#5 宇宙へ

『あーあー。こちらヲッチ号通信手、ナービ。通信事業者登録ID、TP-UTUNDISK。ノービード出入星管理局へ、照会求む』


 有翼宇宙船のヲッチ号は、水の惑星と呼ばれるノービード星の大気圏を出た。向かう先にはトーラス型の宇宙ステーションが浮いており、通信の宛先はそこだった。返答までは、少々時間を要する。


『こちらノービード第六宇宙ステーション出入星管理局。ID照合完了。地上での審査情報も確認した。通行を許可する』


 宇宙ステーションからの返事を受け、ナービはサムズアップをブリッジで見せる。


「通行許可出たぞ、フルスロットルで行こう!」

「それはあたしが決めることなんだがねえ」


 だが、ヂオウは操縦席横のスロットルレバーをぐっと掴み、前に押し出した。レビトン粒子を放出するスラスターが、赤い光を残して重力を振り切らせる。


 その居住区にある談話室で、セイトとニコは外を映し出すモニターを眺めていた。


「ねえ、セイト。外から星を見たことはある?」


 ニコは牛乳を飲みながら、抑揚のない声で尋ねた。短いスカート、緩いTシャツという格好だ。


 重力の無い談話室であるが故に、ここの壁には無数のクッション材が取り付けられている。空いている場所と言えば、床に近い部分にある、リフトグリップというレールに据えられたグリップの配置箇所くらいだろう。


「ある。宇宙機動訓練を百五十時間、というのは、ゼロアニマパイロットの最低要件だから」


 無重力でふわふわと浮くセイト。楽な姿勢で流れていく彼の手を、ニコの細い指が掴んだ。


「宇宙って、好き。人の声が小さくて」

「宇宙船で声量が変わるなんて、聞いたことがないけど……」

「違う。宇宙空間は、レビトンが拡散するから入り込んでくる声が少ないの」


 知らない世界だ、とセイトは呟いた。


「セイト、宇宙は好き?」

「わからない」


 無数の星々が輝く宇宙を、彼の目はディスプレイ越しにか映さない。


「最初は怖かった。感応者のいない粒子コンデンサタイプで訓練したから、一人だったんだ。百数十億光年の世界で、たった一人……」

「なんだ、セイトも宇宙にビビるんだな」

「エイダーさん」


 赤い入れ墨を入れたエイダーが、空気圧で動く扉を蹴りながら、セイトに近づいた。その手には、ウィスキーのボトルがあった。ストローではないもの。


「その割に無重力ブロックにいるのは、なんでだ? オンボロ宇宙船でも、重量ブロックの方が広いってのに」

「私が来たかったから」


 ニコは表情を一切変えずに言う。


「セイトは、私の言うことを聞いてくれる」

「年頃のガキだもんな、セイトは。女の子には勝てねえ、っと」

「やめてくださいよ。バディと喧嘩したって何にもならないから、従ってるだけで……」

「セイトは、私のこと嫌い?」


 半ば予期していたが来てほしくなかった質問に、彼の顔が苦く歪む。口をもごもごと動かしている内に、ニコの体が彼にぶつかった。


「ねえ、嫌い? セイト」

「そういうのを決める段階じゃないよ、俺たちは」

「つまらない人」


 だが、ニコは彼の手を引いていた。トン、と壁を蹴る。流れていって、リフトグリップを掴む。スィーン、とモーターの静かな音が鳴る中を、エイダーは何も言わず見つめていた。


 俺にもあんな頃があったな、と、懐古に浸る男を無視して、少年少女は廊下に出た。徐々に重くなる体。扉のすぐ傍はほぼ無重力、進むごとに重力が増していき、やがては惑星表面と同じものとなる。


「で、どこに行くの?」


 セイトは小さなニコに向けて、問いを発した。


 廊下を歩く中、両側に部屋が並ぶ。左手にはスポーツジム、医務室、船医室。右手にはシャワーやランドリーを納めたエリアが伸びている。


「食堂。牛乳がなくなったから、貰いに行くんだよ。セイト」


 談話室があるのは、十階ある居住区の内、八階。食堂は九階だ。そこに人影はない。ただ、人型の警備ボットがカービンライフル型の電撃銃を持って立っているだけ。


「コチラ 食堂 食料泥棒ハ 重罪」

「許可は貰ってるよ。ほら、IDカード読み込んで」


 警備ボットの胸にあるスリットに、ニコはIDカードを通した。


「認証 ヂオウ艦長 許可済ミ」


 警備ボットは捧げ銃の恰好で、二人を通した。


「いつも思うけど、この国ってセキュリティ甘いよ」

「でも、セキュリティが固かったら私はセイトと会ってない。だよね、セイト」

「そうだけど……」


 ニコは何の躊躇いもなく食堂の奥、キッチンに入り込み、更に食糧庫の扉を開けた。その下層にあったのは、かなり大きな段ボールだ。


「それで、何本?」

「四十八本」

「何日分?」

「気分次第」


 ひょい、と彼女はセイトの前に箱を出す。少々、沈黙があった。


「持たないの?」

「自分で持ってよ……自分で飲むんだから……」


 が、セイトは呆れるだけ。結局、箱を受け取った。ずっしり、十二キロの重み。彼にとって大した負荷ではないが、エレベーターに乗っている間の暇な時間は、その重量を嫌というほど感じさせてしまう。


