四、不確かな波にゆれて
四の一
人が行き交う。右に左に、まばらに密に。規則性も統一感もあったものではない。それぞれが目的を持って歩くのに、はたから眺めるぶんには野放図そのものだった。
駅前のベンチに座り、わたしはひとり、待ち合わせを待っていた。季節はいかにも夏らしくなって、日陰にいるのに額に汗がにじむ。スマホを見れば、約束の時刻まではあと十五分もあった。
これまで七波とは、学校や通学路で話すだけの関係だった。毎日のように顔を合わせているのに、お互いの連絡先も知らないままだった。それを莉帆が、いともたやすく変えてしまった。いわく、「まだこの町のことよく知らないんだろ、赤沢は。なら、次の休みに遊びにいこう」である。
ラインを確認すると、三人で今日の予定について話した履歴がある。グループには〈通うクラブ〉とダサい名前がつけられている。荻のおばあちゃんの家が通学路の途中だから〈通う〉なんだろうけど、もう少しこう、なんとかならなかったのかと思う。他にふさわしいアイデアがあるわけでもないんだけど。
正直なところ、わたしはあまり乗り気じゃない。暑いのは得意じゃないし、汗をかきやすいから、服に染みができたりして見苦しくなるのがイヤだった。制服を着ては行けないから、私服で悩む必要もあった。そもそもわたしは、どちらかというとインドア派だった。——といって、待ち合わせに早く着きすぎているのだから、なんともわたしらしいといえる。
することもないので、道ゆく人を観察する。
土曜日なのにワイシャツを着た、サラリーマン風の男の人。スポーツドリンクを飲んで休憩する、ランニングウェアの若い女の人。杖を持った老人の手を引く五、六歳くらいの幼い子。
やっぱり全員がバラバラで、そこになにかの意味を見出すことはできそうにない。
男女のペアが歩いてきた。前を行くのは綺麗な女の人で、ブランドものの服や小物で装いを整えている。シャンプーの広告のように長い髪をなびかせて、スマホを見ながらつまらなそうに話している。そのすぐうしろを歩くのは、金髪のアロハシャツを着た男の人で、女の人と比べて、いくぶん軽薄そうな印象を受ける。こちらも口を動かしているのが見てとれるけど、話の内容までは聞きとれない。
男の人が手を伸ばして、女の人の肩に置いた。すると彼女は振り返って向き合い、なにか強い口調でいってから、男のひとを振り切るように早歩きで行ってしまった。男の人はしばらく立ち尽くして、それから手に持っていたものを、近くの植え込みに叩きつけるように投げた。あいた手をポケットにつっこみ、女の人とは反対方向に歩いていく。
いまのはなんだったんだろう?
カップルだった二人がケンカ別れをした、とかだろうか。彼女が「やっぱり、あなたとわたしじゃつり合わない」といい、彼はプレゼントする予定だったものを、怒りにまかせて投げてしまったんじゃないか。
勝手な想像をしていると、投げ捨てられたそれがなんだったのか気になってしまった。ひなたに出て、植えこみの前にしゃがみこむ。かき分けてみると、見つかったのはシンプルなデザインのハンディファンだった。
予想とぜんぜん違う。包装された状態ならまだしも、むき出しのハンディファンをプレゼントする男なんているはずない。なら、これは彼の持ちものだったことになりそうだけど、そうすると投げ捨てていった意味がわからない。
「なにしてんだ、赤沢」
「うわっ」
びっくりして、しゃがんだままひっくり返ってしまった。こちらを覗きこむ、逆さになった莉帆の顔が見える。
「あ、ははは……。これは、その……」
あまりにも不審者だった。恥ずかしくて、汗が吹き出して止まらない。顔をそむけながら、急いで体を起こした。
「ん、ハンディファンか。持ってるぞ、あたしも」
莉帆が手提げの鞄から取り出したそれは、可愛らしいパステルブルーのものだった。
「そうなんだけど、そうじゃなくて……」
「なにがそうじゃないんだ?」
