第38話 俺は紫水じゃない
前世の出来事を聞き終わった俺は、何一つかける言葉が思い付かずに呆然とした。
「これが、前世のすべてだよ」
聞いたことを後悔しそうなほどの凄惨な過去。
皐月さんは目を伏せ、判決を待つ囚人のように俺の前で首を垂れていた。
混乱した俺は、頭を抱えて深く息を吐いた。
皐月さんは御影の生まれ変わりじゃなくて、御影本人なんだ。
皐月さんが頑なに前世を忘れようと言っていたことも、紫水が御影を殺そうとした理由も理解した。
じゃあ、俺たちはこれからどうしたらいいんだ?
だって、皐月環という男は御影が作り出した幻影だ。
そんな人間、存在しない。
俺が好きだと思った皐月さんはどこなんだ?俺は御影が好きなのか?
そもそも皐月さんは、本当に
だって、皐月さんが待っていたのは紫水で、俺じゃない。
——俺じゃ、なかったんだ。
そう自覚した途端に目の奥が熱くなり、じわりと涙が滲む。
込み上がる嗚咽を飲み込むと、肩がひくりと震えた。
「涼太、ごめん……」
何に対するごめんなんだろう。
俺は目の前の彼をなんと呼べばいいのかも分からなかった。
「あの、さっきの……俺の部屋に
「あれは……僕の一部だ」
寂しい。
苦しい。
後悔。
未練。
そういった、紫水に向けた感情。
待ち続けて生きるのは辛く、それでいて消すこともできなかったと、淡々と語った。
「だから、紫水への感情を取り出す術を自分にかけたんだ」
紫水を想って辛くなるたびに、術をかけてはあの鈴に封印したのだと、そう言った。
御影は、あまりに長い年月を一人で生きた。紫水の記憶は、彼にとって救いでもあり、忘れようのない辛い記憶でもあるのだろう。
だからそれは、心を壊さないための自己防衛だったのかもしれない。
「でも、その封印が涼太に会った時に緩んで……いつのまにか、実体を持って行動し始めたんだ。僕の姿を映して」
ああ、だからか。
幼い日の御影の姿と声。
俺を紫水と呼ぶ御影は、迷子だった子どもが親を見つけた時のように、本当に嬉しそうだった。
あれは鈴にもう一度封印する、とか、皐月さんは色々言っていたけど、言葉が頭に入ってこなかった。
なにをどうやって信じればいいのか。
どこまでが嘘で、なにが真実なのか。
何も分からなかったけど、一つだけ確かめたいことがあった。
「やりたいことリスト」
ポツリと落とすように、震える声を絞り出した。
「あれ、"紫水と"やりたいことだった?」
皐月さんは返答に迷っていたけど、ゆっくりと頷いた。
その肯定は、俺の中でぎりぎりのバランスを保っていた積み木の塔を崩すには、十分な威力だった。
「でも、涼太が一緒にやろうって言ってくれて本当に嬉しかったんだ。許してもらえるなら、これからも涼太のそばにいたい」
嬉しいはずの言葉が、耳を素通りしていく。
前世のことは俺には関係ない。
それを裁く権利は俺にはない。
全部忘れて、今まで通りにすればいいんだ。
「許す」と一言伝えれば、またあの幸せな時間が手に入る。
俺が受け入れれば、全部元通りだ。
でも……
大好きだと囁いた声も、優しく触れる唇も。
あの全てが、俺を通して紫水に向けられていたんだとしたら。
——嫌だ。
紫水の代わりは、嫌だ。
涙が次から次へと溢れ出して、拭っても間に合わない。
目の前で息を呑む音が聞こえる。
頬に彼の指先が触れた瞬間、俺はその手を叩き落としていた。
「嫌だっ!触るな!」
言い終わらないうちに、ソファから引き摺り下ろされるように強く抱きしめられた。
手首を強く掴まれて振りほどけない。
「嫌だ……!」
「ごめん、許して……!僕は、涼太がいないと……!」
「や、やだ……もう、嫌だ。一緒にいたく、ない……!」
かろうじて言い出せた言葉がそれだった。どこまで本心だったのか、自分でもよく分からない。
でも、この時の俺には飲み込めない感情が多過ぎて、子どもの癇癪のように「嫌だ」と突っぱねることしかできなかった。
目を閉じ、耳を塞ぎ、全身で皐月さんを拒絶した。
もう、なにも見たくない。
「……分かった」
消えそうなくらい弱々しい声に気付いて目を開けた時には、彼はもう姿を消していた。
次の日になっても、皐月さんは戻って来なかった。
♢♢♢
あれから二週間が経った。
いつも通り仕事に行って、皐月さんの家に帰ってくる。
彼のいない日常にまだ慣れない俺は、つい食事を多く作りすぎてしまう。
「……あ、また作りすぎたな」
フライパンの中の具材の量を見て、ため息をついた。
冷蔵庫を開ければ、作りすぎて食べきれなかったおかずを入れたタッパが何段も積み重なっている。
古いタッパを開けて、机に並べていく。
(これはもう食べなきゃ……こっちはまだいけるかな)
一人では広すぎる部屋で、作り置きのおかずをつまんだ。
聞こえるのは自分の咀嚼音と、テレビから響く笑い声。
(……美味しくないな)
いつも通りの自分の手料理なのに、驚くほど不味く感じた。
♢♢♢
保育園での昼下がり。
ガラガラっという音と一緒に、悲痛に泣き叫ぶ声がクラス中に響き渡った。
カラフルな積み木のブロックが、床一面に散らばっている。
「うわああん、壊れちゃったあ!」
「壊れちゃって悲しかったね。もう一回作ろうよ」
服部先生が玲くんの肩にそっと触れてなだめている。
俺はどこか意識の向こう側からその様子を眺めていた。
「嫌だあ、も、もう、おんなじの作れない!」
そうだよ。
今まで頑張って積み上げてきたものが壊れるのは、一瞬だ。
もう同じものは作れない。
胸元を固く握りこんだ。
すると、だれかが俺のエプロンの裾をくい、と引っ張った。
「ももせんせー」
「……ん?どうしたの?」
「いたい?」
投げかけられた質問に上手く答えられないでいると、「おかおが、いたそう」と子どもたちが言った。
俺は精一杯の笑顔を浮かべて「大丈夫だよ」と答えることしかできなかった。
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