第8話「リモートワーク」
在宅の日。今日は朝から、腹をくくってカフェに来た。
バックパックにノートPC。電源アダプタ。ヘッドセット。マウス。小さなキーボード。
本格装備。
リモートが解禁されて、在宅で働けるようになった。ありがたい制度だ。
でも、家で仕事できないタイプの人間がそこそこいる。自分もその一人。半年間、在宅の日は苦戦してきた。
今日、初めて、一日中カフェで仕事をする予定。
◇
カランコロン。
「あ、今日は気合入ってるね」
のどかがカウンター越しに笑った。タマがカウンターの上で、こっちに目を細めた。レジ裏でモチの白黒の尻尾が揺れる。クロは窓際でしずく待ち。トラはあおいが来るまで、奥でじゃらしを噛んでる。
「うん。今日はここでずっと働く」
「やった。電源、テーブル席のあそこね」
指差された席は、店の奥寄り。窓から離れてるけど、ちょっと広めのテーブル。
奥の壁を背にして座る。画面が、店のほうを向かない角度。後ろを通られても、コードは見えない。会社のものだから、そこは、いつも気をつけてる。
◇
PCを広げる。電源を繋ぐ。Wi-Fi接続。
ヘッドセットを耳にかける。マイクは指向性のノイズキャンセル。自分の声を中心に拾うから、店のざわめきは、会議に入らない。……まあ、猫が近くで鳴けば、たまに拾うけど。会議の音も、外には漏れない。
カメラは、ほかのお客さんが映らない向きに。背景はバーチャル背景で、店内も、後ろの席も映さない。……ただ、猫だけは別。手前にいるから、背景を突き抜けて、しっかり映る。まあ、猫は、いい。バーチャル背景は、近くで動くものには、意外と弱いらしい。
声も、落とす。カフェで働くなら、そこは基本。
Slackを開く。朝のスタンドアップが始まる前に、通知を整理。
タマがテーブルに飛び乗ってきた。
「おい」
「タマ、ダメ!」
のどかが走ってきたけど、タマはすでにキーボードの上に座ってた。
◇
「どけない」
「重い」
「ごめん、タマ、そこお気に入りみたい。あったかいから」
「あったかいから座るの?」
「PCの排気とか好き」
なるほど。合理的な猫だ。
◇
しずくが窓際から、くすっと笑った。
「お兄さん、やられましたね」
「どう思う、これ」
「クロも、本の上に座るから気持ちわかります」
「プロだな」
しずくはクロを抱き上げて、ページの上から退かした。慣れた動作。
◇
どかすのは、諦めた。
バックパックから、外付けのキーボードとマウスを出す。本体は奥に押しやって、画面だけ使う。手前に、外付けを並べる。
これで、困らない。むしろ、こっちのほうが打ちやすい。
タマは、本体のキーボードの上で丸くなった。追い出されると思ってたのか、一度だけこっちを見上げてから、前足を折りたたむ。香箱座り。
「動かさないんだ」
のどかが言った。
「動かないから」
「そういうことにしとくね」
◇
スタンドアップ開始。Zoomが立ち上がる。
カメラオン。田中さんと他のメンバー四人の顔が並ぶ。
「おはようございまーす」
「おはよう」
「おはようございます」
田中さんが、おや、という顔になった。
「あ、今日カフェ?」
「はい」
「この前、猫がいるカフェって言ってたやつ?」
◇
そのタイミングで、タマが顔を上げた。
本体のキーボードの上。カメラの、すぐ下。画面に、三毛柄の顔がどーんと映った。
「わあ」
他のメンバーが笑った。
「かわいい」
「バーチャル背景なのに、猫だけくっきり出てる」
「これ、社内配信してもいい?」
「ダメです」
◇
「朝から癒されるね」
田中さんが言った。
「それで、今日のタスクは」
スタンドアップが始まる。普通に。タマが本体のキーボードの上で寝返りを打つけど、動じず進捗を話す。手元の外付けは、止めない。
終わってから、田中さんが最後に一言。
「猫、邪魔しない?」
「まあ、します」
「いいね、それ」
◇
ミーティングが終わる。タマは、まだ本体のキーボードの上にいる。