なんとか自分の行為を正当化したいけど、どう言いわけしたものかわからない。答えあぐねていると、向こうから七波もやってきた。
「おまたせー。早いね二人とも」
七波はわたしを見て、わたしの髪が頬にはり付いているのに気づき、キョトンとした顔でこういった。
「まさか、ここまで走ってきたの?」
「……だから、そうじゃなくってぇ!」
日陰に移動して、わたしはいきさつを頭から話した。綺麗な女の人と、少しガラの悪い男の人が、なにか会話しながら歩いていたらしいこと。男の人が肩に手を触れて振り向かせると、女の人は怒って、逃げるようにいなくなったこと。男の人はハンディファンを投げ捨ててから、別の方向に行ってしまったこと。
「ケンカしただけなんじゃないか?」
莉帆はわたしが思ったのと同じことをいった。
「ハンディファンを投げたのは?」
「むしゃくしゃしてやった」
「自分の私物に当たったってこと?」
「女の人から一時的に預かってたものかもしれない」
「じゃあその人は、自分のものを預けたまま行っちゃったことになるけど」
莉帆は自分のハンディファンをまわしながら考えていた。髪がゆれて気持ちよさそうだ。わたしの手にも同じものがあるけど、これはわたしのじゃないから使えない。
「二人は本当に知り合いだったのか? 知らない男に声をかけられたら、驚いて逃げるのも普通だと思うけど」
「知り合いなんだとは思う。振り返るより前から話してたように見えたから。それに、知り合いじゃないなら、ハンディファンを投げたのが余計にわからない」
「そうだよなあ……」
わたしと莉帆が議論しているのを、七波は黙って見守っていた。ニコニコとニヤニヤの中間くらいの笑みを浮かべつつ。
「七波はもうわかってるみたいじゃん」
わたしがいうと、七波は「どうかなー」とはぐらかした。
「百パーセント確実じゃないけど、それっぽい答えならわからなくもないかも」
「それっぽいのでいいから教えて」
「んー。じゃあ、ヒント。玲愛から女の人の耳は見えた?」
「耳?」
あの人の髪は長かったから、隠れてしまって見えなかったはず。もし仮に見えていたとしたら、なにかがわかったはずなんだろうか。
莉帆が自分の耳を引っぱって猿のようになっていた。小さくてかわいい耳。その耳につけるのに似合うものがあるとしたら、イヤリングか、ピアスか、もしくは——。
「……イヤホン?」
ボソッというと、数拍あけてから莉帆が「それだ!」と手を打った。
「ブルートゥースのイヤホンだよ。それなら、髪が長ければ見えなくなる可能性がある」
「女の人が話しているように見えたのは……」
「通話してたんだよ、別の誰かと。だから、イヤホンから聞こえる相手の声に集中してたはずなんだ」
「つまり、男の人が話しかけてるのが聞こえてなかった?」
そう仮定すると、二人の関係はどういうことになるか。おそらく、知り合いでもなんでもなかったんだろう。だから、女の人はいきなり肩を触られて、ナンパかなにかだと思って逃げたんだ。そして、男の人が声をかけた理由だけど、ハンディファンと結びつけて考えるなら、想定される解はひとつに定まりそうだ。
「ただ、落としものを届けてあげようとしただけだったんだ」
親切心からそうしてあげたのに、見た目で一方的に決めつけられて、なにか強い言葉をいわれて、おまけに逃げられたのだとしたら、ハンディファンを投げたくなる気持ちもよくわかる。
「なんか、ちょっと理不尽でかわいそうだな」
と、これはわたしの感想。
「だとしても、それを投げ捨てていい理由にはならないだろ」
莉帆は生真面目な彼女らしい意見をいった。
「いい選択がいい結果につながるとは限らないんだよね」
達観したようなことをいうのは七波だった。
ハンディファンは警察に届けることにした。駅前交番を出たとき、空は青と白が半々くらいになっていた。
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