第27話 大切にしたい
「皐月さん、俺、今週末実家帰りますね」
もんじゃ焼きを食べていたヘラがカシャン、と床に落ちた。元々陶器のように白い皐月さんの顔色がさっと青ざめていく。
「僕、何かした……?」
「……え?いやいや違います!実家に帰らせて頂きますとかじゃなくて!今週弟の誕生日なので、普通に一泊で帰るだけです!」
思わず立ち上がり、今にも泣き出しそうな皐月さんの背中を慌ててさする。
「本当に?そのまま帰ってこなかったり……」
「しませんって!実家からここまで何時間かかると思ってるんですか!」
そこまで言ってようやく安心した顔になる。それでも、どこか寂しさの滲む表情は親に置いていかれる子どものようで、放ってはおけなかった。
「あ……よかったら皐月さんも来ます?」
「え?でも、それは流石に迷惑じゃ……」
「大丈夫ですよ、俺んち基本的に来客歓迎な家ですから。それに母も皐月さんに挨拶したいって言ってましたし」
皐月さんはしばらく考え込み、「じゃあ、お言葉に甘えて」と遠慮がちに言った。
♢♢♢
東京駅から新幹線あさまに乗って高崎まで一時間。そこから在来線に乗って、さらに一時間。
「母さん」
駅を出てすぐのロータリーに、母の車を見つけた。
「涼太、久しぶり。あ、この方が?」
「うん、俺の隣人で、今お世話になってる皐月さん」
「初めまして。皐月環と申します」
俺が紹介すると、皐月さんは丁寧なお辞儀をして母に挨拶をしてくれた。
「あらやだまぁ……すっごい顔がいいね」
「母さん!失礼だろ!」
ミーハーな母を窘めて車に乗ると、次女の杏がスマホを片手に助手席に座っていた。
「杏も迎えに来てくれたのか」
「コンビニ行くついで。ね、あれ買ってきてくれた?」
「ああ、これでよかったか?」
東京駅限定の、杏が好きな猫のキャラクター。「これこれ、ありがと、お兄!」と嬉しそうに目を輝かせたのも束の間、杏の意識は俺の後ろに立つ皐月さんに移った。
「え、誰?もしかしてお兄の同居人?」
「こんにちは」
「まじやばっイケメン!モデル!?俳優!?SNSやってます!?」
久々に会った兄のことはそっちのけでイケメンに釘付けになる妹が嘆かわしい。
っていうか、お前は彼氏がいるだろう。
その後も杏は後部座先に座る皐月さんをまじまじと見つめ、「東京にはこんなイケメンがいるんだ……あたしも絶対上京する」と固く決心していた。
三カ月ぶりの我が家。家を出て長い年月が経った訳でもないのに、桃園という表札の字が懐かしく思えた。
「ただいま」
「お兄、お帰り」
「お兄ちゃん、おかえりぃ」
玄関で出迎えてくれたのは、小学生の弟二人。
「その人誰?」
「だれー?」
「今兄ちゃんと一緒に暮らしてる人なんだ。挨拶できる人!」
素直な小学生達は元気よく手を上げて、ぺこりとお辞儀をした。
「桃園瞬太です」
「桃園春太です!一年一組20番です!」
「ちっちゃい桃園くんだ……」
「そんなに似てます?」
皐月さんは膝を折って、弟たちと視線を合わせた。
「皐月環です。宜しくね」
「ねー、スマブラできる?」
「マリカーやろ」
「後でな。先に父さんに挨拶してから」
部屋に上がり、奥の和室へと案内する。襖を開けると、仏壇の遺影と目が合った。
仏壇の前に正座して、線香をあげる。
煙が宙を漂い、今日も父は変わらない微笑みを浮かべている。俺の隣に座った皐月さんも、目を閉じて手を合わせていた。
俺の家に皐月さんがいるなんて、不思議な光景だ。
でも、それが嬉しかった。
夜は家族そろって春太の誕生日パーティーをした。
「春太、誕生日おめでとう」
「ありがと、お兄ちゃん」
メニューは春太の好きな唐揚げ、エビフライ、手巻き寿司、そしてホットプレート二台分のおでん。
「なんで六月におでんなんだよ」
「春太の好きなものなんだからいいんだよ」
「颯太は口を開けば文句ばっかなんだから」
「うっせぇよ」
次男の颯太は杏と二卵性の双子だ。中学三年生の多感な年ごろ。
小さい頃は兄ちゃん兄ちゃんって可愛かったのに、近頃は反抗期なのか冷たいのだ。
「俺、今日はお兄ちゃんと寝る」
「どうせ夜中に母さんのところ行くんだろ」
「もう一年生だから大丈夫だよ!」
大家族に圧倒されているのか、皐月さんは所在なさげだ。
「すいません、煩くて」
すると皐月さんは茶碗を持ちながら柔和な笑みを浮かべた。
「桃園くんが育ってきた場所が見られて、嬉しいよ」
バリンッ
甲高い破裂音が茶の間に響く。
「凛!あんたまたメガネ割って!今年何本目!?」
「クッッ今の台詞をおかわりもう一杯」
「凛姉、また鼻血なんですけど」
「あー!」
机の上に瞬太が落とした玉こんにゃくがころころ転がっていく。我が家の珍しくもない、騒々しい食卓だ。
「ほんと……すいません」
皐月さんは堪えきれずに吹き出して、珍しく声をあげて笑った。
♢♢♢
その夜、客間に布団を敷き、皐月さんと俺は春太を挟んで川の字になって寝ていた。
でも、一時間ほどするとやっぱり母が恋しくなったようで、春太は二階の母の部屋へ行った。
「騒がしくてすいません」
「ううん、楽しいよ。いいね、家族がたくさんいるのは」
彼は暗い部屋で天井を見上げながら、暗闇に溶けていくような声で囁いた。
「連れてきてくれてありがとう。桃園くんの家族に会えて嬉しかった」
「……俺も、会ってもらえてよかったです」
皐月さんの温もりが欲しくて、手を伸ばした。
指先に触れ、そっと手を握った。
彼の親指がすり、と手の甲をなぞっていく。
「桃園くんが守ってきたもの、僕も大切にしたい」
中学二年生の夏休み、父さんは亡くなった。交通事故だった。
うだるような暑さと、耳障りな蝉の鳴き声。
煙になって高く昇っていく父を見送った空は、怖いくらいに深い青だった。
一番下の弟は、まだ一歳だ。
俺がしっかりしなきゃ。長男だから。
俺が父さんの代わりに家族を守らなきゃ。
小さくなった父が入った骨壷を抱え、泣き続ける妹の手を握った。
この日から、俺の最優先は家族になった。
途中で辞めた部活。
気を遣って放課後誘わなくなった友人。
ぐずる弟を母の代わりに抱き続けた夜。
長男として当たり前に支え続けてきた、家族の日常。
それを皐月さんは一緒に大切にしたいと言ってくれた。
(そうか、俺、ずっと誰かにそう言って欲しかったんだ)
重たい荷物を分け合って、肩がふっ、と軽くなったような心地がした。
陽だまりのような愛おしさが、胸の内側で産声をあげる。
(俺、この人のことを大切にしたい)
寂しさを拭って、温もりを分かち合って。
ずっと、そばにいたい。
心の奥底で、確かにそう思った。
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