第4話「厨房と三毛猫」

今日は珍しく店が空いてた。


在宅の日。会議は午後の遅い時間に一本だけ。


しずくは風邪で休み。あおいは合宿。カフェには自分とのどかと、タマとモチだけ。


「なんか寂しいね」


のどかがカウンター越しに言った。ココアを作りながら。自分の分。マシュマロを浮かべてる。



タマがカウンターに寝そべってる。モチはレジ裏でうたた寝。クロとトラは、今日は奥の休憩スペースにいるらしい。猫にも非番の日がある。


客が来ない朝は、しんとしてる。窓から、朝の光。Lo-fiが、いつもより大きく聞こえる。誰もいないと、音楽が、店いっぱいに広がる。


「お兄さん、今日どんな感じ?」


「朝ごはん食べて、ちょっとぼんやりして、帰る予定」


「帰るの? もったいないよ」


「なんで」


「暇なら、ここで仕事しなよ。暇だから、構ってあげる」


「構われても困る」



のどかがカウンターから出てきて、向かいのスツールに座った。


「お客さん一人だし、こっちで接客するね」


「座って話すだけでしょ、それ」


「話し相手も接客のうちなの」


「店主に怒られない?」


「怒られないよ、お客さんの相手も仕事のうちだもん。そもそも店主は午後から。午前はわたし一人なの」


タマがのどかのエプロンに鼻を近づけて、くんくん嗅いでる。ミルクの匂いがしてるんだろう。



「ねえ、お兄さんさ」


「ん」


「いつも疲れた顔してるよね」


「そう?」


「目の下のクマすごいもん」


遠慮ない。でも責めてる感じじゃない。


「仕事、楽しい?」


答えが、すぐには出てこなかった。ココアの湯気が、のどかの顔の前でゆれてる。



「楽しくないんだ」


「そういうわけじゃ……」


「でも楽しいとは言えないでしょ」


のどか、ココアを一口飲む。マシュマロがちょっと鼻についた。舌でぺろっと取る。


「わたしね、楽しくないことはやらない主義なの」


「贅沢だね」


「そう?」



「でもさ、楽しくないことやり続けて、何が残るの」


「お金とか、生活とか」


「それだけ?」


タマがカウンターの上で、寝返りを打った。返事をごまかすには、ちょうどいいタイミングだった。


「寂しくない?」



「……寂しいかも」


「だよね」


のどか、あっさり頷いた。タマが、のどかの腕にすり寄って、今度はこっちのほうに移動してくる。カウンターの上をのそのそ。


「タマ、モテモテ」


「こいつ全員に平等だよ」


「それ、モテるって言うの」


のどかが笑って、それから、ちょっと黙った。黙ってるのが落ち着かないらしく、すぐまた口を開く。


「わたし、話すのが好きなの」


「知ってる」


「ここのバイト、飲食も好きだけど、人と話せるのが一番いい」


カウンターを指でトン、と叩く。


「彼氏にもよく言われる。しゃべりすぎって。もうちょい落ち着いたほうがいいって」



「でもさ、話すって大事だと思うんだよね」


「……うん」


「お兄さんは否定しないんだね」


「別に、人それぞれだし」



のどかが嬉しそうに笑った。顔が近い。タマがその顔の横で、尻尾をぱたんと振った。


「お兄さんと話すと、楽だね」


「え」


「何も押し付けてこないから」



「お兄さん、朝ごはん、ちゃんと食べた?」


「コーヒーだけ」


「だめだよ、それ」


のどかが、ふと立ち上がった。


「はい、朝ごはん、おまかせで一名様」


「え、頼んでないけど」


「いま取ったの、ご注文」


そう言って、キッチンに入っていく。エプロンの紐を、きゅっと結び直す。


冷蔵庫を開けて、卵と、だしと、小松菜を取り出す。


フライパンを火にかける。油を薄くひく。じゅう、と小さな音。溶いた卵を流し込むと、ふわっと湯気が立った。


菜箸で、手前から、くるくると巻いていく。危なげない手つき。だし巻き玉子だ。


「お兄さん、料理はするの?」


「しない。コンビニと、外食ばっかり」


「ええー、もったいない」


「作れないんだよ。やろうと思ったことも、ない」


