第17話 おばんざいとドーナツ

 加恋は、「カズ君」と名付けた、はにわ人形を手に取って見つめていた。


 天満宮ではにわ占いを買ったときに、和也がくれた指人形のような、はにわ型の素焼き陶器だ。ヒモでバッグに括りつけ、いつも持ち歩いている。


「私も、少しは見習わないと……」

 加恋はそう言って、はにわ人形をバッグから外した。


 机の引き出しを開ける。

 そこには、何も入っていない小さなスペースがある。

 真っ白なハンカチを四つに折りたたみ、そのスペースに敷いた。

 そして、はにわ人形をそっと置く。

 はにわ人形の顔は、キョトンとした目に、おちょぼ口をしている。


「ふふ。可愛い」

 そう言って、机の引き出しを閉めた。

 バッグを肩に引っ掛けて、自分の部屋をあとにした。


 *   *   *


「里香さん。私、ここで働かせてください」

 加恋は、「福和」の店主・里香に頭を下げた。


 福和は、防府市戎町にある和風食堂だ。

 野菜を中心にした、おばんざい料理のメニューはどれも逸品との評判で、テレビにも取り上げられたことのあるお店だ。

 店主の里香のオリジナル料理が売りである。


 加恋はここの料理が大好きで、自分も将来、こんなお店を出せたらいいな。と漠然と思っていた。

 でも、漠然と思っているだけでは、夢はかなわない。

 和也の姿を見ていて、それだけははっきりと自覚することが出来た。


 仕込みをしている里香が、お味噌汁を小皿によそって、差し出した。

「加恋ちゃん、この出汁の中身、当ててごらん」

 加恋は一口飲んで、よく吟味したうえで言った。

「鰹節じゃない。とは思いますが」


 里香は、うん、と頷いた。

「それは、タマネギだけなのよ」

「え? タマネギだけでこの甘味が出るんですか?」

「少しだけ、白出汁とお醤油も足してるけどね」

「そこのバランスなんですね」

 加恋は、もう一口くちにした。


 里香が言う。

「場合によっては、鰹節とぶつかるからね。今日のは、タマネギだけでお出汁をとっているのよ」

「美味しいです。そして、優しい味だわ」

 加恋は、じっと小皿のお味噌汁を見つめた。


「勉強してみたい?」

 里香が聞いた。

「はい。勉強したいです」

 加恋も即答した。

「いいわよ。その代わり、私は手は抜かないからね」

「もちろんです。よろしくお願いします」

 加恋は、深く頭を下げた。


 *   *   *


 恭一郎が、出勤し、着替えて洗車場に向かうとしたところだった。

 事務のおばちゃんが声を掛けた。

「皆さん。社長から差し入れがあります。良かったら、とって食べてください」

 おばちゃんが、箱を開いてみんなに見せて回る。

「塩キャラメルのエクレアです。塩分もとれますので、おひとつどうぞ」

 そう言って、恭一郎の前に差し出した。


 恭一郎ののどがゴクッとなった。


 恭一郎はかなりの甘党である。本来こういうスイーツには目がない。

 だからこそ、糖尿病が進行して一時は深刻な状況までいった。

 糖分は危険極まりない。

 もう、何カ月もスイーツ断ちしている。目の毒だ。


 エクレアは、直前まで冷蔵庫でキンキンに冷やしてあったと思われる。コーティングされたチョコレートには、水滴が汗のように浮かんで、光っていた。


「菅原さんも、どうぞ」

 おばちゃんが、ニコっと笑って、差し出す。

 こっちの病気のことなど知らないので、屈託のない笑顔を向けてくる。


「いただきます」

 恭一郎は、さっとエクレアに手を伸ばし、口の中に押し込んだ。

 ムシャムシャ。

 ――うまい。

 恍惚の表情を浮かべる恭一郎。


 たまには、いいだろう。

 今日はこれから、嫌というほど汗をかくんだ。

 そう心に言い聞かせて、走って仕事に向かった。


 その夜、足のしびれがひどくなった。

 甘いものを食べた日は、決まって足のしびれがひどくなる。

 恭一郎は、足をさすりながら後悔した。

