第5話 鮮緑4
「……まずは遅刻について『主人』に代わって謝罪を。そして許されるのなら我々に弁明と挽回の機会を頂きたい」
「それでイリスを救えるというのであれば、いくらでも」
鬼気迫る将軍の言葉に、私は一つ頷いた。
話のわかる男で何より、と。
「そうか。もしかしてだが、キュートスに越して暫くした頃から徐々に病弱が悪化していったんじゃないか?」
「! そうだが……」
何故それを、という顔で将軍が頷く。
「我々はこの療養地(キュートス)に来る前に、神殿の命により、3カ所ほど回ってきたんだ。ご令嬢方が原因不明の体調不良を訴えていてな、伝染病かもしれないと神殿に通報を――」
「おい、まさか伝染病のある地域からまっすぐここまで来たのか!? ここにいるのは弱った子供だぞ! 万が一感染でもしたら……」
「落ち着け……私の言い方が悪かったな。結論から言うと、それは伝染病ではなかった。犯人は『これ』だ」
将軍は初め、それが何であるかを理解できなかった。
見た通りに形容するなら、何やら鮮やかな緑色の紙。けれどそれにうっすらと模様が刻まれているのを見て、それがドレスの布片であることに思い至った。
「どうだ、どこかで見たことがあるような色だとは思わないか?」
「……それは?」
「令嬢方が纏っていたドレス、その一部だ。『伝令の半神』の鑑定の結果、その成分にヒ素が含まれていることが分かった」
「な……! そんな、まさか。だって顔料だぞ!?」
「毒性のある顔料というのは意外にも多いんだ。例えば……あの神殿もそうだ。朱い柱が見えるだろう? あの柱の着色には辰砂――水銀を含む鉱物が用いられている」
指し示した先――山の頂にある太陽神の神殿の朱い柱は、依然として天を穿つようにそこに佇んでいる。
「ご令嬢たちに問い直したところ、これらはいずれも1年以内にベリル商会から取り寄せたものであるらしい。令嬢方が訴えていたのは頭痛、腹痛、吐き気、下痢、咳――どれも風邪や病弱に似通って、ありふれた症状ばかりだ。だから誰もヒ素中毒だとは気付かなかった」
伝令神は同時に錬金術を司る。このため鑑定の腕前は折り紙付きだ。
将軍はそれを痛いほど知っているのだろう、凍りついた表情にこちらも苦しい気分になる。
「もともとこの顔料の原料――通常を『花緑青』は、5年前までは農薬……殺虫剤として用いられていたんだ。だが間もなく使用禁止になった。散布者の体調不良が相次ぎ、結果ヒ素が含まれていることが露見したから。手を変え品を変え、農薬の次は染料か……まったく、毒だと言っているのに」
「な、なんで禁止されたものが今更……」
「……禁止されたのは『農薬』だけだったんだ。顔料として売れば法には触れない。愚かな商人にとっては例え毒であっても魅力的な金のなる木に見えたんだろうな。実際、この1年間でこの緑は飛ぶように売れ、社交界の流行色にまで登りつめた」
将軍の頬に一筋汗が流れる。それは冷や汗ではなく、部屋に籠もった噎せ返る熱気によるものだった。じりじりと熱気が将軍を苛む。
「『花緑青』は、漆喰の劣化による粉塵もあるだろうが……特に、このヒ素はカビの働きで空気に乗るようになる。そのため知らぬ間に吸い込み、体を蝕まれたのではないか――というのが、我々のご令嬢方への見立てだ」
「……では、これも同じものだと……?」
「ッ、そんな馬鹿げた話があるものか!」
瞬間。震える将軍を遮って、ヤニスが大声をあげた。
目を吊り上げた男は迷いなくこちらに歩み寄ると私の胸ぐらを掴む。無まじ上背のある男であるため、私の足が地面から離れるほどだった。
「閣下、これは虚言です! 役立たずの半神(しゅじん)を立てるために根も葉もない戯言を振りまいているに過ぎません。仮にも神に仕える者たちが言いがかりなど、なんと邪悪な連中なのだ、神殿は……! 神威を笠に着て、ベリル商会がまだ興ったばかりの小さな商会だからと侮っているのだろう。多少誹謗中傷しても、金や権力で黙らせられる程度の存在だと!」
「……疑わしいというのならこの場で証明しよう」
「はぁ……?」
わけがわからない、というようにヤニスの私を持ち上げる力が緩んだ。重力に引きずられ、ようやく私は地面に戻される。地面を恋しがっていた足が喜んだような、喜んでないような。
「先ほど、私はこの顔料は5年前に問題になった殺虫剤と同じ成分が使われている、と言ったな。その殺虫剤の問題の成分が何であったか、医者を名乗るものであるのなら覚えているだろう?」
「……ヒ素銅化合物だ」
「そう。『花緑青』にも、そのヒ素銅化合物が含まれている。お前も医者であるのなら、銅は液体アンモニアと反応して変色が起こることは知っているな?」
「あ、ああ。だがここにそんな物は――」
「……それを、用意させればいいんだな?」
そこで、長らく黙りこくっていた将軍がようやく声を上げた。
娘の手を握っていた彼はふらり、とよろめきながら立ち上がる。憔悴しているが、その瞳には確かな意思が宿っていた。
「キュートスの市の錬金術師らに声をかけてこよう。屋敷にはなくとも、彼らなら持っているかもしれない」
「で、ですがっ……閣下直々に向かわれるなど……」
「何か不都合が? ヤニス、お前の見立てが正しければ何ら問題ないのだろう?」
将軍の一瞥にヤニスが芋虫のようにちぢこまる。
ですが、でも、と言い縋っているが先ほどの勢いはなく、将軍を引き止めるに至らない。
将軍が直々に市に向かったあと、部屋の中には私とイリス、そしてヤニスが取り残された。刃物のような視線が刺さるが、イリスの手前滅多なことはできなかったのだろう。何事も起きない、ただ息苦しいだけの沈黙が続いた。
もう間もなくて、小瓶を片手に将軍が戻ってきた。
乱れた髪を直す素振りもなく将軍は私へ小瓶――液体アンモニアを放り投げた。
「それで、どうするんだ?」
「湿らせた小瓶の栓を、顔料に押し当てるだけでいい。壁でも服でも天蓋でも。私の推察が正しければ青色に変色するはずだ」
そう言って、私は天蓋の布を手に取るとぐっと小瓶を押し付けた。
ただそれだけだ。ただそれだけだったが――
「ッ――!?」
誰の声ともとれぬ嗚咽が溢れる。
液体アンモニアと接触した天蓋の鮮やかな緑は、美しい青へと変化した。
「信じ難いか? では、他のものでも試してみるといい」
ぽんっと小瓶を将軍に投げ返す。
それを危なげなく受け取った将軍は壁、天蓋、膝掛け――その一つ一つ押して回った。
その度に緑の中に美しい青の花が咲き乱れる。
「勿論、これで分かるのは銅が入っているか否かだ。毒物が入っているかまではわからん。だが同じ商会、同じ時期、同じ症状、同じ反応。ここまで揃えば、偶然とは言えないと思わないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます