第21話 偽物の彼女、本物の家族

 白嶺学園の最寄り駅へ降りると、改札の向こうから高校生たちの賑やかな声が聞こえてきた。


 文化祭へ向かう生徒や保護者が多いらしく、駅前は休日の午前中とは思えないほど混み合っている。


「パパ、はやくー!」


 咲良は俺と紗理奈の間で両手を握られたまま、身体を前へ傾けていた。


「走ったら危ないよ」

「お祭りなくなっちゃう」

「咲良が着く前になくなるほど短いお祭りじゃないから」

「でも、プリンなくなるかも」

「目的が完全にプリンになってるな」


 俺が言うと、紗理奈が娘の反対側で笑った。


「誰に似たんだろうねー?」

「気に入ったものに執着するところは紗理奈だろ」

「でも甘いものが好きなのは湊もでしょ?」

「俺は普通だよ」

「冷蔵庫のプリンに名前書く人が普通?」

「あれは紗理奈が勝手に食べるからだろ」

「夫婦なんだから共有財産じゃん」

「プリンまで共有財産にするなよ」


 俺たちが言い合っていると、咲良が不思議そうに見上げてきた。


「パパとママ、けんかしてる?」

「してないよ」

「いつものお話」

「ふーん」


 咲良はすぐに興味を失い、学校へ続く道の先へ顔を向けた。


 駅前の店はいくつか変わっていた。


 高校時代によく立ち寄っていたコンビニは別の店になり、古い書店があった場所には新しいマンションが建っている。


 それでも、歩道の広さや街路樹の並び方は変わらない。


 紗理奈と初めて手を繋いだ帰り道も、ここを歩いた。


 あの日は周囲から見られていないか気になり、手のひらから伝わる体温さえまともに感じる余裕がなかった。


 今は娘の手を握りながら、紗理奈と並んで同じ道を歩いている。


「懐かしいね」


 紗理奈も周囲を眺めながら呟いた。


「この道、何回歩いたんだろ」

「数えられないくらいじゃない?」

「付き合う前から一緒に帰ってたしね」

「偽物の時も含めるの?」

「当然でしょ。あの頃だって私は楽しかったし」

「俺は毎日振り回されてたけど」

「でも、最終的には好きになったじゃん」

「結果だけ見ればな」

「結果が一番大事なの」


 昔から、紗理奈は自分に都合のいいところだけを強く覚えている。


 ただ、俺も本気で否定するつもりはなかった。


 始まり方がどうだったとしても、あの時間が今へ続いていることは事実なのだから。


 学校へ近づくにつれ、制服姿の生徒が増えていく。


 校門には色とりどりの装飾が施され、その上には大きく文化祭の名前が掲げられていた。


「ここがパパとママの学校?」


 咲良が立ち止まり、校舎を見上げる。


「そうだよ」

「おっきい」

「咲良も高校生になったら、これくらいの学校へ通うんだよ」

「らいねん?」

「まだ随分先だな」

「じゃあ、あした?」

「明日も4歳だよ」


 受付で卒業生用の名札を受け取り、校内へ入る。


 廊下には各クラスの出し物を紹介する看板が並び、教室の中から音楽や笑い声が聞こえてくる。


 焼きそばやフランクフルトの匂いも漂い、咲良は右を見たり左を見たりと忙しそうだった。


「プリンどこ?」

「まずは校内を見てから」

「なくなっちゃう」

「プリンに対する信頼がなさすぎるだろ」


 俺たちが使っていた教室へ向かうと、そこは喫茶店になっていた。


 入口の前には数人が並び、エプロン姿の生徒たちが忙しそうに注文を取っている。


「俺たちの頃も、こういうのやってたな」

「湊は何してたっけ?」

「ほとんど裏方」

「そうだっけ? 私、結構接客してた気がする」

「紗理奈は目立つところばかりやってたから」

「適材適所ってやつだよ」


 廊下から教室を覗く。


 机の位置は変わっていたが、窓の場所も黒板も当時のままだった。


「パパの席は?」


 咲良に尋ねられ、窓際から少し離れた場所を指差す。


「あの辺だったと思う」

「ママは?」

「私はこっちの方」

「とおいね」

「だから、毎日パパの席まで会いに行ってたの」

「毎日ではないだろ」

「ほぼ毎日だったじゃん」

「朝から腕へ抱きつかれたりして、かなり困ってたよ」

「嬉しかったくせに」

「最初は困ってたって」

「今更、強がらなくてもいいのにー」


 紗理奈が俺の腕へ軽く身体を寄せてくる。


 娘の前だからと離れる理由もなく、そのままにしていると、咲良が俺たちを見て笑った。


「パパ、ママにまけてる」

「咲良はどっちの味方なんだよ」

「ママ」

「即答だな」

「さすが私の娘」


 紗理奈が満足そうに咲良の頭を撫でた。


「おーい、湊!」


 背後から聞き覚えのある大きな声が響く。


 振り返ると、廊下の向こうから千一が歩いてきた。


 高校時代のような金髪ではなく、今は黒に近い落ち着いた髪色をしている。それでも派手な柄のシャツを着ている辺りは、あの頃からあまり変わっていなかった。


「遅えよ。午前中には来るって言ってただろ」

「今も午前中だよ」

「グループに集合時間送ったんだけど」

「湊は相変わらず通知を見ないんだよねー」

「13年経ってもそこ変わってねえのかよ」


 千一は呆れながら、俺の隣にいる咲良へ顔を向けた。


「咲良ちゃん、久しぶり」

「せんいちおじさん」

「お兄さんな」

「おじさん」

「誰だ、これ教えたの」

「年齢を考えたら普通じゃない?」

「紗理奈、お前だろ」

「私は何も教えてないよ。子供は正直だから」

「湊からも何か言えよ」

「一応、俺たちも同い年だから、千一がおじさんなら俺もおじさんになる」

「ほら、お前の旦那も被害受けてるぞ」

「湊はパパだからいいの」


 よく分からない理屈だった。


 千一はしゃがみ込み、持っていた小さな紙袋を咲良へ渡そうとする。


「これ、お菓子。ママに見つからないうちに鞄へ入れろ」

「全部見えてるからね」


 紗理奈が先に紙袋を取り上げた。


「ご飯前に食べたら駄目」

「ママ、あとで?」

「あとでね」

「紗理奈、昔より厳しくなったな」

「母親ですから」

「高校の頃は自分が好き勝手やってたくせに」

「人は成長するものなの」


 自分で言い切れるところは、あまり成長していない気もする。


「玲奈は?」


 俺が尋ねると、千一は廊下の反対側へ目を向けた。


「先生に捕まってる。久しぶりに来たなら研究の話を聞かせろって」

「相変わらず忙しそうだね」

「昨日も帰ってきたの遅かったからな。今日くらい仕事の話から離れればいいのに」


 千一が自然に口にした「帰ってきた」という言葉に、今更驚くことはない。


 玲奈と千一は、昨年結婚した。


 高校時代の俺たちが聞けば、誰よりも意外な組み合わせだったと思う。


 卒業後、玲奈は難関大学へ進み、千一はゲームや広告について学べる大学へ進学した。


 進む道は全く違ったが、俺と紗理奈を含めた4人で、年に何度か会う関係だけは続いていた。


 玲奈は医療機器を扱う会社へ就職し、研究職として働き始めた。千一はゲーム会社へ入り、宣伝やイベントの企画に関わるようになった。


 付き合い始めたきっかけを詳しく聞いたことはない。


 ただ、仕事が忙しくなり、無理をしていた玲奈を、千一が何度も食事へ連れ出していたらしい。


 玲奈の肩書きや成績を特別扱いせず、疲れていれば「休め」と言い、間違っていると思えば遠慮なく口にする。


 千一にとっては昔から変わらない態度だったが、玲奈にとっては、それが居心地良かったのだろう。


 3年ほど前から二人で会うことが増え、昨年、俺たちや家族に見守られながら結婚式を挙げた。


 正直に言えば、結婚すると報告された時は驚いた。


 それでも、今の二人を見ていると、不思議なくらい自然に見える。


「千一」


 廊下の奥から玲奈の声が聞こえた。


 こちらへ歩いてくる玲奈は、高校時代より髪が少し短くなっていた。


 落ち着いた色のワンピースを着て、左手の薬指には千一と揃いの指輪が光っている。


「勝手に先に行かないでって言ったでしょ」

「先生に捕まってたから、先に湊たちへ挨拶しようと思って」

「一言くらい言ってくれればいいのに」

「メッセージ送ったぞ」

「廊下にいるのにメッセージで済ませないで」

「それは悪かったよ」


 玲奈は小さく息を吐いたあと、俺たちへ顔を向けた。


「久しぶり」

「久しぶり、玲奈」

「紗理奈も。咲良ちゃんも大きくなったね」

「れなちゃん!」


 咲良は玲奈を見ると、嬉しそうに駆け寄った。


「走ったら危ないよ」


 玲奈は屈み込み、咲良を受け止める。


「元気だった?」

「げんき。れなちゃん、きょうプリンある?」

「私に聞くの?」

「れなちゃんは何でも知ってるから」

「随分信用されてるな」

「千一とは違うね」

「俺は菓子を持ってきたんだけど?」


 玲奈は笑いながら、咲良の髪飾りを整えた。


 高校時代の玲奈しか知らない人間が見れば、今の姿に驚くかもしれない。


 昔の玲奈は、自分よりできない人間へ苛立ち、誰かに頼ることも苦手だった。


 今でも真面目で、仕事へ集中しすぎるところは変わらない。


 けれど、疲れたと口にしたり、千一へ素直に文句を言ったりする姿を見るようになった。


 全く別人になったわけではない。


 過去を消したのでもない。


 時間をかけ、自分が傷つけたものと向き合いながら、少しずつ人との関わり方を変えてきたのだと思う。


「幸せそうだね」


 玲奈が俺たち3人を順番に見ながら言った。


「まあ、毎日それなりに大変だけど」

「そこは幸せって即答するところじゃない?」


 紗理奈が俺の脇腹を肘で押す。


「幸せじゃないとは言ってないだろ」

「今の答えは減点だね」

「何点中?」

「100点中30点」

「厳しすぎるよ」

「咲良、パパがママといて幸せか聞いてみて」

「パパ、しあわせ?」

「幸せだよ」

「はい、100点」


 紗理奈は満足そうに笑った。


「相変わらず尻に敷かれてんなー」

「千一だって人のこと言えないでしょ」


 玲奈が静かに返す。


「俺、尻に敷かれてる?」

「昨日、洗濯物を洗濯機に入れたまま寝たのは誰?」

「それは……俺だな」

「今日の朝、私が干したよね?」

「ありがとうございます」

「お互い様じゃん」


 紗理奈が楽しそうに笑う。


 昔なら、俺と玲奈が同じ場所にいるだけで、紗理奈は少し警戒していた。


 玲奈もまた、俺と紗理奈の距離を見るたび、表情を曇らせていたと思う。


 今は4人でくだらない話をしながら笑える。


 元の関係へ戻ったわけではない。


 高校時代と同じ距離で付き合っているわけでもない。


 それぞれが自分の生活を築き、別の相手と家族になったからこそ、無理をせずに話せるようになったのだろう。


「中庭へ行くんでしょ?」


 玲奈が尋ねる。


「咲良が見たいって言ってるから」

「パパとママが、ほんものになったところ」

「そうなんだ」


 玲奈は少しだけ懐かしそうに目を細めた。


「私たちも一緒に行っていい?」

「もちろん」

「俺は先に食べ物買いたいんだけど」

「千一はあとで」

「俺の意見は?」

「今日は咲良ちゃんが主役でしょ」

「結婚してから玲奈も紗理奈に似てきてない?」

「それは褒め言葉?」

「本人に聞けよ」


 俺たちは5人で中庭へ向かった。


 途中、何度も咲良が屋台へ引き寄せられ、そのたびに紗理奈が止める。


 千一は味方をするふりをして、こっそり小さなクッキーを渡そうとしていたが、玲奈に見つかって回収されていた。


「夫婦揃って厳しくない?」

「昼食前だから」

「咲良ちゃんに嫌われるぞ」

「千一が甘やかしすぎなの」


 二人のやり取りを見ながら、俺は少し笑った。


 高校時代、玲奈の隣に千一がいる未来など一度も考えなかった。


 紗理奈と結婚し、娘を連れて母校へ戻る未来も同じだ。


 当時の俺は、目の前のことから逃げないだけで精一杯だった。


 それでも、自分で一つずつ選び直した先に、今の生活がある。


 中庭へ出ると、校舎の間から柔らかな日差しが降り注いでいた。


 記憶にある場所より少し狭く見える。


 ベンチは新しいものへ交換されていたが、位置は当時とほとんど変わっていなかった。


「ここだよ」


 紗理奈が咲良の手を引き、ベンチの前へ進む。


「ママが、パパの偽物の彼女になった場所」

「そんな説明でいいの?」

「分かりやすいでしょ?」

「偽物の彼女になろうかって言われた場所だな」

「結局同じじゃん」


 咲良はベンチを眺めたあと、周囲をきょろきょろと見回した。


「どこでほんものになったの?」

「この辺」


 俺はベンチの前にある場所を指差す。


「ここでママが手紙を渡して、次の日にパパが好きって言ったの」

「二回言わされたけどな」

「最初は地面を見ながらだったから、やり直してもらっただけ」

「厳しくない?」

「大事な告白なんだから、ちゃんと目を見てほしいじゃん」


 紗理奈は高校生だった頃と同じように、俺の正面へ立った。


 服装も髪型も違う。


 左手には結婚指輪があり、その隣には俺たちの娘がいる。


 それでも、少し悪戯っぽく笑う表情は、あの時とほとんど変わっていなかった。


「パパ、ママにすきって言って」


 咲良が突然言い出す。


「何で?」

「ここで言ったんでしょ?」

「咲良、いいこと言うね」

「紗理奈が教えたの?」

「教えてないよー。咲良が自分で言ったんだもん」

「今更言わなくても分かるだろ」

「分かってても聞きたいものなの」


 背後から千一の笑い声が聞こえる。


「湊、早く言えよ」

「人ごとだと思って」

「今なら動画も撮ってやるぞ」

「やめろ」

「じゃあ私が撮る」


 玲奈までスマートフォンを取り出した。


「玲奈も乗らなくていいから」

「家族写真を撮るだけだよ」

「絶対違うだろ」


 逃げ道はなさそうだった。


 紗理奈は俺の前で、返事を待っている。


 高校生の頃は、好きだと口にするだけで、何度も頭の中に言い訳が浮かんだ。


 嫌われたらどうしよう。


 自分では釣り合わないのではないか。


 そんなことばかりを考えて、最後まで書けなかった言葉を、紗理奈の前でどうにか伝えた。


 今は、もう迷う理由がない。


「紗理奈」


「うん」


「今も好きだよ」


 紗理奈が嬉しそうに笑う。


「今もってことは、これからは?」

「またやり直し?」

「ちゃんと言ってくれたら一回で終わるよ」

「高校の頃から変わらないな」

「湊もね」


 俺は一度息を吐き、今度は目を逸らさずに紗理奈を見る。


「これからもずっと好きだよ」


「うん。私も」


 紗理奈が俺の腕へ抱きついた。


 咲良も負けじと反対側へしがみついてくる。


「さくらもパパすき!」

「ありがとう」

「ママもすき!」

「ママも咲良が大好きだよ」


 3人で身体を寄せ合うと、玲奈のスマートフォンから撮影音が聞こえた。


「いい写真が撮れたよ」

「あとで送って」

「もちろん」


 千一が玲奈の画面を覗き込む。


「俺たちは入ってないけど?」

「今度5人でも撮ろう」

「夫婦写真も欲しい」

「それは帰ってからでも撮れるでしょ」

「母校で撮ることに意味があるんだよ」

「急に真面目なこと言わないで」


 玲奈は呆れながらも、嫌そうにはしていなかった。


 俺は鞄の中から、白と桃色の封筒を取り出した。


「それ、持ってきてたの?」


 紗理奈が驚いたように目を見開く。


「ここへ来るなら、一応」

「読む?」

「読まないよ。さすがに恥ずかしい」

「私も無理」

「ママのおてがみ!」


 咲良が手を伸ばしてくる。


「見るだけだよ。開けちゃ駄目」

「なんで?」

「パパとママだけの秘密だから」

「れなちゃんも見た?」

「見てないよ」


 玲奈は白い封筒を見つめながら答えた。


「でも、それがあったから、今の二人がいるんだね」

「うん」


 紗理奈は素直に頷いた。


「最初は綺麗な理由じゃなかったけどね」

「俺たち、お互いに利用しようとしてたからな」

「でも、途中からは全部本気だったよ」

「そうだな」


 最初に紗理奈へ近づいた時、俺は玲奈から離れるための手段として考えていた。


 紗理奈もまた、玲奈を困らせるために俺を利用しようとした。


 どちらも、相手の気持ちを十分に考えていなかった。


 それでも一緒に過ごすうち、勉強をした時間も、帰り道で交わした会話も、互いを心配した気持ちも、少しずつ本物へ変わっていった。


 大学へ行くために勉強した日々も、狭い部屋で始めた同棲生活も、初めて大きな喧嘩をした夜も、結婚を決めた日も、咲良が生まれた時も。


 どれか一つだけで家族になれたわけではない。


 偽物から始まった関係へ、毎日の時間を積み重ねてきた結果が、今なのだと思う。


「パパとママ、いまはほんもの?」


 咲良が尋ねる。


「本物だよ」


 紗理奈が答える。


「咲良が生まれる前から?」

「咲良が生まれるずっと前から」

「じゃあ、さくらもほんもの?」

「もちろん」


 俺は咲良の頭を撫でた。


「咲良は、パパとママの大事な家族だよ」

「せんいちおじさんは?」

「俺も家族なの?」


 突然名前を出された千一が、自分を指差す。


「れなちゃんとけっこんしたから」

