第18 俺を守るため勇者を救ったら、最後の仲間だけは自分の意思で敵に残った



「だから、お前を守るために追放したんだ」


 空を埋める《終天星雨》の光の下で、カイルはようやく真実を口にした。


 勇者の瞳に刻まれた金色の輪が、音を立ててひび割れる。


 けれど、ハルトはすぐには笑わなかった。


「だったら、どうして言ってくれなかった?」


「言えば、お前は残っただろう」


「たぶん」


「絶対に、だ!」


 カイルの声が震える。


「ゼノスは俺の考えまで見ていた。お前に真実を伝えれば、その場で全員を処分すると言った。だから俺は、お前に嫌われるしかなかった」


 追放の日。


 カイルはハルトの目を見ずに告げた。


『役立たずは必要ない』


『お前がいると、俺たちまで弱くなる』


 全部、ハルトを遠ざけるための嘘だった。


 だが、嘘なら傷つかないわけではない。


「俺は、あの日の言葉を忘れてない」


 ハルトはまっすぐカイルを見た。


「一人で森を歩いたことも。何度も、自分は本当に役立たずだったのかって考えたことも」


「……分かっている」


「いや。たぶん、まだ分かってない」


 カイルが息をのむ。


 その瞬間、深層従属環が強く輝いた。


『ソウダ。ソノ男ハ、オ前ヲ憎ンデイル』


 ゼノスの声が、割れた金色の輪から流れ込む。


『守ッタノニ理解サレナイ。ナラバ、神ニ従エ』


「黙れ!」


 カイルが頭を押さえる。


 黄金鎧がさらに光を増し、残された力を無理やり引き出そうとする。


「残り一分三十二秒!」


 メタトロンの警告が飛ぶ。


 同時に、空の魔法陣から最初の光弾が落ちた。


「《不動城塞》!」


 ガルドの盾壁が光を受け止める。


「数が多すぎるぞ!」


「神兵隊、上空防御!」


 個体七〇八の号令で、三万六千二百十一の翼が王都を覆った。


 ノクスの影、エルシアの斬撃、アダマスの盾が、降り注ぐ光を次々と弾く。


「ハルト! 今はセインを止めないと!」


 エリナが叫ぶ。


「分かってる! だから先にカイルを戻す!」


「あと一分ですよ!?」


「一分もある!」


「あなたの時間感覚、いつもおかしいです!」


 こんな状況でも、エリナの声はいつもどおりだった。


 それだけで、ハルトは迷わずにいられた。


「カイル。俺はまだ怒ってる」


「……ああ」


「守ろうとしてくれたことには感謝する。でも、それで全部なかったことにはできない」


「ああ」


「だから、今ここで終わりにするな」


 カイルが顔を上げた。


「俺を傷つけたことも、お前が一人で抱え込んだことも、神に利用されたことも。全部、生きて戻ってから話すぞ」


「許すと……言わないのか?」


「今すぐは言わない」


 ハルトは迷わず答えた。


「でも、助ける」


「なぜだ」


「元仲間だからじゃない」


 カイルの胸元へ、ハルトは拳を当てた。


「お前が今、自分の間違いから逃げなかったからだ」


 カイルの目から、迷いが消えた。


「……そうか」


 勇者は聖剣を逆手に持ち替える。


 そして自分の胸ではなく、天へ伸びる黄金の鎖へ刃を向けた。


「俺はハルトを守ったんじゃない」


『何?』


「あいつを信じる勇気がなくて、一人にした」


 聖剣が鎖へ突き刺さる。


「その責任は、神にも渡さない!」


 深層従属環が、内側から砕けた。


「ハルト!」


「任せろ!」


【世界捕食界――対象確定】


【深層従属環・カイル接続部を捕食】


 黒い領域が黄金の鎖だけを呑み込む。


 鎧が消え、カイルの瞳から金色の輪が消えた。


「三人目、解放を確認!」


 メタトロンが告げる。


「カイル!」


 ミリアとガルドが、同時に元リーダーの名を呼んだ。


 カイルは二人を見ると、悔しそうに唇をかんだ。


「すまない。俺はリーダーのくせに、また全員を危険へ巻き込んだ」


「謝罪は後だ」


 ガルドは斧を構えたまま答える。


「ハルトにも同じことを言われた」


 ミリアが小さく笑う。


「私たち、怒られる順番まで昔のままね」


「笑い事ではないだろう」


「笑えるうちに笑っておくのよ。セインも一緒に、四人そろって謝るために」


 カイルは目を閉じ、それから強くうなずいた。


「ああ。今度こそ、一人も置いていかない」


 しかし、喜んでいる時間はなかった。


「《終天星雨》、全弾落下まで十二秒!」


 空一面の光が、一斉に王都へ向く。


「カイル、休め!」


「断る!」


 膝をつきかけたカイルは、聖剣を地面へ突き立てて身体を支えた。


「これは俺たちの仲間が放った魔法だ。俺にも止めさせろ!」


「神託聖剣の力は、もう使えないぞ!」


 エルシアが警告する。


 カイルは聖剣を構え直した。


「神からもらった力がなくても――俺は勇者だ!」


 踏み込みは、黄金鎧に包まれていたときより遅い。


 斬撃も、神の力には遠く及ばない。


 それでもカイルの剣は、空から落ちる光の一点を正確に貫いた。


「ハルト! 中央の術式だ!」


「見えた!」


 《終天星雨》は無数の魔法陣に見えて、そのすべてが中央の一枚へつながっている。


 カイルは長いあいだ、セインと戦ってきた。


 神に操られていたときの完璧な連携ではない。


