第4話 勇者が頭を下げても、もう遅い


「断る」


俺がそう答えると。


王国騎士団長は、しばらく動かなかった。


国王直々の召喚命令。


普通なら、平民が拒否できるものではないのだろう。


ましてや俺は、冒険者登録をしたばかりのFランク。


騎士団長からすれば、命令に従うと思っていたはずだ。


「……聞き間違いかもしれない」


騎士団長は低い声で言った。


「もう一度だけ尋ねる。国王陛下が、貴殿を王都へ招いている。同行してもらえるな?」


「断る」


「理由を聞こう」


「面倒だからだ」


ギルド内が静まり返った。


後ろにいた騎士たちの顔が引きつる。


受付嬢は両手で顔を覆っていた。


「ハルトさん……もう少し、言い方というものが……」


「理由を聞かれたから、正直に答えた」


「正直すぎます!」


騎士団長は額に青筋を浮かべた。


「貴殿は、自分が誰の命令を拒否したのか理解しているのか?」


「国王だろう」


「理解したうえで拒否するというのか?」


「ああ」


俺は王国に召喚されてから十年間。


何度も、国のために戦えと言われてきた。


魔物が現れれば倒した。


迷宮が見つかれば潜った。


勇者パーティーの荷物を持ち、野営の準備をし、誰にも知られないところで彼らを守り続けた。


だが、王国は俺を評価しなかった。


《荷物持ち》という職業だけを見て。


役立たず。


無能。


勇者の足手まとい。


そう判断した。


そして、勇者レグルスによって追放された。


今さら国王に呼ばれたからといって、従う理由はない。


「俺はもう、王国の命令を受ける立場ではない」


「貴殿は異世界から、この国へ召喚された者だと聞いている」


騎士団長が一歩近づく。


「召喚された者は、国王陛下に仕える義務がある」


「そんな契約を結んだ覚えはない」


「この国で衣食住を与えられただろう」


「十年間働いた」


むしろ、働きすぎたくらいだ。


俺の倒した魔物の素材。


迷宮から持ち帰った財宝。


それらはすべて、王国と勇者パーティーのものになった。


正確な金額は知らない。


だが、少なくとも。


十年間の食事代や宿代を、はるかに上回っているだろう。


「借りがあるとすれば、王国の方だ」


「貴様……!」


後ろの騎士が剣へ手をかける。


騎士団長は片手を上げ、部下を止めた。


「待て」


「しかし、団長!」


「ここは冒険者ギルドだ。勝手に武器を抜けば、王国とギルドの問題になる」


騎士団長は冷静だった。


怒ってはいるが、立場を理解している。


「黒鉄ハルト」


「何だ?」


「国王陛下は、貴殿を罪に問うために呼んでいるわけではない」


「では、何のためだ?」


「詳しい話は、王都で説明される」


「それでは行く理由にならない」


「王国の存亡に関わる問題だ」


ギルド内がざわめく。


王国の存亡。


ずいぶん大きな話だ。


「魔王軍か?」


俺が尋ねると、騎士団長の目がわずかに動いた。


どうやら、当たっているらしい。


ゴブリンキングも、魔王軍から力を与えられていた。


黒翼竜が町を襲ったのも、偶然ではない可能性がある。


「魔王軍の動きが活発になっている」


騎士団長は声を落とした。


「北部の砦が、昨日陥落した」


「早いな」


魔王軍と王国の間には、三つの防衛砦がある。


北部の砦は、その中でも最大規模。


数千人の兵士と、高名な魔術師が常駐していたはずだ。


「敵の数は?」


「一体だ」


「一体?」


「魔王軍の幹部を名乗る男が一人で現れ、砦を壊滅させた」


騎士団長の声が重くなる。


「生き残った兵士によれば、その男は自らを《魔王軍第六将・獄炎のザルガ》と名乗った」


第六将。


魔王軍には、魔王直属の六人の将軍がいると聞いたことがある。


一番下の第六将でさえ、一人で砦を落とせるらしい。


「そして、ザルガは国王陛下へ伝言を残した」


「何と?」


「三日後、王都を攻める、と」


ギルド内が静まり返る。


三日。


あまり時間がない。


「だから俺を呼ぶのか」


「そうだ」


騎士団長はうなずいた。


