第4話「厨房と三毛猫」
今日は珍しく店が空いてた。
在宅の日。会議は午後の遅い時間に一本だけ。
しずくは風邪で休み。あおいは合宿。カフェには自分とのどかと、タマとモチだけ。
「なんか寂しいね」
のどかがカウンター越しに言った。ココアを作りながら。自分の分。マシュマロを浮かべてる。
◇
タマがカウンターに寝そべってる。モチはレジ裏でうたた寝。クロとトラは、今日は奥の休憩スペースにいるらしい。猫にも非番の日がある。
客が来ない朝は、しんとしてる。窓から、朝の光。Lo-fiが、いつもより大きく聞こえる。誰もいないと、音楽が、店いっぱいに広がる。
「お兄さん、今日どんな感じ?」
「朝ごはん食べて、ちょっとぼんやりして、帰る予定」
「帰るの? もったいないよ」
「なんで」
「暇なら、ここで仕事しなよ。暇だから、構ってあげる」
「構われても困る」
◇
のどかがカウンターから出てきて、向かいのスツールに座った。
「お客さん一人だし、こっちで接客するね」
「座って話すだけでしょ、それ」
「話し相手も接客のうちなの」
「店主に怒られない?」
「怒られないよ、お客さんの相手も仕事のうちだもん。そもそも店主は午後から。午前はわたし一人なの」
タマがのどかのエプロンに鼻を近づけて、くんくん嗅いでる。ミルクの匂いがしてるんだろう。
◇
「ねえ、お兄さんさ」
「ん」
「いつも疲れた顔してるよね」
「そう?」
「目の下のクマすごいもん」
遠慮ない。でも責めてる感じじゃない。
「仕事、楽しい?」
答えが、すぐには出てこなかった。ココアの湯気が、のどかの顔の前でゆれてる。
◇
「楽しくないんだ」
「そういうわけじゃ……」
「でも楽しいとは言えないでしょ」
のどか、ココアを一口飲む。マシュマロがちょっと鼻についた。舌でぺろっと取る。
「わたしね、楽しくないことはやらない主義なの」
「贅沢だね」
「そう?」
◇
「でもさ、楽しくないことやり続けて、何が残るの」
「お金とか、生活とか」
「それだけ?」
タマがカウンターの上で、寝返りを打った。返事をごまかすには、ちょうどいいタイミングだった。
「寂しくない?」
◇
「……寂しいかも」
「だよね」
のどか、あっさり頷いた。タマが、のどかの腕にすり寄って、今度はこっちのほうに移動してくる。カウンターの上をのそのそ。
「タマ、モテモテ」
「こいつ全員に平等だよ」
「それ、モテるって言うの」
のどかが笑って、それから、ちょっと黙った。黙ってるのが落ち着かないらしく、すぐまた口を開く。
「わたし、話すのが好きなの」
「知ってる」
「ここのバイト、飲食も好きだけど、人と話せるのが一番いい」
カウンターを指でトン、と叩く。
「彼氏にもよく言われる。しゃべりすぎって。もうちょい落ち着いたほうがいいって」
◇
「でもさ、話すって大事だと思うんだよね」
「……うん」
「お兄さんは否定しないんだね」
「別に、人それぞれだし」
◇
のどかが嬉しそうに笑った。顔が近い。タマがその顔の横で、尻尾をぱたんと振った。
「お兄さんと話すと、楽だね」
「え」
「何も押し付けてこないから」
◇
「お兄さん、朝ごはん、ちゃんと食べた?」
「コーヒーだけ」
「だめだよ、それ」
のどかが、ふと立ち上がった。
「はい、朝ごはん、おまかせで一名様」
「え、頼んでないけど」
「いま取ったの、ご注文」
そう言って、キッチンに入っていく。エプロンの紐を、きゅっと結び直す。
冷蔵庫を開けて、卵と、だしと、小松菜を取り出す。
フライパンを火にかける。油を薄くひく。じゅう、と小さな音。溶いた卵を流し込むと、ふわっと湯気が立った。
菜箸で、手前から、くるくると巻いていく。危なげない手つき。だし巻き玉子だ。
「お兄さん、料理はするの?」
「しない。コンビニと、外食ばっかり」
「ええー、もったいない」
「作れないんだよ。やろうと思ったことも、ない」
