#36 クールダウン
「バカ!」
パイロットルームにて、上衣を崩したセイトはお叱りを受けていた。
「バカみたいにスラスター使ってさ、バカだよセイトは!」
自分より小さい相手──カノエに怒鳴られ、彼は縮こまるしかなかった。
「ニコも、オーバーヒート寸前だってんなら手綱握らないとダメだろ⁉」
「セイトなら大丈夫だと思った」
「いい? こいつはまだまだ素人。しっかり感応者が管理してやらないと、下らないことで死ぬよ」
「でも、今回は無事」
カノエは、溜息と共に白い髪をかき上げた。
「次はないと思った方がいい。冷媒ガスだって、無限じゃないんだから」
そう言って、彼女の体は出口へと向かう。だが、扉を通り抜ける前に足を止めて、振り返った。
「過熱で歪んだパーツがないか確認するから、再出撃には時間がかかるよ! いいね⁉」
「はい!」
セイトは返事だけでも元気よく、と力強い声を発した。狭苦しいコックピットから解放されて、ヘルメットを外して。呼吸は軽くなったが、緑のジーベンが脳裏に焼き付いて仕方がない。
「セイト」
ニコに呼びかけられ、小さな体を見下ろす。汗で濡れた薄い唇が、やけに艶やかに見えて、セイトは視線を前に戻した。
「しないの?」
ぴとり、体が密着する。インナー同士、肌の熱を混ぜ合う。
「……わかったよ」
いつものように、唾液と舌を絡ませる接吻をした。三十秒ほど愛し合った末、終わりは放送の音によって告げられる。
『こちらブリッジ。セイト、ニコ、食堂に加給食を用意してある。一人一個ずつ取っておきな』
ヂオウの連絡を受けて、視線を交わした二人は九階へのエレベーターに乗った。
「カキュウショクって、何?」
ニコが短く問う。
「本当は、正規軍でパイロットと感応者に提供される追加の食事のことを言うんだけど、この場合は労いの一食だろうね」
「いつもは出ないよね」
「また出撃があるから、リフレッシュしろってことだと思う」
そう語るセイトの手を、ニコは強く握り締めていた。素肌と素肌。すべすべとした手に、彼の緊張は自然と高められた。一人の、少年として。
九階の食堂。ダイニングテーブルに、カップ麺が四つ置かれていた。『お湯を注いで三分』という旨のメモが、カップを文鎮代わりにして残されている。
その横には、お湯を湛えた電気ケトル。セイトは手の甲でそれに触れ、十分な熱を持つことを確認した。カタン、と台座から外す。添えられたタイマーは、三分の状態でセットされている。
「セイト、何をするの?」
カップ麺を持ち上げ、じろじろと眺めながらニコが問う。
「お湯を注いで三分、だよ。そしたらラーメンができる」
「ラーメン、食べたことない」
「なら、今度食べに行こう。グランダだって、ラーメン屋の一つくらいはあるだろうから」
紙とビニールの蓋を開け、彼はお湯を中に注ぐ。一つにつき三百ミリリットル。タイマーのスイッチを押す。後は、待つだけだ。チッ、チッと時間が過ぎた。
「ニコは、よくGに耐えられるね」
割り箸を割りながら、セイトが言った。
「俺よりずっと細くて、筋肉もなさそうなのに」
「私もよくわからない。そういう種族だ、って言われたことはあるけど、詳しいことは教えてもらえなかった」
桃色の髪、赤い瞳、低い背丈、高いG耐性。セイトの記憶に、該当する種族の情報はなかった。
「どこかの少数民族、か……」
もしか、そのような人間を守るために敢えて情報を隠していたのかもしれない。ニコの母星を探すなら……知らないことを知らなければならないのだ、と彼は静かに決意した。
「でも、この間、同じ種族の人がいた」
ラーメンを啜る手を止めて、ニコが呟くように言った。
「外遊戯アルト。リンダの感応者……あの、眼鏡をかけていた人」
セイトは、記憶のページを手繰る。確かに、いた。ニコと同じ特徴を備えた、赤い眼鏡の女性。
「あの人に話を聞けば、何か掴めるかもしれない。だから、セイト。この戦いが終わったら、行ってみたい」
「俺の勝手で決められることかはわからないけど、エイダーさんを通して頼んでおくよ。顔を合わせるくらいのことは、通ると思う」