「もう、二度とエクレアなんかには引っ掛かんねーぞ」


 *   *   *


 和也は、高速バスに揺られて東京に向かっていた。

 窓の外をボーと眺めていると、トンネルに入るたびにオレンジ色の光が目の前をいくつも通り過ぎていく。


「お腹が空いたら、これを食べてね」

 防府駅前でバスに乗り込む時に、加恋が見送りに来て、渡してくれたのが、お弁当だった。手荷物にならないように。と、使い捨ての容器に入れてある。


 和也は、バスに揺られながら、膝の上に置いたお弁当をじっと見ていた。

 考えてみたら、加恋の作ってくれたお弁当が、全ての出発点だったかもしれない。

 そのお陰で、絵コンテが創れた。動画の撮影がうまくいった。

 加恋は、自分の夢を後押ししてくれた。

 そして今度は、加恋自身が、自分の夢に向かって歩き始めた。


 あの「福和」で働き出して、将来的には、自分でお店を持ちたい。と言い出した。

 加恋は、「カズ君が頑張っているから、私も触発されちゃったみたい」と笑っていた。そう言われるのは、嬉しかった。

 ところが、東京に就職するかどうか、実は、自分はまだ迷っている。今回の体験入社で結論を出すつもりだが、それは、あえて黙っていた。


 お弁当の蓋を開けて見た。

 ――あ。

 おばんざい料理が並んでいる。

 加恋とよく行く、「福和」で出されるメニューだ。


 おばんざい料理とは、

 本来は、京都の一般家庭で昔から日常的に作られてきた、普段のおかずや総菜のことらしい。基本は薄味だが、福和のは一味違った。

 店主の里香さんが、いろいろ工夫して味付けに拘っていた。小鉢でいろいろな料理が並べて出されてくる。


 味の染みこんだ、根菜の煮しめ。

 ホクホクで柔らかい、きんぴらごぼう。

 お店で評判の、豆腐ナゲット。


 和也も大好きなものばかりだ。

 そして、それは加恋が自分の道を歩み始めた証拠だった。


 和也がオニギリをとって頬張ると、おお!っと感動が走った。

 中身に、沢庵の細切りが入っている。

 単なる沢庵ではない。ごま油と砂糖醤油を絡ませて、絶妙な味付けが施されている、大好物の逸品だ。

「コイツが隠れていたとは」

 和也は、バクバクとオニギリを頬張り、オカズをつまんでペロリと完食してしまった。その味わい深さは、いつまでも口の中に残っていた。


 *   *   *


「どうだった?」

 岸川が、真剣な面持ちで聞いてきた。

「ああ、面白かった」

 恭一郎が答える。


「どれが良かった?」

「筒井康隆の、「笑うな」。あれが良かった」

「そうか。よし」

 と、岸川は満足気に拳を握った。


 恭一郎は、岸川が出演している朗読劇を見に、新宿の小さい芝居小屋に来ていた。

 舞台終了後に、芝居小屋の前で立ち話をしていた。

 岸川は恭一郎と同い年だが、今でも精力的に役者活動をしている。若い頃は一緒に舞台をやったり、映画を創ったりと苦労をともにした仲だ。


 岸川は、一人芝居をしたり、朗読劇に参加したりと、今でも熱心に芝居に取り組んでいる。その姿は恭一郎にとって、一目置くほどだった。


 岸川が聞く。

「なんかあるか?」

 恭一郎が、しばらく考えて答える。

「あそこ、ちょっと笑い、引っ張った方がいいかもな」

「どこ?」


「『タイムマシンを発明したのか』『タイムマシンを発明した』で、俺達は爆笑した。のところだ」

「あそこか」

「ああ、客は笑いたくなっているから、すぐ次のセンテンスにいかないで、客と一緒になって、笑いを共有したほうがいいかもな。一体感が出る」

「わかった。次、やってみる」

 岸川はそう言って、親指を立てた。


 恭一郎は、森下や陽子と再会し、甥っ子の内定が決まったことなどを、岸川に報告した。

「それは良かった。甥っ子さんが東京に来るとなると、お前も張り合いが出るだろうしな」

「ああ、もうすでに、元気づけられているよ。ありがたい存在だ。それと、森下君と陽子ちゃんと、また、飲みにでも行こうや。思い出話で盛り上がる。あ、俺は飲まないけどな」

