第5話「カフェで働く、はじめて」

バックパックからノートPCを出す。電源を探す。テーブル席のコンセントに繋ぐ。


店のWi-Fiパスワードは、カウンター脇に小さく貼ってあった。「lofi_wifi_2022」。ベタな名前。


Slackを開く。未読いくつか。田中さんから「おはよー」。


「おはようございます」と返す。


◇


「ちゃんと仕事してるね」


のどかが後ろから覗き込んできた。


「覗かないで」


「Slackってやつ?」


「そう」


「田中さんって誰」


「先輩」


「へー。仲いいの」


「まあ、普通」


のどか、何度か画面を覗いてから、カウンターに戻っていった。タマはこっちの足元に落ち着いて、前足を折りたたんで座った。香箱座り、というやつ。


しずくは、いない。クロは奥のキャットタワーで、丸まって寝てる。あおいは合宿。トラは、奥でじゃらしを一人でくわえて、振り回してた。誰もいない遊び。


◇


コードレビュー。差分を眺めて、コメント書く。


いつもなら、家のソファで、半分寝転がってやってる作業。


ここでやると、背筋が伸びる気がする。


◇


レビュー終わり。次は実装。


今のチームはAIのコーディングエージェントを前提に仕事を組み立ててる。タスクの要件をまとめて、エージェントに投げる。数分から十数分、AIが走ってる間は、こっちは手が空く。


