第8話 魔王を倒したら同盟を申し込まれた
世界が、闇に塗りつぶされた。
空も。
大地も。
遠くに見えていた山々も。
すべてが消え。
残ったのは、どこまでも続く黒だけだった。
《固有領域――神喰らいの夜》
魔王ノクスが作り出した、魔王だけの世界。
その闇の中で。
無数の赤い瞳が開いている。
上。
下。
右。
左。
視界のすべてから、俺を見ていた。
「ここでは、世界の法則は私に従う」
魔王の声が響く。
姿は見えない。
声の位置すら分からない。
「光は生まれず」
足元が消えた。
俺の体が落下する。
だが。
下が存在しない。
どれだけ落ちても、どこにもたどり着かない。
「距離は意味を失い」
俺は《天律支配》を使う。
「落下を止める」
重力へ命令する。
しかし。
何も起こらなかった。
俺の体は、闇の中を落ち続ける。
《警告》
《周辺の世界法則に対する支配権を喪失しています》
《天律支配の発動に失敗しました》
「時間も」
魔王の声が、すぐ近くで聞こえた。
「命も」
今度は遠く。
「私の許可なく動くことはできない」
俺の右腕が止まった。
続いて。
左腕。
両脚。
指一本動かせない。
呼吸も止まる。
心臓すら。
動きを止めた。
《生命活動の強制停止を確認》
《存在固定により即死を無効化》
死んではいない。
だが。
動くこともできない。
これが。
神性を持たずに、神の領域へ到達した力。
自分の領域内だけとはいえ。
世界の決まりを完全に支配している。
「どうだ」
魔王が姿を現した。
闇の中から。
ゆっくりと歩いてくる。
「神から奪った力が使えない気分は」
俺の正面で立ち止まる。
「悪くない」
俺は答えた。
魔王の眉がわずかに動く。
「話せるのか」
「口も動かないが、声は出せるらしい」
正確には。
俺の意思を、魔力へ乗せている。
空気を震わせる必要はない。
「普通なら、心臓を止められた時点で死ぬ」
「俺は普通ではないらしい」
「知っている」
魔王は右手を上げる。
手のひらに。
小さな黒い球体が現れた。
周囲の闇よりも、さらに黒い。
光だけではない。
魔力も。
熱も。
存在するものすべてを吸い込んでいる。
「これは《終点》」
魔王が言った。
「触れたものを、存在の終わりへ送る」
「メタトロンの存在消去と似ているな」
「神の力ではない」
魔王の目が細くなる。
「二百年前、天界から生きて戻るために作った」
黒い球体が。
俺の胸へ近づいてくる。
「神の処刑術式を受ける前に、神ごと消すための技だ」
「神を倒せたのか?」
「一柱の腕を奪った」
「十分強いな」
「この状況で、まだ私を褒めるのか」
黒い球体が。
俺の胸へ触れた。
一瞬。
体の内側が空白になった。
痛みはない。
熱もない。
ただ。
胸の一部が存在しなくなる。
皮膚も。
骨も。
心臓も。
丸く切り取られたように消滅した。
《重大損傷を確認》
《存在固定により消滅範囲の拡大を阻止》
「なるほど」
本当に消えるらしい。
体の穴は。
すぐには再生しない。
通常の傷ではなく。
存在そのものを失っているからだ。
魔王は俺を見つめていた。
「敗北を認めるか?」
「まだだ」
「体の一部を消した」
「残りはある」
「次は頭を消す」
「話が聞けなくなるぞ」
魔王の手が止まった。
「確かに」
黒い球体を消す。
俺を殺すつもりはないという言葉は。
本当らしい。
「では、動けないまま敗北を認めてもらう」
「それも難しい」
「なぜだ?」
「もう動ける」
俺は。
右手を上げた。
魔王の目が見開かれる。
「何?」
続けて。
左腕を動かす。
両脚に力を入れ。
落下を止める。
止まっていた心臓が。
再び鼓動を始めた。
《魔王ノクスによる法則干渉を解析》
《生命停止への適応を完了》