「黒翼竜を一撃で倒した実力が本物なら、王都防衛に協力してほしい」


「命令ではなかったのか?」


「……国王陛下からの書状には、召喚命令と記されている」


「なら、断る」


「なぜだ!」


「助けてほしいなら、命令ではなく頼むべきだ」


騎士団長が言葉を失う。


俺は別に、王国が滅びればいいと思っているわけではない。


王都には多くの人間が暮らしている。


俺を馬鹿にした王族や貴族だけではない。


商人。


職人。


子供。


何も知らない一般人も大勢いる。


だが。


国王の命令だから、無条件に従うつもりはない。


追放されるまでの俺なら、従っていただろう。


それが当然だと思っていた。


今は違う。


何をするかは、自分で決める。


「国王に伝えてくれ」


俺は言った。


「頼み方を考え直せ、と」


騎士団長の背後で、騎士たちが殺気立つ。


だが。


それ以上に、ギルドの冒険者たちが動いた。


バルガスが俺と騎士たちの間へ立つ。


戦斧は背負ったままだが、その目は真剣だった。


「ここは冒険者ギルドだ」


「何のつもりだ、バルガス」


騎士団長が問う。


「ハルトはギルドに所属する冒険者だ。本人が受けていない依頼を、無理やりやらせることはできねえ」


「王国の危機だぞ」


「だからって、本人の意思を無視していい理由にはならねえ」


バルガスの隣へ、ほかの冒険者たちも並ぶ。


黒翼竜から町を救ったこと。


クレア村の子供たちを助けたこと。


その話は、すでに広まっているらしい。


昨日まで、誰にも知られていなかった俺を。


今は、冒険者たちが守ろうとしていた。


少し不思議な気分だった。


「そこまでにしてもらおう」


ギルドの奥から、太い声が響いた。


現れたのは、白いひげを生やした大柄な老人だった。


左目に眼帯をつけ、腰には一本の長剣を下げている。


冒険者たちが道を空ける。


「ギルドマスター」


受付嬢が頭を下げた。


この町の冒険者ギルドを取り仕切る人物らしい。


「王国騎士団長グレイ殿」


ギルドマスターが騎士団長を見る。


「当ギルド内での強制的な連行は認められない」


「国王命令であってもか?」


「冒険者ギルドは、いずれの国家にも属さない独立組織だ」


ギルドマスターは静かに答えた。


「国王陛下がハルト殿へ依頼を出すことはできる。しかし、受けるかどうかを決めるのは本人だ」


「王都が滅びても同じことが言えるのか?」


「それを防ぐ責任は、まず王国にある」


騎士団長は歯を食いしばる。


だが、ギルドマスターの言葉を否定することはできなかった。


「……分かった」


やがて。


騎士団長は書状をしまった。


「国王陛下には、そのまま伝える」


「ああ」


「ただし、覚えておけ」


騎士団長は俺をまっすぐ見た。


「王都には、何十万もの民が暮らしている。ザルガが攻めてくれば、大勢が命を落とす」


「分かっている」


「それでも来ないというなら、貴殿はその責任から逃れられないぞ」


「責任を押しつける相手が違う」


俺は答えた。


「王都を狙っている魔族と、国を守ると言っている王族の問題だ」


「貴殿ほどの力がありながら、見捨てるのか?」


「まだ見捨てるとは言っていない」


騎士団長が眉を寄せる。


「どういう意味だ?」


「俺がどうするかは、俺が決めるという意味だ」


国王に従うためではない。


勇者として称賛されるためでもない。


守りたいと思った人間を、俺の意思で守る。


今の俺には。


その選択ができる。


騎士団長は何も答えず、騎士たちを連れてギルドを出ていった。


扉が閉まる。


張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。


「ハルトさん」


受付嬢が疲れた顔で言う。


「どうして一日ごとに、問題が大きくなるんですか?」


「俺も不思議に思っている」


「初日は黒翼竜。二日目はゴブリンキング。今日は国王陛下の命令を拒否」


「明日は静かになるといいな」


「絶対になりません」


断言された。



「ところで」


