第2話 破 その①
私―寄白花音には幼馴染が2人いる。
一人は私の彼氏でもある江崎 修人。
そして、もう一人が雪舟 游。
修人に関しては、もう言うまでもなく、語ろうと思えば彼の魅力について一晩では語り切れないほど、語り尽くせないほど多くのことがある。
彼は、夏空をそのまま人の形にしたような青年だった。爽やかな笑顔は湿った空気まで軽くしてしまい、誰にでも分け隔てなく向けられる。その笑顔とは裏腹に、試合が始まれば瞳は鋭く研ぎ澄まされる。一歩踏み出すたびに芝が弾け、相手を置き去りにする加速はまるで風。ゴールネットを揺らすたび、歓声の中心にはいつも彼がいた。サッカー部のエース。その肩書きを誰も疑わない。
そういった納得感があった。
肩書のための努力を惜しまず、そのための苦労を苦労と思わない。
ひたむきさがあった。
それは勉学においてもそうだった。
彼の場合は万にそうだったのではないだろうか。
普通に努力できて、普通に成果が出る。
当たり前のことだが、何より難しい。
そうしたことができる人間だった。
だから、私はそんな彼を心の底からずっと好きだった。
その一方で、雪舟 游はと言えば。
簡単に言えば、物凄く要領が悪かった。
例えば、1つのことをするのに普通の人間が10の努力が必要なのだとすれば、彼の場合は100の努力が必要だった。
昔、彼は親の意向でピアノを習っていたことがあった。
私も、また同様の理由でピアノを習っていた。
私はそれほど乗り気ではなく、それでも無難に練習をこなしていれば、数曲は簡単とは言わずとも弾くことができた。
でも、彼は全く弾けなかった。
指が動かず、テンポが取れず、主旋律さえ迷子になる。
楽譜を読むのも何度も苦労して、苦労してようやく読めるようになる程度。
こう言っては残酷だが、絶望的に彼には向いていなかった。
それでも、彼は諦めなかった。
何度も、何度も失敗して、何度も何度も目標まで、刻んで刻んでスモールステップを踏んで、ようやく初級の数曲弾けるようになった。
あまりにも失敗しすぎたせいで、彼が最後に弾くことができた時、ピアノの先生を泣かしていた。
彼はこういうことが何度もあった。
彼は要領が悪く、要点が掴めず、新しいコトへの耐性がなく、思考がなじまない。
だから、何度も何度も繰り返して、ようやく至れるのは凡人の裾の部分。
褒められるべきものでは決してない。
誇れるようなものではない。
成長性こそ目を見張るとはいえ、誰もが当たり前にできることを膨大な時間を掛けて、ようやく学びとるようなものだ。
それでも、彼は、千の挫折を突きつけられても、決して折れない。
曲げない。
損な生き方だと、私は思う。
本人もよく惨めだよなぁ~とヘラヘラ笑っていた。
惨め。
恥ずかしい。
本人の認識ではそうなのだろう。
実際、客観的に成果のみを見たら、そうとしか判断できない。
だから、私は彼を見ると、心が苦しくなる。
頑張っても何一つ報われない。
本人も、納得できていない様子を、私は幾度となく目にしてきた。
ピアノの一件だって、本当は本人が泣ければよかったのに、彼は逆に冷めていた。
本当に救われない。
そして、何より救えないのは彼が『いい人』過ぎることだった。
自分には本気で価値がないと思っているから、自分のことなんていつも後回しで、困っている人が居たら、1も2もなく飛び込んでしまう。
自分の不利益は、全く考慮しない。
いつも誰かを思いやって、慮って、気を遣って、底抜けのお人好しというのは彼のことを言うのだろう。
そんな彼だからこそ、生徒会役員に選ばれたとも言える。
本人は否定するだろうが、選挙なので、決して彼が押し付けられた訳でもない。単純に得票数が多かったから2期連続で、役員として働いていた。
でも、それでもやはり、彼は多分欲しいものは手に入らなかったのだろう。
「游はさ、優しいよ。
