四の四

「おーい、こっちだぞ、赤沢」


 少し離れたファミレスの軒下、そこに莉帆と七波はいた。雨は弱まりつつも、依然、降り続いていた。傘を閉じて近づくと、莉帆に肩を小突かれてしまった。


「どこでなにしてたんだよ」


「あ、うん。ちょっとね」


 それはこっちのセリフだ、と思いながらも、わたしがしばらくスマホを確認していなかったのもまた事実だった。しかも、その間にあった出来事を、わたしはいまここで話す気がない。


「なに、ちょっとって」


 七波が不思議そうにいった。わたしは一瞬だけ目を合わせて、逸らした。


 店内に入った。時刻はまだ十一時を回ったところで、ランチのピークより少し早い。あいていた四人がけのテーブルに、莉帆と七波が上座、わたしが下座で座った。


「ふたりは買い食いしたんじゃないの?」


 メニュー表を開きながら訊く。あんまり食欲はない。


「並んでる途中で降られたから買ってない」


「わたしもー」


 注文はすぐに決まった。というより、なんでもよかった。ドリンクバーからはカプチーノとスティックシュガーを二本持ってきた。提供された料理は、ほとんど味がしなかった。もちろん、店の批判をしているわけではけっしてない。


「——なら、水族館に行くのは?」


 ほとんど口を挟まずに、次の行き先について話し合うのを聞いていたけど、莉帆のその提案は悪くないと思った。基本は屋内の展示だし、すでに挙がっていた海に行きたいという案も、半分は達成できる。わたしが「いいじゃん」というと、それで話はまとまったようだった。


 移動はバスだった。後方の席に横並びで座る。わたし、七波、通路を挟んで莉帆だった。わたしは端っこで、窓にしずくが伝うのを、ぼんやりと眺めていた。


「ごめんね」


 エンジン音に紛れて聞き逃しそうな声で七波がいった。


「なんの話?」


「なんか、あんまり楽しそうじゃないから。無理につき合わせてるんだったら悪いなって」


「……べつに、そんなことないけど」


 わたしは七波の顔を見ることができなかった。


 わたしは愚かだった。わたしの拙い演技なんて、七波には見透かされるに決まっているのに。


 どうせ愚かなら、愚からしく振舞ったほうがいいか。わたしが悩んだってなにかが変わるわけじゃないし。それに、花恋のいうことが本当だとしても、仲良くできているぶんには問題ないはずなんだから。


「水族館に行くとさ」わざと脈絡を無視していう。「おなかすくんだよね、この魚は食べられるのかなーって」


 冗談だけど、まったくの作り話でもない。五年ほどまえに訪れた水族館には、イワシの群れを展示する巨大な水槽があった。まるでひとつの生き物のように、塊となって泳ぎまわる無数の魚影。迫力に圧倒されながらも、幼いわたしは思ったのだ、こんなにたくさんいるなら、一匹くらい取って食べてもバレないだろうと。


「もう、猫じゃないんだから」


 七波は笑ってくれた。それでいまは十分という気がした。


 十五分ほど揺られて着いたバス停は、水族館から目と鼻のさきだった。〈水族館前〉を標榜するだけのことはある。わたしたちは傘をさす手間を惜しんで、雨中の八メートルを駆けた。


 佐西水族館は傾斜のある土地に建っている都合で、二階が入り口になっていた。中学生の料金、二千二百円を支払うと、チケットとパンフレットが手渡された。


 二階は淡水・水辺のいきもの、一階は浅い海のいきもの、地階は深い海のいきものと、大雑把に割り振られているらしい。明確な順路は設定されておらず、好きな階から観てまわることができる。


 屋外にはショーをやるためのプールがあるが、〈本日は悪天候のため中止させていただきます〉とのことだった。そのぶん安くならないのか、と思わないでもない。もちろん、口に出してはいわないけど。


「ショーを観られないなら、そのぶん値引きしてくれてもいいのに」


 七波はいう。そういうヤツだから。受付でいわなかっただけマシと思うしかない。


 エレベーターとエスカレーターを無視して、そのまま二階の展示フロアに入った。はじめに出くわすのは横に長い水槽で、佐西の河川を再現しているらしい。泳いでいるのは、イワナやヤマメといった聞き慣れた名前の魚ばかりだ。