《固有領域内での自己法則を確立しました》
「お前の世界が、俺の動きを止めるなら」
俺は胸の穴へ手を当てる。
失われた部分の周囲に。
金色の神力を集める。
「俺の体だけ、別の法則で動かせばいい」
空間が歪む。
消えていた胸が。
少しずつ元へ戻っていく。
再生ではない。
消滅する直前の状態を。
現在へ上書きする。
《時間干渉》
《存在固定》
二つの力を組み合わせ。
失った部分を取り戻した。
「……神の権能を、すでにそこまで使えるのか」
魔王がつぶやく。
「さっき覚えたばかりだ」
「だから異常なのだ」
魔王の姿が消える。
同時に。
闇の中に浮かぶ無数の瞳から。
黒い光が放たれた。
全方向。
逃げ場はない。
俺は手を上げる。
「距離をなくす」
俺と。
魔王ノクスの間にある距離を消す。
次の瞬間。
魔王が俺の目の前へ現れた。
「何――」
俺は魔王の肩をつかむ。
そのまま体を入れ替える。
無数の黒い光が。
俺ではなく。
領域の主である魔王へ向かった。
「自分の攻撃は効くのか?」
「試してみろ」
魔王が笑う。
黒い光が。
一斉に直撃した。
闇が爆発する。
衝撃で領域全体が大きく揺れた。
だが。
煙の中から現れた魔王は。
無傷だった。
「効かないようだ」
「この世界で生まれた力は、私を傷つけられない」
「なら、外から持ち込んだ力を使う」
俺は拳を握る。
黒い炎。
金色の神力。
そして。
自分自身の力を重ねる。
魔王の表情が変わった。
「その炎は……」
「ザルガからもらった」
『奪ッタノ間違イダ!』
遠く。
領域の外から。
ザルガの声が聞こえた気がした。
「領域の外の声が聞こえるのか?」
魔王が驚く。
「少しだけ」
《神喰らいの夜》は。
外界と完全に切り離された空間ではない。
魔王の力で。
周囲を覆い隠しているだけだ。
なら。
燃やす場所は一つ。
「領域だけを燃やせ」
黒金の炎が。
俺の拳から広がった。
闇へ触れる。
最初は。
小さな火だった。
だが。
世界そのものを燃料にするように。
炎が急速に広がっていく。
赤い瞳が。
次々と焼け落ちる。
「私の領域を燃やすだと?」
「燃やせないのか?」
「普通はな」
魔王が片手を振る。
闇が集まり。
炎を押し潰そうとする。
だが。
黒金の火は消えない。
魔王の魔力だけを選び。
食らうように燃え続ける。
《獄炎支配が魔王の固有領域へ侵食しています》
《神喰らいの夜の構造を解析》
空に。
ひびが入った。
黒く塗りつぶされていた世界の隙間から。
青い空が見える。
障壁の中にいるエリナたちの姿も見えた。
「領域が……!」
エリナが叫ぶ。
「燃えています!」
「領域って燃えるものなのか?」
バルガスが尋ねる。
『普通ハ燃エヌ』
ザルガが答える。
「なら、なぜ燃えてるんだ?」
『アイツニ普通ヲ求メルナ』
元敵同士が。
なぜか理解し合っていた。
「見事だ」
魔王ノクスが。
燃え広がる領域を見ながら言った。
「だが、領域を破っただけでは私には勝てない」
「まだ本気ではないのか?」
「お互いにな」
魔王が両手を合わせる。
燃えていた闇が。
すべて魔王の体へ集まり始める。
《神喰らいの夜》が解除される。
荒野。
青い空。
遠くの山脈。
元の景色が戻った。
だが。
消えたはずの闇は。
すべて魔王の中へ圧縮されている。
黒い外套が消え。
体の表面に。
細かな黒い紋様が浮かび上がる。
頭の角が伸び。
背中から。
漆黒の翼が四枚現れた。
「領域を自分へ取り込んだのか」
「本来、こちらが私の戦闘形態だ」
魔王の声が。
空気を震わせる。
「固有領域を外へ広げるのではない」
拳を握る。
周囲の空間が。
その動きだけで崩れた。
「私自身を、固有領域に変える」
俺の目の前に。
青白い文字が現れる。
《魔王ノクスの真形態を確認》
