最終話 鬼さんこちら、手の鳴る方へ
洞窟を抜けると、陽光の眩しさに目がくらんだ。
小さな御影はもうそれきり姿を現すことはなく、鈴の音も聞こえなくなった。
あれはきっと、「助けて欲しい」の合図だったんだと思う。
『どうしても耐えられなくなったら、鈴を鳴らせ。どこにいても、駆けつけてやる。俺がお前を守ってやるからな。約束だ』
紫水と御影が交わした約束を、八百年越しにようやく守れたような気がした。
きっと、俺はずっと呼ばれていたんだ。
「あ、俺行きたいところあるんですけど」
「行きたいところ?」
「紫水のお墓。ありますよね?」
「……うん。行こうか」
すると皐月さんは俺の体を横抱きに抱えた。
「えっ!?な、なんで」
「人が入れない場所なんだ。ちゃんと捕まっていて」
直後、打ち上げ花火みたいに勢いよく木の上まで上昇して、俺の内臓は縮み上がった。
「……っ!ちょっと待って、高い高い!怖い!」
「あれ、涼太高い所は平気じゃなかった?観覧車乗ってたし」
「それとこれは別物だよ!!」
俺の嘆願も空しく、皐月さんはいくつもの杉の木の上を飛び回り、舌を噛まないようにするので精一杯だった。
途中から目を瞑ってしがみついていたのでもはや正確な位置も分からないけど、人が立ち入らないような山の頂上。
「着いたよ」の一言で地面に降りた瞬間、腰が抜けそうになった。
「大丈夫?」
「だ、だい、じょうぶです……」
なんとか立ち上がって周りの風景を見渡せば、軽自動車ほどの大きさの巨石がそびえ立っている。
その岩の裂け目に、小さな祠があった。
「ここが、紫水のお墓……?」
皐月さんを見上げると、彼は黙って頷いた。
俺はリュックから線香を取り出し、火をつけて手を合わせた。
白い煙と、うっすらと薫る花の匂いが鼻孔を擽る。
「どうしてお墓参りがしたかったの?」
「前世の自分の墓参りって意味わかんないですよね。生まれ変わってるんだから、ここに紫水はいないだろうし。でも、紫水は御影にとって大切な人だったでしょ?だから、俺も大事にしたいんです」
二人で少しの間、空に昇る線香の煙を眺めていた。
ふいに、指先が弱々しく握られた。
「僕だけ幸せになって、いいのかな」
伏せた長い睫毛が、顔に陰影を作り出している。
ぽつりと落とされた言葉は、葉音にかき消されそうなほど頼りなかった。
俺は手を握り返し、ぎゅっと指を強く絡ませた。
「……親友には、幸せになって欲しいって思うんじゃないですか」
「そうかな」
「そうですよ」
風が木々の葉を揺らし、さわさわと音を立てている。蝉の鳴き声が遠くで響き、鳥が高らかに歌っている。
なぜか懐かしさが溢れ、彼の横顔を見上げた。
「皐月さんって、年取るんですか?」
「取るよ。百年経ったらまた成人の姿には戻るんだけど……今回が九度目の生で、この百年を超えた先はどうなるか知らないんだ。今度こそ死ぬのかもしれないし、また次の百年があるのかもしれない」
「妖狐って九尾が最終形態なイメージありますけど……次は神様にでもなるんですかね」
人間と妖狐の未来がどこに向かうのか、今は俺にも皐月さんにも分からない。
もし俺が死んだら、皐月さんはまた俺の生まれ変わりを探すんだろうか。
それはなんだか、嫌だと思った。
「……じゃあ、もし神様になれたら俺のこと迎えに来てくださいよ」
彼は大きく目を見開いて唇を震わせていた。
「それで、次は神様の国で一緒に暮らすんです。また俺の生まれ変わりを探すよりいいでしょ?」
「……そんな約束していいの?」
「うん。だって、俺は皐月さんのもので、皐月さんは俺のもの、なんですよね?」
俺は彼の前に小指をすっ、と差し出した。
皐月さんは瞳を潤ませ、口角をきゅっと持ち上げた。
小指が絡み、途切れることのない縁が繋がれる。
「約束したんだからちゃんと守ってくださいね。鬼は約束にうるさいですから」
「……うん、約束するよ」
バリンッと、何かがひび割れる音がした。
彼が取り出したのは、亀裂が走った、錆びついた鈴。
皐月さんは、その鈴を祠の前にそっと置いた。
風に乗って、子どもの無邪気な笑い声が耳に届いたような気がした。
鬼さんこちら、手の鳴る方へ。
——やっと、捕まえた。
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