五の四
パソコンは倉庫の奥底にひっそりと眠っていた。PC9801と書かれた直方体の箱の上に、ブラウン管のテレビのようなモニターが乗っている。さらに使用法のわからない小さめの装置——CDドライブか?——も付属しているけど、どれも経年でプラスチックの表面が黄ばんでしまっている。
「これがホントにパソコンかよ……」
わたしたちの知っているパソコンとは、カバンに入れて持ち運べるようなノートパソコンのことだった。まさかこんなに大きいものがパソコンとは思っていなかったから、視界に入れつつも何度も見落としてしまっていた。
数百年前の遺物としか思えないけど、おばあちゃんか旦那さんが使っていたものということは、まだ製造から半世紀も経っていないんだろう。時代の感覚がどうかしてしまいそうだ。
「キーボードがついてるならなんでもいいか」
取り外して持ち運べるものなのかもわからないので、暑いのを我慢してこの場で照合することにした。わたしは自分のメモを持って、一文字ずつ確認しては書きとめた。
「えっと……。ローマ字入力してかな読みするなら、〈かいこちなもいきなてちつなんち〉。逆にするなら、〈WF@4・B@0R@7〉」
「ダメかー」
残念ではあるけど、正直、わたしはあまり期待していなかった。キーボードの配列を使うのは面白いアイデアだけど、そうする必然性がない。七波がなんのヒントもなしに、そんな操作をさせる暗号を作るとは思えなかった。
莉帆がノートの紙をうちわにしている。わたしはふと、そこに書かれた暗号の、文字の余白が気になった。
「莉帆、それちょっと貸して」
「え? ああ」
受け取って見てみると、暗号の文字は等間隔ではないことがわかった。二文字か四文字で区切ってスペースをあけ、〈手ば 埋め碁わ 図や〉となっている。
いや、それだけじゃない。さらにその間隔に目を凝らすと、小さく記号が書かれている。罫線にかかっていて紛らわしいけど、プラスとマイナスの符号らしかった。〈手ば〉のあとにプラスがひとつ、〈埋め碁わ〉のあとにプラスがふたつ、〈図や〉にはマイナスがひとつだった。
整理するなら、〈手ば+埋め碁わ++図や-〉となる。
ずっと莉帆の手元にあったから気づかなかった。眼鏡をかけているくらいだから、莉帆の視力はあてにならない。
しかし、これはどういう意味だろう。プラスやマイナスがあるくらいだから数式にも見えるけど、プラスがふたつ並ぶのは見たことがないし、イコールもない。そもそも数値でないものを足したり引いたりできるとは思えない。
「集中してるとこ悪いんだけど」莉帆は口を開けて喘ぐように息をしていた。「戻らないか? 暑いから」
軽く整理をしてから倉庫を出た。その間にわたしは、自分の発見を莉帆に伝えておいた。
「画数はどうだ? それなら計算できるぞ」
「プラスふたつとか、最後のマイナスはどう計算するつもり?」
廊下を歩きながら議論を重ねる。と、玄関に誰かがいて、おばあちゃんと話しているのが見えた。とっさに隠れて様子を伺おうかとも思ったけど、すでに向こうはこちらに気づいてしまったようだった。
「七波のお友達ですか」
その男の人は、穏やかだけどよく通る声でいった。後ろに撫でつけられた白髪混じりの髪。シワひとつないシャツの裾を、ベルトをしたスラックスにしまっている。左につけた腕時計は、高級感のあるシルバーに輝いていた。
「すみませんが、七波の置いていった荷物を持ってきていただけませんか」
丁重な言葉づかいでありながら、有無をいわせぬ響きがあった。
ぎこちなく頷いて、和室に入った。すぐさま莉帆に確認する。
「あの人ってもしかして……?」
「うん、七波の父親」
やはりそうか。あの人がこの町の親たちを縮こまらせているボスなのだ。
時計を確認すると、十八時を過ぎていた。お医者さんが一日の診療を終え、自由に動けるようになる頃合いだった。
「どうする? 渡していいのか?」
莉帆はややテンパり気味だった。それもそうだろう、ここで対応を間違えれば、自分の家族に迷惑をかける可能性がある。よそ者のわたしはいいとしても、長年この町で暮らしているであろう莉帆の家族には、きっと複雑なしがらみがある。
「渡すしかないじゃんか」
「でも、七波が嫌がるかもしれないし……」
わたしは七波の鞄を持って、画面の割れたスマホはスカートのポケットに入れた。
「暗号は置いていこう。それさえ渡さなければ大丈夫だと思う」
七波が暗号を座布団の下に隠したのは、親に回収されないためだ。逆にいえば、それ以外の荷物は親に持っていかれてもいいということ。ここでわたしたちが変に抵抗しても、問題を拗れさせるだけだろう。
玄関まで持っていって、手渡した。紳士然としたその人は、頭を下げて慇懃に礼を述べた。あの母親と夫婦というのは、どうも釣り合わない印象だった。
そんな考えが透けて見えたのか、七波の父親はこちらを見ていった。
「うちの愚妻が失礼な振る舞いをしたようで、申しわけありません。わたしもついさきほど話を聞かされたばかりで、どうしてそういうことになったのか……。あとできつくいっておきますので、勘弁してやってください」
まるで、母親が子供かのようだった。歳の差があるからだろうか。この人は、母親よりさらに歳をとっているように見える。
「七波は三十も半ばになってようやく授かった子どもでしたから、アレにとっては、それこそ目に入れても痛くないほどかわいいのでしょう。それで、なにかあると過剰に反応してしまうようです」
淡々と説明的に語る父親に、わたしは小さな違和感を拾っていた。「アレにとっては」の部分である。
「七波はまだ帰ってないんですか?」
「ええ、どこへ行ってしまったのか、見当もつきません。もし心当たりがあるようでしたら、教えていただけると助かります」
「その、わたしたちにもまったく……」
暗号のことはやはり話さないことにした。直感的に、そうするのが正しいと思った。
「そうですか。いえ、いいんです。これ以上ご迷惑をおかけするわけにもいきません。あとは、わたしのほうで対処しますので」
会話の内容を整理し、その意味を理解したとき、背筋が凍った。
迷惑、対処——。
この人は七波のことを心配しているのではない、面倒ごととして捉えているのだ。でなければ、そんな言葉を選択するはずがない。
さきほどの「アレにとっては」も、やっぱりおかしかった。母親にとってそうなら、父親にとってもそうでなければならないのに。
「迷惑だなんて思ってないです。あなたと違って」
はっきりと相手の目を見返していった。母親に対する瞬間的な激情とは違って、冷ややかな怒りだった。そして、必ずわたしたちがさきに七波を見つけ出すという固い決意でもあった。
父親がなにかをいう前に、わたしは踵を返した。いい合いをする気はない。これは一方的な宣言なのだから。
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