第6話 急 その①
「おはよう」
「……おはよう、副会長」
昨日と同じ笑顔だった。
でも、その笑顔を見ても、私はもう安心できなかった。
違う。
昨日泣いたから安心なのではない。
昨日、ようやく泣けたから。
だから私は何も聞かなかった。
「今日の議題だけれど──」
いつも通り仕事を始める。
彼もまた、いつも通り働いた。
でも、以前ほど無理に笑わなくなった。
それから、私たちの間に何かあったかと言えば、やはり劇的なことは起こらなかった。
「今日も図書館で勉強するの?」
「あーうん。まぁそのつもり?」
「なんで疑問形なの?」
私がそう問うと、彼は何処か居心地の悪そうな顔になる。
「…副会長も来るの?」
「ダメなの?」
「ダメってことはないけど、副会長はいつも帰りが遅くなるから心配なんだよ」
彼はそんなことをやっぱり恥ずかし気もなく伝えてくる。
私は緩みそうになる口元を隠すので精一杯だった。
「‥‥それなら、雪舟くんが帰り送ってくれてもいいのよ?」
「うん、嫌じゃなければそれは構わないけど。
副会長の方が変な噂とか立つのイヤでしょ?」
「――――構わない」
「ん?」
「構わないわ」
この時の私は、多分いつも以上に声が震えていたと思う。
彼は気付かないだろうけど、私にとっては本当に勇気のいる言葉だった。
「そんなことでいいなら、引き受けるよ。
副会長は恩人だし」
恩人。
それは彼にとって、どういう意味を持つのだろう。
でも少なくとも、私は女として見られてはいないのかもしれないが、それでも特別扱いをされていることがとても嬉しかった。
誰でも平等に助けようとする彼に、特別扱いされていることに優越感さえあった。
「それじゃあお願いするわね」
それから、私たちは生徒会の仕事があった日も、何もない日も、図書館で勉強をして帰る日が増えた。
ある日の帰り路。
「そう言えば、結局雪舟くんはどこに進学するの?前に言ってたところ?」
「条件さえ合えば、どこでもいい。地元は離れたいけど。
はっきり言って、俺は要領悪いから、そこまで選り好みできないし」
「…ふーん」
「副会長はどこなんだっけ?」
これはある意味チャンスかもしれない。
「‥‥まだ内緒」
私はそう言って、少しだけ彼の前を歩いた。
あるアイデアが浮かんで、それが最善手のような気がしてならなかった。
次の日。
彼が勉強に疲れて、図書館の机に突っ伏しているところに、私は3つの大学のパンフレットを置いた。
「‥‥これ何?」
「勉強に疲れているなら、私のオススメのところをいくつかピックアップしたから見ておいて」
「マジか。
めちゃくちゃ助かる」
私は笑みをこらえるので精一杯だった。
「‥‥それでどうだった?」
「あー、なんかこの大学面白そうだった」
「そうなのね。確かに面白かったわね」
私は彼が差し出してきた1つの大学のパンフレットを見る。
「ってか、副会長はすごくマメというか、人が良すぎるよ」
「なんで?」
「ちゃんと各大学ごとの丁寧な特徴から、偏差値の目安まで。
細かくて、読みごたえがあったよ」
「‥‥それは良かった。
それで、少しは何処か興味を持てたかしら?」
「うん。
とりあえず、教えてくれた大学はちょっと自分でも調べてみる」
「それがいいわね。
貴方の戦略もその辺りからしか、立てられないでしょうし?」
私がそういうと、彼はきょとんとした顔でこちらを見つめる。
「え?戦略まで一緒に立ててくれるの?」
「まぁ嫌ならいいけど」
「いや、はい。お願いします」
私が少し突き放すようなことを言うと、彼はすぐ慌てたように頭を下げてきた。
この頃になると、彼の押しの弱さには大体分かっていた。
彼は多分、我が少し弱い。
主体性がないという訳ではなく、他者を尊重しすぎるきらいがあった。
だからこそ、私のような人間に操られてしまうのだ。
私は内心ほくそえんだ。
「そう言えば、志望校決まった」
それから数日が経って、彼は藪から棒にそう切り出した。
「どこ?」
「前に副会長からオススメされたところで、調べるっていったあそこ」
「ふーん。
雪舟くんはあぁいうところ好きそうだからとてもいいと思う」
私は極めて冷静にそう返した。
「やっぱり育ちが田舎だからかねぇ。
都会じゃない方が心惹かれるんだよね」
彼は少しだけ照れたように笑った。
「それはとても大事なことでしょう?