――――でもね、優しいだけなの。
だから、游は人に頼りにされても、絶対に大事にされないんだよっ」
我ながら、告白の答えとしては最低だと思う。
でも、私は言わざるを得なかった。
優しい人は搾取される。
特に彼のように、自分のことを蔑ろにしがちな人は。
だから、私みたいな奴にいいように利用される。
好きなら、アプローチすればよかった。
私が相談したことは、彼を傷つける結果になっていた。
それなら、それで、離れればよかった。
でも、彼のことだからそれも出来なかったのだろう。
いつもの本来の彼だったら告白しないだろう。
それでも、私に告白した。
この意味が私には、彼の背景を知るものには、よく分かる。
彼は、高校2年生の時に両親を共に無くした。
交通事故だった。
突然のことで、彼は驚いていたが、ともかく淡々と処理した。
葬儀でも、学校でも。
何一つ変わらなかった。
いや、変わらないことが最も異常だったということにどうして気付けなかったのだろう。
ふさぎ込むこともできず、相談もできず、抱え込んでしまって。
多分泣けなかったのだろう。
ちょうどその時期に、私と修人が付き合い始めたというのもあって、彼自身ともほんの僅かだか距離が開いていたことも相まって。
散々くだらない相談の相手になって貰ったのにも関わらず、私たちは彼の相談に乗らなかった。
高校2年生の冬。
「貴方、最近大丈夫?」
「大丈夫だよ、副会長」
「大丈夫じゃないでしょう?
最近明らかに無理してるわよね?」
游と生徒会の副会長が話しているのを偶然聞いた。
その時は、隠れて聞いていて、後からからかってやろうぐらいの気持ちだった。
彼らは何かと一緒にいることも多かった。
「無理はしてないよ。
それより、聞いたよ。
また模試の判定よかったんでしょ?」
「そんなことは今はどうでもいいでしょう?
それよりも貴方、最近寝れていないわね?」
「そんなことは…」
「ある。
顔を見ればすぐに分かるわよ」
「副会長は探偵にでもなれるんじゃない?」
游は軽口を叩く。
「そうね。
それより、合ってるならいつから?」
副会長は随分と、ズバッと聞く。
元々クールで、あまり他人に興味がないと思っていたが、実情は異なるらしい。
「どうでもいいでしょ?」
游は珍しくかなり素っ気なく返した。
本気で踏み込んでほしくないのだろう。
「どうでもいいかを判断するのは私。
貴方の意見なんて求めてないの。
―――――ご両親の件があった時期から?」
「‥‥」
游は何も答えなかった。
こういう時、彼は素直というか、隠し事ができない。
「―――話ぐらい聞くわよ
どうせ、貴方は自分のことを話したがらないから、相談できなかったのでしょう?」
「‥‥友達はいるよ」
「貴方に頼るだけで、貴方の異常に気付かない人間を、貴方は友達と言うの?」
「所詮他人なんだ。
みんなそんなものだよ。副会長は底抜けにいい人だから気付いただけで…」
「それでもいい。
気付かないなら、気付かれないなら、貴方は誰かを頼るべきよ。
甘えるべきなのよ」
游の発言を遮るように、副会長はまくし立てる。
「――――――もう一度ちゃんと聞くわね。
貴方は、今つらい?」
「‥‥」
游は何も言わない。
何も言えない。
数瞬、間が空く。
「…………めちゃくちゃつらい」
音と呼べるものはほとんどなかった。時折漏れる震えた息と、小さく鼻をすする音だけ。静けさの中では、そのわずかな音のほうが、激しい泣き声よりもずっと胸に刺さった。
「‥‥全く、最初からそう言いなさいよ」
静寂の中、髪を梳く指先がさらりと髪を滑る、そのかすかな音だけが私の耳に届いた。
その声は、普段の彼女とはかけ離れたように優しく、どこか労わるような響きを持っていた。
私は、そっとその場から離れた。
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