどう思ってるか分からないな。彼は「数字が全てじゃない」って言ってたよ。でも由貴ちゃん、君は数字に価値があるから今の場所にいるんだよね?』
由貴はそのDMを読み返しながら、指が震えた。
――数字が全てじゃない?
(そんなの、蒼石に言われる筋合いない。私がここまで来たのは、数字を伸ばしてきたからだ。なのに……なんでそんなこと言うの?)
由貴は蒼石の部屋に駆け込んだ。彼はまだ原稿用紙に向かっている。由貴はその背中に、叫ぶように言った。
「蒼石!あなた、涼太さんに『数字が全てじゃない』って言ったんでしょ!?」
蒼石はゆっくりと振り返り、「……言った」とだけ答えた。
「なんでそんなこと言うの!?私の仕事は数字なんだよ!数字がなければ案件も来ないし、フォロワーも増えない!それなのに、あなたは全部否定するの!?」
「……否定はしていない」
「じゃあ何!?何が言いたいの!?」
蒼石はしばらく黙っていた。そして、静かな声で言った。
「……由貴は、数字が増えるたびに、笑顔が苦しくなる。それを俺は見ている」
由貴はその言葉に、何も言えなくなった。
「……何、それ。意味わかんない」
「……そうだな」
蒼石はそれ以上何も言わず、再び原稿用紙に向き直った。由貴はその背中を見つめながら、唇を噛みしめた。
(なんで、この人はいつもこうなんだろう。私が求めていることと、真逆のことを言う。)
由貴は自分の部屋に戻り、スマホを開いた。涼太から新しいDMが届いている。
『由貴ちゃん、今度の日曜日、個人的に撮影しない?誰もいない場所で、君だけを撮りたいんだ。もちろん、蒼石くんには内緒で。』
由貴はそのメッセージを三度読み返した。誰もいない場所で、君だけを。その言葉は、まるで魔法のように彼女の心に絡みついた。
彼女は一瞬だけ、蒼石の「……由貴は、数字が増えるたびに、笑顔が苦しくなる」という言葉を思い出した。しかし、それもすぐに涼太の甘い言葉に打ち消された。
(蒼石は、私のことを何も分かってない。涼太さんは、ちゃんと私を見てくれているのに。)
由貴は返信を打ち始めた。
『わかりました。日曜日、空いてます。場所はどこですか?』
送信ボタンを押した瞬間、由貴の心臓は、妙な高鳴りを始めた。それは興奮なのか、それとも後ろめたさなのか、自分でも分からなかった。
ただ、彼女はその高鳴りを「正しい選択をした証拠」だと思い込むことにした。
隣の部屋では、蒼石が一人、暗がりの中でカメラを磨いている。彼の手元には、由貴が「気持ち悪い」と言ったあの「加工前の写真」があった。彼はその写真を一瞥し、そっと引き出しにしまった。
そして、原稿用紙に新しい一文を書き加える。
『彼女は誰かに認められたいと叫んでいる。けれど、その叫びを聞き取れる者は、たった一人しかいない。その一人は、なぜか口を閉ざしたまま』
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