第11話 神々が初めて恐怖を知った

 空が、割れた。


 その瞬間だった。


 王都の上空を覆っていた巨大な天界門が、まるで世界そのものを押し広げるように左右へ開いていく。


 眩いほどの白い光。


 だが、その光に温かさはなかった。


 あるのは圧倒的な威圧感だけ。


 空気が重い。


 呼吸をするだけで肺が軋む。


「……これが」


 リリアが震える声を漏らした。


「神の軍勢……」


 門の向こうには、果てが見えなかった。


 白銀の鎧をまとった天使。


 巨大な神獣。


 翼だけで城壁ほどもある飛竜。


 空飛ぶ神殿。


 光でできた戦艦。


 そして。


 そのすべてを埋め尽くすほどの神兵。


 百。


 千。


 一万。


 十万。


 数えることすら意味がない。


 メタトロンの瞳が高速で点滅する。


『神性反応……計測中』


『十万』


『五十万』


『九十万』


『百二十万』


 機械的な声が止まる。


『計測終了』


『天界軍総数』


『百二十万』


 誰も言葉を失った。


 百二十万。


 その一体一体が、人間ならSランク冒険者級の神性を持っている。


 普通なら。


 一体現れるだけで国家滅亡。


 それが百二十万。


「……終わったな」


 バルガスが乾いた笑みを浮かべた。


「俺の人生で一番終わった。」


「二番目です。」


 エリナが真面目な顔で訂正する。


「一番はギルド長の酒を勝手に飲んだ日です。」


「今それ関係ある!?」


「現実逃避です。」


「認めるな!」


 そのやり取りに、小さく笑いが漏れる。


 だが、それも一瞬だった。


 天界門の最奥。


 巨大な玉座が五つ並んでいる。


 そこへ座る五つの影。


 姿は見えない。


 しかし。


 見えていないはずなのに。


 全員が本能で理解した。


 ――あれが神だ。


 ノクスがゆっくり息を吐く。


「五柱。」


 魔王である彼の声にも緊張が混じっていた。


「二百年前。」


「私が敗れた相手だ。」


 エルシアが拳を握る。


 普段は明るい少女の顔から笑みが消えている。


「……また会っちゃった。」


 その一言だけで十分だった。


 二百年前。


 世界を救ろうとして敗れた神。


 その相手が。


 今、目の前にいる。


 俺は空を見上げた。


「思ったより多いな。」


「そこ?」


 エリナが思わず突っ込む。


「感想そこなんですか!?」


「百万人くらいかと思った。」


「誤差二十万人ですよ!」


「まあまあ。」


「まあまあじゃありません!」


 バルガスが苦笑する。


「この状況でいつも通りなの、お前くらいだぞ。」


 俺は肩をすくめた。


「焦っても減らない。」


「それはそうだけどよ……。」


 その時だった。


 天界門から。


 低く響く声が世界へ広がる。


『地上ノ生命体ヨ』


 声だけで空気が震えた。


『裁キノ時ガ来タ』


 神兵たちが一斉に膝をつく。


 百二十万。


 その全員が。


 たった一つの声へ頭を垂れた。


『世界ヲ乱ス者』


『黒鉄ハルト』


『前ヘ出ヨ』


 俺は一歩前へ出る。


「呼ばれた。」


「行くんですか!?」


 エリナが袖を掴む。


「危険です!」


「向こうも待ってる。」


「そういう問題じゃありません!」


 俺は軽く笑ってエリナの手を離した。


「すぐ戻る。」


「絶対ですよ!」


「ああ。」


 王都の外れ。


 何もない平原。


 俺が立つと。


 天界軍の先頭が左右へ割れた。


 一本道ができる。


 その奥から。


 ゆっくりと、一人の巨人が歩いてくる。


 白銀の鎧。


 純白の翼。


 身長は百メートルを超えていた。


 一歩踏み出すたび、大地が沈む。


 メタトロンの瞳が激しく点滅する。


『最高位守護者』


『第一守護神』


『アダマス』


『神々直属最強戦力』


 巨人は俺の前で止まった。


 黄金の瞳が、静かに俺を見下ろす。


『貴様ガ』


『黒鉄ハルトカ』


「そうだ。」


『人間ニシテハ』


『小サイ』


「お前がでかい。」


 一瞬。


 沈黙が流れた。


 バルガスが吹き出す。


「そこで言い返すか!」


 アダマスは感情を変えない。


『神々ノ命ニヨリ』


『貴様ヲ処刑スル』


「そうか。」


 俺は右手を軽く握る。


「俺も一つ聞いていいか。」


『許可スル』


「神って。」


「殴ったら痛いのか?」


 初めて。


 アダマスの眉がわずかに動いた。


『痛ミ?』


 アダマスは。


 まるで意味の分からない言葉を聞いたように。


 ほんの少しだけ首を傾けた。


『神ハ』


『痛ミヲ受ケヌ』


「そうか。」


 俺は拳を握る。


「じゃあ。」


 一歩。


 前へ出た。


「初めて教えてやる。」


 その瞬間。


 地面が爆発した。


 俺の姿が消える。


 平原に巨大なクレーターだけが残った。


『高速移動ヲ確認』


 アダマスの黄金の瞳が動く。


 俺を完全に見失ったわけではない。


 右手に握られていた大剣が。


 ほとんど反射だけで振るわれる。


 長さだけで山を超える神剣。


 刃が動いた瞬間。


 周囲の空間が、音もなく断ち切られた。


 斬られた場所から。


 景色がずれる。


 地面。


 雲。


 遠くの山。


 すべてが上下に分かれていく。


「ハルト!」


 ノクスが叫ぶ。


「避けろ!」


 俺は避けなかった。


 右拳を突き出す。


 神剣の刃と。


 人間の拳が。


 正面からぶつかった。


 ――ガァァァァァァァン!!


