20話 能力を使うほど牢獄が強くなるので、荷物持ちの時代の鍛錬だけで神の檻を殴り破る


 白い炎の檻が閉じ、ハルトだけを仲間たちから切り離した。


『最強デアル貴様コソ――コノ牢獄デハ、最モ無力ダ』


 ヴァルカスの声が、逆さに浮かぶ塔から降ってくる。


 ハルトは炎の格子へ手を伸ばした。


「なら、無力かどうか試してみる」


「待ってください!」


 メタトロンの制止より早く、黒い領域が広がった。


「世界捕食界!」


 神域すら侵食する黒が、白い炎へ食らいつく。


 次の瞬間。


【捕食能力を検出】


【対象危険度を再計算】


【拘束出力――上昇】


 白い炎が一気に膨れ上がった。


 世界捕食界が炎を喰らう。


 喰らわれた分を上回る炎が、牢獄の壁や地面から次々と生まれる。


「増えたぞ!?」


 バルガスが叫んだ。


「《煉獄天秤》が世界捕食界の出力を測定し、それ以上の拘束力を生成しています!」


 メタトロンの瞳を、赤い術式が走る。


「捕食速度より増幅速度が二・七倍上! 能力を使うほど檻が強化されます!」


「じゃあ、天律支配で炎との距離を――」


「それも駄目です!」


【世界法則への干渉を検出】


【拘束出力――再上昇】


 格子が太くなり、炎の檻が狭まった。


 ハルトは慌てて二つの能力を止める。


「本当に使うほど強くなるな」


「確認するために実際に使わないでください!」


 エリナの声が飛んだ。


「でも、これで分かった」


「何がですか?」


「能力では壊せない」


「それは最初からメタトロンさんが言っています!」


 白い炎の向こうで、ハルトが腕を組んだ。


「では、どうするつもりです?」


 リリアが尋ねる。


「能力を使わずに壊す」


「結局壊すんですか!?」


 エリナの声が第三牢獄へ響いた。


 そのとき、炎の道の左右に並ぶ牢が一斉に開いた。


 中から現れたのは、赤い鎧に身を包んだ炎の騎士たちだった。


 門前にいた者よりも大きい。


 掲げた槍の先には、それぞれ異なる色の炎が渦巻いている。


『救出行動ヲ阻止セヨ』


「来るわよ!」


 エルシアが聖剣アストラを抜いた。


 炎の騎士が一斉に駆け出す。


「ハルトは俺たちが助ける!」


 カイルが先頭へ立った。


「ミリア、リリアを守れ! ガルドとバルガスは左右! エルシアは前を頼む!」


「おう!」


「任せろ!」


 指示を出すカイルの声に、もう神託の響きはない。


 かつて何度も聞いた、勇者パーティーのリーダーとしての声だった。


 ガルドとバルガスの大斧が、左右から迫る炎の槍を弾く。


 エルシアは聖剣で正面の炎だけを切り裂き、騎士の鎧を傷つけずに押し返した。


「この騎士たち、生きているわ!」


「何?」


「鎧の中に魂が封じられている。倒すなら、炎の術式だけを狙いなさい!」


「また面倒な注文だな!」


 バルガスは笑いながら、大斧の向きを変えた。


「だが、ハルトの仲間らしくて分かりやすい!」


「誰も倒さず、全員止めるぞ!」


 カイルの号令で、一行は円陣を組む。


 その中心で、メタトロンが白い檻を解析し続けていた。


「おかしい」


「何がですか?」


 エリナが問いかける。


「《煉獄天秤》はハルトの能力上限へ反応しています。しかし、肉体の動作に対する出力変化がありません」


 炎の檻の中。


 ハルトは静かに腰を落とし、両手で一本の格子をつかんだ。


「つまり、どういうことです?」


「この神域が測定しているのは、魔力、神力、技能、固有能力。努力によって身につけた単純な身体能力は、神の管理項目に存在しない」


「では……」


「ハルトが鍛錬だけで得た力は、《煉獄天秤》にも測れません」


 ハルトが格子を左右へ引いた。


 白い炎が激しく揺れる。


【能力反応――なし】


【神力反応――なし】


【測定対象を検出できません】


 炎の格子が、わずかに曲がった。


「曲がった!?」


 バルガスが騎士の槍を受けながら振り返る。


「能力なしで神の檻を曲げやがった!」


「よそ見をするな!」


 ガルドが横から迫った槍を弾く。


「すまん! だが、あれを見て平静でいられるか!?」


「俺も驚いている!」


 二人の声が重なった。


 ハルトは格子をつかんだまま、ゆっくりと息を吐く。


 思い出すのは、荷物持ちだった頃の日々。


 仲間全員分の装備を背負い、山道を歩いた。


 野営地では誰より先に起き、剣を振るカイルたちの横で自分にできる鍛錬を続けた。


 特別な技能はなかった。


 神から授かった加護もなかった。


 昨日より少しだけ長く歩く。


 昨日より少しだけ重い荷物を持つ。


 それを、毎日やめなかった。


「俺が積み重ねたものは、お前たちの記録にはないらしい」


 白い格子がさらに曲がる。


『小賢シイ』


 ヴァルカスの声と同時に、炎の檻へ新たな紋章が刻まれた。


【肉体強度を暫定登録】


【拘束出力を補正】


 曲がりかけていた格子が、再びハルトを押し戻す。


「登録された!?」


「《煉獄天秤》がハルトの動作を学習しています!」


 メタトロンが叫ぶ。


「猶予はありません! 次の一撃で突破できなければ、鍛錬による力まで封じられます!」