《世界法則からの独立を確認》
《推定レベル――測定不能》
《危険度――算定不能》
《対象の肉体そのものが独立世界として機能しています》
魔王の体に触れるには。
一つの世界を壊す必要がある。
殴るだけでは。
表面へ届かない可能性がある。
「これで最後だ」
魔王が構える。
「次の一撃で、お前の力を確かめる」
「分かった」
俺も拳を握る。
力を抑える必要がある。
魔王は強い。
だが。
全力で殴れば。
周囲の大陸まで壊れるかもしれない。
「どのくらいなら死なない?」
「私にそれを聞くのか」
「ああ」
魔王は。
楽しそうに笑った。
「全力で来い」
「周りが壊れる」
「私が守る」
魔王の四枚の翼が広がる。
巨大な黒い壁が。
俺たちの周囲を囲んだ。
「この中で起きた破壊は、すべて私の世界が受け止める」
「お前自身が傷つくぞ」
「私に勝ちたいのなら」
魔王の瞳が光る。
「その程度は気にするな」
そこまで言うなら。
遠慮は失礼だろう。
俺は。
力の制限を一つずつ外していく。
百万分の一。
十万分の一。
一万分の一。
千分の一。
周囲の空気が。
俺から逃げるように吹き飛んだ。
荒野の地面が。
触れてもいないのに沈んでいく。
障壁の向こうで。
エリナの顔が青ざめた。
「ハルトさん!」
「どうした?」
「何をしているんですか!」
「少し力を出している」
「少しで地面がなくなっています!」
見ると。
俺の周囲数百メートルが。
巨大なクレーターになっていた。
まだ。
千分の一だ。
この程度なら。
魔王も耐えられるだろう。
「それで全力か?」
魔王が尋ねる。
「違う」
「どの程度だ?」
「千分の一」
魔王の笑みが。
一瞬だけ消えた。
「……冗談か?」
「本当だ」
「先ほど私を十キロ吹き飛ばした拳は?」
「一億分の一くらいだ」
魔王は。
しばらく何も言わなかった。
背後で。
ザルガが顔を伏せる。
『我ハ十兆分ノ一デ負ケタ』
バルガスが。
ザルガの肩へ手を置いた。
「よく生きてたな」
『我モソウ思ウ』
魔王は。
小さく息を吐く。
「なるほど」
「どうした?」
「神々が五柱で降りてくる理由を理解した」
「一人では来ないのか?」
「来るわけがない」
魔王は構え直す。
先ほどまで以上に。
全身へ力を込める。
黒い世界が。
何重にも魔王を包んだ。
一つ。
二つ。
三つ。
体の周りに。
七つの独立した世界が重なる。
「七重魔界」
魔王が言った。
「二百年前、神々の攻撃を耐えた私の最終防御だ」
「壊していいのか?」
「壊せるものならな」
挑発ではない。
魔王は。
心から楽しんでいる。
自分より強いかもしれない相手と。
初めて。
正面から戦っているのだろう。
俺も。
拳へ力を込める。
千分の一。
それ以上は。
まだ必要ない。
「行くぞ」
「ああ」
俺たちは。
同時に地面を蹴った。
拳と拳が。
正面からぶつかる。
その瞬間。
音が消えた。
光が消えた。
空間が。
完全な白へ変わる。
一つ目の魔界が砕ける。
二つ目。
三つ目。
魔王の拳を包んでいた世界が。
次々と崩壊していく。
四つ目。
五つ目。
六つ目。
魔王の表情から。
笑みが消える。
最後の一つ。
七つ目の魔界へ。
俺の拳が届いた。
「素晴らしい!」
魔王が叫ぶ。
七重魔界が。
すべて砕けた。
衝撃が。
魔王の体へ届く。
右腕の骨が砕け。
肩の鎧が消滅し。
黒い翼の二枚が弾け飛ぶ。
魔王ノクスの体が。
一直線に吹き飛ばされた。
その先には。
俺が作った障壁。
さらに外側には。
エリナたちがいる。
このままでは。
巻き込む。
「距離を消す」
俺は。
吹き飛んだ魔王との距離をなくす。
一瞬で追いつき。
背中へ手を添えた。
衝撃の向きを。
上空へ変える。
ドォォォォォン!
