心の健康相談統一ダイヤル ~窓口相談役を勤める私の元に異世界転移勇者さんからの電話が鳴り止みません~

黒岩めぐる

第1話

 ────誰にだって死にたいと思う時はある。


 ピ、プルルルルルルルー…… ガチャッ


「はい、もしもし。こちらは心の健康相談統一ダイヤルです。どうされましたか? 何かお悩み事でしょうか? 私で良ければお話をお聴きしますね」


 広々としたオフィス内のパーティションで区切られた自分専用の個室の中で、お決まりの定型文を返した私は、この5年間長時間椅子に座る仕事をし続けている。


「……えっと、少し変わった話なんですけど聴いてもらえますか?」

「どんなお悩みでも結構ですよ」


 引っ切り無しに掛かってくる事もあれば、1日に数件と、さっぱりと少ない日もあって、そんな日は少しだけ心が穏やかになるのだ。

 ───ああ、今日は皆が青空を見上げながら歩けてるんだなぁって…


「……あ、ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」


 そんな稀にある誰かが「死にたい」と続けて思わない平和な日に、3時の休憩を終えて戻ってきた私の元に掛けてきた相手はいつもとは少し様子が違っていて、遠くの方から大きな動物の咆哮や、想像出来ないほど大きな嘴を持った鳥の鳴き声なんかも聴こえてきた。


「あの、失礼ですが…今はお外にいらっしゃいますか?」

「……え? ええ、良く分かりましたね。今はちょうどSランク専用のダンジョンがある洞窟前から掛けてます」

「はあ…ですか…」


 稀にこんな夢か世迷言を語る相手は実は結構いて、1ヶ月に1度くらいは、自分の事を特別な何かだと勘違いする人は案外少なくない。


「……もしかして異世界に?」

「は、はい! よく分かりましたね!」


 だから私はそんな相手の妄想に付き合ってあげる事も簡単に出来るのだが…

 しかし、どうにも今回の電話相手はいつもと様子が違かった。


「あの、俺はですね。実は世界を救う事を定められた勇者なんですよ!」

「……素晴らしいですね、ですがそんな崇高な使命があるなら、どうしてこんな番号に掛けて来たのです? 悩む暇も無いぐらい忙しいのでは?」

「ぐ……」

「───っと、失礼言い過ぎました」


 あまりにも自信満々に自分を勇者だと話す相手に向かって相談役にあるまじき言葉を発してしまった私は、思わず口を噤む。

 だって今までの人達は必ずどこかには恥じらいや後ろめたさを声色から感じたから、ついつい出過ぎた事を言ってしまったのだ。


「……その、勇者様がどうしてダンジョンに?」

「ダンジョンの最深部にいるボスを倒すと、どんな敵でも切り裂ける最強の武器が手に入るからです」

「……はあ?」


 適当な相槌の最後に疑問符を付け足してしまった私は悪くない。

 およそ20年ぶりぐらいに、小学生の時以来に聞いた「最強」という言葉は、話す相手の声色が大人の男性でなかったならば、即座にイタズラ電話だと判断して切ってしまうようなものだったから…


「でもですね…」

「なんです?」

「でもですね、俺は別に世界なんて救えなくていいんですよ…最強になんてならなくていいんですよ…」


 ───と、急に落ち込んだ声色にシフトチェンジした自称勇者さんは言うのだ。

 私の勝手な想像であるが、誰もが憧れそうな環境に身を置く彼は、言葉を尻すぼみにしてため息を吐くのだ…


「俺はただ異世界で自由に、誰にも縛られる事なく、社会のしがらみから解放されて生きたかっただけなんです」

「実に夢のような生き方ですね、私も憧れてしまいます」

「オペレーターさんも?」

「ええ、恥ずかしながら…誰もいない無人島に住んでみたいなと、夢馳せてしまう事は度々ありますね」

「……そうですか、良かった」

「でも同時に、今の貴方のような生き方にも憧れてしまいますけどね」

「…………」


 剣を握って盾を構えて最強の敵に立ち向かう…

 そんな冒険活劇に憧れてしまう私は、なんの皮肉も込めずそう続けたのだが、それに対して返ってくる言葉は暫くなかった。


「えっと…理想通りとはいかないまでも、十分に羨ましい生き方をしているように感じるのですが…?」

「……現実はそんなに甘いモノじゃないです」

「そうなの…ですか?」

「例えば犬や猫などの動物を殺めなければ生きていけない世界に、突然オペレーターさんが放り出されたとして、即座に順応する事が出来ますか?」

「それは…無理ですね」

「例えば人に近い姿をした理解出来ない言語を話す生物が凶器を持って目の前に現れたとして、オペレーターさんは罪悪感なしに彼等を屠る事が出来ますか?」

「絶対に無理です。即時撤退を遂行します」

「……俺はですね、オペレーターさん。俺はそれが出来なくて、いつだって俺の後ろには傷付いて助けを求める人達がいて、彼等を殺める事でしか未来に進めなかったんですよ」


 ……今度は泣きそうになりながら彼は話す。

 時折、鼻を啜る音がリアルに聴こえてきて、今までの人達のように夢見る世界の住人ではないのかも知れないと、私は肩口ぐらいに揃えた髪の上から付けたインカムに、緊張感を持って耳を澄ました。


