第3話 ゴブリン一体の依頼を受けたら、軍勢ごと消えた
冒険者登録を終えた俺は、受付嬢から真新しい冒険者証を受け取った。
薄い鉄板の中央に、俺の名前とランクが刻まれている。
《黒鉄ハルト》
《冒険者ランク・F》
最下級。
新人。
誰よりも弱い冒険者に与えられるランクだ。
「いいな」
俺は満足してうなずいた。
これなら目立たない。
受付嬢は無言だった。
「どうした?」
「いえ……」
彼女は俺の背後へ視線を向ける。
振り返ると、ギルドにいる冒険者全員がこちらを見ていた。
黒翼竜を一撃で倒したところを、町中の人間に見られてしまったからだろう。
「あれがFランク……?」
「俺、Cランクなんだけど」
「ランク制度って何なんだろうな」
「考えるな。頭がおかしくなる」
小声が聞こえてくる。
俺は受付嬢へ尋ねた。
「本当にFランクでいいのか?」
「規則上、新規登録者はFランクからになります」
「では、問題ない」
「問題しかありません」
受付嬢は頭を抱えた。
どうやらギルドにも複雑な事情があるらしい。
「それより、報酬を受け取りたい」
黒翼竜の討伐報酬は金貨百枚。
これだけあれば、当分は食事や宿に困らない。
俺は期待しながら受付へ手を出した。
だが、受付嬢は申し訳なさそうに眉を下げた。
「その件なのですが……」
「何か問題があるのか?」
「黒翼竜の討伐証明部位がありません」
「証明部位?」
「通常は牙、爪、角、魔石などを持ち帰っていただきます。それを確認して、正式な討伐と認定するんです」
「全部消えた」
「はい」
「拳で殴ったら、光になった」
「見ていたので分かります」
なら、問題はないのではないだろうか。
町には大勢の目撃者がいる。
俺が黒翼竜を倒したことは明らかだ。
しかし受付嬢は、小さく首を振った。
「ギルドの規則では、証明部位がなければ報酬を全額支払えません」
「では、いくらになる?」
「緊急時の特例として、目撃証言のみでも銀貨百枚までは支払えます」
金貨一枚分。
本来の百分の一だった。
「……そうか」
「申し訳ありません」
受付嬢は深く頭を下げる。
彼女が悪いわけではない。
規則なら仕方がない。
銀貨百枚でも、今の俺にとっては大金だ。
串焼きなら二千本ほど買える。
「それでいい」
俺が答えると、受付嬢は少し驚いた顔をした。
「怒らないんですか?」
「規則を破れとは言えない。それに、次からは素材が残るように殴ればいい」
「次から……」
受付嬢の表情が引きつった。
俺は報酬の入った袋を受け取る。
持ち上げると、ずしりと重かった。
これでようやく腹いっぱい食べられる。
「では、串焼きを買ってくる」
「あ、待ってください!」
受付嬢に呼び止められる。
「まだ何かあるのか?」
「冒険者として活動するなら、依頼を受けてください。正式な依頼をこなさないと、昇格に必要な実績として記録されません」
「昇格する必要はない」
「え?」
「Fランクのままで困らない」
高いランクになればなるほど、難しい依頼を頼まれる。
国や貴族から目をつけられる可能性も高い。
俺が望んでいるのは、静かで普通の生活だ。
最下級冒険者として角ウサギやゴブリンを倒し、食事代だけ稼げればいい。
「昇格に興味はない」
「黒翼竜を倒した人がFランクに居座る方が問題なんです!」
受付嬢の声がギルドに響いた。
冒険者たちが深くうなずく。
「そのとおりだ」
「俺たちの自信がなくなる」