魔王の体が。
空高く打ち上がる。
雲を突き抜け。
見えなくなるほど上昇した。
数秒後。
空から。
黒い影が落ちてくる。
俺は再び飛び。
魔王を受け止めた。
「生きているか?」
「……ああ」
魔王は笑っていた。
右腕は折れ。
翼の半分が消え。
口元から血を流している。
それでも。
目には強い光が残っていた。
「私の負けだ」
あっさりと。
敗北を認めた。
俺は魔王を抱えたまま。
荒野へ降りる。
エリナたちの近くへ着地した。
全員が。
言葉を失っている。
ザルガが。
ゆっくりと膝をついた。
『魔王様ガ……』
ゴブリンキングも。
隣で膝をつく。
『負ケタ……』
バルガスは。
遠くの荒野を見回していた。
「地形が変わってるぞ」
大地には。
巨大な亀裂。
数キロにわたるクレーター。
一部は。
地面そのものが消えていた。
「これで千分の一か?」
「ああ」
「二度と人のいる場所で戦うな」
「気をつける」
「絶対だぞ!」
バルガスに強く念を押された。
エリナは。
倒れた魔王へ近づく。
「本当に……魔王なんですよね?」
「そうだ」
魔王が答える。
「そして負けた」
「ハルトさんに?」
「ああ」
エリナが。
俺を見る。
「あなた、いつまでFランクでいるつもりですか?」
「昇格する実績は、まだ少ない」
「魔王を倒した実績を数えないでください!」
「正式な依頼ではない」
「そういう問題ではありません!」
エリナは。
今にも泣きそうな顔で頭を抱えた。
俺は魔王を見る。
「怪我は治せるか?」
「少し時間がかかる」
リリアが。
前へ出る。
「私が治療します」
魔王を見る表情には。
恐怖が残っていた。
それでも。
治療を申し出た。
「私を治すのか?」
魔王が尋ねる。
「今は、ハルトさんの敵ではないのでしょう?」
「敗北したからな」
「なら、傷ついた方を放っておけません」
リリアは。
魔王の折れた腕へ手をかざす。
淡い光が広がった。
魔族へ。
人間の治癒魔法が効くのかと思ったが。
少しずつ傷が塞がっていく。
「聖女か」
魔王がつぶやく。
「はい」
「魔族を治療する聖女は初めて見た」
「私も、魔王様を治療するのは初めてです」
「次があると思っているのか?」
「ハルトさんと一緒にいると、ありそうです」
リリアも。
俺の扱いに慣れてきたらしい。
魔王の傷を治療している間。
俺の目の前に。
青白い文字が浮かんだ。
《第六代魔王ノクスの撃破を確認》
《対象は生存しています》
《対象の能力上限を捕食します》
文字が。
ゆっくりと流れ始める。
《魔力圧縮上限を捕食》
《肉体強度上限を捕食》
《闇属性上限を捕食》
《固有領域上限を捕食》
《世界法則抵抗上限を捕食》
《存在消去耐性上限を捕食》
《レベル上限が9999から19999へ上昇しました》
また。
ほぼ二倍。
だが。
それだけでは終わらない。
《特殊個体の撃破を確認》
《対象は独力で神の領域へ到達しています》
《固有能力の捕食条件を満たしました》
《固有能力――“神喰らいの夜”を獲得》
俺の中へ。
巨大な闇が流れ込む。
魔王が使っていた。
世界を支配する領域。
ただし。
俺が得たものは。
少し変化しているらしい。
《上限捕食の影響により、能力が進化します》
《神喰らいの夜》
《進化後――“万象喰らい”》
「万象喰らい?」
《自身を中心とした固有領域を展開します》
《領域内で敗北した対象の能力・法則・存在上限を完全捕食できます》
完全捕食。
これまでの《上限捕食》は。
倒した相手の成長上限や、一部の能力を奪う力だった。
だが。
この領域内で倒せば。
相手が持つ法則そのものまで。
すべて奪えるらしい。
神を。
この領域で倒した場合。
その神が司る権能を。
完全に自分のものへできる。
俺は。
少し離れた場所へ手を向ける。
「万象喰らい」
一瞬。
周囲が黒く染まりかけた。
だが。
すぐに解除する。
今ここで使えば。
魔王の傷を治療しているリリアたちまで。
領域へ巻き込んでしまう。
「それは」
治療を受けていた魔王が。
俺を見る。