「……刺した感触が今でも忘れられない。いくら獰猛とは言え、光を失っていく彼等の瞳が何年経っても頭から離れない。剣を振って英雄気取りに腰に手を当てて笑うなんて、小心者でただの冴えないサラリーマンだった俺に出来る筈がない。鋭く光る牙はどうしたって飼っていたペットを思い出してしまう…」


 その真剣な声に、いつしか相槌を入れる事を忘れていた私は、もしかしたらオペレーター失格かも知れない。

 だけれど彼の声は、頼むから黙って聞いてくれと、誰かに話さなければ壊れてしまいそうなんだと、叫んでるようにも聞こえたのだ。


「……何と戦ってるんだろうと、昨日草原で大きなベアウルフを倒した時に思いました。俺の前で呼吸を浅くさせていく奴を前に、俺はいったい何を守る為に戦っているんだろうと思ってしまいました」


 人は時折、ふと魔が差したように自分自身の存在価値が分からなくなる時がある。


「確かにその行動によって助かる命はある。しかしじゃあ俺自身は? 俺自身の心は誰が守ってくれるんだ? 確かに獰猛で、誰かを傷付けてしまう奴かも知れないけど、彼等を殺してまで生きる価値が俺にはあるのか? 俺以外の誰かが立ち上がればいい話なんじゃないかって…昨日そんな風に思ってしまいました。倒れるべきは俺だったんじゃないかって…」


 今日の相談者のような突飛な世界の出来事までには及ばないまでも、日常生活のふとした瞬間に、「何の為に生きてるんだろうなぁ」と思ってしまう事はよくある話だ。

 例えば料理中の包丁で指を切ってしまった時や、運転中の窓から覗く視界に、学生達が元気に自転車を漕いでいる姿が映った時なんかに…

 ノスタルジックにセンチメンタルに、今の自分がとても情けなく思えてふと…


「……差し出がましいようですが、1つ私からアドバイスをしても宜しいでしょうか?」

「え、ええ…勿論」

「本当は、相談者の方には黙って頷いてあげるのがベストだと、会社の規定では定められているんですけど」


 下手なアドバイスをした後で、「おい、やっぱり人生上手く行かなかったじゃないか」と、クレームの電話が入ったり、何をやっても駄目なんだと、更なる絶望を与えてしまう事も多々あるらしく、私はこれまでそんな会社のルールに素直に頷いて来たのだが、今日の電話相手にはついつい要らぬお節介を焼いてしまったのだ。


「私の好きな言葉なんですけどね」

「はい」

「〝わたしは人生を愛し正義をも愛する。しかし、その両者を共に持つことは出来ぬとしたら、わたしは人生を放棄して正義を選ぶであろう〟という言葉があるんです。発言者は中国戦国時代の儒学思想家『孟子もうし』という方で、哲学の巨星とも呼ばれる方でした」


 幼い時に母を病気で亡くし、父と二人暮らしで、友人や彼氏等の存在が希薄な中で生きてきた私は、暇な時間を読書に充てる事でしか過ごし方を知らなかった。


「貴方は異世界転移勇者さんなんですよね?」

「ええ、まあ…」

「その世界に住まう人々より強い力を与えられた勇者さんなんですよね」

「……はい」

「だったら、立ち上がりましょうよ勇者さん。正義の為に敵を倒し、人々から称賛される未来を目指して胸を張って歩きましょうよ。大丈夫、仮に貴方がそれで他人から謂れのない誹謗中傷を受けた時や、どうしようもなく辛くなった時なんかは、使命を課した神に唾吐いてやればいいんです。『お前のせいで俺はこんな目に遭ってるんだぞ』って、思いっ切り他責してやればいいんですよ。…まあ、そんな酷い未来は来ないと思いますけどね」