「Fランクに負けるAランク魔物って何だよ」
俺には関係のない話だった。
俺は依頼掲示板へ向かう。
貼られている紙を上から順番に眺めていく。
《ワイバーン五体の討伐》
《盗賊団の捕縛》
《古代遺跡の調査》
《行方不明冒険者の捜索》
難しそうな依頼ばかりだ。
俺が探しているのは、もっと普通のものだった。
掲示板の一番下。
小さな依頼書が目に入った。
《畑を荒らすゴブリン一体の討伐》
《依頼主・クレア村》
《報酬・銅貨五十枚》
これだ。
新人冒険者らしい仕事。
報酬は少ないが、問題ない。
俺は依頼書を剥がし、受付へ持っていった。
「これを受ける」
受付嬢は依頼書と俺の顔を交互に見る。
「ゴブリン一体の討伐ですか?」
「ああ」
「黒翼竜を一撃で倒した方が?」
「ああ」
「もっと高難度の依頼を受けては……」
「断る」
「ですが」
「Fランクらしく、簡単な依頼から始める」
受付嬢は何か言いたそうだった。
だが、最終的には諦めたように依頼書へ受注印を押した。
「分かりました。ただし、依頼内容にない魔物を発見した場合、無理に戦わずギルドへ報告してください」
「分かった」
「本当に分かっていますか?」
「当然だ」
俺は依頼書を受け取り、ギルドを出た。
◇
クレア村は、アルディアから徒歩で半日ほどの場所にあった。
街道を進みながら、俺は買ったばかりの串焼きを食べていた。
一本目。
二本目。
三本目。
肉は柔らかく、塩味がよく効いている。
「うまい」
勇者パーティーにいたころの食事は、ほとんど保存食だった。
固いパンと干し肉。
レグルスたちは町に着けば高級料理を食べていたが、俺は荷物の見張りを任されていた。
温かい食事をゆっくり味わうのは、いつ以来だろう。
これだけでも、追放された価値はあった。
十本の串焼きを食べ終えるころ。
俺はクレア村へ到着した。
小さな農村だった。
木造の家が並び、その周囲には広い畑が広がっている。
しかし、畑の一部は荒らされていた。
作物は引き抜かれ、地面には小さな足跡が残っている。
村の入り口では、白髪の老人が待っていた。
「冒険者の方ですかな?」
「ああ。ゴブリン討伐の依頼を受けた」
俺が冒険者証を見せる。
老人は、そこに刻まれたFの文字を見て少し不安そうな顔をした。
「お一人ですか?」
「一人だ」
「武器もお持ちではないようですが……」
「必要ない」
老人の不安が深まった。
当然だろう。
普通のFランク冒険者が武器も持たずに現れたら、俺でも心配になる。
「安心してくれ。ゴブリン一体なら問題ない」
「それが……」
老人は言いにくそうに視線をそらした。
「何かあったのか?」
「昨夜から、村の子供が二人、戻ってきていないのです」
「ゴブリンにさらわれたのか?」
「恐らく」
老人は唇をかみしめる。
行方不明になったのは、十歳の少年と八歳の少女。
二人は兄妹で、荒らされた畑の近くで遊んでいたらしい。
村人たちはすぐに捜索した。
だが、森の入り口で子供の靴と、ゴブリンの足跡を発見した。
夜の森には魔物が出る。
戦える者のいない村では、それ以上追うことができなかったという。
「依頼には書いていなかったな」
「依頼を出したのは三日前です。そのときは、ゴブリンが一匹、畑を荒らしているだけだと思っていました」
「分かった」
俺は食べ終えた串を袋へしまう。
「助けてくる」
老人が目を見開いた。
「お待ちください! 子供をさらったとなれば、一匹ではないかもしれません!」
