#29 月面の高級品たち
「リーベルの設計データを、コピーさせていただきたい」
イートン市長の提案に、セイトは眉を顰めた。他の者も、露骨な警戒心を隠そうともしない。
「その、目的は」
セイトが問い返しても、市長はニコニコと微笑んでいるだけだ。
「我々、グランダの工廠には、超小型リアクターの製造技術がある。それは、先に申した通りです」
無機質な合成音声が、彼の顔より少し高い所から注がれる。
「しかし、我々に入る利益は、リーベル全体の齎す利益に比べれば、十五パーセントほどです。根幹を担っているというのに、この待遇。製造業者は、不満を募らせているのですよ」
コツ、コツと革靴を鳴らしながら、市長は歩き出す。おそらく本革だ、とセイトの目はその足元を値踏みしていた。
「ですから、リーベルそのものを自前で生産し、グランダという人口六十万の都市を潤したい。簡単な話でしょう?」
「製造したリーベルは、どうするつもりなんだい」
ヂオウが問いを投げかけた。イートン市長の顔は、執務机後方の窓に向いていた。薄暗い街で、照明の輝きがあちらこちらに。
「何、特別なことは致しません。マフィアに対する自衛の手段として、スルト防衛旅団に配備するまでです」
それなら問題はないだろう、とセイトはエイダーに助けを求める。が、そのエイダーは市長を睨んでいるばかりだ。沈黙が、その巨体でこの部屋を埋め尽くす。
「どうして、リーベルに拘るの?」
無言を破ったのは、ニコだった。
「マリンクを相手にするだけなら、ザンクトで充分なはず。そうだよね、セイト」
急に話を振られて戸惑ったセイトだったが、すぐに言葉を整える。
「ニコの言う通りです。仮想敵に対し、リーベルは性能が過剰と言えます。ザンクトのカスタムで対処すれば、最高機密の授受は行わないで済みますし」
「無償で、とは言いません。しっかり、相応の対価は支払います。だとしても、了承できないと?」
エイダーを一瞥してから、彼は頷いた。
「俺の一存で決められることではありません。正式に、国を通して決定するべきことです」
そこで初めて、イートン市長の片眉が動いた。ほんの僅かに、ピクリと上がったのだ。
「では、ここでのお話はなかったことにいたしましょう。口外無用です。幾らお望みですか?」
それから小切手に五万クレジット、と書いて、セイトは市長室を後にした。が、先頭に立つのは市長。導かれるままに進めば、車寄せ。行きと同じリムジンが停まっていた。
「歓迎のパーティーといたしましょう。あのエイダークランがやってきたのですから」
グウッ、とセイトの腹が鳴った。
ヲッチ号の乗組員は、それぞれ正装に着替える。ビジネススーツだ。ボーディングブリッジも繋がり、宇宙服を着ることなく行き来できるようになったが、無重力とスーツという組み合わせが、セイトにとって奇妙に思える。
(ネクタイも、久しぶりだな)
ハイスクールではジャケットが一番の正装で、普段着だった。ネクタイもスラックスも、縁遠い存在となる。
微調整しながら私室を出ると、ニコが待っていた。濃紺のパーティードレスを纏った彼女から、セイトはそっと目を逸らした。随分と可愛げのある袖から見える、細い腕。小さな手。後ろで纏められたピンクの髪。
「似合ってない?」
「似合ってるから、目を逸らしたんだ」
続いて出てきたヂオウが、ニヤリとセイトに笑顔を見せる。
「あたしのセンス、舐めていただろう?」
そんな彼らを迎えに来たバスは、貸し切りだった。数十名のパイロットや、母艦の幹部など、それぞれのクランに於ける重要なメンバーが、一台の電気自動車に押し込められる。どこか空気はピリピリとしていて、セイトは息の詰まる思いで、景色に救いを求める。
人工の重力、人工の光。レビトンリアクターが副産物として放出する窒素と、小惑星から得た水を電気分解した酸素。二酸化炭素も一つまみ。ここに天然のものはまずない。あるとすれば、ノービードから輸入した植物と、それが植えられた土壌の微生物や有機物くらい。
「セイトは、天然の世界が好き?」
隣のニコが、そう問うた。
「わからない。でも、一生ここから出られないなら……おかしくなるかもしれないな、俺は」
バスが信号で止まる。視線の先にある家電量販店で、ニュースが流れていた。音は聞こえないが、テロップは読める。
(小惑星開発事業で、酸素と水の供給源を確保。市長の支持率は七十パーセント……)
小惑星を手に入れに行くなら、マフィアと戦うこともある。セイトは、市長の提案が持つ意味を、片端だけ理解できた。
さて、来客を乗せたバスは、三十階建てのホテルの前で、彼らを降ろす。まさに摩天楼。見上げたセイトは、名前を掲げない上品さを受け止める。あるのは、鶴を描いたエンブレムだけだ。
