探偵は遅すぎる
高く澄んでいる一方、少年らしい尖りがある声だ。
重たいドアを軽々と片手で開け放ち、太陽が帰還する。
「これは殺人。
けど遠田さんは犯人じゃない」
決然と言い放ち祭壇前まで歩を進める。
声にも足取りにも迷いはない。
真紅のシャツに黒のベスト、上に羽織ったケープとパンツ、鹿撃ち帽はタータンチェック。
尾行や張り込みの時には着ないキメキメの探偵衣装。
しかしその自慢の一張羅は、せっかくのカシミアがあちこち汚れて見えた。
目立つのは肩に膝、肘などで白手袋は真っ黒だ。
「何か見つけたのか」
「うん」
首から下げたデジカメを操作しつつ答える。
見せられた写真は、何やら狭く薄暗い空間を映したものだ。
フラッシュが照らす暗がりを太いパイプや配線が行き来している。
「天井裏?」
「そう。探したら点検用の蓋が廊下にあったから」
「ネジで留めてあったんだがね」
「いや、1円玉挿し込んで、こう」
「申し訳ありませんでした」
手首を捻るジェスチャーをしたところを、後頭部を掴んで強引に下げさせる。
昔のハードボイルド探偵のような法令軽視だ。
それで天井裏へ上がり、撮ってきたのがこの写真だという。
服の汚れもホコリの積もった空間を這い回ったせいらしい。
「ほら、これ」
二枚目の写真の中央部を指す。
デカデカと映っているのは排気ダクトと思しき太い管だった。
その表面には大きな穴が空いている。
補修用テープで塞いであるが、穴の縁の輪郭がテープに浮き上がっている。
「穴は最近塞いだっぽかった。
ホコリ溜まってなかったから。
これ、上で外に繋がってるんじゃない?
今日って風強いでしょ。
空気が漏れる感じの音が天井からずっと聞こえてたから」
「しました? そんな音」
「現にあったんだから、したんだろ」
塞いだとはいえ穴が空いているのだ。
気密性はいくらか低下し音も変わるのかもしれない。
とはいえ頭上数メートル。
そこから漏れる微かな音を天井パネル越しに聞き分けた。
探偵のスキルの一つに観察眼があるが、その観点では最強の探偵かも知れない。
「何で穴があったら犯人じゃないんすか?」
「犯人はこの穴を通して凶器を中に持ち込んだんだよ。
外のダクトの出口からナイフを放り込んで、中からワイヤーとかで引っ張り込んだんでしょ。
そのための穴がこれ。
でも遠田さんが犯人ならこんなことしなくていい。持って入れるんだから。
さらに!」
鼓膜が破れそうな大声。すたすたと祭壇まで歩き、その場にしゃがむ。
「ほら、見て」
やはり借り物のペン型ライトで祭壇下を照らし出す。
飛び出す直前にもこうやって祭壇を調べていた。
「ここここ」
祭壇下に渡された梁のような骨組み。
恐らくは壇を支える脚を補強するパーツなのだろう。
その真ん中あたりを、黒く汚れた指でちょいちょいと指す。
「擦れた後あるでしょ?」
言った通り、梁にうっすら積もったホコリの層が真ん中あたりで途切れている。
凝視しないとわからない。吸血鬼の視力だから気付けるような差異だ。
途切れた跡の幅は極めて狭い。何か細いものが擦れたようだ。
「ここに糸みたいの掛けてたんじゃない?
それがトリックなんだよ。
ナイフを飛ばす仕掛けがあっても気づかれずに回収は無理って」
聖堂にいない間の会話も当然のように把握している。
「回収しなくていいとしたら?
