第18話 地元の大先輩、庵野監督

 和也はスタジオに足を踏み入れた途端に、目を奪われた。

 キリンの首のように長く伸びた、大きなクレーンカメラ。

 天井に吊るされた照明機材の数々。

 ホリゾントと呼ばれる白いRのついた壁。

 そして、まるでベルサイユ宮殿の鏡の間を模したような豪華な美術セット。


「これが、現場か・・・」

 中に入った途端、足を止めて見回していた。


「ほら。邪魔。どいて、どいて」

「あ、すいません」

 スタジオスタッフの方に煙たがられた。

 まだまだ運び込む機材の搬入作業の邪魔になっていたのだ。


「なにやってんの。あんた!」

 そう言って、和也の袖を引っ張ったのは、小室亜沙実だった。

 和也と小室は同期で、共に体験入社に参加していた。


「なに突っ立ってんの。邪魔にならないように端っこにいなきゃ」

 小室が和也を引っ張って、壁に引き寄せた。

「バカじゃない!」

 小声だが、辛辣に、罵倒してくる小室。


 確かに、ボーっとして、スタッフさんの動線を塞いでいた。やってはならないミスだ。スタジオに入る前に、プロダクションマネージャーから注意を受けたのが、それだった。

 プロダクションマネージャーとは、制作進行のことだ。

 アニメ『SHIROBAKO』でいうと、主人公の宮森あおいにあたる仕事みたいだ。


「とにかく、邪魔にならないように。約50名のスタッフさんが、動き回っています。皆さんのお邪魔にならないように、アンテナを張ってください。ぐるり360度を常に意識してください」


 早速やってしまった。

 スタジオの隅で、冷や汗を掻いて縮こまる和也。下手に動けなくなった。


 一方、小室はスタッフさんの動きをよく観察しつつ、サッと動いた。

「ペットボトルお持ちします」

 そう言って、先輩方やスタッフさんの邪魔にならないところで、そつなくフォローに入る。

「ありがとう。じゃあ、ついでにそれも運んで」

「はい!」

 小室が生き生きと動き出す。

 同時に、和也を一瞥して、「ふんっ」と小バカにしたように鼻で笑った。


 *   *   *


 和也は、この、同期の小室に苦手意識を持つようになっていた。

 率直に言って、アタリが強い。敵対意識が丸出しなのだ。


 体験入社当初は、そうでもなかった。

 初日。座学中心で会社の業務フローや業界内の仕組みを学んでいた頃は、小室も和也に対して、それ相応の態度で接してきていた。


「菅原君って、どこ出身なんですか?」

「僕は、山口。小室さんは?」

「私は、横浜です。いいな。自然豊かなところで育ったんですね。羨ましい」

 そう言って、お互いの距離を縮めるがごとく接してくれていた。


 二日目。のことだった。

 社内でのデスクワークの見学と、コピー取りなどの簡単なお手伝いが始まった。

 取締役の森下事業本部長が、我々新人に声を掛けに来て下さったとき、和也に向かって、いろいろと話しかけてくれた。


「実は、菅原君の叔父さんに、僕は若い頃、お世話になりましてね。君が甥っ子さんだと知ったときは、少々驚いたんだ」

「そうだったんですか」

 和也は驚いた。恭一郎からは何も聞いていない。


「まあ、それはそれとして、よく見て学んでいってください。なにか、気付きはありましたか?」

 森下が微笑みかける。

「それはもう。絵コンテのクオリティの高さに驚きました。特に、企画コンテから演出コンテに仕上がった時の、構図のとり方には、圧倒されました」

 和也は興奮気味に話した。


「そうかい。そうかい。どんどん吸収してください。ただ、映像世界には、上には上がいるよ」

「え?」

「君の郷土の大先輩。エヴァンゲリオンの庵野監督さ」

 庵野秀明監督。

 山口県宇部市出身。『エヴァンゲリオン』で世界的に知られる映像作家だ。


「はい。大尊敬しています」

 和也は、自然と背筋が伸びた。

 エヴァンゲリオンはもちろんのこと、『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』と、最近の庵野作品は、ほぼ全て網羅している。