俺は受付嬢へ声をかけた。


「ゴブリン討伐の報酬は?」


「この状況で報酬の話ですか?」


「重要だ」


俺は串焼きだけで生きていくつもりはない。


宿にも泊まりたい。


服も買いたい。


できれば、風呂にも入りたい。


勇者パーティーにいたころは、何日も迷宮を歩き続けることがあった。


自由になった今くらい、人らしい生活をしたかった。


「確認しますので、少しお待ちください」


受付嬢はゴブリンジェネラルとゴブリンキングを見る。


二体は、ギルドの隅で正座していた。


俺が座っていろと命じたからだ。


「ゴブリン一体の討伐報酬は、銅貨五十枚です」


「ああ」


「追加で確認されたゴブリン三百二十体については、緊急討伐として計算します」


受付嬢が紙へ数字を書き込んでいく。


「通常のゴブリン、ホブゴブリン、ゴブリンナイト、ゴブリンメイジ……さらにゴブリンジェネラルと、特殊個体のゴブリンキング」


計算する受付嬢の手が止まった。


「合計で、金貨八十七枚と銀貨四十二枚になります」


「そんなにもらえるのか」


「村を滅ぼせる規模の軍勢を、一人で無力化したんですよ!」


これで当分。


串焼きの値段を気にしなくて済む。


「それと」


受付嬢が続ける。


「ゴブリンキングは、魔王軍の情報を持っている可能性があります。生け捕りにした報奨金として、王国から追加報酬が出るでしょう」


「王国へ渡すのか?」


「そのつもりですが……」


受付嬢がゴブリンキングを見る。


ゴブリンキングは激しく首を横に振った。


『イヤダ』


「なぜだ?」


『拷問サレル』


「情報を話せばいい」


『話シタラ、魔王軍ニ殺サレル』


「話さなくても、王国に殺されるぞ」


ゴブリンキングの顔から血の気が引いた。


ゴブリンでも青ざめるらしい。


『タ、助ケテクレ』


「俺に言われても困る」


『配下ニナル!』


「もう命令を聞いているだろう」


《絶対命令》の影響で、ゴブリンキングは俺の命令に逆らえない。


わざわざ配下になると言われても、違いが分からない。


『魔王軍ノ情報ヲ、全部話ス!』


「本当か?」


『本当ダ! ダカラ、王国ニ渡サナイデクレ!』


受付嬢が身を乗り出す。


「魔王軍第六将ザルガについて、何か知っていますか?」


ゴブリンキングは、しばらく迷ったあと。


俺の顔を見た。


「話せ」


『ハ、ハイ』


絶対命令には逆らえない。


『ザルガ様ハ、三日後ニ王都ヲ攻メル』


「それは知っている」


『ダガ、目的ハ王都ノ破壊デハナイ』


ギルドマスターの目が細くなる。


「では、何が目的だ?」


『王都ノ地下ニ眠ル、聖剣ヲ奪ウコト』


「聖剣?」


『魔王様ヲ傷ツケラレル、唯一ノ武器ダ』


勇者レグルスが持っている聖剣とは別のものらしい。


王都の地下に。


魔王を傷つけられる武器が眠っている。


「なぜ魔王軍がその場所を知っている?」


『王国ノ中ニ、協力者ガイル』


その言葉に。


ギルド内がざわめいた。


「裏切り者がいるということか」


ギルドマスターが問う。


『ソウダ』


「誰だ?」


『知ラナイ』


ゴブリンキングが首を振る。


『ダガ、王都ノ門ハ内側カラ開ケラレル』


三日後。


魔王軍の攻撃に合わせ、何者かが王都の門を開く。


敵は外だけではない。


王国の内部にもいる。


「この情報は、すぐに騎士団長へ伝える必要があります」


受付嬢が言った。


「待て」


俺は止める。


「裏切り者が王国の中にいるなら、誰に伝わるか分からない」


「では、どうすれば……」


「直接、国王に伝える」


受付嬢の顔が明るくなる。


「王都へ行ってくださるんですね!」


「まだ決めていない」


「今、直接伝えると!」


「国王をここへ呼べばいい」


「国王陛下を冒険者ギルドへ呼びつけないでください!」


難しいものだ。


俺が王都へ行くのは命令に従ったようで気に入らない。


ならば国王が来ればいいと思っただけなのだが。


「ハルト殿」


ギルドマスターが口を開いた。


「少しよいか」


「ああ」


「王国への不満は理解できる」


