四の五
一階の展示をあらかた見てまわり、わたしたちは地下へと移動することにした。深海をテーマにしているだけあって、このフロアは薄暗い。まるで本当に深い海に潜っていくかのような演出もあいまって、非日常感に胸が躍った。
とあるテーマパークの、ジュール・ヴェルヌの小説をもとにしたアトラクションを思い出した。潜水艦に乗りこんで海深く潜り、未知の生物と出会い、新しい発見をし、危機を乗り越えて生還する。深海とはすなわち、冒険なのである。
「うわデカ、キモ」
ダイオウグソクムシが莉帆に罵声を浴びせられていた。ダンゴムシを何十倍にも大きくしたような外観で、底の砂地をのんびり這っている。解説には、四十年生きるとか、五年絶食したとか書いてある。謎多きいきものらしい。
「ね、かわいくない?」
七波のお気に召したのはアカグツだった。赤っぽくて平たい、ごつごつしたなにか、としか形容できない。魚のくせして、こいつも海底を歩いている。かわいいか否かは主観による。
さらにさきへ行くと、クラゲのエリアだった。時間の経過とともに色を変えるライトに照らし出されて、何種ものクラゲが、ふわふわと浮いたように展示されていた。まるでアートのようだし、写真に撮れば〈映える〉こと間違いなしだった。
「なに考えて生きてんのかな、こいつら」
本当にいきものなのかすら疑わしい、とわたしは思った。作品の一部にされたクラゲたちは、もはやオブジェと大差ない。形態だって意味がわからない。半透明だったり模様があったり、やたら触手が多かったり長かったり。どうしてそれが生きるために役立つというんだろう。
「なにも考えてないんじゃない?」
「一部のクラゲは群体だって聞いたことがある」莉帆の顔は紫に照らされていた。「小さい個体がたくさん集まって、ひとつの個体のようにふるまうって。詳しくはないし、このなかに群体のクラゲがいるかは知らないけど」
上手く想像できない。小さないきものが合体して、大きないきものになるということだろうか。人間に置き換えるなら、たとえばわたしが巨人の右足になるというような。そうだとすると、わたしはきっと、頭の人の命令を聞いて、歩くという機能に徹することになるんだろう。それこそなにも考えず、ひとつの役割だけをこなしていればいいのだ。
「なんか、ラクそうじゃん、生きるの」
考えるのは疲れる。今日だって、意味があるかないかわからない考えごとにずっと煩わされている。考えなくても生きていけるなら、きっとそれに越したことはない。
「でも、不自由だよ?」
そう七波がいった瞬間、すべての明かりが落ちた。クラゲは消えてなくなった。周囲は完全な暗闇に包まれた。停電だ、とすぐに気がついた。
わたしはとっさに誰かの手を掴もうとした。左手が何度か空を切って、ようやく探り当てたその手を、ぎゅっ、と握った。
なにも見えなくても、目はつぶらなかった。するとそこに見えるはずのないものが、流れ星が見えたような気がした。白くまばゆく輝いて、黒い宇宙を駆け抜ける。なにか願いごとを、と思ったけど、ひとつには決められそうになかった。
それはわずか数秒の出来事で、まもなく照明は復帰した。
正気になったわたしは、自分のしていることに気がついて、掴んでいた七波の手を離した。手のひらがじっとりと汗ばんでいる。気持ち悪く思われていないといいけど。
七波は何事もなかったように平然として、「雷かな?」とだけいった。
しばらくその場を動かずにいると、館内放送が聞こえてきた。
「お客さまにお知らせします。さきほど、停電の影響により、えー、電気が使えない状態になっておりましたが、現在は非常用電源に切り換えて、復旧しており、えー、ご迷惑をおかけしてたいへん申しわけ——」
内浦館長の声だった。かなりたどたどしいけど、突発的な事象だからしかたない。要約するなら、通常どおり営業するが、なにか異常を発見したら教えて欲しい、とのことだった。水槽のいきものは、温度調節やエアレーションに大量の電気を使う。機械に不具合があってはいけないから、きっと水族館のスタッフたちは、いまごろ大慌てだろう。
ふと、暗闇のなかで見た流れ星のことを思い出した。わたしの向いていた方向には、となりの展示スペースがある。そこは電気が復旧していても暗かった。なぜなら、光るいきものを展示しているからだった。
ヒカリキンメダイ。目の下にある発光器をチカチカと点滅させながら、群れで泳ぎ回っている。その名のとおりキンメダイ科の仲間で、光を使ってコミュニケーションをとるのだそうだ。間近で見ると、もう流れ星には見えない。
「わたしも見えたよ」と七波はいった。
どう見えたの、と訊こうとして、やめた。わたしだけロマンチストだったら気まずい。
エレベーターからほど近い、自販機のある休憩スペースに移動した。水族館に来てからすでに一時間が経過している。すべての展示をくまなく観てまわるなら、さらに一時間はかかるだろう。
ふらっと小さな影が近づいてきた。頼りなげに、目的を見失ったように歩いている。
「おねえさん?」
ビッグストリートフェスの会場で会った、ショウヤくんだった。雨から逃れて遊べる場所を探した結果、わたしたちと同じように水族館にたどり着いたのだろう。
はっきり見えるようになると、半ベソをかいているのがわかった。たったひとりで、付き添う大人はいない。
「おじいちゃんはどうしたの?」
「わかんない……」
七波と莉帆と額を集める。
「はぐれたってことだよな?」
「うん、スタッフの人を呼んでくる?」
「いまは忙しいんじゃないかな、さっきの停電で」
話し合って、答えを決めた。
「ショウヤくん」わたしは腰をかがめて目線を合わせた。「おねえさんたちが探してあげるから、心配いらないよ」
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