「だろうな」
「ギルドへ戻り、応援を呼んだ方が……」
「それでは遅い」
ゴブリンは知能が低い。
だが、人間をさらう目的は限られている。
労働力。
餌。
あるいは、別の魔物への供物。
時間をかければ、子供たちの命が危ない。
「森はどちらだ?」
老人は震える指で、村の北を示した。
俺はその方向へ歩き出す。
背後から老人の声が聞こえた。
「どうか……どうか、子供たちを……!」
「任せろ」
◇
森の中には、無数の足跡が残っていた。
一匹どころではない。
小さな足跡だけでも、百以上。
さらに、その中に大きな足跡が混じっている。
ゴブリンより二回りほど大きい。
上位種だろう。
ホブゴブリン。
ゴブリンナイト。
あるいは、ゴブリンキング。
俺は足跡を追って森の奥へ進む。
魔物の気配は、隠すこともなく広がっていた。
正面。
左右。
木の上。
地面の下。
数はかなり多い。
それでも、俺は歩く速度を変えなかった。
少し進んだところで。
頭上から矢が飛んできた。
俺は首をわずかに傾ける。
矢は頬の横を通り、後ろの木へ突き刺さった。
続けて、茂みから十体ほどのゴブリンが飛び出す。
錆びた剣。
石の斧。
木の槍。
装備は粗末だが、動きに統率があった。
「ギャギャ!」
「ニンゲン!」
「コロセ!」
ゴブリンたちが一斉に襲いかかる。
俺は一歩踏み込んだ。
力は、できるだけ抑える。
素材を残すためだ。
一体目の腹へ拳を入れる。
ゴブリンは声もなく倒れた。
二体目の剣を指で挟んで止める。
そのまま剣だけを引き抜き、峰で額を打つ。
三体目。
四体目。
五体目。
すべて、一撃。
十秒もかからず、ゴブリンたちは地面へ転がった。
「よし」
体は消えていない。
今度こそ手加減に成功した。
俺は倒れたゴブリンの耳を切り取る。
ゴブリンの討伐証明部位は右耳だと、受付嬢から教わっていた。
依頼は一体。
すでに達成している。
だが、子供たちを見つけるまでは帰れない。
俺はさらに森の奥へ進んだ。
途中、何度もゴブリンが襲ってきた。
二十体。
三十体。
五十体。
数は増えていったが、結果は同じだった。
俺が通ったあとには、気絶したゴブリンが山のように積み重なっていく。
殺さなかったのは、弱すぎたからだ。
命を奪う必要すらなかった。
森の最奥へたどり着く。
そこには、大きな洞窟があった。
入り口には、木で作られた柵。
見張り台。
粗末な旗。
どう見ても、一匹のゴブリンが住んでいる場所ではない。
洞窟の前には、百体を超えるゴブリンが整列していた。
槍を持つ者。
弓を持つ者。
盾を持つ者。
その奥には、鎧をまとった大型のゴブリンがいる。
「ゴブリンジェネラルか」
ゴブリンの軍勢を率いる上位種。
危険度はBランク。
本来なら、熟練の冒険者パーティーが複数必要になる相手だ。
そのゴブリンジェネラルが、玉座のような椅子へ座っている。
隣には、二人の子供が縛られていた。
少年は妹をかばうように前へ出ている。
二人とも泣いていたが、まだ生きている。
間に合った。
「その子供たちを返せ」
俺が言うと、ゴブリンたちが一斉に笑った。
「ギャハハハ!」
「ニンゲン、ヒトリ!」
「バカ!」
ゴブリンジェネラルが立ち上がる。
身長は人間の大男ほど。
手には巨大な曲刀を持っている。
『ニンゲン』
低い声だった。
普通のゴブリンと違い、人の言葉を話せるらしい。
『コノ森ハ、我ラノ王国トナル』