「私の固有領域か?」
「奪った」
「……」
「正確には、少し変わった」
「何ができる?」
「領域内で倒した相手を、完全に捕食できるらしい」
魔王は。
しばらく黙った。
「神々には言うな」
「なぜ?」
「今すぐ全軍で逃げる」
「神も逃げるのか?」
「当たり前だ」
魔王は真剣な顔だった。
「神々は、自分たちが奪う側だと思っている」
勇者や人間を育て。
死後に力を回収する。
魔族を作り。
世界を争わせ。
成長した魂を食らう。
「奪われる可能性など、考えたこともない」
「なら、驚かせられるな」
「驚く程度で済めばいいが」
魔王は。
治り始めた腕を動かす。
「それで」
俺を見る。
「私から力を奪った今も、神々と話し合うつもりか?」
「話はする」
「そのあとに?」
「相手次第だ」
「変わらないか」
魔王は苦笑する。
「なら、改めて提案しよう」
ゆっくりと立ち上がる。
傷は。
リリアの治療によって。
ほとんど塞がっていた。
魔王ノクスは。
俺の正面へ立つ。
そして。
片膝をついた。
ザルガとゴブリンキングが。
驚いて顔を上げる。
『魔王様!』
『何ヲ!』
「静かにしろ」
魔王が二人を止める。
人類の敵。
魔族の頂点。
第六代魔王が。
人間である俺へ。
頭を下げた。
「黒鉄ハルト」
「何だ?」
「我ら魔族と同盟を結んでほしい」
エリナたちが。
一斉に息をのむ。
「配下になれということか?」
「違う」
魔王は首を振る。
「対等な同盟だ」
「目的は神々の討伐?」
「神々から世界を解放すること」
魔王は。
真剣な目で俺を見る。
「人間も」
「……」
「魔族も」
「……」
「もう、神々の道具として生きる必要はない」
二百年前。
魔王は一人で天界へ挑み。
敗北した。
それでも。
諦めていなかった。
力を蓄え。
機会を待ち。
今。
俺を見つけた。
「同盟を結べば、魔王軍は人間への攻撃を止めるのか?」
「ああ」
「村を襲っていたゴブリンのような者も?」
魔王が。
ゴブリンキングを見る。
ゴブリンキングは。
気まずそうに目をそらす。
「私の命令が届いていない軍も存在する」
「なら?」
「すべて止める」
魔王は答えた。
「従わぬ者は、私が処分する」
「殺すのか?」
「必要なら」
「できれば殺すな」
魔王が。
少し困った顔をした。
「魔物まで助けるつもりか?」
「話を聞く相手が減る」
「情報のためか」
「それに、働かせられる」
ゴブリンキングが。
畑を耕していた仲間たちを思い出したのか。
小さく震えた。
「魔王軍を農業へ転職させる気か?」
「向いている者だけだ」
魔王は。
片手で顔を覆った。
「お前と同盟を結べば、魔界がどうなるのか不安になってきた」
「やめるか?」
「いや」
魔王は立ち上がる。
右手を差し出した。
「その程度で、神々を倒せる機会を捨てるほど愚かではない」
俺は。
差し出された手を見る。
人間と魔族。
長い間。
争い続けてきた二つの種族。
その代表として。
魔王は俺へ同盟を求めている。
だが。
俺は人間の代表ではない。
王でも。
勇者でもない。
ただのFランク冒険者だ。
「俺だけで決めていいのか?」
「私はお前と同盟を結びたい」
魔王は答えた。
「人間の国とではない」
「俺と?」
「ああ」
「なぜ?」
「強いからだ」
迷いのない答えだった。
「そして」
魔王は続ける。
「力を持ちながら、弱い者を見捨てない」
アルディアの町。
クレア村の子供たち。
神に処分されかけたメタトロン。
俺は。
助けたいと思ったから助けた。
それだけだ。
「お前なら」
魔王の手は。
差し出されたまま。
「神を倒したあとも、次の神にはならない」
その言葉に。
俺は少し考えた。
今の俺は。
すでに亜神への進化条件を満たし始めている。
神々を倒し。
権能を奪い続ければ。
いずれ。
現在の神々よりも強い存在になるかもしれない。
そのとき。
俺も。
世界を支配したくなるのだろうか。
人間や魔族を。
自分の道具として扱うのだろうか。
「ならない」
俺は答えた。
「支配は面倒だ」
魔王が笑う。
「安心した」
