第39話 決意
『
弟が山に入ったきり戻らない。
妙な胸騒ぎがする。
里の男衆総出で山に入り、
その日、弟は見つからなかった。
そして、俺は贄の期日だった新月の夜を生き延びた。
まるで俺の代わりに弟が消されたような、背筋が薄寒くなる感覚だ。
翌日、
『おい、これは天藍の笛じゃないか』
大叔父が手にしていたのは、俺が弟に作ってやった竹の笛だ。
赤黒く変色した血が飛び散っている。
『どこにあったんだ』
『そこの、木の洞に落ちておった』
その場所には微かに妖気の残滓が漂っていた。
周囲を注意深く観察していると、茂みの中で鈍色に光るものを視界の端に捉えた。
『……っ!』
草をかき分けた俺が見つけたものは——桔梗色の総角に銀の鈴。
幼い頃に御影にやった御守りだ。
震える手でその鈴を拾い、誰にも見られぬようにそっと懐に仕舞い込んだ。
『白い毛が落ちておった。この色は妖狐に違いねぇ』
『妖狐が殺したのか?約束が違うじゃねえか』
茫然とした俺は、「約束?」と反射的に聞き返していた。
里の男たちははっと口を噤んだが、やがて重たい口を開いた。
成人した者のみに知らされる、鬼の里の秘密。
遠い昔、人の胎から生まれた異形の子を集めてできたのが鬼の里。
山の豊かな恵みと穏やかな気候で何不自由のない暮らしを約束された桃源郷。
その代わりに数十年に一度、生贄を差し出さなければならない。
この里は、妖狐が作った生け簀なのだ。
鬼の角に薬効があるから隠れ住まねばならないというのは子ども向けの嘘だ。
鬼は山から出られない。
この山に咲く
天藍の笛が見つかったこと、恐らく妖狐に殺されたことが報告されると、親父は火が付いたように怒り出した。
『紫水だけでなく、天藍まで!約束を違えたな……!許さぬ、決して許さぬ!!』
晴天の空のような色だった親父の目に赤い炎が宿る。
血の涙を流しながら、角がずん、と大きく伸びた。
それを皮切りにして、他の鬼の瞳の色も赤々と燃えだした。
『許せぬ、許せぬ』
『憎い、憎い』
『殺せ、殺せ』
火が燃え移るように、一瞬にして怒りは一族中に広がった。
『待て、みんな落ち着け!』
俺がいくら止めても、誰一人聞く耳を持たなかった。
普段よりも体は大きくなり、牙や爪は鋭く尖り、体も薄っすらと朱を帯びている。
そして皆、瞳は紅く染まっていた。
『これが、百鬼夜行……?』
俺は雪厳の滝まで走った。
心臓が破れるのではないかと思うほど、無我夢中で山道を駆け抜けた。
心の中で何度も御影の名を呼んだ。
御影が殺されてしまう。
この時の俺は、まだ御影を信じていた。
何かの間違いだと、そう言ってくれると信じていた。
御影に会って、天藍の血の匂いを感じ取るまでは。
『なあ、御影……
正直に話してくれたなら、御影を逃がす。
もし嘘をついたなら、俺が御影を——。
『知らないよ……弟さん、心配だね』
幼い頃の約束さえ、お前は忘れてしまったんだな。
『俺たちは親友だから、嘘も隠し事も無しだぞ』
『うん、約束する』
約束を、守りたかった。
朝目が覚めると、頬に流れる涙の冷たさを感じ取った。
もう、前世の夢なんか見たってなんの意味もない。
紫水、お前は俺にどうして欲しいんだ?
復讐でもして欲しいのか?
御影を恨んでいるから、こうして前世の記憶を思い出させるのか?