何事もなければ、4年間はそこで過ごすワケなのだし」
「‥‥‥うん。
でも、なんか、ちょっと調べていく内に本当に行きたくなった」
彼は本当に少しだけ、覚悟を決めたように、拳を握りしめた。
「それは良かったわね。
それなら、雪舟くんはこれからはどうやっていくかを考えなくっちゃね」
「‥‥副会長、また相談乗ってもらってもいい?」
雪舟くんはどこか、恐る恐るこちらを窺うように聞いてくる。
「え?
あぁそんなことで良ければいつでもいいわよ」
彼が私を頼った?
誰かを能動的に頼る?
私は混乱していた。
「‥‥‥ありがとう」
雪舟くんは、本当に嬉しそうに笑った。
でも、私はその顔が見れただけで、本当に十分だった。
策略が上手く嵌ったとか、そんなことはどうでもいいと思えるほどに。
それから、予備校を勧めて一緒に通いだしたり、彼が私の名前を天瀬さん呼びに戻ったり、そういうことがたくさんあった。
その中で、1つ忘れられないことがある。
あれは予備校帰りだった。
帰りの電車の中で、偶々席が空いていて二人並んで座れた。
模試も近く、このころ数日ほとんど寝ていなかった。
雪舟くんは参考書を開いていた。
しばらくして。
「……天瀬さん?」
そう呼ばれた気がした。
しかし、私はいつの間にか眠っていた。
肩が少しずつ傾い結局は、彼の肩に頭を預ける形になった。
多分その間、彼は起こさないように。
頭が揺れないように。
そのまま動かないようにつくまで、じっとしてくれていたのだろう。
「……あ。」
目を覚ましたとき、私は雪舟くんに身を預けていたことに気付いた。
一気に顔が熱くなったのを今でも覚えている。
「ご、ごめんなさい!」
私が慌てて離れると、彼は優しく微笑んだ。
「よく寝てたね。」
「……」
「最近ずっと寝不足だったでしょ。」
「起こしてくれればよかったのに」
「気持ちよさそうだったから」
「……」
「まだ着かないし、もう少し寝ててもよかったのに。」
私は何も言えなかった。
私は何気なく対面の窓を見る。
夜のガラスに映った私は、耳まで赤く染まっていた。
……あんな顔をしている自分を、初めて見た。
でもそんなことを考えていると、また眠気がやってくる。
電車が揺れる。
こつ。
肩に触れる。彼の柔らかい髪が、私の髪に触れる。
私は一瞬だけ目を閉じる。
(……あと少しだけ。)
そう思って。
もう一度だけ寄りかかった。
彼は何も言わなかったが、それがまた心地良かった。
電車から降りたあと雪舟くんがぽつりと
「少し元気そうになってよかった」
それだけ呟いた。
……ずるいなぁ
私はこの人を支えようとしていたのに。
傷ついた彼の隣に立つつもりだった。
なのに。
気づけば。
救われているのは、いつだって私だった。
私と彼とは、一緒にいる時間はかなり長かった。
率直に、私は彼と一緒にいる時間が心地が良かった。
それに比例するように、勉強時間も取れる上、好きな人がいる手前あまり崩しているところを見せたくないという硬くなりすぎない緊張感もあって、順調だった。
でも一方で、この時間が私を彼に踏み込ませなかったのも事実だった。
私は友達として見られているというよりも、どこか恩人のカテゴリで特別に優しくされるだけだった。
なんとなく、気に食わない。
「雪舟くんは私のことをどう思っているの?」
とか
もういっそ
「貴方が好きです」
とでも言ってやろうかとか思ってしまうほどに。
私は、そんな考えが自然に出るほどに彼が好きだった。
だから、多分好きになった理由などなかった。
ともあれ、そんなモヤモヤこそあったが、私たちは受験に突入した。
ここからのことは語るべきことはない。
特に私にとっては苦しい受験勉強ではあったがこれまでの積み重ねがあって、私と彼も考えられないほどに順調にいった。
そして、私と彼は合格した。
とはいえ、彼は私が合格した場所を知らない。
同じ大学の学部違いなことをまだ知らない。
そして、卒業式の日。
私にとっては晴天の霹靂のような事件が起こった。
「‥‥あのさ、怒らないで聞いてね?
雪舟くんが寄白さんに告白して、さっきフラれて、ビンタされたんだって」
友達からそう、話を聞いた時には、私は駆けだしていた。
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