俺は。
差し出された手を握る。
「同盟を受ける」
その瞬間。
空が震えた。
俺と魔王の手の間から。
黒と金の光が広がっていく。
《特殊条件を達成》
《人類最強個体と魔族最強個体による契約を確認》
《世界規模の同盟が成立しました》
《称号――“魔王の盟友”を獲得》
《魔族への敵対補正が消失しました》
《魔族領域への進入制限が解除されました》
「何か表示が出た」
俺が言うと。
魔王もうなずいた。
「私にもだ」
「何と?」
「お前との敵対行動が、魔族全体の禁忌に指定された」
ザルガの顔が。
さらに青くなる。
『我ハ、スデニ戦ッタ』
「同盟前だから問題ない」
魔王が言う。
『ヨカッタ……』
ザルガは。
心から安心したようだった。
「では、王都へ向かう」
魔王が言った。
「お前も来るのか?」
「天界門を開くのだろう?」
「ああ」
「私も行く」
「国王が驚くぞ」
「今さら魔王一人で驚くか?」
全員の視線が。
俺たちの周囲へ向く。
魔王。
魔王軍第六将。
ゴブリンキング。
元神の処刑兵器。
そして。
それらを連れたFランク冒険者。
「驚くと思います」
エリナが。
疲れ切った声で言った。
「むしろ、気絶しなければ立派です」
「王都へ魔王を入れて大丈夫なのか?」
バルガスが尋ねる。
「同盟を結んだ」
俺が答える。
「国王は知らないだろうが!」
「会って説明すればいい」
「その説明を聞く前に戦争が始まるぞ!」
確かに。
王都の門へ。
魔王軍の頂点を連れていけば。
攻撃される可能性がある。
「姿を隠せるか?」
俺が尋ねる。
「可能だ」
魔王の角と翼が消える。
黒髪の人間にしか見えない姿へ変わった。
「これでいいか?」
「名前は?」
「ノクスで構わない」
「職業を聞かれたら?」
魔王は少し考える。
「旅人」
「無理があります」
エリナが即答した。
「では、冒険者ではどうだ?」
「冒険者証は?」
「持っていない」
「作ればいい」
俺が言うと。
エリナの顔が固まる。
「まさか」
「王都のギルドで登録できるだろう」
「魔王を冒険者登録させるつもりですか?」
「規則上、問題はあるのか?」
「規則を確認したことがありません!」
魔族が冒険者登録へ来ること自体。
想定されていないらしい。
魔王は。
少し興味を持ったようだった。
「冒険者か」
「依頼をこなせば金がもらえる」
「魔王に金は必要ない」
「串焼きを買える」
「……うまいのか?」
「ああ」
「なら、登録してもいい」
人類と魔族の同盟より。
魔王の冒険者登録の方が。
エリナには衝撃だったらしい。
彼女は。
その場へ座り込んだ。
「もう好きにしてください……」
◇
再び。
俺たちは王都へ向けて飛び始めた。
同行者が。
一人増えた。
魔王ノクスは。
俺の隣で空を飛んでいる。
人間の姿になっても。
飛行能力は使えるらしい。
「王都の地下について、知っていることは?」
俺が尋ねる。
「二百年前に進入したことがある」
「聖剣も見たのか?」
「魔王を傷つけられる聖剣か」
「ああ」
魔王は。
俺の腰にあるエクスレイヴを見る。
「お前の剣とは別物だ」
「どんな剣だ?」
「神殺しの聖剣」
魔王が答える。
「名は《アストラ》」
神を殺す剣。
魔王を傷つけられるという話は。
正確ではなかったらしい。
「誰が作った?」
「神々に反逆した、一人の女神」
メタトロンが。
反応する。
『該当記録ヲ検索』
少し沈黙し。
首を振った。
『記録ガ欠損シテイル』
「消されたのだろう」
魔王が言う。
「反逆した女神の名は?」
俺が尋ねる。
「エルシア」
魔王が空を見上げる。
「五柱の神に敗れ、存在を消された女神だ」
「死んだのか?」
「分からない」
「剣を作った目的は?」
「神々の支配を終わらせるため」
魔王の表情が。
少し険しくなる。
「だが、アストラには重大な問題がある」
「何だ?」
「剣を抜いた者は」
風が強くなる。
遠くに。
王都の城壁が見え始めた。
巨大な城。
その周囲に広がる町。
何十万もの人間が暮らす。
王国の中心。
魔王は。