仕掛けがアーニャさんの体のパーツでできてたら」
「被害者が死ねば一緒に消える、と」
「そう!」
吸血鬼の体は死の瞬間に全て消滅する。
体から離れた肉片や分泌物までも、だ。
全てが吸血鬼由来の素材なら、殺害と同時に証拠隠滅まで完了する。
後に残るのはあのナイフだけだ。
「しかし、一体どんな仕掛けなんだ」
「なんかボウガンみたいなのでしょ。
本体は骨か何かで、弦は
大昔の弓の弦も動物の腱だったらしいよ」
腱は筋肉と骨を繋ぐ組織だ。
筋肉に合わせて収縮する弾力が弦にはうってつけだったのだろう。
今回の犯人は吸血鬼の腱にその役目を負わせたと。
「犯人はさっきの穴からナイフを持ち込んで、あの仕掛けで殺した。
誰か考えるのはこれからだけど、さっき言った通り遠田さんじゃない」
ね、と遠田へ向き直る。
慈しみの笑みに遠田は。
「がんばってもらって悪いね」
「探偵だからね」
「あの穴、空けたのあたしなんだ」
「えっ」
「あんたが言ってた通りつい最近さ。
照明の配線が切れてるみたいだったからね。
点検で天井にあがった時に工具ぶつけて空けちまった。
管が老朽化していたせいだな」
そもそも無理がある話だった。
礼拝の時しか来ない信徒が、夫妻や他の信徒の目を盗んで天井裏へあがり、太陽の語る作業を完遂しただなんて。
こんな真似ができるのは遠田だけだし、肝心の遠田はこんなトリックをやる意味がない。
「さっきの弓矢を仕掛けるとかいうのだって、聞いてると一番怪しいのはあたしじゃないか?」
全くその通りだった。
アーニャの骨や腱を手に入れるのは、髪の毛を拾うのとはわけがちがう。夫なら手に入るというものでもないが、普通の信徒は況やだ。
実際に仕掛けるのだって、犯人ならまっさきに来て最前列に座り、他の信徒が近づかないよう目を光らせるにちがいない。
その条件を満たすのもやはり遠田なのだ。
「遠田さんは、ちがうと思う」
「私が気になるのは」
口を挟んだのは
「遠田さんを犯人と騒ぎ立てた
彼がなぜあなたを、そこまで強硬に犯人扱いしたかですね。
自殺を受け入れたくないにせよ、他の皆がまだ事態を呑み込めていない段階であなたが犯人と決めてかかったんでしょう?
そこまで躊躇いがないのはちょっと異常だ。
彼との間に、何か確執でもあったんですか」
遠田がため息を吐く。
ずっとへらへらした調子だった彼が、うってかわって深刻そうな表情で。
「……倅のこと、だろうね」
・・・
部屋に通されてすぐ手袋の汚れに気づいた。
白手袋の腹側が、茶色とピンクを混ぜたような色に変色している。
細かな粒子の粉末が付着しているらしい。
化粧品のファウンデーションパウダーを最初は想像した。
「岩絵具じゃない?」
「岩、絵具?」
「日本画の絵具だよ。あそこのやつだと思う」
太陽が棚を指さす。
色とりどりの粉末を詰めた小瓶がいくつも並んでいる。
「カラフルな石を粉にしたやつなんだって。
だから『岩』絵具」
「石が絵具になるんだな。それを水に溶いて塗るのか?」
「水じゃないよ。
「全然わからん」
膠。動物の骨や皮を煮出してコラーゲンを抽出した接着剤だ。
絵を描くのにも使うとは知らなかった。
「倅が使ってて溢れたんだろうね。
よくここで描いてたからな」
遠田の自宅内、息子・湊の部屋。
太陽は一年前、湊の訃報を聞いた時も訪ねたらしいが、月生は初めて来る。
部屋にはぐるりと囲うように遺作が並ぶ。
日本画中心だが現代的なイラストや彫像も。
太陽に伯爵、加賀美ライラと思しき絵まである。
吸血鬼というモチーフへの傾倒はたしかだったらしい。
そして、それらの作品群に見守られ、湊の遺影は作業机の上に佇んでいる。
あちこち絵の具で汚れた青年の横顔。
その眼差しは真剣そのもので、恐らく作業中の姿だろう。
普通なら真正面の写真を使うが、一番息子に相応しいと思ったのか。
隣には彫りの深い女性の似顔絵もあった。