心の中で問いかけても、答えが返ってくることはない。
「——もう、たくさんだ」
玄関の前に、皐月さん宛の段ボールの小箱がいくつか届いていた。
いつ帰ってくるかも分からない宛先人の名前が、歪んでよく見えない。
(俺、どうしたらいいんだろう)
どこへ向かえばいいのかも分からない。
帆が壊れた船みたいに、ぐるぐると同じ場所を回っているような気分だった。
♢♢♢
「あれ、桃園?」
「……竹原」
仕事帰りに駅前で、また竹原に会った。
彼は友人と一緒だったが、そのグループの輪を抜けて俺に話しかけてきた。
「あ、お前ちゃんとお祓い行ったんだな。影、消えてるよ……でもなんか、祓う前よりも元気ないな?」
「そう、かな……」
言葉少なく項垂れた俺がよほど頼りなく見えたのだろう。
竹原は一緒にいた友人に「ごめん、俺今日は飲みパス」と謝罪して、近くのファミレスへと俺を連れ出した。
「なんだよ夏バテか?ちゃんと食ってる?」
「食べてるよ。っていうかなんかごめんな、せっかく友達といるところだったのに」
「そりゃあんな顔してたら、放っておけないだろ」
どんな顔をしていたのかと聞くと、竹原は「迷子の子どもみたいに心細そうな顔」と言った。
同級生にそう言われて恥ずかしくなり、メニューを広げて顔を隠す。
「だから、心配になるだろ」
「……なんで、久しぶりに会った同級生にそこまでしてくれるんだ?」
「……お前は覚えてないと思うけど、昔桃園は俺のこと助けてくれたから」
「俺、なんかしたっけ」
覚えがなくて首を傾げると、竹原は笑って軽く前髪をくしゃりと搔き上げた。
「中学入りたての時、俺まだ見える力があんま制御できてなくて。そのせいでクラスでもちょっと浮いてて。でもお前、そういうの全然気にしてなかっただろ。気持ち悪がったりしなかった。それが凄い、救われた」
竹原なら、信じてくれるだろうか。
荒唐無稽な前世の話を、聞いてくれるだろうか。
「聞いて欲しい話があるんだ」
♢♢♢
前世の話から始まり、一通り話し終わると竹原は眼鏡をはずして眉間の皺をもみほぐしていた。
「ちょ、待って……情報量が多すぎる」
「ご、ごめん」
「分かった、一旦整理する。お前と隣人の皐月さんって人が前世での親友で、お互い生まれ変わったと思ってたら皐月さんはずっと生き続けてた妖狐だった……ってこんなん漫画だろ!」
「俺もそう思う……」
竹原はハンバーグを頬張りながら、続けて「で、お前は皐月さんと付き合ってるんだけど今現在は喧嘩中って所なんだよな?」と俺に確認した。
「俺の話、信じてくれるの?」
「なんだよ作り話か?」
「違うけど……」
「じゃあ、信じるよ。いろいろぶっ飛んでるけど、辻褄は合うし、俺も非現実的な世界が見えてる側だし。それにお前が嘘つくような奴じゃないとは思ってるから」
黙々と定食を平らげながら、竹原は当たり前のように信じると言ってくれた。それにずっと張り詰めていた心が緩む。
気が付けば、俺は音もなく涙を流していた。黙って手渡された紙ナプキンで目元を拭い、鼻を啜る。
「皐月さん、どこ行ったか分かんないの?」
「うん……俺、本当に皐月さんのことなんにも知らないんだなって。スマホも置いていっちゃったから連絡も取れないし、皐月さんが行きそうな場所も分かんない」
自分がもう一緒にいたくないって言ったくせに、と自嘲した。
例え魂が同じでも、紫水と俺は別人なんだ。俺は、紫水にはなれない。
黙って目を伏せていると、竹原は食べ終えた食器をテーブルの端に寄せて肘をついた。
「特殊な状況過ぎて想像しかできねえんだけど……好きな人が自分のせいで死んで、何百年も生まれ変わるのを待つってまあ正気の沙汰ではないよな。そりゃ妄執だよ。そこまで執着してんのに、それをお前の“一緒にいたくない”の一言であっさり引き下がったのは、なんでなんだろうな」
それは、たいして俺のことは好きじゃなかってことなんだろうか。
そう思うと胸がズキン、と痛んで苦しくなった。
「だって、八百年待ってたんだろ?妖狐なんだし、強制的に手に入れることだってできるんじゃないかと思ってさ……それって、お前の意思を尊重してくれてるってことなんじゃないのか?」
竹原の言葉に、曇りきっていた視界に一筋の光が差し込んだ。
全てが嘘ではなかったんだろうか。
紫水じゃなくて、俺自身に向けられた気持ちがあったのだと、信じていいのだろうか。
「前世から親友やってんだったら、仲直りできるだろ」
俺は、どうしたいんだ。
今の俺は、どうしたい?
目を伏せ、自分の心に問いかけた。
答えは、一つだ。
「ありがとう、竹原。俺、皐月さんのこと探してみる」
もう一度、ちゃんと話がしたい。
そう決意した俺を見て、竹原は「元気でたな」と安心したように笑った。
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