【BL】鬼さんこちら、手の鳴る方へ〜隣人は前世で殺した親友でした〜

透堂 暁

第1話 これが本当の事故物件

 東京都江東区、リノベ済1Kの事故物件。安さに目が眩んだのが、運の尽きだった。新生活に期待を膨らませて、意気揚々と隣室のインターホンを鳴らす。


「はい」


「こんにちは。隣に引っ越してきました、桃園です。ご挨拶に伺いました」


 少しの間を置いて、扉がゆっくりと開いた。

 ドアの隙間から覗く紫水晶みたいな瞳と目が合った瞬間、胸の奥底で、果てしなく遠い場所からやっと届いたような鈴の音が聞こえた。


 俺は、この顔を知っている。

 

 隣人は、前世で俺が殺した親友でした。


 ♢♢♢


 一番最初に記憶を思い出したのは、先月の節分の日に弟たちと豆まきをしていた時だ。


 鬼役だった俺は、豆を踏ん付けて身体のバランスを崩し、後頭部を床で強打した。


 ぽろぽろとあられのように降ってくる、記憶の欠片の数々。


 前世、俺は鬼だった。


 記憶が流れ込んだ瞬間、ああ、だからか、と妙に腑に落ちた。

 幼少期の俺は桃太郎を読んで鬼に共感する、少し変な子どもだったのだ。


 鬼といっても人を食うみたいなことはなく、人里離れた山奥で集落を作り、平和に暮らしていた。

 

 でも、ある時敵対していた妖狐の一族と戦になって——俺は、親友をこの手で殺めた。


 真っ白な長い髪に飛び散る鮮血。

 俺の腕が、御影の胸を突き破る。


御影みかげ、ごめんな』


紫水しすい……俺、は——』


 御影の頬に、雨でも降ったかのように雫が零れ落ちる。

 前世の俺の名前は、紫水。

 友の名前は、御影。


 それが、俺が前世で覚えている最期の記憶だった。

 

 こうして俺が生まれ変わってるってことは、あいつもどこかで生まれ変わっているのだろうか。


 (まあ、でも自分を殺した奴なんかに会いたくないよな)


 もしも生まれ変わっていたら、どこかで元気に幸せに暮らしていればいい。

 今世での縁はないだろう。

 そう思っていた時期が、俺にもありました。


 目の前に立っている眉目秀麗な男は、記憶の中の御影に生き写しだ。

 直立不動で固まり、背中に冷や汗が一気に噴き出した。

 

(いや待て、落ち着け。この世界にそっくりさんは三人いる。よってこいつも偶然似ているだけのそっくりさんだ!そうであってくれ、お願いします!)


「あの......?」


 ほら、挙動不審な俺を気遣っている、ただの一般市民隣人Aだ。

 ここは有耶無耶にして早々に立ち去ろう。


「い、いえ!なんでもありません!あ、これつまらないものですが!」


「これはどうも、ご丁寧に。皐月環さつきたまきと申します。」


 引越しの挨拶のひもかわうどんを渡して足早にその場から去ろうとしたその時、「あの」と呼び止められてひゅっと息を呑む。

 

 油を差し損ねたブリキ人形のようなぎこちない動きで振り向くと、彼は気まずそうに視線を彷徨わせていた。


「すみません、初対面の方にこんなことを言うのは大変不躾だと思うんですが」


 (あーっっ!もしかしてこいつも記憶持ち!?そんな漫画みたいなことある!?待って!さすがに加害者としての!心の準備が!!)


 脳内が阿鼻叫喚と化していた時、彼は眉を下げて「助けてください」と呟いた。


 促されて部屋に入ると、キッチンにはご臨終した黒い虫の死骸。俺はそれをティッシュで包み、ゴミ箱に捨てた。


「すみません、本当にすみません」


「いいですよ、ご近所のよしみですし、何かあったらお互い様です!助け合っていきましょう」


「ありがとうございます……」


 (いやーよかった、流石に隣人が前世で殺した親友なのは気まずすぎる。俺の快適新生活が贖罪の日々に変わるところだった)


 しかし、見れば見るほど、儚げな美しさを持つ人だ。瞬きをするたびに音がしそうな長い睫毛に、切れ長の瞳。色素の薄い長めの髪の毛を、うなじで無造作にまとめている。ファッション雑誌に出てきそうなモデルのようで、同性だが思わず惚れ惚れと見つめてしまった。


「あの、何か?」


「いえ、あ、この部屋広いですよね!」


 はっと我に返り、慌てて強引に話を逸らした。


「うちは2LDKなんですよ。前の持ち主が二部屋を繋げて改築したそうで」


「そうなんだ……うちは1Kで、しかも事故物件で!でも安さに釣られて契約しちゃったんですよねー、少しでも節約したくて!」


「お仕事は近くなんですか?」


「はい、4月から近くの公園前にある私立曙保育園で働くんです」


「そうなんですね。このあたり、良い所ですよ。商店街もあって」


 ベランダから見える、大きな森林公園。保育園も四階からだとよく見えた。

 新しい街。新しい家。

 隣人の皐月さんも、前世の親友と似ていることを除けば、いい人そうだ。


「これからもよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 差し出された手を握り、握手を交わす。

 その後俺は教えてもらった商店街へ買い物に出かけた。


 ♢♢♢


「あ、キャベツが意外と安い!今日はお好み焼きにするかな、引っ越し祝いでホットプレート貰ったし」


 近所には昔ながらの商店街がある。

 入り口には北町銀座と書かれた看板と提灯がぶら下がり、夕飯前の買い物客で賑わっていた。

 

 少し歩けば大型の商業施設もあるが、こちらの方が断然安いし、下町の活気ある雰囲気も気に入った。

 八百屋と肉屋で食材を買い込み、夕暮れの町を散歩しながらのんびりと帰路に就いた。

 

 実家は大家族で、一人の部屋も時間も無かったのだ。今日から住むことになる街の空気は新鮮で、思わず浮き足立ってしまう。


(初任給が入ったら何をしよう。仕送りして、弟の誕生日プレゼントも買って)

 

 この時の俺は、これからの未来にわくわくしていた。だから、まさかあんなことになるだなんて、思ってもみなかったんだ。


 上機嫌で歩いていると、段々とマンションの前に人だかりが増えていく。

 道の往来には救急車とパトカーが何台も停車していた。

 不気味な赤いサイレンと、不安げに飛び交う人の声。


(……?どうしたんだろう。何かあったのかな)


 人混みの間をすり抜けた俺が見たもの。

 それは、クレーン車が俺の部屋のベランダに突っ込んでいる光景だった。

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