第24話 二人のカテゴライズは


 次の日も、そのまた次の日も。

 毎日皐月さんは、俺にキスをする。

 隙あらば、額に、瞼に、頬に、そして唇へ。


 優しく触れるようなキスは、皐月さんの心そのものを俺に分け与えているみたいだ。

 それが嬉しいはずなのに、心はもやもやを抱えたままだった。


「さ、皐月さん。料理中はさすがに離れてください」


「分かってるんだけど……あと少しだけ」


 台所で背後から腰に腕を回され、抱きしめられながら夕飯の支度をする。

 関係性を曖昧にしたまま、距離感だけが馬鹿になって一週間が過ぎた。


 (駄目だ、今日こそはちゃんと聞こう)


 そう思うのに、たった一言が上手く出てこない。


 これまでずっと皐月さんは家で俺の帰りを待っていたのに、近頃は俺が「お帰りなさい」と彼を出迎えることが多くなっていた。


「あ、そういえば最近よく出かけますよね。どこ行ってるんですか?」


 詮索するような言い方にならないよう、できるだけ明るく、軽く振舞った。

 皐月さんは「うん、ちょっとね」とはぐらかすような言い方で、自然と話題を変えてしまう。


 ——教えてくれないんだ。

 降り積もる違和感は徐々に重みを増して、俺の心にのしかかってくる。


 玉ねぎを切る手に、力が籠った。


 皐月さんのことが、よく分からない。

 前から不思議な人ではあったけど、最近は特に。


 前世を思い出したからなのか、あるいは御影の記憶が皐月さんを侵食しているのか。


 分からないことが、怖い。

 まな板の上に、ぽたりと雫が零れ落ちる。


 俺の動きが止まったことに気付いた皐月さんは、顔を覗き込んで狼狽えた。


「桃園くん、どうしたの?」


 口元を手で覆い隠して、言葉にならない嗚咽を一生懸命飲み込む。

 

「また、前世を思い出したの?」


 皐月さんの声に焦燥が滲んでいる。

 首を横に振って否定したが、彼の瞳は何かに怯えるように揺れていた。


「違います……俺、皐月さんが何考えてるのか分かんなくて」


 涙の滲む目尻を乱暴に拭う。

 皐月さんは眉を下げて困り顔になって、俺の両頬を包み込むように手を添えた。


「なに?なにが分からないの?」


「だ、だって皐月さん最近ずっとどこか行ってるし、いつもと違う匂いするし、でも行き先は教えてくれないし……お、俺たちってなんなんですか?」


 関係性に名前がないと不安になる。

 どこかにカテゴライズしないと、つま先が宙ぶらりんだ。

 

 友達なら、どこまで踏み込んでいいんだ?

 恋人なら、どこまで許される?