 世界が揺れた。


 衝撃の中心から。


 空気が円形に吹き飛ぶ。


 平原の地面が。


 何十キロにもわたって沈み込む。


 天界軍の先頭にいた神兵たちが。


 余波だけで空の彼方へ吹き飛ばされた。


『防御陣形!』


『急ゲ!』


 何万という天使が。


 一斉に光の盾を作る。


 だが。


 衝撃波が触れた瞬間。


 盾は紙のように砕けた。


 神兵たちが次々と巻き込まれ。


 白い翼が空へ散っていく。


 後方では。


 ノクスが四枚の翼を広げていた。


「七重魔界!」


 黒い結界が。


 エリナたちを包み込む。


 一枚目。


 砕ける。


 二枚目。


 ひびが入る。


 三枚目。


 消滅。


「まだ余波だけだぞ……!」


 ノクスが歯を食いしばる。


 四枚目。


 五枚目。


 六枚目。


 次々と黒い壁が崩れていく。


 最後の一枚へ。


 衝撃が届く。


 リリアが杖を掲げた。


「聖域結界!」


 七色の光が。


 七重魔界へ重なる。


 バルガスも。


 新しく借りた大斧を地面へ突き立てた。


「踏ん張れぇぇぇ!」


 エリナは。


 両手で地面へしがみついていた。


「どうして受付嬢が神との戦争に巻き込まれているんですか!」


「自分から来ただろ!」


「過去の私を殴りたいです!」


「今ならハルトに頼め!」


「消えます!」


 衝撃が。


 ようやく収まった。


 平原を覆っていた砂煙が。


 ゆっくり晴れていく。


 そこには。


 アダマスと俺が立っていた。


 神剣の刃へ。


 俺の拳が触れている。


 アダマスは動いていない。


 俺も。


 一歩も下がっていなかった。


『……』


「これが神の剣か。」


 俺は刃へ視線を向ける。


「結構硬いな。」


『人間。』


 アダマスの声が低くなる。


『何故』


『消滅シテイナイ』


「拳で止めたから。」


『ソレハ見レバ分カル』


「じゃあ、何が分からない?」


『全テダ』


 少しだけ。


 メタトロンを思い出した。


 神の側にいた者は。


 理解できないことがあると。


 すぐにそう言うらしい。


 アダマスの腕へ。


 さらに力が込められる。


 神剣が。


 俺の拳を押し始めた。


「お。」


 初めて。


 腕へ重さを感じた。


 アダマスの背中にある。


 十二枚の翼が大きく広がる。


 翼一枚ごとに。


 巨大な光輪が現れた。


『神力出力』


『二十%』


 剣の光が強くなる。


 俺の足元が沈む。


 一メートル。


 十メートル。


 百メートル。


 地面ごと押し込まれていく。


 天界軍から歓声が上がった。


『アダマス様ガ押シテイル!』


『所詮ハ人間!』


『神ニ敵ウハズガナイ!』


 アダマスの神剣が。


 俺の拳へ少しずつ食い込む。


 皮膚に。


 細い傷が入った。


 血が一滴。


 拳を伝って落ちる。


「ハルトさん!」


 リリアが声を上げる。


 エリナの顔が青ざめた。


「血が……!」


 バルガスも。


 笑みを消している。


「初めてじゃねえか……?」


 魔王ノクスだけは。


 俺の表情を見ていた。


「違う。」


「何がですか?」


 リリアが尋ねる。


 ノクスは。


 小さく息を吐いた。


「あいつ。」


「笑っている。」


 俺は。


 拳から流れた血を見る。


「すごいな。」


『何?』


「俺の体に傷をつけた。」


 メタトロンの槍も。


 神性武装だった。


 だが。


