第2話 初対面からの共同生活

 半壊している、四階の角部屋の一つ隣。あれはもしかしてもしかしなくとも、俺の部屋じゃないですか?


 人は本当に驚いた時、声も出せないらしい。

 衝撃的な光景のおかげで、頭の中は牛乳をぶちまけたみたいに真っ白だ。

 その場に立ち尽くした俺は、後ろから声を掛けられたことにも気が付かないくらい呆けていた。


「さん……桃園さん!」


 ハッとして振り返ると、俺の肩に手を添えていたのは隣人の皐月さんだった。


「皐月、さん……」


「よかったです、外出されてたんですね」


「お、俺の家、今日お好み焼きで、キャベツが安くて……」


 ぷるぷる震える両手に持った買い物袋を持ち上げる。

 現実逃避を始めた頭は「今日の晩飯どうしよう」というとんちんかんな考えで埋め尽くされていた。


「とりあえず、僕の家に」


 言われるがまま、ふらふらとした足取りで彼の後をついていく。

 桃園涼太、二十歳。引越したその日に、家を失いました。

 

 ♢♢♢

 

 皐月さんの家のダイニングで、テーブルの上にことりとコップが置かれた。


「どうぞ、お茶です」


「あ、ありがとうございます……」


「桃園さんが帰られてから、三十分後くらいだったんです」


 マンション前の工事現場のクレーン車が操作ミスで俺の部屋にピンポイントで突っ込んだらしい。一瞬だけ覗いた部屋の中は酷い有様だった。割れた窓ガラスが散乱し、部屋の真ん中にまでクレーンが到達している。見るからに当分ここでは生活できないだろうという惨状だ。これが文字通り事(・)故(・)物(・)件(・)。(・)こんなことある?


(っていうか、あの後すぐに買い物に出ていなかったら今頃……)


 ぞくりと背筋が震え上がる。不幸中の幸い、九死に一生という言葉が頭の中を駆け巡った。

 しかし、来週からは仕事が始まる。槍が降ろうが家が無かろうが、職場も子どもたちも待ってはくれない。


(この場合、工事代とかは向こう持ちだよな!?工事中の間の住む場所は!?それもなんとかしてくれんのかな……)


 この物件も相当粘って探し当てたものだった。これからやらなければならないタスクに頭を抱える。


 実家は群馬で、江東区の職場まで通うのは現実的ではない。工事が何カ月もかかるのならばなおさらだ。


 (最悪だ、ほんとどうしよう、保険、荷物、連絡、何から手をつければ……)


 俯いて深いため息を吐いた時、皐月さんが「あの」と話を切り出した。


「工事が終わるまでここに住みませんか?」


「へ?」


「部屋余ってるので。家賃はいらないです、賃貸じゃなくて持家なので」


 降ってわいたような、ありがたすぎる申し出。

 その直後、俺の脳内で緊急会議が始まった。


 常識的な俺「いやいや、初対面の人と住むとかあり得ない」

 

 現実的な俺「でも来週から仕事だぞ?今からまた引越し?ホテル暮らし?そもそも空き物件あんの?家賃無料ならいいじゃん」

 

 純粋な俺「せっかく申し出てくれてるんだし、お言葉に甘えようよ!助け合い精神だって!」

 

 慎重な俺「クソキモ犯罪者だったらどうすんだ。無料(ただ)より怖いものはないって婆ちゃんが言ってた」

 

 慎重な俺以外の三人「「「こんな顔面国宝で犯罪者な訳ねーだろ!皐月さんに謝れ!土下座しろ!!」」」


 この間、僅か五秒。脳内での激しい攻防の末、俺は潔く決断した。


「ありがとうございます、お言葉に甘えさせてください!その代わり俺にできることならなんでもしますんで!」


 大家族である我が家の家訓は三つある。

 

 その一。使えるものはなんでも使え。

 その二。人の好意は素直に受けとろう。

 その三。代わりに、人様には親切に。


 (ここは桃園家の家訓に素直に従おう!)


「顔を上げてください」


 机に擦り付けた額をあげれば、皐月さんは端正な顔で妖しく微笑んでいた。

 その笑顔に、背筋がぞわりと寒くなる。


「その代わり、といってはなんなのですが……一つお願いがあって」


 彼は頬を薄紅に染め、はにかんだ様子で俺に手を合わせた。その仕草に、なぜかこちらまで気恥ずかしくなる。


(い、いったいどんなお願いを……もしかしてちょっとすけべなお願いなのか!?俺そんな趣味ないぞ!?)

 

「お恥ずかしながら、僕家事全般苦手で……毎日じゃなくていいので、たまに一緒にご飯を作って食べられたら嬉しいな、と」


「ごめんなさい」


「え?」


 俺はもう一度額を机に擦り付けて謝罪した。疑ってごめん皐月さん。妹がそういう漫画読んでたから。俺も借りて読んじゃったから。漫画の中の「お願い」は大抵すけべなやつだったから!


「ごはん、難しいですか?」


 シュン、として肩を落とす皐月さんの頭上に垂れ下がった犬耳の幻覚が見えて、慌てて取り繕う。


「いえ、全然大丈夫です!問題ないです!なんなら三食作ります!」


 皐月さんの顔がぱあっと綻ぶ。

 後光が差し込むような微笑みを向けられると、心の防御力が下がるのを感じた。


「普段、飯どうしてるんですか?」


「コンビニとか、インスタントばかりです」


「じゃあ、今日はお好み焼き一緒に食いませんか?」


 幸い台所に置いていたホットプレートは無事で、それらを救出してお好み焼き作りが始まった。

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