どちらともなく黙って、ズルズルと小麦麵が口に吸いこまれる音ばかりが響いた。加薬の少ない低級品だ。戦場で使ったエネルギーを補給するだけの、事務的な食事と言える。
セイトはスープを飲み干し、空いたカップをゴミ箱に持っていく。
「全部飲むと、塩分が多すぎるかもしれない」
ニコがそんな彼の背中に告げた。
「わかってるよ。でも、美味しいんだ」
それに倣ってニコもスープを飲むが、表情を険しくした。
「しょっぱい」
「捨てる訳にもいかないから、飲まないといけないんだ。俺が代わりに飲もうか?」
「お願い」
テーブルに戻ったセイトが、彼女からカップを受け取ろうとする。その一瞬で、接吻が行われた。カップはテーブルの上。まるで貪るように、彼女はセイトの口腔に舌を捩じり込む。
彼女の左手が、セイトの右手を掴んだ。そっと、胸へと導く。
流石に不味い。セイトは慌てて引き下がる。手の中に残るのは、なだらかな双丘の柔らかさ。振り払いたくて、首を横に振る。
「ニコ、これはよくないよ」
妹を叱る兄のような声だった。
「キスの先は、ダメ?」
「健全じゃない。ニコが俺を信頼してくれたとしても、越えちゃいけない一線がある」
ニコの視線が、テーブルに落ちる。
「本当に、こういうことをマフィアにさせられていたわけじゃないよな?」
「違う。私は、セイトと一つになりたい。マフィアに教えられたことでもないし、誰かに抱かれたこともない。セイトだから。セイトが好きだから、ずっと一緒にいられるって証拠が欲しい。それだけ」
どう返せばいいのか、とセイトは苦い息を吐き出す。
「会ったばかりだ」
彼の搾り出した言葉は、それだった。
「本当に、会ったばかり。俺でいいのか。会ってすぐの俺と、一緒にいたい理由をもう一度教えてくれ」
「セイトは、私を助け出してくれた。ペンギンを見せてくれた。知らない人を救うために、警察のバレウスを盗んだ。そういう所が、好き」
その『好き』という一言が、以前聞いた、単なる愛着と同じなのか。判断できずに、彼はニコのカップ麺を持ち上げた。スープを一息に流し込む。放り投げられたカップは、ゴミ箱に落ちた。
「再出撃に備えよう」
「冷却はまだ終わらないと思うよ、セイト」
「でも、パイロットルームで待機だ。緊急出撃があるかもしれない」
歩き出した彼に、ニコは追いつく。エレベーターへ。
「キスの先は、いつになったらするの?」
「……やめてくれ」
責任は全てとる。そう言い切るには、彼はまだ若すぎた。
◆
一方で、ニベルング級のパイロットルーム。三十路手前、肢体も十分に大きい一人の女が、もっと大きな男の膝に座っていた。禿頭の女と、小さな角を持つ男だ。二人とも緑のパイロットスーツに身を包んでいるが、男の腰には、茶色い密閉ポーチがある。
「ネズミさんは、無事にチーズを買うことが出来ましたとさ。めでたしめでたし」
男はそう言って、絵本をパタンと閉じた。ケラケラと、女が笑う。彼女の喉には、真っ赤な傷があった。
「ネズミさんはいつ死ぬの⁉ ねえ、チウポン!」
「リッパー、ネズミさんは死なないよ。少なくとも、この物語の中では死なない」
すると、リッパーという女は子供のように口を尖らせる。
「死なないとつまんないよぉ」
ぶつくさ言い始めたリッパー。エイダーと同じ、茶色い肌を持つチウポンという男は、腰のポーチに手を伸ばした。注射器が姿を現す。針の露出していないモデルだ。
チウポンの手が、リッパーの首筋まで持ち上がる。
(すまないな、また戦ってもらう)
プシュン、と彼女の首に針が刺さる。内部に充填された赤い液体が注ぎこまれると、彼女は体をビクンと跳ねさせた。まるで首をきつく絞められているかのように、喉を掻き毟る。元から赤かった場所が、更に赤くなり、そして血が滲む。
「リッパー、行けるか?」
「問題ない。予備の薬は、機体にあるな?」
リッパーの纏う雰囲気が、一気に鋭利なものとなる。
「チウポン、衛星都市の一つでも襲えば目的は完遂できる。最短で行くぞ」
「……ああ。機体の管理は任せてくれ」
緑は動き出す。そして、白と交わる。
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