第5話「カフェで働く、はじめて」

バックパックからノートPCを出す。電源を探す。テーブル席のコンセントに繋ぐ。


店のWi-Fiパスワードは、カウンター脇に小さく貼ってあった。「lofi_wifi_2022」。ベタな名前。


Slackを開く。未読いくつか。田中さんから「おはよー」。


「おはようございます」と返す。



「ちゃんと仕事してるね」


のどかが後ろから覗き込んできた。


「覗かないで」


「Slackってやつ?」


「そう」


「田中さんって誰」


「先輩」


「へー。仲いいの」


「まあ、普通」


のどか、何度か画面を覗いてから、カウンターに戻っていった。タマはこっちの足元に落ち着いて、前足を折りたたんで座った。香箱座り、というやつ。


しずくは、いない。クロは奥のキャットタワーで、丸まって寝てる。あおいは練習中。トラは、奥でじゃらしを一人でくわえて、振り回してた。誰もいない遊び。



コードレビュー。差分を眺めて、コメント書く。


いつもなら、家のソファで、半分寝転がってやってる作業。


ここでやると、背筋が伸びる気がする。



レビュー終わり。次は実装。


今のチームはAIのコーディングエージェントを前提に仕事を組み立ててる。タスクの要件をまとめて、エージェントに投げる。数分から十数分、AIが走ってる間は、こっちは手が空く。