「そっちの家族だな」

「じゃあ、みんなほんもの?」

「そうだね」


 玲奈が咲良の目線に合わせて屈み、優しく笑った。


「みんな本物の家族だよ」


 咲良は嬉しそうに頷くと、俺と紗理奈の手をそれぞれ掴んだ。


「じゃあ、プリン食べに行こう」

「結局そこへ戻るんだな」

「本物の家族だから、みんなで食べるの」

「それなら仕方ないねー」


 紗理奈は笑いながら、咲良の手を握り返した。


 俺たちが中庭を出ようとすると、千一が声をかけてくる。


「湊、写真撮ろうぜ」

「5人で?」

「せっかく全員揃ってるんだし」


 近くにいた生徒へ頼み、ベンチの前へ5人で並ぶ。


 中央には咲良が立ち、その両隣に俺と紗理奈、さらに外側へ玲奈と千一が並んだ。


「撮りますよー」


 生徒がスマートフォンを構える。


 咲良が両手を伸ばし、俺と紗理奈だけでなく、玲奈と千一の手まで握ろうとした。


 5人では上手く繋げず、少し不格好な形になる。


「これ、ちゃんと写る?」

「いいんじゃない? 私たちらしくて」


 紗理奈が笑う。


 撮影音が鳴った瞬間、咲良が楽しそうに声を上げた。


 画面には、全員が少しずつ違う方向を向きながら笑っている写真が残った。


 高校時代の俺たちは、こんなふうに並ぶことなどできなかった。


 玲奈と距離を置くことも、紗理奈を好きだと認めることも、あの頃の俺には怖かった。


 自分で何かを選べば、誰かを傷つける。


 失敗すれば、全てを失う。


 そう思い込み、誰かに決められた場所から動かずにいた。


 けれど、紗理奈が俺の手を引いた。


 最初は俺を利用するためだったとしても、その後は何度も隣へ立ち、立ち止まった俺を前へ進ませてくれた。


 今では俺も、自分から紗理奈や咲良の手を握ることができる。


「湊、何ぼーっとしてるの?」


 紗理奈が俺の顔を覗き込んだ。


「昔のことを思い出してた」

「私が偽物の彼女になってあげた日のこと?」

「また上から目線になってる」

「だって、あの時の私がいなかったら、今の湊はいなかったでしょ?」

「それは認めるよ」

「おっ、今日は素直だね」

「紗理奈がいなかったら、咲良もいなかったからな」

「……そういうことを急に言うの、ずるい」


 紗理奈は少し照れたように笑い、俺の肩へ頭を寄せた。


「ねえ、湊」

「何?」

「本物の奥さんとして、一つお願いしていい?」

「内容によるけど」

「またそれ言うの?」

「紗理奈の場合、何を頼まれるか分からないから」

「大丈夫。簡単なお願いだから」


 紗理奈は咲良の小さな手を握ったまま、俺へ差し出した。


「これからも、ずっと一緒に歩いていこう」


 高校生の頃の紗理奈は、俺へ本当の彼女にしてほしいと願った。


 あの時の俺は、先のことなど何も分からないまま、それでも隣にいてほしいと答えた。


 13年が経った今なら、あの頃より少しだけ自信を持って言える。


「分かった」


 咲良の手を握り、その向こうにある紗理奈の指へ自分の指を重ねる。


「これからも、紗理奈と咲良の隣にいるよ」


「うん。約束だからね」


「ああ」


 咲良が俺たちの手を引き、文化祭で賑わう校舎へ向かって歩き出した。


 その後ろを、玲奈と千一が並んでついてくる。


 始まりは、互いの都合から生まれた偽物の関係だった。


 けれど、一緒に過ごした時間も、交わした言葉も、今繋いでいる手の温かさも、全て本物だ。


 偽物の彼女だった紗理奈は、今では俺の妻になった。


 そして俺たちの間には、二人だけでは決して出会えなかった咲良がいる。


 もう、この関係を偽物だと言い訳する理由は、どこにもなかった。



※近況ノートにてサポーター限定のSSを公開しています。

【サポーター限定:SS 13年経っても、まだ】

https://kakuyomu.jp/users/tanakamatao01/news/2912051607193824758

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いつも小馬鹿にしてくる勘違い幼馴染と縁を切ることにしました 田中又雄 @tanakamatao01

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