王都の地下に眠る剣について。
静かに告げた。
「命を奪われる」
「使うと死ぬのか?」
「違う」
魔王は首を振る。
「抜いた瞬間に死ぬ」
随分と。
使いづらい剣だった。
「なぜ作った?」
「神を殺せるほどの力を発動するには」
魔王が説明する。
「使用者の命と魂、存在のすべてを燃料にする必要がある」
「一度しか使えない?」
「ああ」
「抜いただけでも?」
「剣は所有者を選ばない」
魔王の声が重くなる。
「触れた者の存在を、無差別に食らう」
俺は。
少し考えた。
存在を食らう剣。
それなら。
俺の《万象喰らい》と。
似ている部分がある。
食われる前に。
こちらが剣の能力を食らえば。
使えるかもしれない。
「試してみる」
俺が言うと。
魔王は。
予想していたようにため息をついた。
「そう言うと思った」
「危険なのか?」
「私が触れたときは、左腕と魔力の半分を失った」
「すぐに離したのか?」
「ああ」
「なら、俺も気をつける」
「命を吸う剣へ触る前の言葉ではない」
そのとき。
王都の方向から。
鐘の音が響いた。
一度。
二度。
三度。
連続する警鐘。
城壁の上で。
兵士たちが慌ただしく動き始める。
俺たちを発見したらしい。
「止まれ!」
拡声魔法を使った声が。
空へ響く。
「所属を示せ!」
先頭にいる俺。
その隣に。
人間の姿をした魔王。
後方には。
ザルガ。
ゴブリンキング。
メタトロン。
魔族の姿を隠していない者が。
何人もいる。
「魔王軍だ!」
城壁から叫び声が上がる。
「敵襲!」
「全軍、戦闘準備!」
巨大な魔法陣が。
城壁の上に展開される。
魔術師たちが。
一斉に杖を向けた。
バルガスが。
俺をにらむ。
「こうなるって言ったよな?」
「言っていたな」
「どうするんだ!」
「説明する」
俺は。
王都の城壁へ近づく。
「攻撃するな!」
騎士の声が響く。
「それ以上近づけば撃つ!」
「俺は黒鉄ハルトだ」
俺の名を聞き。
城壁の上がざわめいた。
「黒翼竜を倒した男?」
「魔王軍第六将を生け捕りにした冒険者だ!」
「では、なぜ魔族と一緒にいる!」
当然の質問だ。
俺は答えた。
「同盟を結んだ」
「……何?」
「魔王と」
城壁の上が。
完全に静まり返った。
隣で。
人間の姿をしたノクスが。
小声で言う。
「説明が足りないのではないか?」
「事実だ」
「それだけを言えば、混乱する」
「もうしている」
王都の魔術師たちが。
魔法を維持したまま。
どうすればいいのか分からず固まっている。
そのとき。
王城の方角から。
黄金の光が上がった。
俺の腰にある聖剣エクスレイヴが。
同じ光を放つ。
二つの光が。
互いを呼ぶように輝いた。
魔王の表情が変わる。
「まずい」
「何がだ?」
「アストラが目覚めた」
王都の地下から。
低い振動が響く。
街全体が揺れ始める。
建物の窓が割れ。
城壁に亀裂が走る。
地面の下から。
無数の黒い鎖が飛び出した。
「きゃあ!」
町の人々の悲鳴。
鎖は。
人間を狙っていない。
まっすぐ。
俺へ向かってくる。
一本目をつかむ。
手のひらから。
一瞬で力が抜けた。
「これは……」
鎖が。
俺の生命力を吸っている。
魔王が叫ぶ。
「離せ!」
俺は鎖を握ったまま。
地下を見る。
深い。
王都のはるか下。
そこに。
巨大な力がある。
神を殺す聖剣。
《アストラ》。
俺の目の前に。
青白い文字が浮かんだ。
《超神性武装による捕食を確認》
《対象は使用者として黒鉄ハルトを選定しました》
《警告》
《生命・魂・存在上限が吸収されています》
《完全吸収まで――十分》
俺が剣に触れる前に。
剣の方から。
俺を食らい始めた。
地下から。
少女の声が聞こえる。
『見つけた』
小さく。
だが。
はっきりとした声。
『やっと』
喜んでいるようにも。
泣いているようにも聞こえた。
『私を殺せる人を』
王都の地下で。
二百年間眠っていた神殺しの剣が。
俺を呼んでいた。
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