「コーヒーと一緒だね。なんでもいい人」
図星だった。
◇
隣のコンロでは、鍋がことこと鳴ってる。味噌汁の匂いが、ふわりと流れてくる。だしと、味噌と、なにか青いもの。
タマが、匂いにつられて、カウンターの端まで来た。鼻を、ひくひくさせてる。でも、そこから先へは来ない。厨房の入り口には、猫脱走防止の、背の高い扉。飛び越えられないし、自分じゃ開けられない。のどかが通るときだけ開けて、すぐ閉める。猫が入れるのは、この手前まで。飲食店だから、そこは、きっちり分けてある。
「だめだよ、タマ。味見は、お兄さんが先」
「わたしね、料理してるときが、いちばん無心になれるの」
「無心」
「余計なこと、考えない。焼けてく音とか、煮える匂いとか。それだけ見てればいいから」
あおいの、走る話を思い出した。あの子も、似たようなことを言ってた。走ってると、足音だけになるって。
「みんな、なにか、そういうのが、あるんだ」
「お兄さんは?」
「……ないかも」
「じゃあ、探せばいいじゃん。ゆっくり」
のどかが、だし巻きを皿に移す。切り分けると、断面から、じわっと、だしが滲んだ。
◇
「はい、味見」
差し出された一切れを、口に入れる。
あたたかい。だしの味が、じんわり広がる。甘くて、やさしい。
「うまい」
「でしょ。お味噌汁も、飲む?」
小さなお椀に、よそってくれる。ひとくち。からだの芯が、じんわりあたたまる。
「……しみる」
「朝は、これだよ」
のどかが、得意げに笑った。
「楽しいことしてると、こういうの、自然と上手くなるんだよ」
◇
「うちの料理、ぜんぶ、猫が舐めても平気なやつなんだ」
「玉ねぎとか、使わないってやつ」
「そう。だしと、野菜と、卵。地味でしょ。でも、地味なのが、いちばん飽きないんだよ」
地味なのが、飽きない。
なんか、この店の、ぜんぶに通じる気がした。
◇
「ねえ、お兄さん。仕事って、具体的に何してるの?」
「バックエンド。API書いたり、データベース触ったり」
「わかんないけど、すごそう」
「別にすごくない」
「すごいよ。わたし、コードなんて一行も書けないもん」
タマがこっちの手の下に頭を突っ込んできた。撫でろ、という意思表示らしい。撫でる。ゴロゴロ言い始めた。
◇
「ねえ、お兄さん」
「ん」
「今日、ここで仕事してみなよ」
「……今日?」
「うん。どうせ帰ってもだらだらするんでしょ」
見抜かれてる。
「Wi-Fiあるし、電源もある。コーヒーもおかわり出すし」
「猫が邪魔しない?」
「するよ、絶対」
のどか、にやっと笑った。
「でもさ、家で一人でやるより、マシじゃない?」
◇
家で一人でやる。この半年、何度やってもうまくいかなかったやつ。
リモートはありがたい制度。でも自分には合ってなかった。家だと、集中できない。誰も見てないから、サボる。サボると罪悪感で余計に疲れる。そしていつもだらだら深夜まで働く。
「家だとさ、全然仕事できないタイプなんだよ、俺」
「え、そうなの?」
「リモート始まって半年、ずっと苦戦してる」
「じゃあ、なおさらここで働きなよ」
のどかが当然みたいに言う。
考える。会議は午後遅い時間。午前中はコードレビューと、ちょっと実装。
まあ、できないことはない。
「……じゃあ、試しに」
「やった!」
のどかが手を叩いた。タマがびくっとしてこっちに寄ってきた。守るように前足で袖を踏んでる。
◇
「じゃ、電源こっちね。コーヒー、濃いめと薄め、どっちがいい?」
「……どっちでも」
「ほんと、なんでもいい人」
のどかが、また笑った。
キッチンには、まだ、だしの匂いが残ってる。
家で一人、画面と睨めっこするより。たしかに、これは、マシかもしれない。
まあ、試しに。それくらいの気持ちで。
◇
つづく
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