ギルドマスターは、俺が勇者パーティーから追放されたことを知っているらしい。


「だが、この情報が正しければ、多くの民が危険にさらされる」


「分かっている」


「王都へ行くかどうかは、あなた自身が決めればいい。しかし、決断を急いだ方がいいだろう」


「三日ある」


「敵が三日後まで何もしない保証はない」


そのとおりだった。


宣言した日より前に動く可能性もある。


敵に王国の協力者がいるなら、こちらの情報も漏れているかもしれない。


俺は少し考える。


王都へ行くこと自体は構わない。


国王の命令に従うつもりがないだけだ。


それに。


魔王軍第六将。


一人で砦を落とした魔族が、どれほど強いのか。


少し興味があった。


終焉竜を倒して、レベル上限は千九百九十九へ上がった。


黒翼竜を倒し、飛翔を得た。


ゴブリンキングからは、絶対命令を得た。


強い敵を倒せば。


俺はさらに強くなる。


「王都には行く」


俺が答えると、受付嬢が安堵の息を吐いた。


「ただし、国王に従うためではない」


「分かっています」


「魔族を倒すかどうかも、会ってから決める」


「王都を攻める魔族ですよ?」


「話し合いができるかもしれない」


ゴブリンキングが首を横に振った。


『無理ダ』


「そうなのか?」


『ザルガ様ハ、話ヲ聞カナイ』


「お前よりもか?」


『我ハ話ノ分カル王ダ』


「村の子供を食べようとしていたのに?」


ゴブリンキングは黙った。



話がまとまりかけた、そのときだった。


ギルドの外が騒がしくなる。


馬車の音。


騎士たちの声。


そして。


聞き覚えのある声が響いた。


「どけ! 私を誰だと思っている!」


ギルドの扉が開く。


最初に入ってきたのは、勇者レグルスだった。


黄金の鎧は傷だらけ。


頭には包帯を巻き、右腕を布でつっている。


その後ろには。


剣聖ガルド。


宮廷魔術師セレナ。


聖女リリア。


三人とも怪我をしていた。


迷宮から脱出したばかりなのだろう。


レグルスはギルド内を見回す。


そして。


俺を見つけた。


「ハルト!」


大声を上げ、こちらへ歩いてくる。


俺の前で立ち止まると。


当然のように命じた。


「荷物を持て」


ギルド内が静まり返る。


俺はレグルスを見る。


「何を言っている?」


「聞こえなかったのか? 馬車に荷物がある。すぐに運べ」


「なぜ俺が?」


レグルスの顔が歪む。


「お前は私の荷物持ちだろう!」


「追放したはずだ」


「追放は撤回した!」


「俺は同意していない」


「勇者である私が撤回すると言っているんだ! お前に拒否権などない!」


何も変わっていない。


終焉竜を倒した俺の力を見ても。


迷宮で俺が守っていたと理解しても。


レグルスは、俺が自分に従うと思っている。


「断る」


「またそれか!」


レグルスが左手で俺の胸ぐらをつかもうとする。


その手を。


バルガスが横から止めた。


「やめておけ」


「誰だ、貴様は!」


「Bランク冒険者のバルガスだ」


「冒険者風情が、勇者である私に触れるな!」


レグルスが腕を振り払う。


「これは勇者パーティーの問題だ!」


「ハルトはもう勇者パーティーじゃねえ」


「私が戻すと言っている!」


「本人が断ってるだろ」


バルガスの言葉に。


周囲の冒険者たちも冷たい目を向ける。


レグルスは、ようやく空気がおかしいことに気づいたらしい。


「なぜ……お前たちは、そいつの味方をする?」


「町を救ってくれたからだ」


一人の冒険者が答える。


「黒翼竜を一撃で倒した」


「クレア村の子供たちも助けたらしいぞ」


「ゴブリン軍三百体を、一人で制圧した」


「しかも依頼料は一体分でいいって言ったらしい」


次々と声が上がる。


レグルスの顔が引きつる。


「黒翼竜を……?」


「知らなかったのか?」


バルガスが鼻で笑う。


「町じゃ、もう有名人だぜ。世界最強のFランク冒険者としてな」


「世界最強……」


レグルスの唇が震える。


勇者を名乗る自分より。


