第25話 きっと、幸せになるために
アジサイやてるてる坊主の製作物が、保育園の廊下に飾られている。
元気が有り余る子どもたちは、退屈そうに窓の外を眺めていた。
「雨だねえ」
「お外行きたいなあ」
「よし、じゃあプレイルームでマット遊びしようか。移動するので、廊下に並んでくださーい」
「はーい!」
小さな手足を動かして、廊下に並ぶ子どもたち。
雨の日でも元気に遊んで欲しい。
梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばすような笑顔。
夏はもう、すぐそこまで来ている。
♢♢♢
「皐月さん、次の休み、やりたいことリストやりません?」
「ほんと?じゃあ、どれがいいかなぁ……」
皐月さんが開いた、手帳の中のやりたいことリスト。そのうちのいくつかには、文字の先頭にチェックがつけられていた。
全部、俺と叶えたことだ。
そのリストを見ると、自然と頬が緩んだ。
「晴れてたら、海は?」
「海、いいですね!」
次の週の、梅雨の合間の晴天。
俺たちは車を借りて、鎌倉に向かった。
早朝の高速はまだ空いている。
俺は助手席に座っている皐月さんに、「後ろに積んでる、水色の保冷バッグに朝飯入ってるんで食べてくださいね」と声を掛けた。
「え、作ってくれたの?」
「いなり寿司、好きって言ってたから。俺はもう作りながら食べちゃったんで、好きなだけどうぞ」
「ありがとう、いただきます」
皐月さんは嬉しそうに目を細め、いなり寿司を頬張った。
「本当に食べちゃっていいの?」
「いいですよ。俺運転中だし」
「食べさせようか」
え、あーん、ってこと?
脳内で皐月さんにいなり寿司を食べさせてもらう妄想が浮かび上がる。
「事故るんでやめて下さい!」
油断も隙もないな。
ハンドルを強く握り直すと、騒ぎ立てる鼓動が指先に伝わった。
「美味しい」
「よかった。婆ちゃんが作るの、もっと美味しいんですけどね」
「帰りは僕が運転しようか」
「え、皐月さん運転出来るんですか?」
「一応、免許は持ってるよ。でももう何年も運転してない」
「……帰りも俺が運転します」
申し訳ないけど、任せるのが怖い。
皐月さん、ブレーキとアクセル間違えそう。
夏を感じる音楽をかけ流しながらのドライブを楽しみ、高速道路を走り抜けた。
♢♢♢
鎌倉の七里ガ浜についた。パーキングに車を停めて、ビーチサンダルに履き替える。海沿いに向かって歩くと、潮風が皐月さんの髪を揺らし、陽の光を通して煌めいていた。
男の俺から見てもこんなに綺麗だと思うのに、なんで皐月さんは俺なんかが好きなんだろう。
俺の何がよかったんだろう。
ふとした瞬間に、皐月さんの隣に自分がいることが不思議に思えてしまう。
午前8時の歩道を抜ければ、目の前に海が広がった。
潮騒と、カモメの鳴き声が耳に心地よい。
波音は穏やかで、真夏の日差しよりもまだ少し柔らかかった。
「わあ、海久しぶりです」
「最後に行ったのっていつだった?」
「子どもの頃ですよ。確か、潮干狩り行った気がします」
足元に落ちていた白い貝殻を拾い上げて、ポケットに仕舞い込む。
俺はこの日のために用意したビーチボールを膨らませ、皐月さんに向かって高く投げた。
「青春の続き、やりますよ」
「じゃあ、落とした方は罰ゲームかな」
ボールは皐月さんの手に当たって、綺麗な放物線を描いて俺の方に返ってくる。
「罰ゲーム?いいですよ。アイスおごりとか?」
会話をしながらボールを打ち合い、ラリーが続いた。
「そうだなあ……負けた方は、勝った方にキスをする」
「はっ!?ななななにいってるんですか!」
危うく足がもつれそうだった。なんとかボールを返して体勢を整える。
「よーし、やる気がでてきたぞ」
「俺、やるって言ってないんですけど!」
皐月さんは余裕たっぷりの表情でボールを打ち返してくる。俺、中学バレー部だったのに。途中で辞めたけど。最後に高くあげられたトスは、日の光が眩しくてボールの行方を見失った。
「あっ!」
砂浜に落ちたビーチボールが、波打ち際へ転がっていく。
皐月さんはしたり顔で「僕の勝ち」と笑っていた。
「……ここではしませんからね。家に帰ってからですよ」
掌を突き付けノーの意思表示をすると、皐月さんは心なしかしょんぼりした顔になった。そんな顔をされれば、母性本能がくすぐられてつい甘やかしたくなってしまう。
「べ、別に罰ゲームなんかにしなくても、言ってくれればしますけど……」
「本当に?」
ごにょごにょと口ごもった俺は、今どんな顔をしているんだろう。
付き合いたての初々しいカップルのようなやりとりに、なんともいえない気分になる。
ビーチボールを拾い上げ海に足をつければ、ひやりとした涼感がつま先から広がった。
「わ、冷た……でも気持ちいー」
振り返って「皐月さんも入れば」と言い掛けて、言葉を失くした。
彼はいまにも泣き出しそうな顔で、波打ち際に立つ俺を見つめている。
「皐月さん?」
「……ごめん。今、御影の記憶が」
手を目元にあてる彼に、思わず駆け寄った。
「何か思い出しました?」
「うん……昔、紫水といつか海に行きたいって、そんな話をしていたんだ」
思い出をなぞるように紡がれた言葉は、どこか色褪せた空気を纏っていた。
その記憶は、俺が覚えていないものだ。
「そっか……じゃあ、叶えられて良かった」
そう言うと、皐月さんは泣きそうに、それでも幸せそうに笑って頷いた。
瞬くその瞳が。
潮風に揺れる髪が。
目元を拭う指先が。
ああ、なんて綺麗な人なんだろう。
「俺、ずっと考えてたんです。なんで生まれ変わって、前世の記憶を思い出したのかって……」
俺には、皐月さんと出会えたこと自体が神様からのプレゼントのように思えた。
「きっと、幸せになるためですよ」
皐月さんの瞳から雫がこぼれて、海にぽた、と落ちていく。
昔妹が集めていた、きらきら光るビーズみたいだ。
好きな人の涙でさえも愛しく思うのだと、俺は生まれて初めて知った。
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