第35話 前世ー御影と紫水ー

 妖狐の族長の子の一人として生まれたが、母の位が低いために軽んじられ、腹違いの兄たちからはよく虐められた。


「おい、なぜ金狐の里に卑しい白狐が混ざってるんだ?」


「白のくせに俺たちの弟を名乗るなよ」

 

「兄者、動く的だ。誰が当てられるか、勝負しよう」


 石礫を投げつけ、俺が走って逃げるのを笑いながら見送るのだ。


 母は俺を産んで、三日後に息を引き取った。

 里に俺の居場所は無い。

 だから、いつも雪厳の滝で時間を潰していた。


 葉の数。花の数。石の数。

 たくさん数えた。


 一枚。

 十本。

 百個。


 数えても、それを伝える相手もいない。

 そんな時に出逢ったのが、鬼の紫水だった。


 ♢♢♢


 森の茂みから飛び出してきた、長い黒髪を一つに結んだ少年。

 俺を睨め付けた藍色の瞳が、澄んだ冬の夜空のようで綺麗だと思った。

 

「お前、妖狐か?」


「そうだよ」


 その子は警戒するような表情で距離をとり、恐る恐る近付いた。下から覗き込み、後ろに回り込み、犬のように威嚇する。

 俺が何もしてこないのを確信すると、安心したように笑った。


「なんだ、”大人は妖狐に近付くな、喰われるぞ“なんて言うからどんな恐ろしい化け物かと思えば」


 そして俺が座っている岩の真向かいに胡座をかいて座り込んだ。好奇心がたっぷりと詰まった瞳で見つめられると、居心地が悪くなって目を逸らす。


「お前、綺麗だなぁ」


 にっ、と笑うと、白い歯と尖った牙が覗いた。


「俺、紫水。お前は?」


「……御影」


「いつもここに来るのか?」


 こくりと頷くと、「じゃあ俺も、明日もここに来る」と言ってまた風のように森を駆け抜けていった。


 次の日も、その次の日も、紫水は約束通り滝に来た。後から聞いた話だと、最初は俺のことを女だと思っていたらしい。


「女だったら嫁にしようと思ってた。男だったから、親友だな」


 紫水は裏表がなく、心根の優しい奴だった。

 

 紫水がする鬼の里の話は知らないことばかりで面白く、俺は彼の話を聞くのが好きだった。

 それに対して俺は人を楽しませられるような話が一つも思い浮かばない。


 紫水は俺といて本当に楽しいだろうか。

 つまらなくなって、その内来ることをやめるのではないだろうか。


 そんな不安は常に付き纏った。


 一度、紫水に聞いたことがあった。

 

「他にも友はいるだろう。ここにばかり来ていていいの?」


「でも俺、御影といる時が一番楽しいし。お前は違うの?」


 俺を真っ直ぐに見つめる瞳には打算も蔑みも見当たらない。それが凄く、胸を打った。

 濁りが一点も無い目で見られたことは、これまで一度も無かったから。


「……俺も、紫水といる時が一番楽しいよ」


「じゃあ、いいじゃねえか」


 目尻に皺を寄せ、顔をくしゃくしゃにする笑顔を見るのが好きだった。それだけで、幸せだった。

 

 

 あの頃の俺は、紫水に依存していた。

 狭い世界で、紫水だけが心の拠り所だったからだ。でも、当時はそんなことにも気が付かなかった。


 里で兄に殴られ青痣を作っても、治すことをしなかった。

 この程度の怪我、雪(・)厳(・)の(・)滝(・)の(・)水(・)に(・)浸(・)か(・)れ(・)ば(・)す(・)ぐ(・)に(・)治(・)る(・)。(・)



 でも、怪我をした俺を見ると、紫水は心配してくれた。

 自分の代わりに怒ってくれた。

 それが嬉しくて、わざと兄を怒らせたこともあった。そんな歪んだ感情は、月日が経っても消えることはなく、益々捻れていったように思う。

  

 少年から青年へと成長し、どんぐりの背比べだった背丈はいつの間にか紫水に追い越されていた。


 初めて出逢ったその日から、死ぬ最期の時まで、紫水だけが俺にとっての、たった一人特別な男だった。


「御影、海って知ってるか?」


「海?なんだ、それ」


「この間、山に迷い込んだ人間が話すのを聞いたんだ。海とは見渡す限り広大な塩水で、日が当たれば青く燦々と煌めき、日が沈むと黄金色に輝くものらしい」


 山伏が話していた海を語る紫水の瞳は憧憬に染まり、好奇心を滲ませていた。


「いつか行きたいな。一緒に行こうぜ」


「一緒に……?」


「ああ。二人で」


 いくつ叶わない約束をしただろう。

 何も知らなかった子ども時代が、一番幸福な時だったのだ。

 


 ♢♢♢


『今は内緒でしか会えないけど、大人になって俺たちが族長になったら妖狐と鬼の一族仲良くしような!』


 その約束を叶えるためだけに、兄を押し退けて跡取りを目指した。

 元々母狐の位の割には妖力が高く、実力主義の父に認められるのも時間の問題だった。


 妖狐は金狐、銀狐、白狐の順に妖力が高い。母は最下層の白狐だったが、俺には金狐並みの妖力が備わっていた。


 巨大な岩を砕き、狐火で天にも届く焔を作る。

 後継を決める兄たちとの闘いで、最後まで立っていたのは俺だった。


 後継に決まれば、次は婚姻。

 一族の金狐の女と番ったが、互いに義務的なやりとりだけで、ついに心を通わせることはなかった。


 成人して所帯を持ってからは減っていたが、紫水とは時折会っていた。

 幼い頃と変わらず、あの滝で。

 

「子が出来たのか!良かったなあ、いつ生まれるんだ!?」


「年明けに生まれる予定だ」


「そうか、お前も親になるんだなあ」


 紫水も来年成人して嫁取りをする。自分たちの子の世代には鬼と妖狐の一族が和解していればいいと、そんな希望ある未来ばかりを語っていた。


 それが二人で交わした、最後の穏やかな会話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る