「嫌なんだよなあ、月って」
そのエントランスを歩きながら、エイダーが言う。
「また言ってる。エイダー、招かれたんだから我慢してよ」
ヘルトに宥められている。その様を眺めながら、セイトは広々としたホールに入った。
彼の脳裏で、歴史の講義が蘇る。かつて、人類が宇宙を目指す所か、己が暮らす惑星のことすら満足に理解できていなかった時代。そこで築かれた、貴族の邸宅にも似た、豪奢な空間だった。
顔を上げれば、真鍮製の腕を持つシャンデリアが輝く。ガラスで覆われたLEDから、白い光が放たれる。
次いで、前を見る。ラウンドテーブルが十二。その上には、豪奢を極めた料理の数々が並んでいた。御馳走だ、とセイトの顔にパアッという光が宿る。
「どうせ合成食品だぜ。見た目ばっか立派な奴」
しかし、エイダーの一言で一気にテンションは下降した。
「リーダー、もう少し相手を立てろよ……」
呆れるナービ。
「いえ、全て他の星から取り寄せた、天然ものです」
イートン市長は、振り返って言う。背後のずっと向こう、セイトの視線の先に、管弦楽団が控えていた。
「仔牛ヒレ肉のソテー。鮪のカルパッチョ。鴨のロースト。これらは、ストラト各地から取り寄せた最高級品。どうぞ、お楽しみください」
そう言い切った市長の指から、音が鳴る。所謂フィンガースナップの動きだが、その音は電子音だった。
始まる音楽。優麗、壮美。ストリングスの音色が、産まれてこの方クラシックに触れてこなかったセイトの鼓膜を揺らす。
「ロックじゃねえなあ」
そう言いつつ、豚バラ肉の煮込みを持っているナービが、彼の隣にいた。
「セイト、飯は美味いぜ。食ってこいよ」
「いつ取ったんですか……?」
少し表情を緩めて、セイトはニコを隣に、食事を見に行った。前述のものに加え、鳥の照り焼きを挟んだサンドイッチ、鮭のムニエルなどなど。ヂオウの作る、腹に詰め込んでエネルギーを補給するための食事ではなかった。
(ヂオウさんの食事は美味しいけど、量がかなりあるんだよな)
並ぶ一口サイズの食事で、己の空腹は満たされるか。不安が残る。
「牛乳はなさそう」
その隣で、ニコが口を開いた。
「そりゃないよ。立食パーティーに牛乳が出るなんて聞いたことがない」
何が美味いか、と物色している彼に、近づく青年がいた。
「やあ、セイトくん」
黒曜石めいた髪と目の美青年だ。
「リンダさん。いらっしゃったんですね」
「そりゃあ、このパーティーはパイロットを歓迎するためのものだからね。当然いるさ。で、市長と直接話したって?」
リンダの表情は、何か楽しむような笑みに満たされていた。
「何を話したんだい。個別の大口契約でも結んだのかな?」
「簡潔に言えば、リーベルをここで生産するために、データを売ってくれということでした」
「ほう?」
美青年の持つ皿から、鴨のローストが持ち上げられ、その美青年の薄い唇の間に入っていく。それから、ワインが喉へと流れ込む。
「面白い。僕にも売ってほしい所だが、幾らなら了承してくれるかな?」
「断りましたよ。俺の判断できることではないので」
「流石、孤児からパイロット科に入っただけのことはある。賢明だね」
セイトは、リンダの黒い目を睨んだ。
「いやね、少し調べさせてもらったんだ。一体どこの誰が、ストラトの最新鋭機を任されたのか、気になるだろう?」
「盗んだも同然です。俺が優れてるから託されたわけじゃない」
「みたいだね。そこの女の子が、感応者かい?」
ニコがこくりと首肯した。
「よろしく。中柱リンダだ」
握手を求めたリンダだが、応じてはもらえなかった。
「ちょっとリンダ、クランリーダー同士の挨拶があるんだからさ」
そう彼に呼びかけたのは、真っ赤の瞳を持つ、ニコにも似た女だった。小さな背丈も、細い手も。
「そういうわけだ、戦場で並ぶのを楽しみにしているよ。セイト・イミバシくん」
赤い縁の眼鏡をかけたリンダの相棒が、遠くなっていく。
(わざわざ眼鏡、か)
サイボーグ技術で幾らでも矯正できるはずなのに、と奇妙さを感じたセイトは、料理に目を戻した。
「見惚れてた」
ニコが短く言う。
「この時代に眼鏡なんて、と思っただけだよ。あと、ニコに似てたから。同郷なんじゃない?」
「私は宇宙船で生まれて、宇宙船で育った。だから、母星なんてわからないんだよ、セイト」
「いつか探しに行こうか。ニコのルーツ」
どこかにある、ニコの血族が生きる星。それが遥か彼方にあることを、セイトは知らない。
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