これがアナスタシア。湊が描いたものだった。
「探偵さんらがどこまで知ってるか知らないがね。
あの、爆弾の時、倅は女房を庇って死んだんだ」
妻と息子の遺影を前に、残された男は述懐する。
約一年前、聖堂で祈りの儀式中、入信したばかりの参加者が自爆した。
衣服の下に大量の爆薬と聖銀の破片を巻きつけ起爆させたのだ。
吸血鬼の嗅覚があっても火薬の匂い自体知らなければ警戒のしようがない。
金属探知機もまだなかった。この事件を受けて導入したから。
その場にはアナスタシアはじめ何人もの吸血鬼がいた。
犯人の両隣の二人は頭部に聖銀を受けて即消滅。
他の吸血鬼はその運動能力で避けたり隠れたりはできたはずだった。
しかし彼らは、人間の信徒を庇った。
床に伏せさせて自分の回避が遅れる、反射的に身を盾にする――後者は何の役にも立たないのだが――などして次々に消滅。
生き残った者も体の大部分を永久的に喪失した。
アナスタシアはあの場で唯一の無傷の吸血鬼。
湊は唯一の人間の死者だった。
祭壇前に跪いていた彼女を、最前列の湊が銀の雨から庇ったのだ。
「あたしゃ風邪引いて儀式に出ずに寝てたんだ。大事を取れって言われてな。
そこに音と地響きみたいな揺れが来て。
飛び起きて向かったよ」
堂内には血と臓物、穴だらけの衣服が散乱。
息子の亡骸を抱いて泣き叫ぶ妻の姿がそこにあった。
二人の他には吸血鬼の死者が七人、聖銀で肉体を欠損した者三人。
人間は軽傷者を数名。
参加者以外、教団全体へのダメージも甚大だった。
もともと、信徒の半分以上が吸血鬼だった。
しかしあの事件を受けて、その時いなかったメンバーも離脱が相次いだ。
厳重なセキュリティを導入しても変わらなかった。
引き止めるなんてできるはずもない。
今や吸血鬼のアクティブな信徒は皆無と言ってもいい。
聖堂に来るのは人間の、当時の犠牲者の遺族や知人ばかりだ。
事件の日のメンバーもそう。
「あたしは思ったよ。
『お前がボーっとしてなきゃ湊は死ななかったんじゃねえか?』
『吸血鬼のお前が人間に庇われるなんておかしいだろ』
って」
「ちがいますよ」
否定したのは
当時、この事件の捜査に加わっているという。
「アーニャ様はあの時も悪魔像に跪いてたって証言があります。
爆発には背を向けてた。反応が遅れてもしゃあないっす」
「わかってる。
だがね、こいつがどんくさいのが悪いんじゃねえかって思ったんだ。
実際そういうところがあったからね。
もちろん力は強いんだが、物を落として割ることも普通にあったよ」
「吸血鬼は注意力散漫な人が多いようです。
知覚情報が膨大すぎて意識を割いていられないとか」
「丈夫だからぶつけても転んでも滅多に怪我とかしないし、鈍感になってくんだと思う」
太陽が感覚に相応の感知力を持っているのは、戦士として、あるいは探偵としての訓練の賜物なのだろう。
アナスタシアはそうではない、普通の吸血鬼だったようだ。
「もっと早く知ってたら……いや、変わらんだろうな。
ガキのまんまだあたしゃ」
遠田は自嘲して続ける。
「これでも我慢はしたんだよ。したうちにも入らねえ我慢だが。
なのに喧嘩になった時、口をついて出ちまったのよ。
言われたアイツは呆然として、それからぼろぼろ泣いてな……。
死ぬ、十日前のことさ」
それが彼女を死に追いやったのだと。
「逸彦くんは、あたしが湊のことを恨んで殺ったと思ったんだろうよ。
その通りだな。
あたしの言葉が、女房を殺したんだよ。
湊は母親を庇って死んだってのに、それを、親父のあたしが」
乾いた頬を涙が伝う。
部屋を満たす思い出たちが老人の今を残酷に浮き上がらせていた。
どれだけ後悔しても、謝っても取り戻せない。
死の彼岸に全てを持ち去られた男を前に、
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