第1章 「白雪姫は夢の跡……」 第3話
百合々咲音楽学院の進級試験は、
歌唱・ダンス・演技といった実技に加え、
筆記試験も含まれる厳しいものだった。
学年末が近づくにつれ、
学院全体の空気がピリピリと張りつめていく。
廊下を行き交う生徒たちの表情はどこか硬く、
レッスン室では夜遅くまで灯りが消えない。
特にエーデルは、進級試験に落ちるなど絶対に許されない。
学院の顔として、頂点に立つ者としての責任が、
その肩に重くのしかかっていた。
翼は必死になっていた。
朝の自主練習に始まり、夜の自主練まで、
いつもの倍以上の時間を費やした。
座学の時間も、分からないところは積極的に講師に質問し、ノートを埋め尽くす。
カフェテリアでサンドイッチを頰張りながらも、
片手に教科書を開いている姿が最近の彼女の日常だった。
「もう少し……もう少し頑張れば……」
鏡の前で何度も声を出し、身体を動かし、
時には息を切らしながら床にへたり込むこともあった。
それでも翼の瞳は、決して曇らなかった。
一方、二乃は——
寝ていた。
授業中、机に突っ伏して気持ちよさそうに寝息を立てている。
翼が昔から見慣れた光景であったが、
それでも毎回「本当に大丈夫かな……」と心配になる。
なのに、何故かこの百合々咲に入ってから、
二乃が赤点を取っているところを翼は一度も見たことがなかった。
「私、地頭はいいから〜」
休み時間に二乃がのんびりと言った。
「地頭いい人は授業中寝ないと思うけど……」
翼が呆れたように返すと、二乃は笑うだけだった。
砂月、八重、哪吒の3人は、進級試験のことなど気にも留めていない様子だった。
あの3人なら、余裕で通過するのは目に見えていた。
砂月は完璧主義者として、八重は王子様らしい安定感で、 哪吒は圧倒的な実力で——
それぞれの持ち味を最大限に発揮し、
試験に臨む姿が容易に想像できた。
カフェテリアの窓際のテーブルで、
5人はいつものように集まっていた。
翼が教科書を広げて必死に単語を暗記している横で、二乃はあくびをしながら紅茶を飲み、
砂月は優雅にクッキーを頰張り、
八重と哪吒は静かに次の稽古の話をしている。
そんな日常の光景が、
今はなぜか、翼にとってとても愛おしく感じられた。
進級試験。
SNOW WHITE第2部への準備。
そして、自分自身を見つめ続ける日々。
すべてが重なり合いながら、
翼は確かに一歩ずつ、前へ進んでいた。
木漏れ日がテーブルの上に落ち、
5人のエーデルの影を優しく照らしている。
舞台創造科棟の会議室は、
緊張した空気に包まれていた。
「このスケジュールマジ……?」
侑樹が頭を抱え、バインダーを机に叩きつけるように置いた。
舞台創造科で行われたSNOW WHITE第2部へ向けたスケジュール会議。
本来はクリスマスのエンドレスワルツで行われるはずだった公演が、 今回は特例として6月に追加開催されることになった。
その決定が下された瞬間から、
舞台創造科全体が慌ただしくなっていた。
大規模公演であるSNOW WHITEを、
しかも第2部という新作を短期間で作り上げるとなると、 スケジュールは明らかに厳しい。
通常のエンドレスワルツですら学院総動員の総力戦になるのに、 今回はさらに半年近く前倒しだ。
「新入生に教える時間がほとんど取れない……」
侑樹はため息を吐きながら、壁に貼られた工程表を睨んだ。
舞台創造学科は、俳優育成科とは違い未経験者でも入れる科だ。
だからこそ、時間をかけて基礎から育てていくのが通例だった。
小さな舞台から経験を積み、徐々に大きな舞台へ
それがこれまでのやり方だった。
しかし、6月にSNOW WHITE第2部を上演するとなると、 そんな悠長なことを言っている場合ではない。
入学して間もない1年生が、
いきなり学院最大級の公演に携わる可能性が出てきたのだ。
「2、3年生が主体になるにしても、1年の手助けは絶対に必要……」
侑樹は両手で顔を覆い、
天井に向かって長い息を吐いた。
光葉が隣で資料をめくりながら、
少し困った顔で言った。
「照明と音響の機材も、大帝都劇場仕様に合わせないといけないし…… 新入生に劇場スタッフの指示の受け方も教えなきゃいけないよね」
瑠々も隣で小さく頷いた。
「大道具の新設分も結構多いです…… 」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
侑樹はゆっくりと顔を上げ、
仲間たちの顔をひとりひとり見回した。
「でも……やるしかないよな」
その声は疲れを含みながらも、
どこか熱を帯びていた。
「第1部を成功させたエーデルたちに、
第2部も大成功収めてもらわなきゃ。私たちが最高の舞台を作って、翼たちをちゃんと支えてあげないと」
光葉が微笑んだ。
「そうだね。私たちも、負けないように頑張ろう」
瑠々も拳を小さく握った。
「新入生にも、できるところからしっかり教えていきます!」
侑樹はようやく表情を緩め、
バインダーを再び開いた。
「よし、もう一度スケジュール見直そう。 現実的に可能なラインで…… でも、妥協は最小限に」
舞台創造科の生徒たちの目が、再び輝き始めた。
外の廊下からは、
俳優育成科の練習する声が遠く聞こえてくる。
翼たちの歌声、ダンスの足音、そして笑い声。
その声に応えるように、
舞台創造科の生徒たちも、
自分の役割を全力で果たそうと動き始めた。
SNOW WHITE第2部——
未完の物語を、
今、ここで完成させるために。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第3話 完
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