「おお。いいね。舞台終わったら、行こう」

「じゃあ、また連絡するわ」

 そう言って、恭一郎は、その場をあとにした。


 *   *   *


 新宿駅の地下街を改札に向かって歩いていると、恭一郎の足が止まった。


 ――ドーナツ屋だ。


 チョコレートのヤツ。

 ストロベリーチョコレートのヤツ。

 抹茶チョコのヤツ。

 白い粉砂糖がまぶしてあるヤツ、

 マーブルチョコレートがトッピングされているヤツ。


 カラフルな色合いで店のディスプレイに並んでいる。

 恭一郎の目が釘付けになった。一歩もそこから動けなくなった。


 恭一郎は首を振った。

「バカ言ってんじゃない。つい先日、エクレアに騙されたばかりだ。こんなものに手を出して、またしびれが悪化したら、どうするんだ」

 そう、口にした瞬間、ディスプレイの下にあるドーナツが目に飛び込んできた。


 オールドファッションドーナツだ。


 恭一郎の大好物である。

 チョココーティングされたヤツと、白いシロップでコーティングされたヤツ。

 二つ、仲良く並んで、恭一郎に微笑みかけてくる。


 一口かじると、パリパリのチョコがはじけ、サクッとした感触のドーナツが口の中に広がる。あの味わいが、一気に恭一郎の頭の中を駆け巡った。


 もう、辛抱たまらん。俺はもう、死んでもいい。


 と、覚悟を決めた瞬間だった。


「見ちゃ。ダメ!」


 と、誰かが、恭一郎の前に立ちはだかった。両手を広げて、仁王立ちしていた。


「陽子ちゃん」

 恭一郎は、突然の陽子の登場に、ビクッとして驚いた。


 *   *   *


 陽子は一旦、恭一郎を近くにコーヒーショップに連れて行った。

「はい。アイスコーヒー。ブラックですよ」

「ありがとう」

 恭一郎は、素直に受け取り、そのままストローに口をつけた。


 陽子が言う。

「私が通り掛からなかったら、どうなってたことか。危なかったわ」

「すいません」

 恭一郎は、ペコっと頭を下げた。


「この間、森下君に、負けないでください。って言われたばかりじゃないですか」

「その通りなんですよ」


 恭一郎は、陽子に正直に話した。

 つい最近、エクレアの誘惑に負け、足のしびれがぶり返した。もう二度と手は出さないと誓ったが、逆に、あの甘いものを食べたときの幸福感が蘇り、今そやつが、俺の体中を駆け巡っているんだと。


 陽子が頷いた。

「振り返ってみると、思い当たる節があるんですよ」

「なに?」

「いつだったか、シナリオセンターに大野さんが、シュークリームの差し入れを沢山持ってきたことがあったでしょ」

「そんなことあったけ?」

「それも、コージーコーナーのジャンボシュークリーム。こんな大きいヤツ」

 陽子が両手で丸を作ってみせた。


「うん。あれ。美味しいよね」

 恭一郎が頷く。

「あれを、菅原さん、三つも一気に食べたんですよ。三つも。覚えてます?」

「そうだったっけ?」

「あの時は、この人、相当甘いモノが好きなんだな。と思ったけど、今となっては、そんなこと言ってられません」

 陽子が、パンっと、テーブルを叩いた。


 ヒッ!と、恭一郎は首をすくめた。


「今日からしばらく、毎食の食事を写真に撮って、私に送ってください」

「え?」

「私の妹が、管理栄養士やっていますから、見て貰って、指導してもらいましょう」

「そんな、ご迷惑じゃないかな?」


 パンっと、もう一度、陽子がテーブルを叩いた。

「そんなこと言ってる場合じゃありません。ちゃんと自分でカロリー計算して、食事制限が出来るようにならないと、本当に死んじゃいますよ」


 恭一郎が黙っていると、


「いいですか! わかりましたか!」

 と、陽子の厳しい眼が光っていた。



 第17話 終

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