四の二

「で、どこ行く?」


「カラオケなら近くにあるけど」


「町を案内してくれるんじゃないのかよ」


「ちょっと遠いけど、科学館行かないか?」


「莉帆が行きたいだけでしょ」


「じゃあ海のほうとか」


「行ってもいいけど、泳げるわけじゃないし」


「あ、〈にゃんこの博物館〉っていうのがあるよ」


「にゃんこ、ねえ……」


 あーだこーだといっているうちに、三十分が経とうとしていた。あてもなく歩き、見つけたものや思いついたことを、ろくに考えもせずそのまま口に出す。目的地は決まらない。非建設的だけど、無価値な時間でもないようだった。


 こんな〈普通〉の休日を、久しく過ごしていなかったなあ、と思う。もっと早く、わたしから誘ってもよかったのに。


 ただ歩いて、よく知らない町を見物するのは、それなりに楽しい。けど、七波と莉帆にとっては見慣れた町でしかない。ひょっとして、気分がよくなっているのはわたしだけなんじゃないか。そんな考えが頭をよぎってから、ちょっとずつ不安になりつつもあった。


「ん、なんか人が集まってる」


 大道芸のイベントらしかった。いくつかの人だかりと、その中心にパフォーマー。飲食の屋台も軒を連ねている。頭上を横断する横断幕には〈佐西ビッグストリートフェス〉とあって、佐西の町おこしイベントなのが一目でわかった。


「ちょっと見てこっか」


 七波がそういってくれたからひと安心だった。これで、ふたりを退屈させているんじゃないかと気を揉む必要がなくなる。


 人山のひとつに近づいて、背伸びで大人の肩ごしに覗いてみる。弓を持ったマッチョな男の人が、観客をノせるための口上を述べていた。


「なー、見えないぞ、なにも」


 莉帆はつま先立ちになっても、まだ身長が足りなかった。七波がふいに姿勢を低くして、莉帆の脚を捕まえる。


「肩車してあげよっか」


「やめ……やめろって、おい!」


 仲むつまじくてなによりだ。


 パフォーマーから少し離れて、壁と、風鈴のようなものを取り付けて吊るしたりんごがあった。アシスタントが黒い帯状のものを持ってきて、彼に目隠しをする。どうやら、音だけを頼りに的を射抜くパフォーマンスらしい。


「ねえ、おねえさん」


 わたしの右手のあたりから声が聞こえた。首をまわして下を見ると、幼い男の子がわたしを見上げていた。「おねえさん」はわたしのことを指しているようだった。


「あそこでなにやってんの」


「ん? あー……」


 その子の背丈は一メートルをわずかにはみ出した程度だった。莉帆で足りないなら、とうぜん足りない。


「見せてあげよっか」


 肩車ができるほどの体力はないけど、抱え上げるだけならできそうだ。わたしは屈んでその子の腰のあたりから体の前に腕をまわし、思いっきり力を入れて持ち上げた。目線の高さがわたしより頭ひとつぶん高くなったから、これで見えているはずだ。背中から、ちょっとだけ汗くさい匂いがした。


 周囲が静まり返って、鈴の音がよく聞こえる。抱えた体の感触からも、緊張が伝わってくる。張り詰めた弦が空を切り、ひときわ高く鈴が鳴った。少し遅れて、わっ、と歓声が上がる。男の子も、興奮したように手足をバタつかせた。わたしからは見えなかったけど、どんな結果になったのかは想像に難くない。


 もう、降ろしてもいいかな。暑いし、わんぱくな少年を落とさないように支えているのは、けっこうキツい。


「すげー! なんであんなことできんの?」


 地面に降りた男の子は、両の拳をグッと握りしめていた。


「なんでだろうね。いっぱい練習したんじゃないかな」


「おれも練習したらできる?」


「たぶんね」


 いいかげんな返事だな、とわれながら思う。けど仕方ない。なぜならわたしは、パフォーマンスを見ていないのだから。


 おしゃべりなその子に、うんうんそうだね、と話を合わせてあげていると、なぜか、以前にもどこかで会ったことがあるような気がしてきた。そう遠くない過去だと思うけど、いつのことだったか。


「ねえ、きみ——」


「ショウヤだよ」


「ショウヤくん、お父さんかお母さんは?」


「おじいちゃんならいるよ」


 ショウヤくんが指さしたさきには、日よけのパラソルつきのテーブルがあった。飲食や休憩の目的で会場に用意されているものだ。そこに座っていたのが、サングラスをかけ、杖を持ったお年寄りで、ショウヤくんのおじいちゃんということだった。


 思い出した。駅前で七波たちを待っているあいだに見かけた、老人とその手を引く子供が、おじいちゃんとショウヤくんだったのだ。


「おれがおじいちゃんを案内してあげてるんだ」


 ショウヤくんは得意げにいった。どう考えても逆で、おじいちゃんがショウヤくんを連れ出してあげているんだろうけど。


「そっか、偉いね。でもそれなら、あんまりひとりでいると、おじいちゃん心配になっちゃうんじゃないかな」


「そうかも」


 ショウヤくんはハッとしたような顔をして、すぐにおじいちゃんのほうに向かって駆けだした。かと思いきや急ブレーキをかけて振りかえり、「おねえさん、ありがとー!」と手を振ってくれた。無邪気で素直でいい子だ。


「ハクジョウだね」


 いつのまにか隣にいた七波がいった。


「薄情? わたしが?」


 心外だった。これでもわたしは、〈親切なおねえさん〉を完璧に演じたつもりだったのだから。


「んふっ」七波は吹き出すように短く笑った。「違うよ、ハクジョウは白い杖の白杖。ほら、おじいちゃんが持ってるでしょ?」


 ショウヤくんと無事合流できたおじいちゃんは、立ち上がってまた手を引かれていた。反対の手には杖が握られている。白くて細い、体重を支えるには適さない杖だった。


 白杖、聞いたことがある。たしか、それが使われるのは——。


「目の不自由な人が使うやつか?」


 さきに莉帆が答えをいった。わたしの認識も同じ、視覚障害者が足元の安全をたしかめるためのものだ。


「そうか。じゃあ、ショウヤくんがいってたのは——」


「あながち間違いでもないのかもね」


 おじいちゃんはほとんど白杖を使っていない。ショウヤくんがいるから安心して歩けるのだ。つまり、「案内してあげてる」というのは、なかば本当のことらしい。


 ただ——。と、ショウヤくんに振り回されるおじいちゃんの横顔を見た。あの穏やかで慈しむような口元の表情から判断するに、孫を遊びに連れ出してあげる優しいおじいちゃん、というほうが、やはり実態には近いんだろうな、とも思った。

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