走らせた。進捗ログがちょろちょろ流れ始める。


PCのスピーカーから、ちょっと間の抜けた声。


「にゃんにゃん、始まったのです」


◇


「え」


のどかがカウンター越しに振り向いた。


「なに今の」


「AIの開始音」


「開始音?」


「うちのコーディングエージェント、フック機能ってのがあって。ツール使うとき、終わるとき、通知が来たときとか、それぞれにスクリプト仕込める」


「すくりぷと」


「俺、フックごとにディレクトリ作って、ニャンだもんが喋った音声ファイルをいっぱい置いてある。スクリプトでランダムに一個選んで再生するようにしてる」


「かわいい声だったけど」


「ずんだもんの猫版。ニャンだもん、って名前」


「なにそれ」


のどかが近寄ってくる。興味津々。


◇


「ずんだもんはわかる?」


「ずんだ餅? 仙台の……」


「枝豆の餅じゃなくて。音声合成のキャラ」


「ああ、YouTubeとかで聞くやつ」


「あれの猫版」


のどかが「ふーん」と言いながら、PCの隣にしゃがんだ。タマも近づいてくる。


◇


五分後、画面のAIが処理を終えた。


PCのスピーカー。


「完了したのです」


ちょっと舌足らずな猫声。


「!」


のどかが目を輝かせた。


「もう一回」


「もう一回は無理」


「なんで」


「処理が終わったときしか鳴らない。ランダムでいろんな台詞が出る設定」


「レパートリーあるの?」


「十個くらい。『完了したのです』『終わったのです』『見てほしいのです』」


「ぜんぶ聞きたい」


「仕事の邪魔しないで」


◇


のどかは諦めて、キッチンに戻っていった。でもちょっと機嫌よさそうに鼻歌を歌ってる。


AIが出してきた差分を読む。そこそこ出来てる。でも数箇所、意図と違う。コメントを付けて、やり直しを指示。


また走り出す。


「にゃんにゃん、始まったのです」


タマが耳を動かした。ニャンだもんとタマが会話してる風。


◇


しばらくして、のどかが向かいに座ってきた。


「お兄さん、お腹空いてない?」


「まあ」


「ランチ作ってあげる。今日は客少ないし」


「大丈夫なの?」


「店主、昼からだから。わたしが決めていい」


のどか、キッチンに入っていった。エプロンの背中。腰のリボンが揺れてる。


◇


しばらくして、サンドイッチとスープが出てきた。


「どうぞ。玉ねぎ抜きの、鶏ハムサンド。スープはコンソメじゃなくて、鶏だし」


「……ありがとう」


「バイト中だけど、今日は特別」


のどかもサンドイッチ食べながら、向かいに座る。タマがテーブルの下で、膝に頭を押し付けてきた。


◇


「美味しい」


「でしょ? わたし、料理好きなの」


「知ってる。だし巻き、見てたから」


「話すの好きだけど、手も動かすんだよ」


のどかが笑う。スープの湯気の向こうに、笑った顔。


◇


食べ終わって、作業に戻った。のどかはカウンターに戻って、客がぽつぽつ来る対応をする。


タマはこっちの足元で寝てる。モチはいつの間にか移動してて、テーブルの端で小さく丸まってる。


AIに別のタスクを投げる。


「にゃんにゃん、始まったのです」


のどかがカウンター越しに、にまっと笑った。もうこの鳴き声に反応するのが楽しくなってる。


◇


待ち時間、ぼんやり窓の外を見る。AIが走ってる間、手が空く。これが在宅の日だと、手持ち無沙汰で寝てしまったり、SNS開いて三十分溶かしたりする。


ここだと、タマがいる。のどかがいる。窓がある。


だから、待ち時間が、いい時間になる。


◇


午後二時。PCから通知音。


カレンダーのリマインダー。「田中さん 1on1」。


「え」


「え、って?」


カウンターから、のどかが顔を上げた。


「忘れてた。会議、今じゃん」


「入るの?」


「入るしかないでしょ」


◇


慌ててヘッドセットを取り出す。Zoomのリンクをクリック。田中さんの顔が映った。


「あ、お疲れー」


「お疲れさまです」


「あれ? 背景、いつもと違うじゃん」


しまった。慌ててたから、バーチャル背景、設定し忘れてた。後ろの壁と、窓の外が、丸見え。


「あ、いや、ちょっと、カフェで」


「カフェ? ヘー、きみそういうタイプだっけ」


田中さん、面白そうにこっちを見てる。


◇


「そっち、猫の鳴き声しない?」


「え」


足元で、タマが「にゃー」と鳴いた。


田中さんが吹き出した。


「やっぱ猫いるじゃん」


「猫がいるカフェなんです」


「猫カフェ?」


「猫カフェっていうか、猫がいるカフェ。飲食メインで」


「へー。今度行きたい」


◇


1on1はいつも通りの内容。進捗。困ってること。雑談。


途中、タマがカウンターの上から見下ろしてきた。「お前、誰と話してるの」という顔。


「かわいいね、その猫」


田中さんが画面越しに言った。


「カメラに入ってました?」


「入ってる。堂々と」


タマは気にしてない。ふぁー、とあくびをした。


◇


会議終わり。ヘッドセットを外す。


のどかが、にやにやしながら近づいてきた。


「タマ、田中さんに紹介してもらっちゃったね」


「聞こえてた?」


「お兄さんの声とタマの鳴き声しか聞こえなかった。でも田中さん、良い人そうだね」


「まあ」


「お兄さんがちゃんと『社会人』って顔してた」


「めっちゃ見られていた」


◇


午後は、思ったより進んだ。


AIに投げて、待って、戻ってきたものを直して、また投げる。待ち時間に猫を撫でて、のどかと二言三言。家で一人でやってたら、たぶん半分も終わってない。


気づくと、窓の光の色が変わってた。


◇


夕方近く。


店が混み始めた。のどかは忙しそう。店主も来てた。初めて見た。四十代くらいの男の人。のどかの倍くらい落ち着いてる。


作業を切り上げて、PCを閉じた。


「お会計」


「もうあがり?」


「まだ仕事は残ってるけど、家でやる」


「えー、ここで完結させればいいのに」


「次からそうするかも」


のどかの顔が、ぱっと明るくなった。


◇


外に出る。夕方。街にネオンが点き始めてる。


家に戻って、PCを開く。田中さんから短いDM。「猫カフェ、良いね」。


「たまに気分変えたくて」と打った。


画面の外は静かなのに、耳の奥では、まだレコードの針が回ってる気がした。


まあ、ここでも仕事できるんだな、と思った。


◇


つづく、かも

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