「村の畑を荒らしたのも、お前たちか」
『ソウダ』
「子供をさらった理由は?」
ゴブリンジェネラルは、醜く笑った。
『王ヘノ供物ダ』
「王?」
『間モナク、真ノ王ガ目覚メル』
洞窟の奥から、重い振動が響いた。
ドン。
ドン。
巨大な何かが、歩いている。
やがて暗闇から現れたのは、ゴブリンジェネラルよりもはるかに大きな怪物だった。
身長は五メートルほど。
頭には黒い王冠。
全身を重い鎧で覆い、片手には人間ほどもある戦槌を持っている。
ゴブリンキング。
それも、通常の個体ではない。
体から黒い魔力があふれている。
「魔族の力を与えられているな」
『ヨク分カッタナ、人間』
ゴブリンキングが笑う。
『我ハ魔王軍ヨリ、力ヲ授カッタ』
魔王軍。
勇者レグルスたちが討伐を目指していた、魔族の軍勢。
どうやら、こんな小さな村の近くにまで影響が及んでいるらしい。
『人間ノ村ヲ滅ボシ、兵ヲ増ヤス』
「子供たちは兵にするつもりか?」
『違ウ』
ゴブリンキングは、口を大きく開けた。
『喰ウノダ』
後ろで少女が泣き声を上げた。
兄が必死に前へ出る。
「妹には手を出すな!」
震えている。
怖いはずだ。
それでも、妹を守ろうとしている。
その姿を見た瞬間。
俺の中で、何かが冷えた。
「そうか」
俺はゴブリンキングを見る。
「なら、お前たちは全員ここで終わりだ」
一瞬。
森の空気が止まった。
ゴブリンたちの笑い声が消える。
俺は殺気を出したつもりはない。
ただ、少し腹が立っただけだ。
だが。
百体を超えるゴブリンたちが、一斉に後ずさった。
ゴブリンジェネラルの手から、曲刀が落ちる。
『ナ、ナンダ……』
ゴブリンキングだけが、戦槌を構えた。
『恐レルナ! 敵ハ一人ダ!』
号令と同時に、ゴブリン軍が動く。
弓兵が矢を放つ。
槍兵が突撃する。
魔術を使える個体が、炎の玉を作り出す。
子供たちが巻き込まれる。
俺は地面へ手をついた。
「少し眠っていろ」
ほんのわずかに。
地面へ魔力を流す。
ドンッ!
洞窟の前だけが大きく揺れた。
衝撃が地面を伝わり、ゴブリンたちの足元から突き上げる。
百を超える軍勢が、同時に宙へ浮いた。
そして。
地面へ落ちる前に、全員が意識を失った。
矢も。
魔法も。
すべて消えた。
立っているのは、ゴブリンキングとゴブリンジェネラルだけ。
子供たちは無傷だった。
『バ、バカナ……』
ゴブリンジェネラルが震えている。
「子供を解放しろ」
俺が言うと、ゴブリンジェネラルは慌てて縄を切った。
「こっちへ来い」
子供たちが走ってくる。
少年は妹の手をしっかり握っていた。
俺は二人を背後へかばう。
「目を閉じていろ」
「お兄ちゃんは……?」
少年が不安そうに尋ねる。
「すぐ終わる」
ゴブリンキングが雄叫びを上げた。
『我ハ魔王軍ノ将ダ!』
黒い魔力が膨れ上がる。
体がさらに巨大化し、鎧が砕ける。
筋肉が膨張し、額から角が生える。
『人間一人ニ、負ケルハズガナイ!』
「昨日も似たようなことを聞いたな」
終焉竜も。
黒翼竜も。
自分が負けるとは思っていなかった。
だが、強い者ほど勘違いする。
自分より上がいないと。
「来い」
ゴブリンキングが戦槌を振り上げる。
黒い魔力が一点へ集まる。
地面が割れ、洞窟の天井から岩が落ちる。
『魔王撃ィィィ!』
全力で振り下ろされた戦槌。
俺は人差し指を伸ばした。
戦槌を。
指一本で受け止める。
ゴォォォォン!
