第19話 好きな匂い
ホテルのフロントに立つ女性は、申し訳なさそうな顔で俺たちに謝罪した。
「申し訳ございません、ご予約の部屋の空調が故障しておりまして」
「そうなんですか……他の部屋は空いてないんですか?」
「生憎ツインの部屋は満室で……ダブルのお部屋へご変更でもよろしいでしょうか?」
ダブルということは、ベッドは一つ。
俺、皐月さんと添い寝するの?
「僕は構わないよ」
はい、そう言うと思いました。
ここで俺が拒否してもおかしいよね!
男同士で雑魚寝は普通!
ベッドが一つでも気にしない!
「じゃあ、ダブルの部屋で……」
引き攣った顔で承諾する。
渡されたルームキーが、掌の上でやけに重たく感じた。
♢♢♢
部屋に入ると、すぐに目に入る大きなベッド。壁についているテレビ。窓近くにある丸テーブルと椅子。よくあるタイプの、小綺麗なビジネスホテルだ。
荷物を降ろし、椅子に腰かけて一息つく。
「あ、皐月さん先風呂どうぞ」
「じゃあ、入ってくるね」
パタンと扉が閉じられ、少し経つとシャワーの流水音が聞こえてきた。
(はあー……な、なんだかどっと疲れが)
今から二人で寝る。
しかも、一つのベッドで。
その事実が頭の中で駆け巡り、脳内会議の議題になった。
常識的な俺「男同士で一つのベッドに眠ることに何ら意味はない」
現実的な俺「意識してるのが可笑しくない?これだから童貞は」
純粋な俺「皐月さん風呂上りにパンツ一丁で出てきたらどうしよう。目のやり場に困る」
動揺する俺「どうするもこうするもねーだろ!皐月さんで変な妄想すんな打ち首獄門!」
(ああああああ!!)
頭を抱えてベッドの上に勢いよくダイブする。転がりながらもがき、足をばたつかせた。
(駄目だ邪念が。もう本当になんなんだ。
一回心を落ち着かせよう!)
冷蔵庫を開け、そこにあったビールを勢いよく煽った。
これで風呂に入って、余計なことを考えずにすぐに寝る。それで全てが解決だ。
一本目を飲み干し、二本目を流し込み、いつの間にか酒の缶は三本空いた。
(よし、これだけ飲めばすぐに寝れる!)
ふわふわしだした頭で満足げに頷くと、風呂から出てきた皐月さんは目を白黒とさせていた。
「桃園くん、顔赤いよ……え、こんなに飲んだの!?」
「らいじょーぶれすよ、風呂行ってきまぁす」
呂律の回らない口で風呂場へと向かう。
皐月さんとすれ違った瞬間、風呂上がりの匂いがふわりと香った。
(あ……いい匂い)
大きく息を吸い込むと、肺が柔らかな甘さで満たされて、麻痺したようにぼんやりとしてしまう。
好きだなぁ、この匂い。
「俺、皐月さんの匂い好きれす」
へへ、と笑い、パタンと浴室の扉を閉めた。
その直後、起動停止する。
(ん?俺、今なんて言った?)
宇宙からの交信みたいに、数秒遅れてさっきの出来事が脳に到達した。
汗が噴き出し、尋常じゃない心拍数の上がり方をする。
シャワーの蛇口を捻り、水を頭から滝行のように浴びた。
(うわあああ!なんだよ匂いが好きって変態かよ!きも!俺きもっっ!!)
酔いは一気に醒めていく。
さっきまでとろんとしていた目は、今はもうすっかり冴えていた。
(俺は一体どんな顔をして出れば……?頼む、皐月さんもう寝ていてくれ!そしたら俺全部記憶失くしたって言えるから!明日覚えてない振りするから!)
祈るような気持ちで浴室の扉を静かに開くと、皐月さんがこちらに背を向けてベッドに横たわっている。
恐る恐る近付けば、規則正しい寝息が聞こえてきた。
机には俺が空けた覚えのない酒の缶が二本転がっている。彼も酒を飲んで寝たのだろう。
俺は肺の空気を全て出し切るようなため息をついて、ペットボトルの水を飲んだ。
(よし、これで明日の朝起きたら"昨日飲み過ぎて全然覚えてないんですけど、俺何か変なこと言ってませんでした?"ってとぼければ問題無し!)
皐月さんから体を離し、布団に潜り込む。
彫刻みたいに整った鼻筋と顎のライン。
少し開かれた薄い唇。
密度のある長い睫毛が、ふるりと揺れる。
(本当に綺麗な顔だよなぁ。妖艶っていうか……)
無意識に、彼の唇に触れようと手を伸ばした。
寸前で我に返り、伸ばしかけた手を引っ込めた。
(いやいや、今何しようとしてたんだ?まだ酔ってるのか?)
今日の俺は本当におかしいみたいだ。
さっさと寝てしまおう。寝て起きたら、またいつもの俺に戻るから。
皐月さんの寝顔を眺めていると、だんだんと眠気がやってきた。
すぐ隣に人がいる気配は、実家を思い出させる。一人で眠る部屋より、ずっと安心して眠ることができた。
♢♢♢
暑くてふっ、と目が覚めた。
窓の方に視線を向ければ、外はまだ暗い。
(あつ……なんでこんな暑いんだろ)
寝ぼけた頭で汗を拭うと、腹に回された腕の存在に気が付いた。
皐月さんが、俺を抱きしめている。
背中越しに伝わる、鼓動と体温。
彼の顔が俺の首元のすぐ近くにあるのが、その息遣いで分かる。
それを意識した瞬間、心音が猛烈な速度で胸を打ち鳴らした。
「ん……」
寝息に反応して、俺の肩がびくりと跳ねる。皐月さんが甘えるように身じろぐたびに、鼻筋が首元をなぞり上げ、ぞくりとするような刺激が全身に広がった。
「さ、皐月さ……」
駄目だ、もう心臓が限界だ。
振り向いて強引に引きはがそうとしたその瞬間——唇が、重なった。
ぶつかったとか、掠めたとかじゃない。
それは、明確な意思を持ってされたキスだった。
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