 あのときよりも。


 今の俺は強い。


 それでも。


 アダマスの剣は。


 俺の皮膚を切った。


「お前は。」


 俺はアダマスを見上げる。


「今までで二番目に強い。」


『二番目?』


「ああ。」


『一番ハ誰ダ』


「俺。」


 数秒。


 戦場が静まり返った。


 バルガスが。


 我慢できず吹き出した。


「自分かよ!」


 エリナも思わず叫ぶ。


「そこは魔王とか言う場面でしょう!」


 ノクスが腕を組む。


「私も少し期待した。」


「三番目。」


「それなら悪くない。」


 アダマスだけは。


 笑わなかった。


『思イ上ガリ』


 神力出力が上昇する。


『四十%』


 剣から。


 さらに強い圧力が放たれた。


 俺の体が。


 また少しだけ沈む。


『六十%』


 空間が。


 耐えきれずに砕け始める。


 アダマスの神剣は。


 物質を斬るためだけの武器ではない。


 触れたものの。


 存在そのものを断ち切る剣。


 俺の拳の傷が。


 治らない。


《存在切断を確認》


《自然再生が阻害されています》


《神性切断耐性が抵抗中》


「面白い。」


『何ガダ』


「お前の剣。」


 俺は。


 傷ついた拳へ視線を落とす。


「欲しくなった。」


 アダマスの目が細くなる。


『我ガ神剣ヲ』


『奪ウツモリカ』


「倒したら。」


「上限と一緒にもらう。」


『不可能』


「それは。」


 右腕へ。


 力を込める。


「俺が決める。」


 今度は。


 こちらから剣を押し返した。


『……!?』


 アダマスの巨大な腕が。


 わずかに動く。


 一センチ。


 ほんの一センチ。


 だが。


 神兵たちにとって。


 それはあり得ない光景だった。


『アダマス様ガ』


『押サレタ……?』


『否』


『見間違イダ』


 アダマスの翼が激しく光る。


『神力出力』


『八十%』


 さらに重くなる。


 それでも。


 俺の拳は止まらない。


 一センチ。


 二センチ。


 三センチ。


 神剣を。


 真正面から押し返していく。


『馬鹿ナ』


 初めて。


 アダマスの声に動揺が混じった。


『人間ノ肉体デ』


『我ガ神力ヲ超エルダト』


「人間の肉体だから。」


「ここまで鍛えられた。」


『意味不明』


「毎日続ければ。」


「強くなる。」


『神ハ鍛錬ナド必要トシナイ』


「だから。」


 俺は笑う。


「俺より弱いんだろ。」


 アダマスの神力が。


 一瞬だけ乱れた。


 その隙を。


 逃す必要はない。


 俺は。


 神剣を押していた右拳を引く。


 突然支えを失い。


 アダマスの巨大な剣が。


 勢いよく前へ落ちる。


『何ヲ――』


 その刃を。


 今度は両手で挟んだ。


 白刃取り。


 ただし。


 受け止めるためではない。


「折る。」


 両手へ力を込める。


 神剣が。


 大きく軋んだ。


『無駄ダ』


 アダマスが断言する。


『コノ剣ハ』


『神鉄ヨリ創ラレタ絶対武装』


『世界ガ滅ビテモ』


『折レルコトハ――』


 パキッ。


 小さな音がした。


 アダマスの言葉が止まる。


 神剣の中央に。


 一本の亀裂が入っていた。


『……』


「今。」


「何て言った?」


 パキパキパキッ。


 亀裂が。


 刃全体へ広がっていく。


 黄金の光が。


 ひびの隙間から漏れ出す。


 アダマスが。


 両手で剣を引こうとする。