大きな音が森へ響いた。
だが、俺の指は動かない。
ゴブリンキングの腕だけが震えている。
『ナ……』
「これが魔王軍の将か?」
俺は指を軽く押し返した。
戦槌が砕ける。
続けて、ゴブリンキングの鎧。
角。
王冠。
すべてに亀裂が走った。
『待テ』
「何だ?」
『我ヲ殺セバ、魔王軍ガ黙ッテイナイ』
「そうか」
『魔王様ハ、貴様ノ想像ヲ超エル御方ダ』
ゴブリンキングが笑う。
『今ナラ、我ガ配下トシテ――』
「興味ない」
俺は額を軽く指で弾いた。
それだけだった。
ゴブリンキングの巨体が洞窟の奥へ吹き飛ぶ。
岩壁を何枚も突き破り、最後は地面へ埋まった。
体は残っている。
死んではいない。
意識を失っただけだ。
「よし」
今回も手加減に成功した。
ゴブリンジェネラルがその場に膝をついた。
『降伏スル』
「そうしてくれ」
俺は子供たちへ振り返る。
「もう目を開けていい」
二人はゆっくり目を開けた。
周囲には、倒れたゴブリンの軍勢。
壁へ埋まったゴブリンキング。
そして、立っているのは俺一人。
少女が口を開いた。
「お兄ちゃん……勇者様なの?」
「違う」
「じゃあ、すごい冒険者?」
「Fランクだ」
少年が冒険者証を見る。
そこには確かに、Fの文字がある。
「Fランクって、一番弱いんじゃ……」
「そう聞いている」
「嘘だ!」
もっともな反応だった。
◇
ゴブリンたちをどうするか。
少し考えた末。
俺は全員を縄で縛り、まとめて運ぶことにした。
討伐証明部位だけでは、正確な数を数えるのが面倒だったからだ。
ゴブリン。
ホブゴブリン。
ゴブリンナイト。
ゴブリンメイジ。
ゴブリンジェネラル。
ゴブリンキング。
合計三百二十一体。
彼らを巨大な縄で一つにまとめる。
俺はその縄を片手で持ち上げた。
「帰るぞ」
子供たちは俺の隣を歩く。
背後では、山のように積み重なったゴブリンたちが地面を引きずられていた。
森の木々が何本か倒れた。
村へ到着すると。
畑にいた村人たちが、手にしていた道具を落とした。
「何だ……あれは……」
「ゴブリンの山が動いている」
「いや、引っ張っている人がいるぞ」
村の入り口で待っていた老人が駆け寄ってくる。
子供たちの姿を見つけた瞬間、老人の目から涙があふれた。
「無事だったか!」
子供たちは、待っていた母親の胸へ飛び込む。
泣き声と笑い声が広がった。
俺は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
誰かを助けること自体は、勇者パーティーにいたころと変わらない。
だが。
今までは、誰にも知られないように助けていた。
感謝はすべてレグルスが受け取った。
俺は荷物持ちとして、後ろに立っているだけだった。
今。
助けた相手が、俺を見ている。
子供たちの母親が、何度も頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます……!」
「間に合ってよかった」
それだけで。
なぜか、胸の奥が少し温かくなった。
老人がゴブリンの山を見る。
「依頼では、一匹だけだったはずですが……」
「少し増えた」
「少し……?」
「三百二十一体だ」
老人はその場で固まった。
「報酬の銅貨五十枚は、一体分しか用意できない」
「構わない」
依頼主は、小さな農村だ。
三百体分の報酬を払わせれば、村がなくなる。
「だが、畑を荒らした分は、ゴブリンに直させる」
「え?」
俺は縛られたゴブリンたちを見る。
全員、すでに目を覚ましていた。
「働け」
俺が言うと。
三百体を超えるゴブリンが、揃って勢いよくうなずいた。
その日。
クレア村では、史上初めて。
ゴブリンの軍勢による、畑の修復作業が行われた。
◇
翌朝。
俺はゴブリンジェネラルとゴブリンキングだけを連れ、アルディアへ戻った。
残りのゴブリンたちは、村の監視下で働かせている。
逃げたらどうするのかと聞かれたが。
「次は少し強く殴る」
と伝えたところ。
誰も逃げなかった。
ギルドの扉を開ける。
「依頼を終えた」
受付嬢が顔を上げた。
「お帰りなさい。ゴブリン一体の討伐ですね」
「ああ」