「皐月さんは俺のこと好きだって言ったけど……でも付き合うとかは言われてないし、友達なのか恋人なのか分かんなくて、でも皐月さんはキスとかするから余計分かんなくて」


 俺って実は結構面倒くさい奴だったんだな、と脳内の俺が鼻で笑っている。


 誰かを好きになるって、こんな暴風みたいな感情に巻き込まれることだなんて、知らなかった。


「——ごめん」


 こつん、と互いの額がぶつかった。


「不安にさせた。ごめんね、桃園くん」


 少しの間皐月さんは黙っていたが、やがて何かを決意したかのように口を開いた。


「前世の記憶を消す方法を探しているんだ」


「えっ……」


「前世の記憶を持ち続けることは、あまりいいことじゃないように思うんだ。お互いを殺し合った記憶を持ったまま暮らすのは嫌だろう?」


 前世の記憶を消す。

 そんなことが本当に可能なのだろうか。


 瞬きを繰り返していると、皐月さんは俺を優しく抱きしめた。


「桃園くんが苦しんでるようだったから、楽にしてあげたかった。でも、それが逆に君を追い詰めてしまってたなんて思わなかった。ごめんね」


「なんで、教えてくれなかったんですか?」


「ぬか喜びさせるのも申し訳なくて。ちゃんとその方法が分かったら言おうと思ってたんだ」


「……どこに行ってたか、聞いてもいいですか?」


「……色々。埼玉の脳科学研究所とか、筑波の大学とか」


 一つずつ穴を埋めるように、皐月さんは俺の質問に答えてくれた。

 全部俺の為だったのかと思うと、疑うようなことを言ってしまったのが申し訳なくなる。


 でも、あの懐かしさを感じる匂いはなんだったんだろう。気のせいだったのだろうか。

 少し神経質になっていたのかもしれない。


 消え入りそうな声で謝れば、彼は黙って俺の頭を優しく撫でた。


「それから、僕たちの関係性についてだけど」


 一瞬緊張が走ったが、彼は手を顎に添えて、難しい問題を解いているような顔でこう言った。


「友達、はもちろん違う。恋人……それもいつか別れる可能性のある一時的で薄っぺらい関係だ。夫婦が理想だけど、日本では男同士では婚姻関係を結べない。家族と呼べるほどの関係性にまではまだ至れていない……いずれなるけど。なんだろう、いまいちしっくりくる言葉が見つからなくて」


「重ッッ!!」


 予想の斜め上をいく回答に、反射的に本音が飛び出した。こんなところで天然をぶちかまさないで欲しい。

 

「いや、そういうことじゃなくて、俺が言ってるのはなんかこう付き合ってるのかな?みたいな」


「桃園くんは僕のもので、僕は桃園くんのものってことだよね?」


「なんか重い!」


 皐月さんは肩を揺らして笑いながら、もう一度俺をぎゅっと抱きしめた。


「他に聞きたいことはある?」


「……あの、俺もう一つ聞きたいことがあるんですけど」


「ん?なに?」


「覚えてないかもしれないんですけど……遊園地に行って、泊まった日。寝てる時、俺にキス……しましたよね?」


 この気持ちを自覚するきっかけになったあの口付け。


 寝ぼけていたのか。

 誰かと間違えたのか。

 それとも、俺だったからしたのか。


 この際、聞いてしまいたかった。


「ああ……あれは、桃園くんが悪いんだよ」


「はぁ!?な、なんで俺が悪いんですか!?」


 憤慨すれば、彼は口角をキュッとあげて、微笑んだ。瞳には、薄らと色香を含ませて。


「だって、僕の匂いが好きって言ったから。そんなこと言われて隣で眠られたら、我慢できないよ」


 確信犯だったんだ。

 ええ?俺のせいなの?

 

「か、勝手にキスするのはよくないと思います!」

 

「そうだよね、ごめんね。じゃあ、今キスしていい?」


「なんでそうなるんですか!?」


 腕の中から抜け出そうともがいてもびくともしない。

 文句を言おうと思った直後、耳たぶを甘噛みされ、ざらりとした感触の舌が這う。


「うあっ……!」


 途端に足の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになった所を支えられた。

 

「な、何して……!」


 キッと睨むように見上げた皐月さんの瞳には、隠し切れないほどの欲望が滲んでいた。

 唇の端を舐めとる赤い舌が、まるでご馳走を目の前にした獣のように艶めいている。


「……可愛い」

 

 ぶわっと、全身の毛穴が逆立った。心臓が胸の内側で、痛いくらいに暴れている。


 男が可愛いって言われて嬉しいわけがない。

 そう反論したかったのに、唇ごと食べられるようなキスのせいで、何一つ言葉にすることができなかった。


 その夜、キスのし過ぎで少し腫れた唇に、ミネストローネが染みた。


 俺は恨みがましい目で皐月さんを睨みながら、夕食を口にした。


 彼はそんな俺を見ても、目尻を下げて「可愛い」と締まりのない口元で微笑んでいた。

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