第13話 敵だったものを守れ
無数の処刑杭が、一斉に落ちた。
狙われているのは、地上の人間でも魔族でもない。
神へ背き、武器を捨てた神兵たちだった。
「全員、動くな!」
ハルトが右手を空へ向ける。
黒い光が魔界の空を走り、落下する処刑杭を包み込んだ。
「天律支配――距離延長」
杭の動きが止まった。
正確には、止まってはいない。
処刑杭と神兵の間にある距離が、ハルトによって引き延ばされ続けているのだ。どれほど落下しても標的へ届かない。白い杭は空中で激しく明滅しながら、見えない道を延々と進み続けている。
「止めた……のか?」
バルガスが目を見開く。
「いや、第一神ゼノスが法則へ再干渉しています」
メタトロンの両目に無数の術式が流れた。
「ハルト様が延ばした距離を、向こう側から削除しています。現在の拮抗状態が維持される予測時間は十一・二秒です」
「短いな」
「百二十万を対象とした神罰を十一秒も止めておいて、その感想なんですか!?」
エリナの声を背に、ハルトは空を見渡した。
槍を捨てた神兵。
命令どおり武器を構え続ける神兵。
そのどちらにもなれず、震える手で槍を握っている神兵。
すでに天界軍は、一つの軍勢ではなくなっていた。
「メタトロン。武器を捨てたのは何人だ」
「一万八千四百七十二。現在も増加中です」
「全員、こっちへ移す」
「待て」
ノクスが制した。
「王都の近くへ、一万を超える神兵を降ろすつもりか。一体がSランク級なのだぞ」
「でも、武器は捨てた」
「罠の可能性もある」
「そうかもしれない」
ハルトはあっさり認めた。
「それでも、助けを求めた奴を見捨てたくない」
ノクスは黙った。
魔王として、数え切れないほど裏切りを見てきた。敵を信じたせいで失った部下もいる。だからこそ、ハルトの判断が危ういことは誰より分かっている。
「……東側の防壁外に受け入れ区域を設ける」
やがてノクスは、魔族の将たちへ向き直った。
「武器を持つ者は通すな。捨てた者には攻撃するな。降りてきた神兵を結界内へ誘導しろ」
「いいのか?」
「降伏した敵を目の前で処刑させては、人間と同盟を結んだ我らの言葉まで安くなる」
ノクスはハルトを横目でにらむ。
「ただし、問題が起きたら貴様が責任を取れ」
「分かった。何をすればいい?」
「先に責任の意味から説明する必要があるのか……?」
「魔王様、あと九秒です」
「今は説明している場合ではないな!」
ノクスの指示を受け、魔族たちが東へ走る。
だが、空の神兵には地上の声が届いていない。どこへ逃げればよいか分からず、隊列の中で孤立していた。
「エリナ、目印を頼めるか」
「目印?」
「武器を捨てた奴が、降りる場所だ」
エリナは腰の鞄を探り、一本の信号筒を取り出した。
「ギルドの救難信号を使います。緑は安全地帯の印です!」
信号筒から放たれた光が、東側の空で大きな緑の輪を描いた。
「武器を捨てた方は、あの光の下へ降りてください! 押さず、慌てず、順番に!」
「避難訓練かよ!」
バルガスが叫ぶ。
「一万人以上を誘導するんですから、避難訓練の要領でいいんです!」
「相手は全員、空を飛べるぞ!」
「では上下の間隔にも気をつけてください!」
「順応が早えな!」
ハルトが天律支配を重ねる。
緑の輪と、武器を捨てた神兵たちの前に黒い門が開いた。空間と空間を直接つなぐ避難路だ。
「この門を抜けろ! その先なら俺たちが守る!」
最初に動いたのは、個体七〇八だった。
翼をたたみ、黒い門へ飛び込む。
その姿を見て、近くにいた神兵が一人、また一人と続いた。
『逃亡ヲ禁ズル』
