第13話 雨の休日の過ごし方

 翌朝、凛は艶々した肌で実家に帰っていった。駅まで送り届ける道中、「6月、帰ってくるよね?」と問いかけられる。


「ああ、春太の誕生日だろ?」


「皐月さんも連れてきたら?お母さん会いたいらしいよ」


「うーん、考えとく」


 昨日の皐月さんの言葉が頭から離れなくて、少し濁した返事をした。


「あ、そうだ。お兄にこれ渡しとくね」


 凛に手渡されたのは、青いカバーがしてある薄い本。


「何これ」


「じゃあ、皐月さんによろしく」


 聞き終える前に凛は改札をくぐり、手を振って行ってしまった。


 家に戻れば、皐月さんと二人きりだ。

 でも、昨日の今日で、なんだか心が落ち着かない。

 見上げた薄曇りの空に、じめついた風が肌を滑っていく。


(そうだ、今日はどこかに出掛けよう!家に籠るよりいいや)

 

♢♢♢


「皐月さん、今日どこか行きませんか?やりたいことリストやりましょう」


「あ、じゃあ、家でホラー映画が見たいな」


「えっ」


 声が裏返った。

 家。

 出かけないのか。

 しかも、ホラー映画。

 

「今日、午後から雨だしね。お菓子並べて、映画館みたいにしよう」


 邪気のない笑顔を見れば、その提案を却下することなんて出来なかった。


 予報よりも随分早くに降り出した雨は、どんどん雨足を強めていった。遠く彼方で太鼓を叩くような雷の音がする。


 ソファで隣同士に座った俺たちは、邦画のホラー映画を見ていた。ローテーブルにはスナック菓子を広げて、昼間から酒の缶を開ける。


 ここだけ切り取れば、良い雨の休日の過ごし方だ。

 俺はクッションを胸にしっかり抱きしめて、顔半分を隠すように埋めていた。


(怖い怖い怖いアッちょっと待ってなんでそっち行くんだよ馬鹿!絶対いるだろ、そこに霊が!!アーッ!ほらっ!!)


 薄目で見ても怖い。

 音だけでも十分怖くて、尊敬の念を通り越して腹が立つ。

 雨で薄暗い室内と雨の音が、より恐怖を増幅させていた。


 ふいに肩を掴まれ、俺は「ひっ」と声にならない悲鳴をあげた。皐月さんが心配そうな目で俺の顔を覗き込む。


「桃園くん、大丈夫?もしかしてホラー苦手なんじゃ」


「いや、そんなことないですよ!全然大丈……」


 その瞬間、ドォンッと耳をつんざくような雷鳴と、室内が真っ白になるほどの眩い光が窓から差し込んだ。


 照明が消え、テレビもプツッと音を立てて真っ黒な画面になった。


「うわあああ!」


 パニックになった俺は、絶叫しながら皐月さんの胸元に飛び込んだ。

 心臓が弾け飛びそうなくらいに震えている。

 呼吸は浅く速くなり、彼の服の胸元を強く握りしめた。


 すると、背中に回された腕の温もりに、怯えて縮み上がっていた心が解れていく。

 とん、とん、と心音に合わせるように優しいリズムで叩かれると、少しずつ呼吸が整った。


 心地よい人肌の暖かさと、記憶に直接語りかけてくるような、懐かしい秋の匂い。


 すっと目を閉じると、鬼の里が見えた。

 茅葺き屋根の家。

 大きな水車。

 

 そこかしこに咲く、香り高い橙色の小花は金木犀だ。


 金木犀の枝を一つ手折り、山道を風のように駆け抜けていく。

 木々は紅く染まり、あけびや柿の木がたわわに実っている秋の山。

 

 雪厳の滝に着くと、紫水は木の上に登って息を潜めた。

 その木陰には、御影が座っている。


『御影!』


 膝裏を枝にかけ、宙づりになって勢いよく友の名を呼んだ。

 大きな葉音にも御影は表情を変えずに紫水を見上げた。


『あれ?驚いてないな。気付いてたのか?』


『分かるよ。だって、千里香の匂いがするから』

 

 御影が指さしたのは、紫水が持っていた金木犀の枝だ。

 

『なんだ、せっかく隠れてたのに』


 がっかりして肩をすくめれば、御影は小さな声でくすくすと笑っている。 

 金木犀を渡すと、御影はすぅっと深呼吸をして『いい匂い。紫水と同じ香りだ』と嬉しそうに目尻を下げた。


 目を開くと、視界は皐月さんの胸元だった。


(え?俺、何やってんの?)


 はたと正気に返った俺は、微動だにできないまま、皐月さんの体に包み込まれていた。


 無意識にしがみついていた腕が彼の筋肉の固さを感じ取った瞬間、恐怖は猛烈な後悔と赤恥で上書きされた。


 遠雷がどこかで鳴り響いている。

 皐月さんが、ゆっくりと体を離した。


「ブレーカー、見てきますね」


「あ……はい」


 玄関でブレーカーを確認した彼は、しばらくしてランタンを片手に戻って来た。


「ブレーカー上げても戻らないから、多分マンションの主ブレーカーが落ちたのかな」


「そ、そうですか……」


 皐月さんの顔が見れなくて、パーカーのフードを深く被って膝を抱えていた。喉が張り付くように乾く。

 

 格好悪すぎて、情けないを通り越して惨めだ。

 鼓動はこのままだと死んでしまうのではないだろうか、と思うような速さで胸を叩き続けている。


 ソファの軋む揺れで彼が隣に座ったのだと分かった。


「僕、てっきり桃園くんはホラー大丈夫な人だと思ってました。事故物件だって言ってたから」


「あっ……俺、霊感は無いからそういうのはあんま信じてないんですけど、ホラー映画は怖がらせてやるぞっていう悪意が凝縮されてて苦手っていうか……すみません」


「僕たち、まだお互い知らないことがたくさんありますね」


 前髪の隙間から覗く彼の濡れた瞳は、暗い部屋の中でもぼんやりと光を放つ鉱石のようだ。


「……俺も、皐月さんのこと知りたいです」


 俺は記憶の断片の御影しか知らない。

 でも、皐月さんは御影じゃない。


 俺が殺した前世の親友だからじゃない。

 今目の前にいる、この人のことを知りたい。

 その根底に潜む感情の正体はまだ分からないけれど、きっと俺はもう贖罪じゃなくて、純粋に皐月さんとの時間を楽しんでいるから。

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