俺は縄を引く。
扉の外から。
巨大なゴブリンキングと、ゴブリンジェネラルが入ってきた。
ギルド内が静まり返る。
受付嬢の眼鏡がずれた。
「……ゴブリン、一体?」
「依頼対象は一体だった」
「後ろにいるのは?」
「ゴブリンキングとゴブリンジェネラルだ」
「なぜ生きているんですか?」
「素材が消えると報酬をもらえないから、今回は残した」
「残したという言い方で生け捕りにしないでください!」
受付嬢の叫び声が響いた。
ギルドの冒険者たちは、武器を手にする。
だが、ゴブリンキングは俺の後ろで正座していた。
完全に戦意を失っている。
「ほかにもゴブリンがいた」
「何体ですか?」
「三百十九体」
受付嬢が机へ手をついた。
「それで、ほかのゴブリンはどこに?」
「村で畑を直している」
「ゴブリンが畑を?」
「俺が頼んだ」
「頼んで働く魔物ではありません!」
「頼み方がよかったんだろう」
ゴブリンキングが、何度もうなずいた。
受付嬢は両手で顔を覆った。
「ゴブリン一体のFランク依頼が……どうしてこんなことに……」
俺は依頼書を受付へ置く。
「これで実績は一つだな」
「実績一つで済む内容ではありません!」
「だが、依頼内容はゴブリン一体の討伐だ」
「もうランクを上げます」
「断る」
「拒否権はありません!」
「なぜだ?」
受付嬢は勢いよく顔を上げる。
「Fランク冒険者が、ゴブリンキングを生け捕りにして連れてくる前例を作らないでください!」
その場にいた冒険者全員が、再びうなずいた。
俺には納得できなかった。
規則では、実績を積まなければ昇格できないはずだ。
まだ依頼を一つしか終えていない。
「では、次も簡単な依頼を受ける」
「簡単な依頼を簡単に終わらせてから言ってください!」
そのとき。
目の前に青白い文字が現れた。
《特殊個体・魔王軍強化型ゴブリンキングの撃破を確認》
《対象の能力上限を捕食します》
《統率能力の上限が解放されました》
《新規能力――“絶対命令”を獲得》
「絶対命令?」
文字は続く。
《自身より弱い魔物に対し、強制的な命令権を得ます》
俺は正座しているゴブリンキングを見る。
試しに声をかける。
「立て」
ゴブリンキングが立つ。
「座れ」
座る。
「踊れ」
ゴブリンキングは一瞬だけ悲しそうな顔をしたあと。
腰を振りながら、妙な踊りを始めた。
ギルド内が再び静まり返った。
「なるほど」
魔物を従える能力らしい。
これなら、倒さずに済む相手も増えるかもしれない。
悪くない力だ。
俺がそう考えていると。
ギルドの扉が乱暴に開いた。
銀色の鎧をまとった騎士たちが入ってくる。
先頭にいた男は、王国の紋章が入った外套を着ていた。
騎士団長だろう。
「黒鉄ハルトという冒険者はいるか!」
全員の視線が、俺へ集まる。
騎士団長は俺を見つけると、まっすぐ近づいてきた。
「貴殿が黒翼竜を一撃で討伐した男か?」
「そうらしい」
騎士団長は懐から書状を取り出す。
赤い蝋で封がされている。
王家の紋章だった。
「国王陛下より、王都への召喚命令が出ている」
ギルドがざわめく。
俺は書状を見る。
王都。
国王。
召喚命令。
どれも面倒そうだった。
「断る」
騎士団長が固まった。
「……今、何と?」
「断ると言った」
「これは国王陛下直々の命令だぞ!」
「俺はもう、王国の勇者パーティーではない」
俺を追放したのは、王国が認めた勇者だ。
ならば、俺が王国の命令に従う理由もない。
「今はただのFランク冒険者だ」
受付嬢が力なくつぶやいた。
「その言葉に説得力があると思っているのは、ハルトさんだけです……」
俺は聞こえないふりをした。
そのころ。
王都では。
勇者レグルスたちが、神喰らいの奈落から帰還したという知らせが届いていた。
ただし。
四人全員が重傷。
迷宮攻略は失敗。
そして、勇者レグルスは。
帰還して最初に、こう叫んだという。
「ハルトを連れ戻せ!」
世界最強を追放した勇者は。
わずか二日で。
自分が失ったものの大きさを、思い知り始めていた。
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