追放した荷物持ちの方が、町の人間から称賛されている。


それが許せないらしい。


「勘違いするな!」


レグルスが叫ぶ。


「そいつは勇者ではない! 職業は荷物持ち! レベルは0だ!」


ギルド内が静かになる。


次の瞬間。


笑い声が起きた。


「レベル0が黒翼竜を倒せるかよ」


「測定器が壊れたんだろ」


「俺は腕相撲で負けたぞ。一ミリも動かせなかった」


「ゴブリンキングが後ろで正座してるしな」


全員の視線が、正座するゴブリンキングへ向く。


ゴブリンキングは気まずそうにうつむいた。


レグルスの顔が赤くなる。


「お前たちは騙されている!」


「騙されているのは、あなたです」


静かな声が響いた。


聖女リリアだった。


レグルスが振り返る。


「何?」


リリアは傷ついた体を引きずるように、一歩前へ出た。


「ハルトさんがいなければ、私たちは迷宮の途中で全滅していました」


「黙れ、リリア!」


「黙りません」


普段の彼女からは想像できない、強い声だった。


「これまで戦ってきた魔物は、ハルトさんが弱らせてくれていました」


「違う!」


「毒の沼を渡れたのも、夜襲を受けなかったのも、食料が安全だったのも、全部ハルトさんのおかげです」


「私は勇者だぞ!」


「勇者だから何ですか?」


レグルスが言葉を失う。


リリアは続けた。


「ハルトさんを追放した直後、私たちはゴブリンにすら苦戦しました」


ギルドがざわつく。


「ゴブリンだと?」


「勇者パーティーが?」


レグルスがリリアの肩をつかむ。


「余計なことを言うな!」


「痛っ……」


その瞬間。


俺はレグルスの手首をつかんだ。


「離せ」


「お前には関係ない!」


「リリアが痛がっている」


「こいつは私の仲間だ!」


「仲間なら、傷つけていいのか?」


少しだけ力を込める。


「ぐっ……!」


レグルスの顔が歪む。


骨を折るつもりはない。


ただ、手を離させるだけだ。


レグルスの指がリリアの肩から離れた。


俺も手を放す。


レグルスは手首を押さえ、俺をにらんだ。


「この……荷物持ちが……!」


「まだ分からないのか」


俺はレグルスを見る。


「お前は俺を追放した」


「あれは間違いだった! だから撤回すると言っている!」


「俺は戻らない」


「なぜだ!」


「戻る理由がない」


レグルスの仲間でいる間。


感謝されたことは一度もない。


報酬もまともに受け取れなかった。


食事すら、彼らの残り物だった。


それでも。


世界を救うためなら必要なことだと思い、耐えていた。


だが。


追放されて、初めて知った。


温かい食事を食べること。


助けた相手から感謝されること。


自分で仕事を選ぶこと。


それらは、俺が捨てなければならないものではなかった。


「今の方が楽しい」


「楽しい……?」


「ああ」


「世界を救うより、冒険者ごっこの方が大事だというのか!」


「世界を救っていたのは、俺だ」


俺の言葉に。


レグルスが固まる。


ギルド内から、笑い声は起きなかった。


誰もが。


それが事実だと理解していたからだ。


「お前は俺の後ろを歩いていただけだ!」


レグルスが叫ぶ。


「荷物を運んでいただけだ! 私が勇者として戦い、お前は――」


「では、証明すればいい」


俺は言った。


「何?」


「俺がいなくても、世界を救えると証明しろ」


レグルスは口を開く。


だが。


言葉が出てこない。


「魔王を倒すんだろ?」


「あ、当たり前だ」


「なら行けばいい」


「お前も来るんだ!」


「断る」


「私たちだけでは……!」


そこまで言って。


レグルスは口を閉じた。


ギルド内が静まり返る。


自分たちだけでは無理だ。


今。


レグルス自身が、それを認めかけた。


「私たちだけでは、何だ?」


俺が尋ねる。


「……」


「続けろ」


「……戦力が足りない」


レグルスは絞り出すように答えた。


「だから、戻ってこい」


「頼んでいるのか?」


「私は勇者だ!」


