『SIDE A:第一章』#08 "偶然"
土曜日。
目覚ましのない朝。
午後からリハーサル。
倉橋(プロデューサー)は少し早めに家を出て、スタジオ近くの小さなカツ丼屋へ向かった。
昼時を少し過ぎた店内は空いていて、窓際のカウンター席に座る。
「カツ丼ひとつ。」
新聞を広げたその時。
カラン。
扉が開いた。
「いらっしゃい。」
振り返る。
帽子を深く被った黒髪の女性。
毛先にほんの少しだけ紫色。
「……こんにちは。」
「え?」
「涼歌さん?」
−−−−−
涼歌だった。
店内には空席がいくらでもある。
なのに彼女は、当然のように隣に座った。
「えっ?」
「……?」
「いや、空いてるよ?」
「……知ってます」
「え?」
「……見つけました」
「え?」
「……あとつけました」
「えぇっ!?」
涼歌は少し俯く。
「……ごめんなさい」
「いやいやいや」
「昨日……ありがとうございました」
「ん?」
「みんな…元気なかったから」
「…でも…笑って帰れた。」
「…だから、直接言いたかったんです…」
涼歌は笑顔だった。
そして、どこか安心したようにも見えた。
−−−−−
倉橋は、思わず微笑んでしまう。
「こちらこそ…ありがとう」
運ばれてきたカツ丼の湯気が、二人の間を優しく通り抜けていった。
その後は特段何事もなく、静かに昼食を終えた。
ただ。
その時間が、不思議と心地良かった。
−−−−−
午後。
いつものリハーサルスタジオ。
「あれ?」
真っ先に美咲が声を上げた。
「涼歌、なんで真琴さんと一緒なの?」
「怪しい〜」
まりみが笑う。
「お昼一緒だったの?」
蒼唯も不思議そうに首をかしげる。
涼歌は少し考えてから、
「……偶然」
とだけ答えた。
もちろん偶然ではない。
そのことを知っているのは、二人だけだった。
−−−−−
みんなで笑いながら、リハーサルが始まる。
まずは『SIGN@L』。
そして『Art of Destiny』。
ひとまず、曲が終わる。
…
「……ん?」
倉橋が首をかしげた。
「ちょっと…もう一回。通しでお願い」
…
再び演奏,
…
そしてまた。
「……なんか。」
「違う、よね」
「え?」
美咲がギターを抱えたまま首をかしげる。
「あの…悪い意味じゃなくって」
「なんか……いいんだよ」
「でも、何が?」
誰もわからない。
−−−−−
三曲目。
美咲のギターソロ。
今までのまりみなら、
『私も前に出る!』
とばかりにショルダーシンセを重ねていた。
でも今日は違った。
(美咲さん、気持ちよさそう。)
(ここ、弾かない方がいいかな。)
自然と音数が減る。
すると。
美咲のギターが、すっと前へ出た。
「……あれ?」
自分でも驚くほど弾きやすい。
その後ろで、涼歌のパッドが静かに空間を包む。
さらに。
蒼唯が少しだけベースの刻みを減らす。
(このままの方が、涼歌の音が綺麗。)
すると。
涼歌も気付く。
(あ。)
(蒼唯さんのベース聞こえる。)
(じゃあ……一音減らそう。)
−−−−−
演奏が終わる。
誰もすぐには喋らなかった。
「……。」
「……。」
「なんか。」
「今日好き。」
美咲がぽつりと言った。
−−−−−
休憩。
缶コーヒーやジュースとお菓子。
笑い声。
「今日さ。」
美咲が言う。
「自分が目立ちたいって感じじゃなかった」
「自分も」
まりみが笑う。
「ギターソロ、前なら対抗してた。」
「今日は。」
「『美咲いけー!』って感じだった🤣」
「私も。」
蒼唯が続く。
「ベース重くしなきゃって思ってたけど。」
「ちょっと減らした方が、涼歌のシンセ綺麗かなって。」
涼歌は缶コーヒーを両手で持ちながら、小さく呟く。
「……だから。」
「一音減らした。」
「その方が。」
「……みんな聞こえる。」
−−−−−
「なるほど。」
倉橋がゆっくり頷いた。
「みんな。」
「自分の場所を作ろうとしてない。」
「誰かの場所を作ってる。」
「だから窮屈じゃないのか。」
蒼唯が優しく笑う。
「昨日、思ったんです」
「まこてぃさんの話」
「シールド抜けても…」
「ドラムが暴走しても…」
「楽しそうだったじゃないですか」
「だから…」
「上手く弾かなきゃじゃなくて」
「みんなで音を作ればいいんだなって」
その言葉に、三人も静かに頷く。
そして。
涼歌がぽつりと言った。
「……一人で弾いてるんじゃない」
静かな一言。
でも。
それはみんなの心にすっと入ってきた。
倉橋は少しだけ目を丸くする。
(じ、自分の話……)
(役立ったんだぁぁぁ……)
心の中でそう叫びながら、少しだけ照れ臭そうに笑った。
−−−−−
夕方。
スタジオを出る頃には、
昨日とは違う空気が流れていた。
まだ小さい。
でも確かに。
五人の音は、
少しずつ一つになり始めていた。
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