走らせた。進捗ログがちょろちょろ流れ始める。


PCのスピーカーから、ちょっと間の抜けた声。


「にゃんにゃん、始まったのです」



「え」


のどかがカウンター越しに振り向いた。


「なに今の」


「AIの開始音」


「開始音?」


「うちのコーディングエージェント、フック機能ってのがあって。ツール使うとき、終わるとき、通知が来たときとか、それぞれにスクリプト仕込める」


「すくりぷと」


「俺、フックごとにディレクトリ作って、ニャンだもんが喋った音声ファイルをいっぱい置いてある。スクリプトでランダムに一個選んで再生するようにしてる」


「かわいい声だったけど」


「ずんだもんの猫版。ニャンだもん、って名前」


「なにそれ」


のどかが近寄ってくる。興味津々。



「ずんだもんはわかる?」


「ずんだ餅? 仙台の……」


「枝豆の餅じゃなくて。音声合成のキャラ」


「ああ、YouTubeとかで聞くやつ」


「あれの猫版」


のどかが「ふーん」と言いながら、PCの隣にしゃがんだ。タマも近づいてくる。



五分後、画面のAIが処理を終えた。


PCのスピーカー。


「完了したのです」


ちょっと舌足らずな猫声。


「!」


のどかが目を輝かせた。


「もう一回」


「もう一回は無理」


「なんで」


「処理が終わったときしか鳴らない。ランダムでいろんな台詞が出る設定」


「レパートリーあるの?」


「十個くらい。『完了したのです』『終わったのです』『見てほしいのです』」


「ぜんぶ聞きたい」


「仕事の邪魔しないで」



のどかは諦めて、キッチンに戻っていった。でもちょっと機嫌よさそうに鼻歌を歌ってる。


AIが出してきた差分を読む。そこそこ出来てる。でも数箇所、意図と違う。コメントを付けて、やり直しを指示。


また走り出す。


「にゃんにゃん、始まったのです」


タマが耳を動かした。ニャンだもんとタマが会話してる風。



しばらくして、のどかが向かいに座ってきた。


「お兄さん、お腹空いてない?」


「まあ」


「ランチ作ってあげる。今日は客少ないし」


「大丈夫なの?」


「店主、昼からだから。わたしが決めていい」


のどか、キッチンに入っていった。エプロンの背中。腰のリボンが揺れてる。



しばらくして、サンドイッチとスープが出てきた。


「どうぞ。玉ねぎ抜きの、鶏ハムサンド。スープはコンソメじゃなくて、鶏だし」


「……ありがとう」


「バイト中だけど、今日は特別」


のどかもサンドイッチ食べながら、向かいに座る。タマがテーブルの下で、膝に頭を押し付けてきた。



「美味しい」


「でしょ? わたし、料理好きなの」


「知ってる。だし巻き、見てたから」


「話すの好きだけど、手も動かすんだよ」


のどかが笑う。スープの湯気の向こうに、笑った顔。



食べ終わって、作業に戻った。のどかはカウンターに戻って、客がぽつぽつ来る対応をする。


タマはこっちの足元で寝てる。モチはいつの間にか移動してて、テーブルの端で小さく丸まってる。


AIに別のタスクを投げる。


「にゃんにゃん、始まったのです」


のどかがカウンター越しに、にまっと笑った。もうこの鳴き声に反応するのが楽しくなってる。



待ち時間、ぼんやり窓の外を見る。AIが走ってる間、手が空く。これが在宅の日だと、手持ち無沙汰で寝てしまったり、SNS開いて三十分溶かしたりする。


ここだと、タマがいる。のどかがいる。窓がある。


だから、待ち時間が、いい時間になる。



午後二時。PCから通知音。


カレンダーのリマインダー。「田中さん 1on1」。


「え」


「え、って?」


カウンターから、のどかが顔を上げた。


「忘れてた。会議、今じゃん」


「入るの?」


「入るしかないでしょ」



慌ててヘッドセットを取り出す。Zoomのリンクをクリック。田中さんの顔が映った。


「あ、お疲れー」


「お疲れさまです」


「あれ? 背景、いつもと違うじゃん」


しまった。慌ててたから、バーチャル背景、設定し忘れてた。後ろの壁と、窓の外が、丸見え。


「あ、いや、ちょっと、カフェで」


「カフェ? ヘー、きみそういうタイプだっけ」


田中さん、面白そうにこっちを見てる。



「そっち、猫の鳴き声しない?」


「え」


足元で、タマが「にゃー」と鳴いた。


田中さんが吹き出した。


「やっぱ猫いるじゃん」


「猫がいるカフェなんです」


「猫カフェ?」


「猫カフェっていうか、猫がいるカフェ。飲食メインで」


「へー。今度行きたい」



1on1はいつも通りの内容。進捗。困ってること。雑談。


途中、タマがカウンターの上から見下ろしてきた。「お前、誰と話してるの」という顔。


「かわいいね、その猫」


田中さんが画面越しに言った。


「カメラに入ってました?」


「入ってる。堂々と」


タマは気にしてない。ふぁー、とあくびをした。



会議終わり。ヘッドセットを外す。


のどかが、にやにやしながら近づいてきた。


「タマ、田中さんに紹介してもらっちゃったね」


「聞こえてた?」


「お兄さんの声とタマの鳴き声しか聞こえなかった。でも田中さん、良い人そうだね」


「まあ」


「お兄さんがちゃんと『社会人』って顔してた」


「めっちゃ見られていた」



午後は、思ったより進んだ。


AIに投げて、待って、戻ってきたものを直して、また投げる。待ち時間に猫を撫でて、のどかと二言三言。家で一人でやってたら、たぶん半分も終わってない。


気づくと、窓の光の色が変わってた。



夕方近く。


店が混み始めた。のどかは忙しそう。店主も来てた。初めて見た。四十代くらいの男の人。のどかの倍くらい落ち着いてる。


作業を切り上げて、PCを閉じた。


「お会計」


「もうあがり?」


「まだ仕事は残ってるけど、家でやる」


「えー、ここで完結させればいいのに」


「次からそうするかも」


のどかの顔が、ぱっと明るくなった。



外に出る。夕方。街にネオンが点き始めてる。


家に戻って、PCを開く。田中さんから短いDM。「猫カフェ、良いね」。


「たまに気分変えたくて」と打った。


画面の外は静かなのに、耳の奥では、まだレコードの針が回ってる気がした。


まあ、ここでも仕事できるんだな、と思った。



つづく、かも

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Cafe lo-fi 〜猫がいるカフェ〜 三五六九十 @fizzbuzz

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