第9話「二つ上の先輩の話」
午後二時、レビューの時間。Zoomを繋いで、田中さんと一対一。
田中さんは優秀な人で、レビューが厳しいことで有名。入社してすぐの頃は、プルリクを出すたびに指摘の嵐だった。
最近は、みんなまずAIに一次レビューを通してから田中さんに回すようになった。明らかな指摘はAIが先に潰してくれる。田中さんのレビュー量も、少し落ち着いてる。
◇
画面共有で、今日書いたコードを見せる。
「ここ、良くなったね」
「ありがとうございます」
「猫のおかげ?」
「……たぶん」
田中さん、笑った。
「わたしもさ、受験生の頃、家で犬飼ってて。犬が足元に寝てると、なんか、勉強集中できたんだよね」
「わかります」
「生き物がそばにいるの、いいよね」
◇
「あのさ」
田中さんが、ふと、声の調子を落とした。
「きみ、去年亡くなった子のこと、覚えてる?」
「……ああ」
頭の中で、顔が、ゆっくり浮かんでくる。
うちの会社では珍しい、女性のエンジニア。二つ上。別チームだった。
廊下で、すれ違うくらい。
きれいな顔の人だった。疲れた顔をしてた。
「俺が配属されて、すぐでしたよね」
「そう」
「あれから、もう、一年」
◇
タマがカウンターの端で、しっぽを一度だけ振った。
「あいつ、わたしのチームだったんだよ」
「知ってます」
「きみ、その後すぐ、こっち呼ばれたでしょ」
「埋め合わせで」
「……それな」
田中さんが、少し笑った。あんまり、笑ってない笑い方。
◇
「その前に、機械学習チームの人がヘルプに入ってくれてさ。それでも回らなくて、きみまで引っ張った」
「あの、一つ上の人ですよね」
「そう。あの人」
「……いまも、来ないんでしたっけ」
「うん。行方不明、のまま」
田中さんが、ふっと息を吐く。
「あの人さ、ヘルプ入ってくれた時、楽しそうだったんだよ」
「楽しそう」
「『たまにはこういう別の仕事もいいですね』って」
言葉が出てこない。画面の隅の自分が、間抜けな顔のまま固まってた。
「だから、何が、なんで、ってのが、ぜんぜん、分かんない」
タマが床で背伸びをした。爪が木目に当たる。レジ裏で、モチが寝返りを打つ気配。
「ま、その話は、またね」
「はい」
◇
「あいつさ、AIで量産するタイプだったんだよ」
聞いたことはある。噂として、それだけ。
「一回だけ、一日二十本PR。あれは、ビビった」
「二十本」
「あれは一度だけ。でも、いつも、十本前後」
「多いですね」
「多いよ。こっちは読むだけで一日終わる」
田中さんが、頬杖をつく。
「まあ、それだけタスク振ってたわたしも、悪いんだけどさ」
そんなことないです、と言いかけて、やめた。言っても軽くなるだけだ。
「『これも担当できる?』って言うと、あいつ、絶対、断らなかった」
「一度も?」
「一度も。淡々と『やります』って」
「嬉しそうとかじゃなく」
「うん。嫌そうとかでもなく。ただ、断らない」
その顔が、なんとなく想像できてしまう。廊下ですれ違ったときの、あの表情のまま。
「で、こなしちゃう」
タマがふぁー、とあくびをした。
「だから、つい、頼んでた。断られないって、頭のどっかにあって」
画面の中の田中さんが、一度、目を伏せた。
「追い込んでた、かな。って、今になって、思うんだよ」
田中さんが、コーヒーを一口飲む。
「負い目、って言うのかな。こういうの」
◇
「わたし、ぶつぶつ言ってたんだよ。『もうちょい、自分の頭で考えろ』って」
言われた側の顔は、知らない。
「でもさ」
「はい」
「あいつ、AIもツールも、誰よりも使いこなしてた」
「……そうなんですか」
「先、行ってたよ。わたしなんかより、ずっと」
田中さんが、画面の向こうで、ちょっと窓の外を見る。
「新しいの出ると、まず、あいつが試して。試して、共有して。ワークフローまで組んじゃう」
「すごい」
「すごかった。本当に」
少しだけ、笑った。
◇
「若い子がAIを使いこなすの、本当は、すごくいいことなんだよ」
「はい」
「ただ、たまに、思ってた」
「はい」
「あいつ、走りすぎじゃないかって。考える時間も、休む時間も、削ってんじゃないかって」
自分もたぶん、まあまあ削ってる。言わないでおいた。
「わたし、それを、『自分の頭で考えろ』って、言葉で、誤魔化してた。老害ってやつかな」
タマがゆっくり、こっちの足元に降りてきた。
