第43話 もう一度、二人で


 洞窟の中で皐月さんが倒れていたのを発見した俺は、咄嗟に駆け寄り名前を呼んだ。


 自分の心臓の音がうるさすぎて、彼の呼吸音が分からない。

 透き通るような白い肌は死人のようで、背筋に冷たい汗が伝った。


「皐月さん、皐月さん!」


 震える手で何度か彼の頬を叩いた。

 胸に耳をあてれば鼓動が聞こえて安心したけど、皐月さんは死んだように眠っている。


 俺が、あんな風に拒絶したから?


 ふと、皐月さんの手のひらがギュッと丸まっているのに気が付いた。

 指を開かせてみれば、握られていたのは俺があげたお守りだ。


 あんなに置いていかれたくないと寂しさを抱えていた人を、一人きりにしてしまった。

 罪悪感で胸が強く締め付けられる。


 頬に滲んだ涙の跡を指でなぞって、耳元で囁いた。


「皐月さん……ごめんね。起きてよ。一緒に帰ろうよ」


 すると彼の瞼が緩やかに開かれ、輝きを失った黄金色の瞳が覗く。俺を見ると、皐月さんは愛おしそうに目を三日月に細めて笑った。


「涼太……」


「皐月さん、ごめんなさい、俺……」


 寝起きだからか、彼はぼんやりした様子で俺を見上げていた。


 ボソボソと小声で溢された言葉が聞こえづらく、口元に耳を寄せる。


「帰って、一緒にご飯が食べたい」

「涼太と手を繋いで眠りたい」

「朝起きたら、一番におはようと言いたい」


 出てくる言葉は、俺に向けられた、俺とやりたいことだ。

 特別なことじゃない、日々を繋ぐ営みだ。

 目の奥がじくりと痛んで、涙が次から次へと頬を流れていく。


「うん……後は?他にはなにかありますか?」


 皐月さんは少し言い淀んで、「涼太とキスがしたい」と囁いた。


「うん、いいよ」


 俺は皐月さんの頬に手を添えて、そっと唇を重ねた。乾いた唇はうっすらと冷えていて、それでも俺の心を温めてくれた。


 ♢♢♢


 唇を離すと、皐月さんと視線がかちりと合う。先ほどまでの濁りは消えて、生気のある色が浮かんでいた。


「……え?」


 皐月さんは口をはく、と動かし、目を大きく見開いて狼狽していた。


「えっなん……なんで?どうやってこの場所に、えっ今の、夢じゃ、なかった……!?」


「夢じゃないですよ、現実です」


 彼の背中を支えて、ゆっくりと上体を起き上がらせる。


「ここで何してたんですか?」


「……前世の記憶を消すための妖術を研究していたんだ。もう少し頑張ってみるから……そうしたら、前世の記憶も、僕と過ごした時間も消せるようにするから」


 そう言って、力なく眉を下げた。


「……は?」


 意図せず、今まで出したことのないような低い声が喉奥から溢れ出た。


 皐月さんと過ごした時間を消す?


 ぎり、と奥歯を強く噛みしめる。

 


「何言ってるんですか?記憶を消す?——俺、そんなこと頼んでない!勝手なことするなよ!」


 他人に対してこんな風に怒鳴ったのは初めてだった。頭に血が昇って、ぐらぐらと煮え立っているみたいだ。


 皐月さんは俺のあまりの剣幕に身を強張らせ、また泣き出しそうな顔になった。


「だ、だって……もうそれくらいしかできないから。他にしてあげられることが、無い。もう涼太に泣いて欲しくない。全部忘れられたら普通の人と同じように、幸せに生きられると思って。ごめんなさい……」


 震える声で、叱られた子どもみたいに謝る皐月さんを見ると、怒りは萎んでいく。

 地面に視線を落とし、細く息を吐き出して心を鎮めた。


「……俺、忘れたくなんかないんです。だから皐月さんのこと迎えに来たんですよ」


「え……」


 もう一度顔を上げて、皐月さんと目を合わせた。

 

