四の三

 篠突く雨、という表現がある。篠とは篠竹という細い竹のことで、それが束になって落ちてくるさまに例えられるような、激しい雨のことである。いま、わたしの頭に突き刺さっているのがまさにそれだ。


 イベントの会場からすぐのところに百貨店のビルがあった。とくに買いものをする予定はないけど、なりふり構ってもいられない。息を切らして軒下に駆け込むころには、髪を絞ればしたたるほどになっていた。


 背中のリュックを前にまわして、タオルと折りたたみ傘を探した。用意周到なわたしは、ちゃんと用意しているのである。降り始めたときに必要なものをすぐ取り出せなかったのは、ほかに余計なものを詰め込みすぎたから。莉帆は手提げのバッグひとつ、七波にいたってはスマホと財布だけポケットに入れて手ぶらで来ているのだから、さしずめわたしは、はじめての遠足ではしゃぎすぎた小学一年生といったところか。ショウヤくんのほうがお利口かもしれない。


 タオルを頭にかぶってスマホを見る。〈通うクラブ〉にひとこと入れてみるけど、しばらく待っても既読はつかない。


 七波と莉帆はどこに行ってしまったんだろう? 二人して、あれが食べたい、これが食べたい、とそれぞれ屋台に向かって、その矢先の雨だった。傘も持っていないはずだし、連絡も取れないし、ちょっと心配だ。


 自動ドアが開いて誰か出てきた。外に出るまで雨に気づかなかったのか、「うわ、サイアク」と独りごとをこぼす。すらっと背が高くて、緩くカーブしたボブヘアがよく似合っている。彼女のことは知っていたし、向こうもわたしのことを知っているはずだった。


「川奈さん」


 春のペンケースの事件のときの、佳菜の三人の友達のうちの一人、川奈花恋だった。花恋はじっとこちらを見つめてから、「赤沢さんじゃん」といった。


「奇遇だねー、こんなとこで会うなんて。赤沢さんも買いもの?」


「いや、ちょっと雨宿り」


 あれ以来ほとんど関わりがなかったのに、花恋はまるで友だちのような距離感だった。そんなわたしの心を読んだのか、花恋は両手を合わせて拝むようにした。


「あのときはごめん。うちら、カンジ悪かったでしょ」


「いやそんな、まったく気にしてないから」


 あれはほとんど偶然が重なっただけの事故みたいなものだったし、べつに悪い思い出だとも思っていない。たしかに当時の印象はよくなかったけど、こうして対面で話してみてもイヤな感じがしないから、やっぱり気にしていないというのが正しいんだろう。


 花恋は雨のなかに手のひらを差し出した。


「天気予報は、降っても小雨っていってたんだけどなあ」


「もしかして傘、持ってない?」


「うん。バスで来たんだけど、ここからバス停までちょっと距離あるんだよね」


 花恋はお店のロゴが印字された紙袋を提げていた。雨に濡れたら、せっかくの買いものが台なしになってしまう。


「じゃあ」わたしは折りたたみ傘を開いた。「バス停までなら送ってくけど」


 さしでがましいかな、とも思ったけど、花恋は遠慮なく肩を寄せてきた。「優しいんだ」と表情を崩さず平気でいう。ペンケースのときは感情が読めなくて不気味だなんて思ったけど、いまは違って見える。たぶん、誰に対しても同じように接することができて、友達も多いタイプなんだろう。


「なに買ったの?」


 雨の打ちつける音が大きくて、声を張る必要があった。傘は花恋の身長に合わせて少し高めに保持している。外がわの肩とリュックがカバーできていないようだけど、あまり気にならない。こういうのって、傘を差し出したほうが濡れてやるものだと思うから。そもそもわたしは、あらかじめ濡れている。


「文房具。ペンとか、メモ帳とか、付箋とかね。このお店、かわいいのが多くて人気なんだよー」


「へえ、そうなんだ」


 内心ギクリとした。そういうのについて、わたしは非常に疎い。あんまり飾りっけがないから、女子としては失格なんじゃないかとすら思いはじめている。花恋にいろいろと教えてもらったほうがいいのかもしれない。


「赤沢さんは、なにしに来てたの?」


「そのへんで大道芸のイベントやってるじゃんか。それを見たりとか、かな」


「あー、やってるよね。楽しそうだから、うちも行ってみたいと思ってたんだけど……。そっか、この天気は残念だったね」


 そういえば、弓のショーは肝心の部分を見られなかったし、わたしはイベントの見るべきところをひとつも見てないことになるのか。なら、これっきりってことはないだろうから、またの機会にリベンジしよう。


「一人で来たの?」


「いや、七波と莉帆と一緒に」


 二人はなにをしてるだろう。もう一度スマホを確認しようとして——やめた。誰かと話しているときにスマホをいじるのは、あんまり好きじゃない。


「へー、まだ仲良くしてるんだ?」


「まあ……。え、『まだ』って——」


「バス停ここだよ。ありがとね、赤沢さん」


 停留所の待合の屋根の下に、花恋はぴょこっと飛び移った。こちらを向いて、ひと気のないベンチに浅く腰かける。一転、低くなった視点から、彼女はじっと見ていた。雨のなかに傘をさして立つ、わたしを見ていた。わたしの、反応を。


「優しいよね、赤沢さんは」


「……」


「だからね、教えておいてあげようと思うんだ」


 花恋は変わらず穏やかに微笑んでいた。指さきで紙袋の持ち手を弄びながら。なにを考えているのかは、やっぱり読めない。


「あの子とは、あまり関わらないほうがいいよ?」


 冷たく脳に浸透するようだった。


 そんな話、聞きたくない。聞きたくないのに、訊き返さずにはいられなかった。


「あの子って……?」


 あの子が誰なのか、答えを聞かなくてもわかる気がした。いや、わたしは知っているはずだった。それはあからさまな事実だったのだから。わたしはただ、見たくないものを見ないようにしていただけだった。


 あの子が一年一組の教室に入ったときの、微妙に気まずい空気。


 三人が初めてそろったときの、不自然なほどぎこちない態度。


 いつも決まった人としか通学路を歩かないあの子。


 そもそも、わたしたち以外の同級生と、普通に会話しているところを見たことがあっただろうか?


 もっと決定的な事実がある。それは、小学校からの知り合い四人よりも、〈よそ者〉一人の肩を持ったということだ。


「やっぱり、ちゃんと気づいてたんだね」


 川奈花恋はいっそう優しく目を細めた。


「そうだよ。あの子っていうのは、もちろん——」

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