『離セ!』


「嫌だ。」


『離セェェェ!』


 神力が最大まで膨れ上がる。


『神力出力』


『一〇〇%』


 十二枚の翼が。


 太陽のように輝く。


 大地が蒸発する。


 天界軍が。


 余波を恐れて一斉に後退した。


 それでも。


 俺の両手は離れない。


「硬かった。」


 さらに力を入れる。


「でも。」


「壊れないわけじゃない。」


 ――バキィィィィィン!!


 神剣が。


 真っ二つに折れた。


 巨大な刃の半分が。


 ゆっくり地上へ落ちていく。


 地面へ突き刺さり。


 その衝撃で。


 新しい谷が生まれた。


 誰も。


 声を出さなかった。


 百二十万の神兵。


 十二守護。


 五柱の神々。


 全員が。


 折れた神剣を見つめている。


 アダマスは。


 手元に残った柄を。


 理解できないものを見るように見下ろした。


『神剣ガ』


『折レタ……』


「次は。」


 俺は地面を蹴る。


 アダマスの顔の高さまで飛び上がる。


「お前だ。」


 拳を握る。


 アダマスが。


 咄嗟に両腕を交差させた。


『絶対防御』


 十二枚の翼が。


 体の前へ集まる。


 翼の一枚一枚が。


 巨大な盾へ変化した。


 光の壁。


 空間の壁。


 時間の壁。


 因果の壁。


 十二層の防御。


 メタトロンが叫ぶ。


『アダマスノ最高防御!』


『神ノ攻撃デモ突破不可能!』


「そうか。」


 俺は拳を引く。


「じゃあ。」


「少しだけ強くする。」


 力を抑える。


 全力の。


 一万分の一。


 王都はすでに魔界へ移した。


 周囲に人もいない。


 それでも。


 これ以上出せば。


 この大陸がもたない。


「受け止めろ。」


 拳を振り抜く。


 最初の盾へ触れる。


 砕けた。


 二枚目。


 三枚目。


 四枚目。


 止まらない。


 空間。


 時間。


 因果。


 神の作り出した絶対防御が。


 紙のように貫かれていく。


『一層破壊!』


『四層破壊!』


『八層突破!』


『止マラナイ!』


 アダマスの黄金の瞳が。


 大きく見開かれる。


『待テ』


 十層目。


 破壊。


『我ハ神々ノ盾』


 十一層目。


 消滅。


『敗北ハ許サレナイ』


 最後の盾へ。


 拳が触れる。


「許されるかどうかは。」


「神が決めることじゃない。」


 十二層目。


 粉砕。


 俺の拳が。


 アダマスの胸へ届いた。


「負けた方が決める。」


 ――ドンッ。


 小さな音だった。


 次の瞬間。


 アダマスの胸当てが。


 内側から爆発した。


『――――ッ!』


 百メートルを超える巨体が。


 空へ打ち上げられる。


 神兵の軍勢を突き抜け。


 天界門の近くまで飛んでいった。


 その背後。


 空に。


 巨大な拳の形をした穴が開く。


 アダマスは。


 空中で止まろうとする。


 だが。


 十二枚あった翼のうち。


 十枚が砕け散っていた。


『マダ……』


 残った二枚を広げる。


『終ワッテイナイ』


「そうか。」


 俺は。


 アダマスとの距離を消した。


 一瞬で。


 目の前へ移動する。


『ナ――』


「なら。」


 右手で。


 アダマスの顔をつかむ。


「終わらせる。」


 そのまま。


 地上へ向かって投げた。


 巨大な神の体が。


 流星のように落下する。


 ――ズドォォォォォォン!!


