第2話
人の姿になるとして、問題は幾つかある。
どういう見た目にするかだ。
我の中にあるサンプルは、様々あるが、やはり印象が良かった人物を選びたい。
「しかし、よくよく考えれば彼らも全盛期を過ぎていたのではないだろうか」
我に挑みに来るということは、基本的に有終の美を飾るためだ。
すなわち、もっと若いころこそが全盛期なのではないだろうか。
「どうせやるならば全盛期の肉体が良いだろう」
竜に未練がないわけではない。
しかし、停滞し続けていても別に得るものはない。
永久なる停滞か。
未知なる進展か。
――どちらを選ぶかなど、考えるまでもない。
「ああ、心ぞ踊る。このような気分になるのはいつぶりか」
これを、人はワクワクすると言い表すのだろうな。
世界を見て渡ったのは果たして何千年前だろうか。
そのころとどのように世界は様変わりしたのだろう。
我に挑んでくる人間どもの中には、時代を問わず傑物はいた。
愚物は減った気がするが、誤差であろう。
「後戻りはできぬ。する気もない。なるほど、不退転とはこれほどまでに愉快なものか。素晴らしきことかな」
人間はなにゆえ我に挑まんとするのか。
その気持ちが少しわかった気がする。
ここぞ勝負所ぞと、ここぞ分水嶺ぞと、そう定めることの何と快きことか!
「よきかなよきかな! さあ、始めるとしよう!」
我はこの度、竜を捨てる。
完全であり、完璧であり、最強であり、最高である存在の座を降りる。
言葉にすればなんと愚かしいことか。
しかし、我が生涯で最も愉快を感じているぞ!
「あの者の姿をもらい受けるとしよう。ひと際愉快であったからな」
思い描くのは、かつての挑戦者の一人。
その更に若き姿。
思い起こせば、これほどまでに鮮明よ。
黒き髪を持ち、精悍な体つきをして、本気の我を前にしても笑みを絶やさなかった。
名を何と言ったか。そうだ、アウディキアと名乗っていた。
奴の剣技は見事であった。
後にも先にも、剣技で我が鱗に傷をつけたのは彼の者が唯一であった。
我が模倣するのにこれ以上相応しい者はおるまい。
「……ふむ、人の身というのはこのようなものか」
姿を決めてしまえば、後は一瞬だ。
竜の姿から、人の姿へと。
痛みも何もない。
ただ、喪失感は僅かにある。
――二度と、竜には戻れぬという実感が。
完璧が崩れたのだ。崩してしまえば、二度と完璧には戻れぬ。
それが摂理よ。
「――うむっ!」
軽く手足を動かしてみる。
竜の身よりもしなやかである。しかし、細く脆弱だ。
力を完全に失ったわけではないが、爪や鱗を失ったのは大きいだろう。
そして何よりも――。
「これが寒いというものか!」
そう、人の身ではこの山頂は寒すぎる。
肌に叩きつけられる雪は容赦なく体温を奪う。
竜であれば気にならぬ、環境という敵が、我に牙をむいていた。
「ふははははっ! 愉快愉快!」
人の世に明るくはないが、人というのは衣服を身にまとう生物というのは理解している。
それは寒さを軽減するためであったか。
あるいは、この脆弱なる身を何とかするためでもあるやもしれん。
ともあれ、このままの身を包むものが何一つない姿ではよくはないだろう。
しかし、ここまで来た求道者たちの亡骸を漁るというのは彼らに対する侮辱だ。
「ふむ、まあそのうち良き案が浮かぶであろう」
ひとまずはこの山を下りてしまおう。
このままでは凍えて死んでしまいそうだ。
行動せん。さすれば、道は開かれるであろう。
「心の赴くままに。いやはや、久方ぶりぞ」
衣服の問題は後回しにして、さてどちらの方向へ降りていこうか。
できれば人里がある方向へ降りたいが。
「ふむ。先ほどの者はあちらの方角から来ていたな」
では、そちら側に向かってみるとしよう。
こういうのは、決めることが肝要なのだ。
もはや慣れ親しんだ吹雪であるが、これで見納めとなると美しくも感じるな。
それはそれとして寒いがな! ふははっ!
「さらばだ、我が古巣よ!」
一体どれ程の時をここで過ごしたか。
もはや数えてなどおらんが、礼は言っておこう。
山の精よ、縁あらばまた会おう。
どうか、強者どもを安らかに包み込み、眠らせておいてくれ。
別れの言葉を告げ、山頂から下る。
こうしてみてみれば、この峰は雲よりも高いのだな。
竜であればともかく、人の狭き歩幅では降りるのも一苦労しそうだ。
「それもまた一興、か」
全てが楽しくて仕方がない。
なにせ、見え方が違うのだ。
竜であった時では見えていたものが見えず、感じていたものを感じられず、ただただ己という存在しか頼りにならぬ。
感覚器そのものが違うのであろうな。
これほどの脆弱さでよくぞ竜に挑んだものと、再度感嘆するばかりよ。
文字通り、生物としての格が違う。
「――足りぬということは満たせるということよ」
ひとまずの目標は、この脆弱なる人の身を竜と同水準まで磨き上げることとする。
不可能かもしれぬが、挑んでみたくなるが
「それに、動物共は我が竜だと本能的に気が付いているようだな」
彼らの感覚器は生存のために鋭敏となっている。
危険にわざわざ突っ込む蛮勇は人間か一部の魔族ぐらいなものよ。
「しかし、敵意が無いことは分かってくれているか」
遠巻きにではあるが、こちらの様子を見に来ている動物もいる。
中には見覚えがある顔もある。
はて、住処を荒らした人間を潰すついでに助けた獣だったか。
「縁あらばまた会おう!」
今生の別れというわけでもあるまい。
いずれまた出会うこともあるだろう。
と、別れを惜しんだ矢先の出来事であった。
「……ん? 騒々しいな」
人の耳ですら拾えるほどの喧騒。
何やら、どこぞでもめ事が起きているらしい。
雪のない、もっと麓の森の方であるようだが……。
「せっかくの晴れ晴れしき門出に水を差された気分だな」
無視しても良いが、こうも騒々しいと気にするなという方が無理がある。
何よりも、人がいるのであれば、人里の方角を聞けるやもしれん。
向かってみる価値はあるだろう。
「……ふむ、この姿の弁明だけは考えておくべきか」
全裸の姿ではあるが……。
それもまあ、状況を見てからで良いだろう。
いざゆかん!
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