「コーヒーと一緒だね。なんでもいい人」


図星だった。



隣のコンロでは、鍋がことこと鳴ってる。味噌汁の匂いが、ふわりと流れてくる。だしと、味噌と、なにか青いもの。


タマが、匂いにつられて、カウンターの端まで来た。鼻を、ひくひくさせてる。でも、そこから先へは来ない。厨房の入り口には、猫脱走防止の、背の高い扉。飛び越えられないし、自分じゃ開けられない。のどかが通るときだけ開けて、すぐ閉める。猫が入れるのは、この手前まで。飲食店だから、そこは、きっちり分けてある。


「だめだよ、タマ。味見は、お兄さんが先」


「わたしね、料理してるときが、いちばん無心になれるの」


「無心」


「余計なこと、考えない。焼けてく音とか、煮える匂いとか。それだけ見てればいいから」


あおいの、走る話を思い出した。あの子も、似たようなことを言ってた。走ってると、足音だけになるって。


「みんな、なにか、そういうのが、あるんだ」


「お兄さんは?」


「……ないかも」


「じゃあ、探せばいいじゃん。ゆっくり」


のどかが、だし巻きを皿に移す。切り分けると、断面から、じわっと、だしが滲んだ。



「はい、味見」


差し出された一切れを、口に入れる。


あたたかい。だしの味が、じんわり広がる。甘くて、やさしい。


「うまい」


「でしょ。お味噌汁も、飲む?」


小さなお椀に、よそってくれる。ひとくち。からだの芯が、じんわりあたたまる。


「……しみる」


「朝は、これだよ」


のどかが、得意げに笑った。


「楽しいことしてると、こういうの、自然と上手くなるんだよ」



「うちの料理、ぜんぶ、猫が舐めても平気なやつなんだ」


「玉ねぎとか、使わないってやつ」


「そう。だしと、野菜と、卵。地味でしょ。でも、地味なのが、いちばん飽きないんだよ」


地味なのが、飽きない。


なんか、この店の、ぜんぶに通じる気がした。



「ねえ、お兄さん。仕事って、具体的に何してるの?」


「バックエンド。API書いたり、データベース触ったり」


「わかんないけど、すごそう」


「別にすごくない」


「すごいよ。わたし、コードなんて一行も書けないもん」


タマがこっちの手の下に頭を突っ込んできた。撫でろ、という意思表示らしい。撫でる。ゴロゴロ言い始めた。



「ねえ、お兄さん」


「ん」


「今日、ここで仕事してみなよ」


「……今日?」


「うん。どうせ帰ってもだらだらするんでしょ」


見抜かれてる。


「Wi-Fiあるし、電源もある。コーヒーもおかわり出すし」


「猫が邪魔しない?」


「するよ、絶対」


のどか、にやっと笑った。


「でもさ、家で一人でやるより、マシじゃない?」



家で一人でやる。この半年、何度やってもうまくいかなかったやつ。


リモートはありがたい制度。でも自分には合ってなかった。家だと、集中できない。誰も見てないから、サボる。サボると罪悪感で余計に疲れる。そしていつもだらだら深夜まで働く。


「家だとさ、全然仕事できないタイプなんだよ、俺」


「え、そうなの?」


「リモート始まって半年、ずっと苦戦してる」


「じゃあ、なおさらここで働きなよ」


のどかが当然みたいに言う。


考える。会議は午後遅い時間。午前中はコードレビューと、ちょっと実装。


まあ、できないことはない。


「……じゃあ、試しに」


「やった!」


のどかが手を叩いた。タマがびくっとしてこっちに寄ってきた。守るように前足で袖を踏んでる。



「じゃ、電源こっちね。コーヒー、濃いめと薄め、どっちがいい?」


「……どっちでも」


「ほんと、なんでもいい人」


のどかが、また笑った。


キッチンには、まだ、だしの匂いが残ってる。


家で一人、画面と睨めっこするより。たしかに、これは、マシかもしれない。


まあ、試しに。それくらいの気持ちで。



つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る