 森下が続ける。

「庵野監督は、シン・エヴァの時、絵コンテやビデオコンテを創る前に、ミニチュアセットや簡易CGを使ったり、実際に人を動かしたりして、構図を探っていったからね。あの拘りは半端じゃないね」

「それ。NHKのドキュメンタリーで見ました。庵野監督がご自分で、iPhoneで撮影しておられました」

 和也は「あっ。」と思った。

 当時高校生だった和也は、なんとなく番組を見ていた。その時は、何をやっているのか把握出来ずにいた。でも、今ならわかる。あれは、コンテを切る前に、わざわざ、撮影してから、絵コンテの構図を決めていたのか。


「うん。プリヴィズという手法だね。試作映像だ。なんと、10万点近くの大量のプリヴィズ素材をベースに、絵コンテやビデオコンテを固めていったらしい」

「す、凄い。凄すぎます」

 和也は、思わず目を見開いた。

「ま、そういう話も、いっぱい先輩達から聞いて、刺激を受けて下さい」

 そう言って、森下本部長はその場を去った。


 和也は「はい」と言って、お辞儀をした。

 頭を上げると、目の前に小室が立っていた。

 今の会話を一部始終、隣で聞いていた小室は、腕を組んで睨みつけていた。

「なに、あんた。コネなの」

 それ以来和也は、『あんた』と呼ばれるようになった。


 *   *   *


 撮影当日のお弁当の発注を任された時だった。

「はい。それで。じゃあ、よろしくお願いします」

 と、和也が電話を切ると、小室が後ろから声を掛けてきた。


「あんた。今、何個発注した?」

「え? 50人分。50個だけど・・・」


 チッ。と舌打ちする小室。

「ちゃんと、座学聞いてたの? ゲットでは、お弁当はスタッフさんの人数の1.2倍で発注すること。この場合は60個でしょ」

「あ、そうか。そうだったね」

 和也が電話を掛け直そうとすると、小室が、また聞いてきた。


「なんでそうするのよ?」

「予備があった方がいいから。だよね」

「なんで予備があった方がいいの?」

 うわっ、なんだ、この詰められ方は。と和也は戸惑いながらも、

「クライアントさんや、代理店の方、タレントさんのマネージャーさんとか、急な同行者や見学者が当日になって増えるケースが多々あるから・・・だっけ」

「他には?」

「ほか?」

 和也は、固まった。他の理由があったっけ?


「ダメね。お弁当をひっくり返して、こぼしてしまった、とかのトラブル対応も考えることって。私は、ここまで先を読まなきゃいけないんだって、感心したわ」

「確かに・・・」

 座学で、そんなことも言われたことを思い出した。


「それと、人数ぴったりだと、最後に食べる人が、余った一種類しか選べない。お肉系とお魚系の選択肢を残すためにも、予備が必要」

「なるほど・・・」


「なるほど。じゃないわよ。撮影スケジュールがハードだと、『お弁当を選べる楽しさ』は現場のモチベーション維持のためにも非常に重視されます。って、習ったでしょ。細心の心配りが、この仕事の核心だって」