 九階から、六階へ。


「セイトは、牛乳好き?」


 ニコの見上げてくる顔から、セイトはそっと視線を外した。


「普通だよ。健康にいいから飲むのは飲むけど」

「セイトとは、同じものを好きでいたい。何が好きなの?」

「……鶏のハラミ」

「ハラミって、何?」


 重ねられた問に、彼はすぐに答えを用意できなかった。なんだったか、と考えている内にエレベーターは六階で停まる。


 右手に見える、ブリーフィングルーム。その前を通り過ぎ、ヘルトの部屋も過ぎる。奥に二つ並んでいるのが、セイトとニコ、それぞれの私室だ。


「あそこ、運び込んで」

「はいはい……」


 セイトは指示に従い、ニコの部屋に入る。そこは、人の恒常的に暮らす部屋というよりかは病室に近い、生気のない空間だった。冷蔵庫の駆動音でさえ反響するような、死んだ世界。


 だが、床に積まれた本が目を引く。どれも新しいものではない。読み古されて、くたびれた分厚い本の数々。それらのタイトルをちらりと一瞥する中、床に直接置かれたラップトップが静かに輝いているのを、セイトは見た。


「冷蔵庫に入れて、セイト」


 尻に敷かれたような従順さで、彼は牛乳の箱を開け、一ケースごとに冷蔵庫へ並べる。残りの無い段ボールケース以外、ほぼ空だ。嗜好品の一つもない。この船に来て日が浅いから、と思う彼だったが、同時に、永遠にこのままかもしれないとも思える。


 さて、ニコの監視の下で収納を終えた彼は、


「これでいい?」


 と訊く。無感情に頷くニコ。彼はその横を通り過ぎて自室に行こうとしたが、手首を掴まれる。


「ねえ、セイト」

「……まだ何かあるの?」

「セイトの部屋が見たい」


 この壊れそうな体を振り払うのも厭で、彼は力なく首肯する。隣の部屋に連れ込むだけだ。何もしない、と言い聞かせて、まだ生活感のない部屋に少女を案内した。


「綺麗だね、セイト」


 青い布団の敷かれたベッドは丁寧に整えられ、窓代わりのディスプレイもある。壁に向かう机の横には、ゼロアニマの操縦、ハードの整備、ソフトの改修など、様々な専門書が納められた本棚が立っている。


「パソコンだ。私はパソコンだけは得意なんだよ、セイト」

「部屋に落ちてた本も、パソコン関連?」

「うん。民生用パソコンのOSとか、ゼロアニマのシステム調整とか、宇宙船のハッキングとか。あ、リーベルの射撃システムは最適化しておいたよ、セイト」

「褒めていいのかわからないな……」


 話していて、彼は、ニコがマフィアの所にいた、と思い出す。非合法な仕事もしたのだろう、と。


「でも、なんでエイダーさんは君を回収しろ、って言われたんだろう」

「私が『リブーター』だから」

「リブーターって……専属感応者が死んだ後のリアクターを、強制的に再起動できるっていう?」


 こくり、首を縦に揺らしたニコは、小奇麗なベッドに腰掛ける。


「レビトンリアクターは、最初に起動した人間以外の脳波を受け付けない。でも、私はそれを上書きできる。希少な存在だから、ストラト共和国も私に首輪を繋げたかったんだよ」

「マフィアの所にいたのは……非合法に手に入れたリアクターを上書きするため?」

「うん。機械的に登録を抹消できるのだとしても、それにはかなりのエネルギーが必要になる。私がいなくなったから、デンド・ファミリーも面倒に思ってるはず」

「今、デンド・ファミリーって言った?」


 セイトの不安げな質問に対し、彼女は首を傾げる。


「銀河最大のマフィア、デンド・ファミリーだよね? 俺、そんな所に喧嘩売ったってこと?」

「そうだよ、セイト」


 自分のやったことを、セイトはやっと理解した。


「最初にセイトが殺したのは、実行隊長サン・デンドの弟なんだよ」

「そんなのってありなのか……?」


 もう戻れない。戻るつもりもない。すぐに、表情は固まる。


「……なら、孤児院を焼いたのもデンドなんだな」


 パイロットとして、いつかは対峙する存在だった。そう言い聞かせて、平静を取り戻す。


「取りに行こう。デンド・ファミリーの、首」


 そうセイトは拳を突き出す。理解できないニコを叩くように、放送が鳴った。


『本船はこれよりレビトンジャンプに入る! ジャンプアウトは三時間後!』


 ヂオウの報告の直後、ディスプレイの外の世界が、黒から赤へ塗りつぶされる。赤い水の中を進んでいるような光景だ。


「三時間は暇だね、セイト」


 ニコが言う。次の任務は、別の星だ。

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