 地平線まで。


 土煙が広がった。


 地面に。


 何十キロものクレーターが生まれる。


 その中心。


 アダマスは。


 仰向けに倒れていた。


 神鎧は砕け。


 翼も消え。


 黄金の瞳から光が失われている。


『……』


「生きているか?」


 返事はない。


 俺は胸元へ手を当てる。


 微かに。


 神力が残っていた。


「死んではいない。」


 それを聞き。


 リリアが安堵の息を吐く。


 バルガスは。


 口を開けたまま固まっていた。


「……神を。」


「投げた。」


「そうだな。」


「百メートルある神を。」


「重くなかった。」


「そういう問題じゃねえ!」


 エリナも。


 両手で頭を抱える。


「もう少し普通の勝ち方はできないんですか!」


「剣を折って。」


「殴って。」


「投げただけだ。」


「どこにも普通がありません!」


 魔王ノクスは。


 倒れたアダマスを見ていた。


「二百年前。」


「私はあの防御を一枚も破れなかった。」


「今なら?」


「三枚。」


「少ないな。」


「お前と比べるな!」


 初めて。


 魔王に怒鳴られた。


 そのとき。


 俺の目の前に。


 青白い文字が浮かぶ。


《第一守護神アダマスの戦闘不能を確認》


《対象は生存しています》


《撃破判定を承認》


《能力上限の捕食を開始》


 アダマスの体から。


 黄金の粒子が浮かび上がる。


《神力保有上限を捕食》


《肉体強度上限を捕食》


《防御権能上限を捕食》


《神鉄生成上限を捕食》


《存在切断耐性上限を捕食》


《レベル上限が49999から74999へ上昇》


 さらに。


 折れた神剣から。


 白銀の光が流れ込んでくる。


《超神性武装の一部を捕食》


《権能――神鉄創造を獲得》


《権能――絶対防御を獲得》


《十二層防御を再構築可能》


「十二枚。」


 俺がつぶやくと。


 ノクスが嫌そうな顔をした。


「まさか。」


「アダマスの防御を覚えた。」


「お前が守りまで得てどうする。」


「仲間を守れる。」


 ノクスは。


 一瞬黙ったあと。


 小さく笑った。


「それなら悪くない。」


 だが。


 天界軍は。


 笑っていなかった。


 百二十万の神兵が。


 誰一人として動かない。


 絶対に敗れないはずだった。


 第一守護神。


 神々の盾。


 神々の剣。


 そのアダマスが。


 一人の人間に。


 正面から敗北した。


『……嘘ダ』


 一人の天使がつぶやく。


『神ガ』


『負ケタ』


 別の神兵が。


 ゆっくり後ずさる。


『我ラハ』


『何ト戦ッテイル』


 ざわめきは。


 波のように広がっていく。


 十人。


 百人。


 千人。


 やがて。


 百二十万すべての軍勢へ。


 一つの感情が伝わった。


 恐怖。


 神に作られた兵士たちが。


 生まれて初めて。


 人間を恐れていた。


 俺は。


 天界門の奥を見る。


 五つの玉座。


 そこに座っていた神々も。


 こちらを見ている。


 しばらく。


 何も起きなかった。


 やがて。


 中央の玉座に座る影が。


 ゆっくり立ち上がった。


 その瞬間。


 天界全体が震える。


 百二十万の神兵が。


 再び一斉に頭を垂れた。


『第一神ゼノス様』


 影が。


 こちらへ一歩進む。


 まだ。


 天界門を越えてはいない。


 それでも。


 アダマスとは比べものにならない圧力が。


 地上へ降り注いだ。


 魔王ノクスが。


 険しい顔で翼を広げる。


 エルシアは。


 聖剣アストラを強く握った。


 メタトロンの瞳には。


 何度も演算失敗の表示が流れている。


 第一神ゼノスは。


 倒れたアダマスを一度だけ見た。


 そして。


 残る四柱へ向けて告げた。


『予定ヲ変更スル』


 低い声。


 だが。


 世界の隅々まで届いた。


『黒鉄ハルトハ』


『単独デ処理可能ナ対象デハナイ』


 五つの玉座から。


 残りの神々も立ち上がる。


 炎。


 海。


 闇。


 生命。


 異なる神威が。


 天界門の向こうで膨れ上がった。


『五柱全員デ行ク』


 神々が。


 初めて。


 一人の人間を。


 自分たちと同格の敵として認めた。

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