ゼノスの声が響く。
武器を握り続けていた神兵たちの瞳から感情が消えた。
『命令ニ従ウ全個体ハ、反逆個体ヲ排除セヨ』
今度は神兵同士が槍を向け合った。
「同じ仲間まで攻撃させるの!?」
エリナの顔から血の気が引く。
「考える時間を与えないためよ」
エルシアが聖剣アストラを抜いた。
「迷った者が出たら、その者自身に手を汚させる。そうすれば、もう神に従い続けるしかないと思い込むから」
「最低ですね」
「ええ。だから私は反逆した」
武装した神兵たちが、逃げる者の背後へ迫る。
「バルガス!」
「任せろ!」
バルガスが大地を蹴った。
巨大な斧の腹で三本の槍をまとめて払い、襲いかかってきた神兵を空中で押し返す。
「悪いが、武器を捨てた奴を後ろから狙うのは気に入らねえ!」
「殺さないでください!」
リリアが叫ぶ。
「この数を手加減しろってか!?」
「お願いします!」
「回復役の頼みは断れねえって、さっきハルトが言ってたな!」
バルガスは斧を反転させ、刃ではなく柄で次の神兵を弾き飛ばした。
ノクスの影が空へ伸び、数百人の手足を縛る。エルシアがアストラを振るうたび、神兵を操る術式だけが断ち切られていく。
地上では、人間と魔族の兵士たちが並んで盾を掲げていた。
昨日までなら、神兵が降りてくれば恐怖に駆られて武器を向けていただろう。
だが今は、その神兵を天界の攻撃から守るために壁を作っている。
「治療が必要な方はこちらへ!」
リリアの呼びかけに、翼を傷めた神兵が戸惑いながら近づく。
「ナゼ、我々ヲ治ス」
「その質問、今日は二度目です」
リリアは微笑み、治癒魔法を発動した。
「目の前に傷ついた人がいるからです」
神兵は何も答えられなかった。
彼らは人ではないと教えられてきた。
神の命令を実行するための兵器。それ以外の生き方も、呼ばれ方も持たなかった。
「残り三秒」
メタトロンの声が戦場へ届く。
「武器を捨てた神兵は三万六千二百十一。うち、安全地帯への移動完了は二万一千七百八名です」
「半分近く残ってるじゃないですか!」
「二秒」
ハルトは門を増やした。
十から百へ。百から千へ。
意識を空の全域へ広げ、逃げようとする一人一人の位置を探る。
「一秒」
止まっていた処刑杭が、再び動き出した。
エルシアが叫ぶ。
「普通の障壁じゃ防げない! あれは命令刻印を通じて、神兵の内側へ直接届く攻撃よ!」
何万もの処刑杭が、それぞれの標的へ迫る。
ハルトは門の維持をやめなかった。
ここで避難路を閉じれば、追っ手に囲まれた神兵が取り残される。
「メタトロン。全部の杭を一か所に集められるか」
「可能ですが、推奨できません。神罰は集まるほど相互に増幅します」
「壊す場所が一つなら、やりやすい」
「その一つが、あなたの真上になります」
「なら、みんなからは離れる」
ハルトが左手を握った。
「天律支配――標的一元化」
散らばっていた処刑杭が、空中で軌道を変えた。
一本、十本、千本。
すべてがハルトの頭上へ集まり、巨大な白い柱へ姿を変えていく。
魔界全土が昼のように照らされた。
「大きすぎませんか!?」
エリナが見上げる。
「集めれば壊しやすいって言ってましたけど、限度がありますよ!」
「俺も今そう思った」
「集める前に気づいてください!」
光の柱が落ちる。
その前へ、一つの影が歩み出た。
アダマスだった。
リリアの治療を終えたばかりの身体で、折れた神剣を捨て、両腕を広げる。
「アダマス?」
ハルトが目を見開く。
「私は、神々を守るために生み出された盾だ」
アダマスの前に、ひび割れた黄金の障壁が現れた。
