五の三

 荻のおばあちゃんが戻ってきて、カステラの盆を置いた。莉帆は手にした紙をヒラヒラさせていう。


「七波が暗号の紙を置いてったみたいなんだけど、なんか知らないか?」


「はて、存じませんねえ」


 おばあちゃんがなにも知らないのであれば、わたしたちが座る座布団の下にあったこの暗号は、わたしたちに向けられたものということになるんだろうか。しかし、なにを伝えるための暗号だというのか。暗号というからには、ほかの人には知られたくない、秘密のメッセージであるはずだ。


「宝物のありかでも書いてあるのかな」


 わたしが発想するとどうしてもこうなる。幼いころからの冒険小説趣味の弊害だ。


「そんなもの持ってるわけないだろ、七波が」莉帆はにべもなく否定した。「仮に持ってたとしても、それをここで出してくるのは不自然だ。いまの状況を考慮するなら……」


 そこまでいって詰まった。わたしにもわからない。七波がいま伝えたいことがあるとしたら、なんだろう?


「七波さんの居場所、ですかねえ」


 おばあちゃんからの助け船。たしかに、それがいちばんしっくり来そうだ。七波は親から逃げ出して隠れ、わたしたちに見つけてもらうのを待っているのだ。


「回りくどいことしやがって、アイツ」


 そういいつつも、莉帆はまんざらでもない顔をしている。七波はちゃんとわかっている、暗号なんて渡されたら、わたしたちがすぐ乗り気になるタチだということを。


 わたしは改めて暗号の内容を確認した。


〈手ば埋め碁わ図や〉


 そのまま読んでも意味がとおりそうにはないけど、いちおうの解釈は試みてみるべきだろうか。


「〈碁〉ってことは、囲碁の話かな」


「打ち方を〈手〉っていったりするよな。最善の手、みたいな。〈埋め〉っていう手があったりするんじゃないのか?」


「おばあちゃん、囲碁はわかる?」


「あまり詳しくはありませんが、埋めるというと、終局後の盤面を整地することではないでしょうか」


 囲碁の終局後には、ダメと呼ばれるどちらの陣地にもならないところを埋める作業がある。そうすることで、互いの境界をはっきりさせるのだそうだ。また、自陣の死石をとって、相手の陣地に置くことも、埋めると表現するらしい。


「〈碁〉には〈手〉も〈埋め〉もあって、整地後の盤面は〈図〉形のようになるから、ギリギリ意味がとおらなくもないか。けど——」


 意味がわかったところで、これではどこの場所も示さない。ただ囲碁に関連する施設を示したいだけならあまりにも冗長だし、〈碁〉と書いてしまっているのでは暗号として本末転倒である。


「そのまま読むんじゃなくて、変換が必要ってことかな」


「アルファベットに直してみるとか?」


 莉帆の提案に乗り、わたしは自分のノートを持ってきて、シャーペンで書き出してみることにした。ローマ字読みでアルファベットに置き換えると——。


〈TEBAUMEGOWAZUYA〉


「うーん、〈ME〉と〈GO〉くらいしか単語にならないかな」


「逆から読んでも?」


「……ダメそう」


 アルファベットに変換しても意味をなさない。ならばと、ひらがなやカタカナに直してみるも、やはり無駄な試みだった。


「キーボードはどうだ?」莉帆がいった。「よくある謎解きで、ローマ字入力のやりかたでかな入力すると読めるようになるとかあるよな」


「へー。おばあちゃん、パソコンってあったりする?」


 古いものがどこかにしまってあった気がする、とおばあちゃんがいうので、和室を出て倉庫に向かってみることにした。廊下を歩いて家の奥まったほうへ。以前に家財整理を手伝ったことがあるので、場所はわかっている。


 倉庫のなかにエアコンはなかった。ときおり掃除はしているものの、それでもホコリっぽい。あまり長居はしたくないから、早く見つけられるといいけど。


 莉帆と手分けして、山積みのダンボールや木箱を開けたり動かしたりしていく。会話もなく、ただ黙々と手を動かし続けた。乾いた音ばかりが響いて、そこはかとなく居心地が悪い。


 五分が経過したところで、わたしは心を決めた。やっぱり、さっきの会話をなかったことにはできない。莉帆と七波と、友だちであり続けるためには。


「ごめん、あんないいかたして」


「……八幡野のことか?」莉帆は作業を続けながら応えた。「赤沢は悪くない。悪いのは、友だちでいてやれなかったあたしだから」


 想像したとおりだった。もともと七波と莉帆は仲がよかったのに、なんらかの理由があってしばらく疎遠になっていたのだ。莉帆を七波に引き合わせたときのあの反応はそういうことだった。そして、〈なんらかの理由〉は〈この町にいられなくなる〉ことと関係があるに違いなくて——。