「関係ない」


「王国の命令でもある!」


「断った」


レグルスの呼吸が荒くなる。


命令も。


勇者という肩書も。


俺には通じない。


それでも。


頭を下げることだけは、できないらしい。


「レグルス」


剣聖ガルドが口を開いた。


「もうやめろ」


「ガルドまで何を言う!」


「俺たちは、ハルトに助けてもらっていた」


ガルドはうつむく。


「認めるべきだ」


「黙れ!」


「認めなければ、先へ進めない」


宮廷魔術師セレナも前へ出る。


「私たちは、自分たちの実力を勘違いしていた」


「お前まで……!」


「ハルトが戻らないのは当然よ」


セレナは俺を見る。


「私たちは、彼に何も返してこなかった」


レグルス以外の三人は。


ようやく自分たちの過ちを認め始めていた。


だが。


だからといって。


俺が戻る理由にはならない。


「ハルトさん」


リリアが俺へ向き直る。


そして。


深く頭を下げた。


「今まで、本当に申し訳ありませんでした」


「リリア?」


「守っていただいていたのに、気づこうともしませんでした」


「顔を上げてくれ」


「ですが……」


「謝罪は受け取る」


俺は言った。


「ただ、勇者パーティーには戻らない」


リリアは少し悲しそうな顔をした。


それでも。


「はい」


と答えた。


俺の意思を受け入れた。


ガルドとセレナも頭を下げる。


残ったのは。


勇者レグルスだけだった。


全員の視線が集まる。


「私は……」


レグルスの拳が震える。


「私は勇者だ」


誰に言うでもなく。


自分へ言い聞かせるようにつぶやいた。


「選ばれた人間だ」


その言葉と同時に。


レグルスが腰の聖剣を抜いた。


「おい!」


バルガスが戦斧へ手を伸ばす。


だが。


レグルスが狙ったのは、俺ではなかった。


ギルドの隅で正座している。


ゴブリンキング。


「魔物を討てば、私の力を証明できる!」


レグルスが聖剣を振り上げる。


ゴブリンキングの顔が引きつった。


『待テ!』


「魔王軍の怪物を倒し、私こそが勇者だと証明する!」


聖剣が振り下ろされる。


俺は、その刃を指で挟んだ。


キンッ。


高い音が鳴る。


聖剣が止まった。


「なぜ邪魔をする!」


「そいつには、まだ聞くことがある」


「魔物の言葉を信じるのか!」


「少なくとも、今のお前よりは話を聞く」


レグルスの顔が歪む。


「剣を離せ!」


レグルスが聖剣を引こうとする。


動かない。


両手で引いても。


足を踏ん張っても。


剣は俺の指の間から、一ミリも動かなかった。


「返せ!」


「分かった」


俺は指を離した。


急に力が抜けたことで、レグルスは後ろへ倒れた。


尻もちをつき。


聖剣が床へ転がる。


勇者の象徴である黄金の剣が。


俺の足元へ滑ってきた。


俺は剣を拾う。


軽く眺める。


「これが聖剣か」


「触るな!」


レグルスが叫ぶ。


「勇者にしか扱えない神聖な武器だ!」


俺は柄を握る。


聖剣が、まばゆい光を放った。


ギルド全体が照らされる。


床。


壁。


天井。


すべてに、光の紋章が浮かび上がった。


レグルスが言葉を失う。


「な……」


聖女リリアが目を見開く。


「聖剣が……共鳴している……」


「どういうことだ?」


俺が尋ねる。


「本来の所有者が触れたときにしか、起きない現象です」


「本来の所有者?」


俺はレグルスを見る。


顔から血の気が消えていた。


「そんなはずはない……」


聖剣から。


青白い文字が浮かび上がる。


《封印されていた所有者情報を確認》


《真の適合者――黒鉄ハルト》


《現在の使用者――レグルス・アルバート》


《不正な契約を検出》


《聖剣との偽装契約を解除します》


光が弾けた。


レグルスの手の甲に刻まれていた勇者の紋章が。


音を立てて砕けた。


「う、嘘だ……」


聖剣が俺の手の中で形を変える。


くすんでいた刀身が、透き通るような銀色へ変化する。


刃の中央には。