「二百年、それを疑ったことはなかった。だが――」
空では、自分と同じ神兵たちが神によって処分されようとしている。
地上では、敵だった者たちが彼らを守ろうとしている。
「守るべき神が、守られる者を捨てるというのなら……私は何のための盾だった」
神罰の柱が、黄金の障壁へ激突した。
轟音が戦場を揺らす。
ひびが一つ、二つと増えていく。それでもアダマスは退かなかった。
「長くは持たん!」
「十分だ!」
ハルトは門を通過した個体七〇八へ向き直る。
「あの鎖は、お前たちが神の命令を拒まないと切れない! 助かりたい奴は、自分の意思で言え!」
個体七〇八は、空を見上げた。
命令に従えば、神は自分たちを捨てる。
逆らえば、地上の者たちが守ろうとしてくれる。
どちらを選ぶかは、もう決まっていた。
「私ハ、神ノ道具デハナイ!」
その声に応じ、魂へ伸びた金色の鎖が浮かび上がる。
隣の神兵も声を上げた。
「私モ、自分デ選ブ!」
さらに一人。
十人。
百人。
「我々ハ、道具デハナイ!」
三万を超える声が重なった。
神罰の柱へ流れ込んでいた力が、大きく揺らぐ。
「エルシア!」
「見えているわ!」
聖剣アストラが、天界へ続く術式の根を切り裂いた。
「メタトロン!」
「中枢座標を共有します!」
光の柱の中心に、赤い点が浮かぶ。
「バルガス、ノクス!」
「注文が多いぜ!」
「まったくだ!」
大斧と闇の刃が同時に振るわれ、柱の外殻を砕く。
露出した中枢へ、ハルトが拳を引いた。
「アダマス、もういい!」
黄金の盾が左右へ割れる。
その隙間を、ハルトが駆け抜けた。
「神の命令で――命を捨てさせるな!」
拳が中枢を貫いた。
白い柱に、下から上へ亀裂が走る。
次の瞬間、百二十万を処刑するはずだった神罰は、魔界の空で無数の光へほどけて消えた。
遅れて、静寂が訪れる。
三万六千二百十一人の神兵が、緑の光の下へ降り立っていた。
まだ槍を構えている者はいる。
神へ従う者も、選べずにいる者も、空には数え切れないほど残っている。
それでも、神々の命令から抜け出した者が確かに生まれた。
個体七〇八がハルトの前へ進み出る。
「ナゼ、我々ノタメニ、ココマデシタ」
「武器を捨てただろ」
ハルトは当然のように答えた。
「なら、もう敵じゃない」
その言葉を聞いた神兵たちの顔に、初めて命令ではない感情が浮かんだ。
だが、安堵は長く続かなかった。
消えたはずの白い光が、冷たい雫となって降り始める。
「雨……?」
エリナが手のひらを空へ向けた。
「違う!」
エルシアがアストラを構える。
「全員、雨に触れないで!」
空に巨大な水の輪が開いた。
透き通る水の階段を、一人の女神がゆっくりと降りてくる。
青銀の長い髪。慈愛に満ちた微笑み。彼女が一歩進むたび、荒れた大地から澄んだ泉が湧き上がった。
美しく、穏やかで――だからこそ、誰より不気味だった。
「第二神……アクアリア」
エルシアの声が震える。
女神は離反した神兵たちを見下ろし、哀れむように目を細めた。
『かわいそうな子供たち。地上の者に、間違った自由を教えられたのですね』
雨粒に触れた一人の神兵が、ぼんやりと瞬きをした。
「私ハ……ナゼ、武器ヲ捨テタ?」
ハルトの表情が変わる。
アクアリアは優しく両手を広げた。
『心配はいりません。母がすべて、きれいに洗ってあげましょう』
魔界の空を覆う雨が、さらに強くなる。
『まずは――黒鉄ハルトと出会った記憶から』
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