「ごめんね、皐月さん。俺酷いこと言っちゃった。あの時、やりたいことリストが紫水とやりたかったことだったって聞いて、俺……紫水の代わりだったのかって思っちゃって。それが凄く、嫌だったんだ。だって俺は、紫水じゃない——紫水には、なれない」


「……っ!確かに、僕はずっと紫水の生まれ変わりを探していた。ずっと会いたいと、そう願ってた。でも……」


「紫水が好きだったから、俺のことも好きになった?」


 彼は涙を滲ませて、頭を何度も横に振った。


「違う、違う……!紫水を、愛してた。それは不変だと思ってたけど……でも、奇跡みたいに涼太に出逢えて、一緒に過ごした時間が、幸せで……たくさん嘘をついたからもう信じてもらえないかもしれないけど……僕は、涼太が好きなんだ」


 感情が波のように打ち寄せて、不安を洗いざらい流していく。

 嬉しくて、苦しくて、胸が押しつぶされそうだ。


「紫水の代わりじゃない。僕は——涼太のことを愛してる。一緒に、いたい」


 深い霧が晴れて、ようやく目の前で泣いている彼の輪郭がはっきりと感じ取れた。


 そっか。そうだったんだ。


 今俺の目の前にいるのは、御影の姿をしているけど、皐月さんだ。


 俺は両手を伸ばし、彼の頬を包み込んだ。

 夜空に輝く月のような瞳を真っ直ぐに見つめた。


「——信じます。俺と一緒に過ごした皐月さんのことを、信じます」



 年上なのに寂しがり屋で放っておけなくて。

 虫殺せないし、たまご割れないし、米泡立て器で洗うし。

 天然だし、かと思ったら頼りになるし。

 

 でも、誰よりも俺のことを見てくれた。

 俺でさえ見過ごしていたような気持ちを、見つけて掬い上げてくれるんだ。

 俺の大切なものを同じ目線で、大切にしようとしてくれた。


 今のこの人は、紫水と共にいた御影じゃない。俺と出逢って、一緒に暮らした皐月さんだ。


 俺が初めて愛しいと、大切にしたいと思えた人。


 共に過ごした日々を信じると、そう決めた。


「……これ」


 リュックから取り出したのは、皐月さんの手帳だ。彼はそれを受け取り、不安げに瞳を揺らした。


「このリストに書いてることは、もうやりません。その代わり……」


 待ち続けた八百年は、あまりにも長い。

 紫水を想い続けた時間の重みを、どう背負えばいいかも分からない。

 

 でも、二人なら。


 


「その代わり、俺と一緒に、新しいやりたいことリストを作りませんか?二人でやりたいことを、一緒に考えたいんです。小さな願いでも、何十年後にしか叶えられない願いでもいい。もう一度、二人で」


 黄金色の瞳からは雨粒みたいな雫がとめどなく零れ落ちている。

 不謹慎だけど、「なんて綺麗な涙なんだろう」なんて思ってしまった。


「僕、帰っていいの?」


「いいも何も、あそこは元々皐月さんの家じゃないですか」


 呆れたように笑うと、地面に伏せていた九つある長い尾はぴん、と立って、風に吹かれる猫じゃらしみたいに揺れていた。

 御影の姿だと、感情が漏れて分かりやすいみたいだ。


「……涼太、抱きしめていい?」


「うん、いいですよ」


 両手を広げると、壊れ物に触れるような手つきで俺の背中に腕が回された。

 次第に力が籠っていく腕の強さに、心の底から安心した。


「帰りましょう、一緒に」


「うん……帰りたい」


 体を離すと、皐月さんは甘えた声で「もう一度、キスしていい?」と問いかけた。


 笑いながら「いいですよ」と言うと、彼は心の底から幸せそうな微笑みを浮かべ、もう一度涙がこぼれ落ちた。


 唇が優しく重なると、胸に開いていた穴が満たされていく。

 きっとこのキスが、俺たちの新しい始まりなんだ。

 


 

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