「・・・・・・」

 確かに。小室の言う通りだ。俺は少し抜けてたかもしれない。と和也は思った。


「わかった。発注し直すよ」

 と、和也が受話器をとると、

「待って。ホウレンソウよ。こういう時は、報告・連絡・相談でしょ」

 そう言って、小室が少し離れたところの先輩に声を張って聞いた。


「すいません。菅原君、お弁当50個で発注したみたいなんですけど、60個に変更しても大丈夫ですか?」

「あ、いいわよ」

 先輩社員は、あっさり返事してくれた。

「ほら。いいわよ」

 小室は上から目線で、顎をしゃくった。


 ――なんだ、こいつ。腹立つなあ。


 その後も、小室のアタリは和也を追い詰めた。資料運びを手伝ったときだった。

 和也が、段ボールを一個持って歩いていると、小室が後ろからやってきて、横に並んだ。

「あんた。サボってんじゃないわよ。男子なんだから、もっと持ちなさいよ」

 小室は視線を合わさずに、小声で言った。

「はあ?」

 和也は思わず足を止めた。一個とはいえ、この段ボールはかなり重たい。アート系、美術系の分厚い本が何冊も入っている。


「すいません。エレベーター乗ります」

 小室はそう言って、駆け足でエレベーターに向かった。


 和也は、立ち止まったまま、エレベーターをやり過ごした。


 その晩、ホテルに帰った和也はベッドにドサっと体を倒して、深く息を吐いた。

 小室とのやり取りで、正直鬱憤が溜まっていた。

 まさか、こんな障害が目の前に立ちはだかるとは、思ってもなかった。


 加恋の声が聞きたくなった。もう、何日も話していない。

 スマホを取り出して、掛けようとした時、思い出した。

 加恋は、『福和』で働き出した。お店は夜10時までやっている。まだ、仕事中じゃないか。ファミレスを辞めて働き始めて、一週間ぐらいしか経っていない。慣れない仕事中に電話をするバカがどこにいる。


 ラインのメッセージを送った。

「仕事は慣れてきた? こっちもいろいろ勉強になっているよ。帰ったら、話すね」

 翌日、加恋から返信が来ていた。

「カズ君。ファイト! 私も頑張ってるよ」

 LOVEと書かれたスタンプが点滅していた。


「あ、LOVEだ。LOVEだ~」


 *   *   *


「一回見てみましょう」

 撮影が幾分進んだところで、監督がそう言った。

「じゃあ、一回、プレイバックします」

 スタジオ内でノートパソコンを操作している女性の方が、返答した。

 するとモニターに、今まで撮影したカットが繋がって流れた。


 ――えっ!


 和也は驚いた。

 たった今撮影したばかりの映像が編集されて、繋がっている。

 思わず傍にいる先輩社員に聞いた。

「なにが起こっているんですか?」


「ああ、現場でオフライン編集して、具合を探っているんだよ。ほら、さっき撮影したカットが並んでいるだろう。チェックして、次に進むんだ」

 オフライン編集とは、いわば、仮編集のことだ。

「そんなことが出来るんですか!」

 和也は、感激した。


 現場で、すぐ繋いでチェック出来れば、これ以上いいことはない。取り直しもすぐに出来るし、繋いでから、見えてくることもある。次の撮影に生かせる。


 ノートパソコンを操作している女性の方は、編集さんだった。

 その編集さんの後ろに監督やプロデューサー、クライアントや代理店の方が集まって、話し合っている。

 和也も、そおっと、後ろに回り、編集さんの操作しているパソコン画面を覗いた。


 まず驚いたのは、編集さんの対応力だ。

 監督、プロデューサー、代理店、クライアントの皆さんが、後ろにずらっと並んで、いろいろと要求を出している。

「そこのカット。少し切ってみてください」

「タレントさんの目線。もう少し上に向いているの、なかったでしたっけ」

「髪のなびき方。別のもありましたよね」

 それらのリクエストに、瞬時に答える。

 ほんの数分後には、モニターに調整された映像が流れる。

「これでいかがでしょう」

 まさしく、プロだ。


 さらに驚いたのは、編集さんの判断の仕方だった。

 最初の段階では、皆さんの意思疎通が、まだ固まり切っていないようだった。

 膨大なカット数の中から、いろいろと組み合わせを試してみる。

「こっちのカットの方が、私はいいと思うのですが」

 と、意見が分かれる場面があった。

 皆さんの要求を聞いて、編集さんが切ったり繋いだりして、即座に調整していく。

「このカットなら、みんなも好きだと思います」


 編集さんは、「私は好きです」とは言わなかった。

 みんなとは、明らかに視聴者を指しているようだった。

 その場では、唯一、視聴者の立場に立って意見を出しているように見えた。


「確かに、これならいいですね。この方向でいきましょう」

 監督がそう言うと、代理店、クライアントの皆さんも納得したようだった。


 和也はほとほと、感心してしまった。


 すると、小室がやって来て、和也の肩をつまんだ。

「ちょっと、あんた、こんなところにいたら、邪魔になるでしょ」

 耳元に小声で、囁きかけてきた。


 和也は、肩をグルっと回して、

「うるさい。あっち行ってろ」

 と、小室の手を払った。


「なにそれ」

 小室は、鼻を膨らませて、睨んでいた。



 第18話 終

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