第1章 「白雪姫は夢の跡……」 第6話
眩しい朝日が、カーテンの隙間から柔らかく翼を包み込んだ。
その光の中で、翼はゆっくりと目を覚ました。
お姉ちゃんが一緒に暮らすことになった。
それが未だに信じられない自分がいた。
夢ではないかと何度も確かめたくなる。
李梨奈さんが、ゼロタイムの2階にいる。
朝起きたら、すぐ近くにいる。
翼はベッドから起き上がり、
少しぼんやりしたままリビングに向かった。
そこでは、怜人が新聞を読みながら朝食を食べ、
エプロン姿の李梨奈がキッチンで軽やかに動き回っていた。
「おはよう、翼」
「おはよう、お姉ちゃん」
李梨奈が振り返って、優しく微笑む。
その笑顔は朝の陽光に照らされて、
まるで絵本の中の風景のように温かかった。
怜人とエプロン姿の李梨奈を並んで見ると、
なんだか夫婦のように見えた。
(兄さんに彼女……)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
ゼロタイムで女子生徒とよく話すことはあっても、
怜人はモテるタイプではなかった。
女性を一度も家に招いたことはなく、
付き合ったことがあるという話も、
学生時代からの友人である理央からも聞いたことがなかった。
それなのに、李梨奈と怜人の距離が、
なんだか妙に近いような気がした。
ただの幼馴染だよね……?
翼は小さく首を傾げ、
胸の奥に生まれた小さなモヤモヤを、
そっと押し込めた。
李梨奈が、温かい味噌汁を翼の前に置いた。
「はい、翼の分。たくさん食べてね」
「ありがとう」
翼はスプーンを手に取りながら、
2人の様子をちらりと見つめた。
朝の光が、3人を優しく包み込んでいる。
新しい家族の形が、少しずつ、
このゼロタイムの朝に溶け込んでいくようだった。
李梨奈はゼロタイムで、よく働いていた。
住まわせてもらっているという恩返しの意味もあったが、何より接客というのが楽しかった。
カウンター越しに笑顔で注文を取り、
温かいコーヒーを運び、
生徒たちと他愛もない会話を交わす時間は、
彼女にとって新鮮で、心地よいものだった。
「雪叢李梨奈、しっかり働いてるな」
「あぁ、理央より役に立ってる」
「おい」
李梨奈が笑いながら注文メモをカウンターに置き、
怜人はそれを受け取って確認すると、
すぐに裏の厨房へ引っ込んでいった。
「そういえば理央くん。なんで私のことフルネームで呼ぶの?」
「ん?」
理央が少し考え込んでから、肩をすくめた。
「同じ学校でもなかったし、怜人みたいに幼馴染じゃないからな」
「なのにひなたは呼び捨てなんだ」
二柳ひなたは理央の元カノであり、
李梨奈と同じ過ぎ去りし流星たちのひとりだった女性。
「まぁ……今さら呼び方変えられないし」
李梨奈がにやりと笑って詰め寄る。
「んで、ひなたとはその後どうなの?」
「そういう話は終わってからにしろ」
裏からサンドイッチの皿を持って出てきた怜人が、
呆れたように声をかけた。
「ほら、これ持ってけ」
「はーい」
李梨奈は軽やかに返事をして、
出来立てのサンドイッチをトレイに載せた。
カウンターの向こうでは、
いつものように百合々咲の生徒たちが談笑している。
李梨奈はトレイを持ってテーブルへ向かいながら、
ふと心の中で思う。
(ここにいると、なんだか穏やかだ)
昔、華やかな芸能界を駆け抜けていた頃とは違う、
静かで、温かい日常。
怜人が厨房で手を動かしている姿、
理央がグラスを磨きながら軽口を叩く姿、
李梨奈はトレイをテーブルに置き、
明るく声をかけた。
「はい、お待たせしました〜」
生徒たちが笑顔で礼を言う。
その笑顔を見ながら、
李梨奈は胸の奥で小さく微笑んだ。
ここが、
自分の新しい居場所になりつつあることを、
静かに実感していた。
遠い異国の地、イギリス・ロンドン。
その日のロンドンは、
濃い霧が街全体を優しく包み込んでいた。
ロンドンの中でも一際壮大に聳え立つ、
クラシカルな洋館とも言える佇まいの建物。
“王立演劇歌劇団アンダルシア”の劇場。
まるで高級ホテルのラウンジのような食堂には、
様々な人種 国籍の劇団員たちが、
それぞれの時間を過ごしていた。
低い話し声、銀器の触れ合う音、コーヒーの香り
そこには、世界最高峰の舞台を創り上げる者たち特有の、静かで洗練された緊張感が漂っていた。
「ロゼさん、こちらお手紙です」
食事中のロゼに、
事務員が一通の手紙を差し出した。
「?」
ロゼが宛名を確認すると、
ため息とともに肩を落とした。
「どうした?」
正面に座っていた屈強な大男が、
グラスを置いて声をかけた。
「ババァからの呼び出しだ。また日本かよ」
「ババァ?」
「あぁ、お前知らなかったか。ミリー・マーキスっていう、前にここにいたババァが、今は日本の学校の理事長やってんだ」
そこに、メガネをかけた色白の青年が隣の席に腰を下ろした。
「なぁ、イラムさんよ 代わりに行ってきてくれないか?」
「僕がいなくなったらアンダルシアの演出は誰が指揮をとるんだ?」
イラムと呼ばれた青年が静かに答える。
すると、ロゼの肩にぽんと手が置かれた。
ロゼが顔を上げると、
長い銀髪を垂らした少女が立っていた。
それは冷たくもあり、暖かくもある、
不思議な少女だった。
「行ってこい……。必要とされるなら、そこが私たちの舞台だ」
この人に言われてしまったら、
ロゼは従うしかない。
「……ユリンが行けっていうなら、行くしかないか」
ロゼはため息混じりに手紙をポケットにしまい、
窓の外に広がる霧のロンドンを見つめた。
遠く、日本で待つ者たちの顔が、
ぼんやりと脳裏に浮かぶ。
アンダルシアの劇場に、
再び静かなざわめきが戻っていった。
新たな舞台が、再び彼を呼んでいた。
すると、銀髪の少女が思い出したかの様に言い出した。
「それはそうと、お土産は忘れるなよ。トーキョーバナナ?とかいうやつ あれ美味かった」
「……そういうところはユリンに似なくていいんだよ」
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第6話 完
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