俺の名前が刻まれていた。


《聖剣エクスレイヴは、真の所有者へ帰還しました》


ギルド内に。


神聖な声が響いた。


誰も動かない。


レグルスは床に座り込んだまま、聖剣を見つめている。


「違う……」


「何がだ?」


「私が勇者だ」


レグルスの声が震える。


「私が選ばれたんだ」


「聖剣は、そう言っていないようだが」


「返せ!」


レグルスが飛びかかってくる。


俺は聖剣を差し出した。


「え?」


予想していなかったのだろう。


レグルスが動きを止める。


「必要なら持っていけ」


「何を……」


「俺には必要ない」


聖剣が俺の手から離れた瞬間。


光を失った。


レグルスが柄を握る。


だが。


どれだけ力を込めても。


聖剣は床から持ち上がらなかった。


「なぜだ……!」


両手で引く。


腰を落とす。


顔を真っ赤にしても。


聖剣は動かない。


先ほどまで。


勇者の象徴として振り回していた剣。


その剣に。


レグルスは完全に拒絶されていた。


「動け!」


何度叫んでも。


聖剣は応えない。


「私は勇者だぞ!」


誰も答えなかった。


俺は床に置かれた聖剣へ手を伸ばす。


片手で軽く持ち上げた。


「お前が勇者かどうかは知らない」


俺は聖剣をレグルスの前へ置く。


「だが、俺はもう、お前の荷物持ちではない」


レグルスは。


何も言い返せなかった。


そのとき。


ギルドの外から。


大きな爆発音が響いた。


ドォォォォォン!


窓が震える。


町の北側から、黒い煙が上がる。


ゴブリンキングが立ち上がった。


『コノ魔力……!』


「知っているのか?」


『ザルガ様ダ』


「三日後ではなかったのか?」


『予定ガ変ワッタラシイ』


次の瞬間。


町全体へ。


低い声が響き渡った。


『聞コエルカ、人間ドモ』


空が赤く染まる。


雲が燃え。


巨大な魔法陣が町の上空へ広がっていく。


『我ガ名ハ、魔王軍第六将――獄炎ノザルガ』


熱気だけで。


ギルドの窓が溶け始める。


『黒鉄ハルト』


俺の名が呼ばれた。


『終焉竜ヲ殺シタ男ヨ』


どうやら。


最初から目的は王都ではなかったらしい。


『貴様ノ力ヲ確カメニ来タ』


炎の中から。


一人の魔族が降りてくる。


赤い角。


黒い翼。


全身を覆う、燃える鎧。


その手には。


巨大な炎の剣が握られていた。


『我ト戦エ』


第六将ザルガは。


燃え盛る剣を、町へ向ける。


『拒ムナラバ、コノ町ヲ灰ニスル』


冒険者たちの顔が青ざめる。


勇者レグルスは。


聖剣を持ち上げることすらできず、震えていた。


俺はギルドの出口へ向かう。


「ハルトさん!」


受付嬢が呼び止める。


「どこへ?」


「話をしてくる」


俺は扉を開けた。


熱風が吹き込む。


空には。


一人で砦を滅ぼした、魔王軍の将。


背後には。


俺を追放した勇者。


どちらと話す方が楽だろうか。


少し考え。


俺は空へ浮かび上がった。


《飛翔》を使い。


ザルガと同じ高さまで昇る。


『来タカ』


ザルガが笑う。


強い。


終焉竜ほどではない。


だが。


黒翼竜やゴブリンキングとは比較にならないほどの力を持っている。


俺の目の前に。


青白い文字が浮かぶ。


《高位魔族を確認》


《対象の推定レベル――864》


《対象を撃破した場合、複数の上限を捕食可能です》


俺は少しだけ笑った。


「一つ聞いていいか?」


『何ダ』


「お前を倒したら、素材は残るのか?」


『……何?』


前回は黒翼竜を消してしまい、報酬が百分の一になった。


同じ失敗はしない。


「できれば、消えない程度に殴りたい」


ザルガの笑みが消えた。


『貴様……我ヲ侮辱シテイルノカ?』


「違う」


俺は拳を握る。


「手加減の相談をしている」


第六将ザルガの炎が。


町を覆うほどに膨れ上がった。

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