 互いの癖も、失敗も知っているからこそ分かる、本当の仲間の連携だった。


「天律支配――光と王都の距離を、切り離す!」


 降り注ぐ光が、空中で止まる。


「世界捕食界――魔法接続部だけを喰らえ!」


 黒い領域が中央術式へ噛みついた。


 一本の光が消える。


 それに連なり、数千、数万の魔法陣が夜空の星のように砕けていった。


 消え残った光弾が一つ、神兵たちの盾の隙間を抜ける。


「しまった!」


 個体七〇八が振り向くより早く、バルガスが大斧の腹を差し込んだ。


 光弾が弾け、大男が地面を滑る。


「危ねえ危ねえ! 最後の一発だけ俺に見せ場を残すとは、気が利く魔法使いだ!」


「普通は今ので格好よく決めるところです!」


 エリナの声に、バルガスは胸を張った。


「十分格好よかっただろうが!」


「自分で言わなければです!」


「止まった……」


 エリナが大きく息を吐く。


「本当に、止めた……」


「まだだ」


 ハルトは、空に残る最後の一人を見上げた。


 セインだけは、少しも動揺していなかった。


 黄金鎧も、瞳の輪も、傷一つない。


「セイン!」


 カイルが叫ぶ。


「もう終わりだ! 俺たちは全員、神の支配から――」


「知っている」


 静かな声が、戦場へ落ちた。


 それは神に操られた無機質な声ではなかった。


 魔導士セイン本人の声だった。


「王都が無事なことも、ハルトが世界の敵ではないことも、最初から知っていた」


「何を……言っている?」


 カイルの顔が固まる。


「メタトロン!」


「再解析します!」


 メタトロンの瞳を、膨大な術式が走る。


「深層従属環の下に、別の接続を確認。これは強制服従ではありません」


「では、何だ?」


 ノクスが問う。


「本人の同意によって結ばれた――《神契》です」


 戦場が静まり返った。


 セインは杖を下ろさない。


「俺には、天界に残してきた妹がいる」


 その言葉だけが、静かに響いた。


「生まれつき魔力が不安定で、地上の治癒では目覚めさせられなかった。だが第三神ヴァルカスは、妹を救えると言った」


「それを信じて、神に従っているのか?」


 ガルドが聞く。


「信じたんじゃない。実際に、あの方の炎が妹の魔力を安定させている」


 セインの胸元に、赤い紋章が浮かぶ。


 黄金の鎖とは違う。


 燃える翼の形をした、契約の証だった。


「俺が契約を破れば、治療も止まる。だから俺は、自分の意思でここにいる」


「そんなの人質と同じじゃない!」


 エリナが声を上げた。


「呼び方に意味はない。俺が従えば、妹は救われる。それで十分だ」


「十分じゃない」


 ハルトが言った。


「お前も妹も、両方助かる方法を探せばいい」


「簡単に言うな」


「簡単じゃないのか?」


「天界だぞ!」


 初めて、セインの声が揺れた。


「神々の本拠地だ! ヴァルカスの炎がなければ妹は助からない! お前がどれほど強くても、奪えばすべて解決する話ではない!」


 ハルトは少し考えた。


「じゃあ、炎も妹も一緒に連れてくる」


「話を聞いていたか!?」


「聞いてた。天界にいるんだろ?」


「そうだ!」


「場所が分かってるなら、迎えに行ける」


「そこじゃありません!」


 エリナのツッコミが飛ぶ。


 ノクスが額を押さえた。


「こやつに不可能を説明するだけ無駄だ。余の城ごと王都を移した男だぞ」


「それ、慰めになってます?」


「なっておらん」


 ほんの一瞬だけ、張り詰めていた空気が緩んだ。


 だが、セインは笑わなかった。


「言葉だけなら、誰でも言える」


「なら、証明する」


「どうやって」


「天界に行って、連れて帰る」


 迷いのない答えだった。


 そのとき。


 セインの胸元にある赤い紋章が、戦場を焦がすような光を放った。


『面白い』


 低い声が、空を震わせる。


 ゼノスとは違う。


 荒々しく、熱を帯びた神の声。


 アクアリアが顔を上げる。


『第三神ヴァルカス……!』


『黒鉄ハルト。貴様が世界の上限を喰らう者なら、我が炎の限界も越えてみせよ』


 空間が赤く焼け、巨大な門が現れる。


 門の向こうにあったのは、炎に包まれた牢獄だった。


 その最上階。


 透明な結晶の中で、一人の少女が静かに眠っている。


「妹……!」


 セインが初めて杖を下ろした。


『七日後、我ハ治療ノ炎ヲ止メル』


「待て! 契約では、俺が命令に従う限り――」


『契約ハ更新サレタ。黒鉄ハルトヲ連レ、天界第三牢獄マデ来イ』


 赤い門の前へ、無数の炎の騎士が並ぶ。


『妹ヲ救イタクバ、我ガ神域ヲ突破シテミセヨ』


 門が閉じ始める。


「ハルト!」


 セインが振り返った。


 その瞳から金の輪は消えていない。


 だが、初めてそこに神への怒りが宿っていた。


「俺を救うと言ったな」


「ああ」


「なら証明しろ。神の支配から、妹を取り戻せると!」


 ハルトは閉じていく天界の門へ手を伸ばした。


「分かった」


 黒い世界捕食界が、その隙間へ食らいつく。


「お前も妹も、まとめて連れて帰る」


 閉じるはずだった門が、ハルトの腕一本に止められた。

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