「……他責、出来ますかね?」

「自責するより非常に簡単だと思いますよ」


 優しい人間はどうしたって自分を責めてしまう事だけは得意だ。

 仕事中のミスや学校や会社の人間関係においても、当たりの強い相手に対して自分が何か悪かったのかなぁって、ありもしない落ち度を探してしまう。


 悔しい話だけれど、強い人間には勝てない心理を植え付けられて生まれてきてしまうのが、私達人間だ。


「……強くなりましょうよ勇者さん。肉体的にではなく精神的に…何かあったらいつでも私が話をお聞き致しますので」

「そう…ですね。その通りです」


 ……珍しく同調ではなく激励の言葉を掛けてしまった私は、きっとこの時だけは彼の話を信じていたんだろうと思う。

 会社のマニュアル通りに動かず、レールから外れた回答をした私は、もしかしたらこの時だけは同じ異世界に飛んでいたのかも知れない。


「……少し、勇気が出ました」

「そうですか、良かったです」

「頑張って生きてみようって、思えました」

「やっぱり今日は…」

「ええ、心が弱気になってついつい何も持たずに洞窟の中に入るところでした」

「……もう1つ、ご質問しても?」

「はい、なんでしょう?」

「……その、異世界にはスマートフォンもあるのですか?」

「ああ、ははっ自分だけです。自分だけが特別…というかスーツとスマホとタバコだけ持たされて異世界に飛ばされましたからね」

「はあ……?」


 もう1度疑問符を付けて返事をしてしまった私に、電話相手の元サラリーマン年齢不詳の現勇者は、含み笑いを漏らしながら初めて快活な声で答えてくれた。


「───接触事故で電柱に激突して、意識を失いかけてる時に『ああ結局自分は35年間無駄に時間を過ごしただけだったなぁ』って思いながら目を閉じたら、気付いたときには見たことない果物がなる木と、透き通るような湖がある森の中にいたんですよ…周りには魔獣ではなく妖精なんかが飛んでいましてね、本当にあの時は何度自分の頬をつねったか分かりません。確かに異世界を夢見た事はありましたが、まさか本当にって…」


 私より8つ上の相談者は、うそぶく様子なく辛い思い出を笑って話す。

 もしかしたら本当に?なんて勘違いしてしまいそうになるほど、彼の声は誠実さで溢れていた。

 もしかしたら本当に異世界から掛けているんじゃないかって…


「まあ、信じてくれなくても結構です。自分だって貴女の立場だったら同じように疑問符を浮かべてしまいますから…『35歳のオッサンが人類を救う勇者に?』なんて…はははっ」

「35歳はまだ若い方だと思いますよ」

「ええと、社交辞令として受け止めておきま-……ザッザザザ…」

「そんな-…あれ?」


 ───そんな事はないですよ、と伝えようかと思った時に、急なノイズ音の乱入によって会話が止まってしまった。

 異世界にいるらしい彼もそんな電波の不調に気付いたのか、少し焦ったような声で最後に質問してきたのだ。


「ザッザザ-……あ、あの-…」

「はい」

「最後に…お名前をー……」

「……山田花子と申します」

「山田さん…ですか…ザザッ-…また、お話出来たら嬉しいです」

「有難い言葉ですが…こちらとしてはそのような事が無いように願っております」

「あ、そうですね確かにー……ザザザッ…」


 ブツン、トゥー トゥー トゥー トゥー……


 最後はあくまで形式的に、話した様子から下心は微塵も感じられない人物であったが、ごく稀に何かを勘違いしてしまう男性もいる事から、私は本名を偽って答えを述べたのだ。


「ふう……」


(変わった相談者だったなぁ…きっと悪い人ではないんだろうけど…)


 彼の話が本当であるならば、きっと今頃頬を叩いて気合いを入れて、冷たい洞窟の中へ武器を持って、一歩踏み出しているに違いない。

 人類を救う覚悟を持って、そして先に繋がる人生に希望を乗せて、「生きよう」と思って前に進んでくれたに違いない。


「あの-……逆月さかづきさん、交代の時間ですよ」

「え? もうそんな時間ですか?」


 夜勤組の人に声を掛けられて、1時間以上同じ相手と通話していた事実に気付いた私は少しビックリした。

 もしかしたらその間に、別の相談者からの電話が掛かってきていたかもしれないと思ったが特に履歴は無く、平和な時間を過ごしていたらしいオフィス内の人々を見て安心した。


 またいつでも話を聴くと言ったが、窓口は何も私1人だけではない。

 もしかしたら再び彼が電話を掛けてきた時は、別の人間に取り次がれるかも知れない。


「……えと、それじゃあ私はこれで、夜勤頑張ってください」

「ええ、ありがとう。お疲れ様、逆月真昼まひるさん」

「はい、失礼します」


 ───だけれど読書好きな私は、彼の物語がどのように進んだのか気になって、その時の相手は私が良いなあと、窓から見える夜空を見上げながら、自分勝手に思ってしまったのだ。

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