「本当はもっと、ちゃんと、心配しとけばよかった」
「……老害って年じゃ、ないでしょう」
「年の問題じゃなくてさ」
「言葉だけ聞けば、たしかに、ちょっとそれっぽいですけど」
「ぽいんだ」
「でも、田中さんの『考えろ』って、レビューのあれですよね。ここの意図は?とか。この設計、先々もつ?とか」
画面の向こうで、田中さんが少し黙った。
「俺、配属されてすぐの頃、指摘の嵐をくらってたんで、わかります。あれ、突き放しじゃないです。全部読んだ上で、考えさせにきてる」
「……そう見えてた?」
「はい。だから、誤魔化してたんじゃなくて。レビューの形で、ずっと言ってたんだと思います。ちゃんと考えてほしいって」
田中さん、ぽかんとしてから、
「きみ、急に踏み込んできたね」
「すみません」
「いや、いいよ」
田中さんが、ふっと、息だけで笑った。
◇
「実際さ、レビューでのやりとりは、楽しかったんだよ」
さっきまでの声より、少しだけ軽くなった。
「負けじと突っ込んで、あいつもやり返してきて」
「お互い、譲らないで」
「うん」
「あの時間が、結構、好きだった」
タマがふくらはぎに頭を押し付けてきた。撫でる。ゴロゴロが小さく聞こえる。
田中さんは、それきり、何も言わなかった。
◇
話が一段落して、田中さんがカメラ越しにこっちを見た。
「きみ、最近ちょっと顔色いいよね」
「そうですか?」
「うん。前は死んだ顔してた」
「失礼な」
「こっちから見たらそうだったの。まあ、環境変えたから?」
「……かも」
田中さんは満足そうに頷いて、レビューを続けた。
◇
夕方近く。作業がひと段落。
伸びをする。タマがいつの間にかカウンターに戻ってる。トラはあおいが夕方来たら構ってもらえるんだろうな、とでも思ってるのか、入り口近くをうろうろしてる。
しずくは相変わらず本を読んでる。クロは熟睡中。
そういえば、あおいもしずくも、前は朝に来ることが多かった。あおいは朝練の前、しずくは午前が空いてる日。みんな、朝に集まるのが、なんとなく普通だった。
それが最近は、大学のあと、夕方にもまた寄っていく。なんでだろう、とは、あんまり考えなかった。
「お疲れさま」
のどかがカウンター越しに言った。
「今日、ちゃんと仕事になった?」
「まあ」
「集中できてた?」
「うん、意外と」
「ほらね」
◇
「明日は出社なんだよね」
「うん。週一だけ」
「えー、明日は会えないのかあ。何時くらいに帰れるの?」
「……たぶん終電」
「え」
「週一だから、その日に詰め込むことになって。気づくと終電ぎりぎり」
「逆に大変じゃん」
「古い癖、抜けなくて」
そう言ってから、あれ、と思った。
このところ、ここで進めてる分が、思ったより溜まってない。出社日に片づける山も、前ほど高くない気がする。
「……いや。明日は、案外、終電前に帰れるかも」
「どっちなのよ」
「わかんない。けど、たぶん、前よりは早い」
のどか、カウンターに頬杖をついてる。
「あとさ、うちの店主、お兄さんのこと気になってるって」
「え」
「『いつも朝から夕方までいる人、誰?』って聞かれた」
「……怪しい客じゃん、俺」
「違う違う、良い意味で」
のどかが、にこっと笑った。
◇
PCをしまって、バックパックに詰めた。
「お会計」
「はーい。コーヒー三杯とパスタで、千八百円」
会計しながら、しずくと目が合った。しずくが、ぺこ、とお辞儀した。クロは寝てる。
あおいがちょうど入ってきた。
「お兄さん、もう帰るところ? 残念、来るの遅かった!」
「明日出社だから、今日帰るよ。朝起きれないと困る」
「えー、出社の日、いつも遅いんでしょ」
「……よく知ってるね」
「のどかから聞いた」
◇
「明後日また来る」
「絶対だよ」
あおい、腕をぐっと掴んできた。離さない感じ。トラが足元で嬉しそうに鳴いた。
◇
外に出る。夕方。
Lo-fiが頭の中で鳴ってる。
朝から夕方までここにいるのが、いつのまにか当たり前になってた。店主に覚えられるわけだ。猫に邪魔されながら、ちゃんと、仕事になってる。
田中さんの「顔色いい」という言葉が、なんとなく頭の中に残ってた。
◇
家に戻って、シャワー浴びて、ベッドに倒れ込む。
いつもより、眠れそうな気がした。
まあ、いっか。
◇
つづく
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