第6話 パンケーキを食べよう

「この度は誠に申し訳ございませんでした」


「あ、いえいえ……」


 作業服を着た工事現場の会社の偉い人が土下座してる。

 自分の親よりも年上であろうおじさんが平に謝っている姿に恐縮した俺は「とりあえず頭をあげてください」と言うしかなかった。


「えっと、工事は四カ月くらいはかかる見込みなんですよね……」


「はい、もちろんその間のお住まいの確保や家財補償等も当然させていただきます」


 いろんな書類を見せられて戸惑っていると、隣に座っていた皐月さんが横から書類を覗き込んだ。


「住まいの確保と家財保障は当然のこととして、桃園さんが受けた精神的苦痛の損害賠償についてはどのようにお考えでしょうか」


 淡々とした理詰めに工事現場の会社の人はしどろもどろになり縮こまっている。

 彼は書類を机に放り投げ、眉を顰めた。


「……話にならないな。一歩間違えれば死んでいたんですよ」


 普段とは違う、低い声。急速冷凍したような、ピンと張りつめた空気が部屋を包み込む。

 その姿は、遠い昔の親友を思い起こさせる。


 御影も普段は穏やかだけど、怒るときは——そうだ。こんな風に顔をしかめていつもよりも一段と低い声で、静かに爆ぜる火花のような怒り方をする。

 

 咄嗟に俺は皐月さんの腕を掴んだ。


「と、とりあえず今日のところはこのくらいで!一回持ち帰ってもらって!」


 作業服を着たおじさん二人は、魂を抜かれたような顔で帰っていった。


(さっきの皐月さん、怖かったなぁ……)


 目に入る物みんな燃やすみたいな目付きをしていた。

 普段の柔らかな物腰やにこにこした大型犬みたいな姿とギャップがありすぎる。


 前世の記憶は、今の自分にどのくらい影響があるんだろうか。

 紫水としての記憶を思い出す前と後で特に変わったことは無いように思えるけど、もしかしたら今の自分も、紫水だった頃となにか共通点があるのだろうか。


 笑い方、怒り方。

 嗜好や癖。

 性格、話し方。


 できるだけ、記憶の中の紫水からかけ離れるように振舞わないと。


「桃園くん」


 ハッ、として振り返ると、皐月さんはバツの悪そうな顔をしていた。


「ごめんね、部外者なのについ口出ししてしまって」


 いつもの皐月さんに、ほっと胸を撫でおろす。


「いえ、怒ってくれて嬉しかったですよ。確かに一歩間違えたら死んでるところだったし、再発防止策とかもちゃんと考えてもらわないとですよね!皐月さんの部屋だって危ないところだったし、こうして迷惑かけちゃってるし、口出しする権利ありますよ」


 そう言ったけれど、なぜか彼はすっきりしない表情だった。


(これは、結構気にしてる……かな)


「皐月さん、パンケーキ作りましょう!」


「え?」


「買い物行きますよ!」


「?」


「なんで?」って顔をした皐月さんの背中をぐいぐい押して、家を出る。

 こういう時は、桃園家伝統パンケーキ祭りなのだ。


 ♢♢♢


 近所にある小型のスーパーでパンケーキ祭りのための材料を購入した。

 パンケーキミックス、生クリーム、缶詰の果物、バナナ、チョコレートソース。


「皐月さんはパンケーキに何乗せます?あ、はちみつ派ですか、メープルシロップ派?」


「えっと……じゃあ、メープルシロップで」


 会計で財布を出そうとする皐月さんの手を止めて、首を横に振る。


「二人で決めたじゃないですか、食費は俺が持ちますから!」


「一回り年下の子に出させられないよ」


「大丈夫です、家賃浮いたんで余裕ありますから!」


 強引に支払いを済ませてスーパーを出た。

 昼過ぎの公園通りを歩くと、子どもたちの元気な笑い声が風に乗って聞こえてくる。遠い空にはスカイツリーがそびえ立ち、今は浮き足立つ光景もそのうち日常として溶けていくのだろう。


 家に戻り、早速準備を始めた。

 慣れない手付きで皐月さんは卵を割った。

 泡立て器で軽快に混ぜる音が響き、ホットプレートに落とすとジュウッと音が鳴る。


「やります?」


「上手くできるかな……」


 皐月さんがおそるおそるお玉から生地を掬って落とすと、少し歪な丸になった。


「変な形になっちゃった」


「大丈夫です、トッピングしたら形なんか分からないんで……あっ今更ですけど甘いのいけます!?」


「甘いの、好きですよ」


 その返事を聞いてホッとする。

 元気出して欲しいのに、甘いもの好きじゃなかったら本末転倒だもんな。


 フライパン返しでひっくり返すと、こんがり狐色に焼き上がったパンケーキは甘い湯気をふんわりと漂わせていた。


「あとはこれに好きにトッピングしましょう!」


 生クリームをモリモリに、果物たっぷり。

 昔クラスの女子に「家でならこんなに安くたくさん作れるから、外でパンケーキ食べたいとは思わないんだよな」って言ったら呆れた顔をされたことを思い出した。


「なんで急にパンケーキ作ったんですか?」


「えっと、桃園家では家族の誰かがしょんぼりした時にはパンケーキ祭りを行うという伝統行事がありまして。みんな好きなんですよね、くまがパンケーキ作る絵本」


「しょんぼり」


「さっきの、皐月さん気にしてるように見えて。違いました?」


 すると皐月さんはさっ、と頬を紅潮させ瞳を潤ませた。

 顔が美人だと男でも破壊力があるんだな。

 俺は齧りかけたパンケーキを口からポロリと落とした。


「ご、ごめんね。気を遣わせて……桃園くんに引かれたかなって」


「ええ、そんな気にすることないですよ」


 御影と怒り方が一緒で冷や汗はかいたけど、至極真っ当なことしか言っていないし、なんなら大人として心強いまである。

 なにより、今までずっと長男として面倒を見る立場だったので、目上の人から心配されるのは少し新鮮な気持ちだった。


「全然引いてないので、気にしないでください!あ、おかわり食べます?」


 ようやく皐月さんの表情が明るくなる。

 実家にいた頃と同じ分量で作ってしまったパンケーキはもちろん食べきれなくて、明日の朝食になった。


 片付けをしている最中に、「あ」と小さな声が上がる。

 反射的に皐月さんを見上げれば、彼の細長い指が俺の唇の端を掠めていった。


「えっ……」


「生クリーム、ついてましたよ」


 漫画のようなワンシーンに心臓が震えたのは、俺のせいじゃない。

 今のは驚いただけ。急に顔に触れられたら、誰だって驚くだろう。


「あ、どうも」


 目が泳いでいる俺を見た皐月さんは、目尻を下げて口角をきゅっとあげた。

 笑い方も、御影と同じだ。

 

 俺の隣で、前世殺した親友と同じ顔で笑っている。

 胸の奥が静かに軋み、甘く焦げ付いたようなどろりとした感情が流れ出そうだ。


 俺は紫水じゃないし、皐月さんも御影じゃない。

 なのに、叶うことのなかったささやかな幸福で満たされたこの部屋が、抱きしめたくなるほどに愛おしかった。


 これは、紫水の感情なのだろうか。


 前世の記憶なんて、戻らなくていい。

 こんな気持ちを味わうのは、俺一人で十分だ。

 

 だってもし記憶が戻ったなら、この日常は泡のように消えてしまうのだから。

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