「一回あれば十分だ」


 ハルトが両足へ力を込める。


 だが、檻の外から三体の炎の騎士が迫っていた。


 白い格子へ槍を差し込み、ハルトをさらに閉じ込めようとする。


「させるか!」


 カイルが走る。


 しかし、その前へ別の騎士が立ちはだかった。


「セイン!」


 カイルが叫んだ。


「お前の魔法なら、あの三体を止められる!」


「俺の目的は妹を助けることだ」


 セインは動かない。


「ハルトを救うことではない」


「ハルトがいなければ、妹を神から取り戻せないぞ!」


「だから利用している。それだけだ」


 セインの胸元で《神契》が赤く輝く。


『契約者セイン。黒鉄ハルトヲ放置シ、最上階ヘ進メ』


 ヴァルカスの命令だった。


『従エバ、妹ノ治療ヲ継続スル』


 セインの杖を握る手が震える。


「セインさん」


 エリナが炎を避けながら、一枚の紙を取り出した。


「何をしている?」


「契約内容を書いています!」


「こんなときにか!?」


「こんなときだからです!」


 エリナは紙へ素早く文字を並べる。


「あなたは、神の命令に従う代わりに妹さんを治してもらう契約をした。でもヴァルカスは、あなたが従っていたのに七日で治療をやめると言った」


「それは……契約が更新されたからだ」


「あなたの同意なしにです!」


 エリナは紙を突き出した。


「それは契約じゃありません。ただ命令を契約と呼んでいるだけです!」


 セインの瞳に刻まれた金色の輪が揺らぐ。


『耳ヲ貸スナ』


「あなたが守りたいのは、神との約束ですか?」


 エリナは一歩も引かない。


「それとも、妹さんですか?」


 炎の騎士たちが檻へ迫る。


 残り、三歩。


 二歩。


 セインが顔を上げた。


「俺が守りたいのは――妹だ」


 杖の先が、炎の騎士へ向く。


『命令違反ヲ確認』


「黙れ、ヴァルカス」


 セインの瞳から、金色の輪が半分砕けた。


「妹を助けるために神へ従った。妹を盾にする神へ従った覚えはない!」


「《星鎖封陣》!」


 光の鎖が三体の騎士へ巻きつき、その動きを止める。


 攻撃ではない。


 相手を傷つけず、ただハルトへ届く槍だけを封じる魔法だった。


「ハルト、今だ!」


「ああ!」


 ハルトが曲げた格子を、力いっぱい押し広げる。


 白い炎が抵抗する。


【肉体強度の補正――未完了】


【拘束出力――不足】


「うおおおおおっ!」


 一本の格子が、大きく折れ曲がった。


 そこへエルシアの斬撃が走り、格子を再生させる神の術式だけを切断する。


「抜けなさい、ハルト!」


 カイルとバルガスが左右から格子を引く。


 ガルドが二人の背を支える。


 ミリアとリリアの光が、全員の力をつなぐ。


「今です、ハルトさん!」


 エリナの声を目印に、ハルトは炎の隙間を駆け抜けた。


 直後、白い檻が閉じる。


 だが、その中にハルトはいなかった。


【最優先拘束対象――消失】


【煉獄天秤・判定失敗】


 第三牢獄全体へ、警告音が響き渡る。


「出られたな」


 ハルトは何事もなかったように服についた炎の粒を払った。


「神の檻を素手で曲げた人の感想が、それだけですか!?」


「みんなが手伝ってくれたからな」


 ハルトはセインを見る。


「ありがとう」


「礼は要らない。お前がいなければ、妹を連れ出せないから助けただけだ」


「それでも助かった」


 セインは目をそらした。


 金色の輪は半分残っている。


 胸の神契も消えていない。


 それでも、彼は初めて自分の意思でハルトの隣へ立った。


「行くぞ。最上階に妹がいる」


「ああ」


 一行が逆さの塔へ向き直った、そのとき。


 塔の頂上から、一本の赤い火柱が落ちた。


 炎は道の中央へ集まり、一人の男の姿を形作っていく。


 黒い鎧。


 燃えるような赤い髪。


 背には巨大な炎の輪を浮かべ、片手には身の丈を超える大剣を持っている。


 第三神ヴァルカス。


 神は地上へ降り立つと、大剣を肩へ担いだ。


「神の檻を、神から与えられていない力で破るか」


 先ほどまでの声とは違う。


 楽しそうでありながら、周囲の炎すべてを従わせる威圧があった。


「黒鉄ハルト。貴様を試したくなった」


「試す?」


「貴様が奪った力に振り回される器か。それとも、力を支配するに足る器か」


 ヴァルカスが大剣を地面へ突き立てる。


 衝撃で炎の道が左右へ割れ、巨大な闘技場が現れた。


「俺は、誰かに認めてもらうために鍛えたんじゃない」


 ハルトが拳を構える。


「仲間を守るためだ」


「ならば守ってみせよ。この神域で、我を相手にな」


 ヴァルカスの炎が大剣へ集まる。


 だが、振り下ろす直前。


 神は不意に笑みを消した。


「その前に、一つ教えてやろう」


「何を?」


「ゼノスが、なぜ貴様の《無限捕食》を覚醒前から知っていたのか」


 ハルトの動きが止まる。


 ヴァルカスは、大剣の切っ先をハルトへ向けた。


「《無限捕食》を持つ者は――貴様が最初ではない」

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