「わさわざ水族館に来てさ」莉帆が小難しい顔でいう。「川の魚が見たい人なんているのか?」


「失礼なことをいうな」


「ねえ、玲愛」


「ん?」


「食べちゃダメだよ?」


「食べないよ!」


 次の水槽はアユ、それからオイカワ、ギンブナ、ソウギョ、メダカなどと続き、果てはゲンゴロウだった。色彩を欠いたいきものばかりで、気分まで鈍色になる。たいへん申しわけないけど、女子中学生としては莉帆の感覚が正常かもしれない。


 そういうわけで二階は早々に見切りをつけ、エスカレーターに向かった。グッズコーナーもあったけど、おみやげは帰りがけに考えればいい。


 降りたさきは壁一面がガラス張りだった。レストランも併設されていて、遠くにショーエリアを見ながら食事ができるようになっている。残念ながら、今日は雨しか見るものがない。


 店の前の立て看板におすすめのメニューが張り出されていたので、立ち止まって読んでみる。


 ——期間限定! イワナの塩焼き 一本六百円


「いや、食べていいんかい」


 食べてみたい気持ちはあるけど、もう昼食はとったし、出費がかさんでいるから、今回は見送ることとしよう。


 一階の展示は格段に華やかだった。カラフルな熱帯魚に、希少なウミガメ、獰猛そうなサメやウツボなど。そうそうこれこれ、と思わず手を叩きたくなる。


 なかでも印象的なのは〈ビーチエリア〉だろう。一階の奥まった場所に位置するそのエリアは、熱帯のビーチを再現したエリアだった。足を踏み入れると、まずは南国風の陽気な音楽に出迎えられる。眼下には本物の砂を敷いた砂浜が広がり、ささやかながら波も打ちつけている。サイドはアクリルガラスが水をせき止めていて、五段の階段を下ると、砂浜と海の断面図を観察することができる。


「海だー!」


 七波と莉帆は勢いよく砂浜に踏み込んでいったが、そこからどうすることもできずに立ち往生した。ビーチに突き刺さった立札には〈水に入らないでください〉とある。しかし、注意書きなどなくても、良識のある人間ならそれをしないだろう。


 わたしはヤシの木に手をついて、もどかしそうにする二人を見守っていた。手の感触からして、この木は作りものらしかった。樹上にスピーカーがあるのか、音楽は頭の上から聞こえてくる。


「綺麗なところでしょう」


 ふいに背後から声をかけられて、危うく偽物の海に飛び込むところだった。振り返ると、スタッフの服装をした太鼓腹のおじさんが目じりにしわを寄せていた。


「あ、はい……。そうですね」


「ここね、わたしが考えたんですよ」


 考えた、ということは、設計とかデザインの仕事をしている方だろうか。いや、たぶんそういう人は水族館の直接の従業員ではないはず。となると、スタッフのなかでも展示の方向性を決められるくらい偉い——。


「申し遅れました、館長の内浦です」


 無意識に背筋が伸びた。七波たちが粗相していないか気がかりになる。わたしは権威に弱い。


「その……。いい水族館、ですね」


「ハハ、そうかしこまらんでください。今日はショーが中止になった関係で、スタッフの手を余らせてましてね、わたしなんか暇を持て余しとるわけです。よろしければ、館内をご案内しますよ」


 どうしよう。館長自ら案内してくれるなら、余すとこなくこの水族館の魅力を知ることができるだろうし、学びもあるはず。けど——と、七波と莉帆を見る。それだと、軽口も叩けなくなって、自由に動けなくなって、本当に楽しめるかどうかわからない。


「おせっかいでしたね」内浦館長は頭をかいた。「若い方たちは、お友だちどうしで好きなように見てまわるのがいい。しかし、気になったことがあったら、遠慮なくスタッフに声をかけてください。みな、いきものについては習熟しとりますからな」


 内浦さんが去ってから、ぼんやりと思った。さっきの申し出はそのままの意味じゃなかったんだろう。あれは顧客満足度調査のようなものだ。話してみて、わたしたちがどう感じているかを聞き出したかったに違いない。


 言葉の裏の意図を読み取るというのは、難しい。

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