「もっと詳しく知りたい。わたしが知ってるのはさっきいった程度のことで、本当のことなのかとか、実際にあったことなのかとか、わからないから」


 莉帆は動きを止めた。ゆっくり振り返って、頑丈そうな木箱に腰を落ち着けた。眼鏡をはずして、ポケットから出したクロスでレンズを拭う。


「おそらく、本当だと思う」慎重に言葉を選んでいるようだった。「小学四年のとき、八幡野にケガをさせた男子がいた。ソイツは二週間後にいなくなった」


 運動会でやる、大縄跳びの練習中のことだったという。回す役がふたりいて、残りのクラスメートが順に進入して跳んでいき、全員が跳び終わるまでのタイムを競うという、よくある種目だった。


 七波は自分の番が来て跳ぼうとしたとき、縄に足を引っかけ、顔から落ちるように転倒してしまった。おびただしい出血をしたため救急車で搬送され、整形外科で鼻骨の骨折と診断を受けた。


「運動神経のいい八幡野のことだから、普通ならそんなコケかたするはずないんだ。つまり、縄を回してたヤツがわざと足に引っかけたってことだ。あたしも同じクラスだったけど、アレはそういうふうに見えた。


 先生に問い詰められて、ソイツは白状した。だけど、なぜやったのかについてはひとことも喋らなかった。——これはあたしの推測だけど、八幡野のことが好きだったんじゃないかと思うんだ、ソイツ。男子ってそういうことするだろ? 好きな人の気を引こうとして」


 ありえることだと思った。幼いころを振り返れば、いくらでも思い当たるふしがある。


 男子に顕著なだけで、女子でもやることだった。わたし自身も、人が座ろうとする椅子を引いたことがある。相手がどんな人であったかは、口が裂けてもいえないけど。七波にケガをさせた男子も、だから理由を話さなかったんだろう。


「その男子がいなくなった、七波に嫌われたからってこと?」


「というより、両親の力で、だろうな。——八幡野の家は知ってるのか?」


「いや、知らない」


 だいたいの地理的位置関係を把握している程度だ。わたしは本当に、七波のなにも知らなかった。


「八幡野小児科、それがアイツの実家。この町の、とくにこの学区の子どもは、たいてい一度は世話になった経験がある。院長は父親。母親は長年PTAをやってる。しかも、さっき見たとおりの人格者だ」


 エッジの効いた皮肉に吹き出しかけたけど、莉帆はクスリとも笑っていなかった。


「それでほかの親たちはおそれてる。なにをされるかわからないから。常識的には考えられないことだけど、カルテを悪用するとか、その気になればできるはずだから。そういう心理的な——なんていうか——優位性があるから、圧をかければ転校を強いることも不可能じゃないと思う」


 そんなことがいまの時代に起こりうるんだろうか。山奥の集落のように狭いコミュニティでもあるまいに。


 いや、七波の親はじっさいの権力を振りかざすのではない。子供たちを預かる医者、そしてPTAという立場によって、逆らいがたい雰囲気を形成しているだけなのだ。だから、いうなれば、ほかの親たちは自主的に従ってしまうんだろう。問題を起こす家族があれば、同調圧力によって排除されてしまうことも、なくはないのではないか。


「それで『あの子に嫌われると、この町いられなくなる』か」


「そういうことになった。けど、これは生徒のうわさ話のたぐいではなくて、それぞれ親からいい聞かせられたんだろうな。八幡野に関わるとロクでもないって。あたしもそうだった。親から距離を置けっていわれて、よくわからないまま従った」


「けど、あからさまに仲間はずれにしたら、それもマズいんじゃ……」


「あの母親の目を見なかったのか? アレは、完全にあたしらを下に見てる。低俗な連中とのつき合いなんかどうでもいいと思ってんだよ、あの親は」


 なんだか目眩がしてきた。〈モンスターペアレント〉とか〈毒親〉とかの概念に収まる器じゃない。


 暴君にもほどがあるじゃんか。うちの親なんか、それと比べれば、まだまだかわいいほうなのか?


「そっか、そういう事情があって……」


「ああ。だけど、今日ひとつ、わかったことがある」


 莉帆は眼鏡をかけ直し、ブリッジを中指でぐいっと押してみせた。


「親から渡されてたスマホを投げた。親に愛想を尽かして逃げた。本当はずっと、親のやりかたが気に食わなかったんだ。あの男子を転校させたのは八幡野じゃなくて、親が勝手にやったことだったんだ。——だから、アイツは友だちだって胸を張っていえるぞ、あたしは」


 ふっと憑きものが落ちたように感じた。莉帆のいうとおりだった。七波をおそれる必要なんてまったくない。仮に七波と関わりを持つことにリスクが伴うのだとしても、そんなの知ったことではない。ほかならぬ七波自身が、わたしたちと友だちでいることを望んでくれるのなら。わたしのやるべきことは、ただひとつ——。


「早く暗号を解いて、見つけてやらないとね」


 莉帆は立ち上がり、拳を握って胸に当てた。


「そういうこと!」

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