「猫が乗ってる状態で話してたけど、意外と集中できた」
しずくが窓際から、
「猫は集中の邪魔をしません。思考の邪魔をします」
「どういう意味」
「余計なことを考えなくなるんです。いいことだけ、考えられる」
「……わかる気がする」
◇
コーヒーが運ばれてきた。のどかが自分のも持ってきて、向かいに座った。
「今日の豆、ちょっといいやつ。店主が焙煎したの、こっそり多めに挽いた」
得意げに言う。のどかも、コーヒーには、それなりにうるさい。
言われないと、違いはわからない。でも、言われると、いつもよりうまい気がする。単純だ。
「お兄さん、今日ずっとここ?」
「うん」
「嬉しい。話し相手いっぱいいる」
「仕事するんで、話しかけないで」
「ちぇ」
のどかが頬を膨らませる。でも、ちゃんとカウンターに戻っていった。たぶん、暇な時間帯だけ話すつもりらしい。
◇
コードを書く。実装中のAPI。要件を整理して、AIに投げる。
「にゃんにゃん、始まったのです」
しずくが窓際から、首をかしげた。
「今の、なんですか」
「AIのコーディングエージェントの開始音」
「しゃべった……猫っぽい」
「ニャンだもんって言うの。ずんだもんの猫版」
しずくが、小さく「ふふっ」と笑った。めずらしい。クロも膝の上で耳を動かした。
◇
AIが走ってる間、こっちは手が空く。待ち時間は五分〜十五分くらい。
その間にテスト走らせたり、別のタスクの準備したり、コーヒー飲んだり、猫撫でたり。
タマが本体のキーボードから降りて、手前に移動してきた。よりによって、外付けのマウスの上で寝転がる。
マウスが動かない。
「タマ、そっちは、いる」
軽く押してみる。タマは重力で抵抗した。てこでも動かない、という顔で、こっちを見上げてくる。
……まあ、いいか。
本体のトラックパッドに指を移す。奥に押しやったぶん、少し手を伸ばすことになる。マウスほど速くはない。でも、使えないわけじゃない。二本指でスクロール。三本指で切り替え。学生の頃は、ずっとこれでやってた。
猫一匹に、二回、場所を譲ったことになる。
そのタイミングで、
「完了したのです」
「もう終わったの、今の」
のどかがカウンターから叫んだ。
「うん、最近のAI速い」
「速すぎない?」
「そう。怖いくらい」
◇
しばらくして、トラが奥から走ってきた。
じゃらし咥えてる。
「投げて、っていう顔してる」
のどかが遠くから言う。
「仕事中」
トラはテーブルの脚をがりがり始めた。「投げろ」と。
仕方なくじゃらしを手に取って、カフェの奥に向かって投げた。トラが追いかける。
少しして、またトラがじゃらしを咥えて戻ってきた。
「犬みたい」
「猫のほうが犬に近いときある」
◇
昼前。のどかがランチを出してくれた。
「今日はパスタ。ニンニク使ってない、オリーブオイルとバジルのやつ。塩は控えめ」
「うまそう」
「でしょ」
食べる。シンプルだけど、しっかり美味しい。
しずくも同じパスタを食べてる。あおいは今日は練習。
◇
食後、またコードを書く。
一時間くらいで、実装でハマった。
画面を睨みながら、考え込む。
そのあいだに、タマがマウスから降りた。
今度は、本体の奥。排気口の上。
AIを回しっぱなしにしてると、あそこがいちばんあたたかくなる。半日かけて、この席でいちばんいい場所に、自分で辿り着いたらしい。
キーボードも、マウスも、空いた。
結局、一度も退かしてない。
◇
空いたマウスに、手を戻す。
半日かけて、猫は正解に着いた。こっちは、まだ着いてない。
もう一度、頭から追う。データの流れ。呼ばれる順番。どこで絡まってるのか。
「……そうか、ここ、分離すればいいのか」
ぼそっと呟いた。
排気口の上で、タマの耳が、ぴくっと動いた。
◇
つづく
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