吸血鬼とは
エイブラハム・ヴァン・ヘルシングが発見した、人間の血を啜り、血を注ぐことで殖える超常存在、それが吸血鬼だ。
老化せず病に冒されることもなく、どんなダメージもすぐさま回復する生命力。
圧倒的な身体能力と人間の数十倍の感度の知覚。
コウモリに変身し空を飛ぶ。
影ができず、鏡やカメラなど肉眼以外の光学的手段では存在を観測できない。
所有者の許可がない建物には入れない。
これらの性質を科学的に解明しようと数々の科学者が挑み、そして敗れ去っていった。
何しろ吸血鬼は、生物としてヒト過ぎる。
DNAも人間時代から変化せず、人間との交配すら可能――生まれるのは人間の子供。
牙を通して注ぐのでなければ輸血したって吸血鬼になることはない。
その牙だってやはり、形が獣じみているだけでヒトの犬歯と組成も構造も変わらない。
超常性の要因は何一つ見出せず、だからこそ超常としか言いようがなかった。
何より、彼らの弱点。
日光だけならともかく、教会由来の聖銀――ただの純銀は全くの無害だ――というのは、未知の怪物を悪魔的に見せるには十分過ぎる説得力があった。
ヘルシングが存在を明かすと、世界中で吸血鬼狩りの嵐が吹き荒れた。
都市の下水や地下道、住民を長らく見かけない人家、山間の洞窟。
そういった場所に潜む吸血鬼たちは昼間の襲撃に悲しいほど無力だった。
ヘルシングを信じ、聖銀の武器で身を固めた狩人たちに踏み込まれ、彼らは応戦する間もなく日光の中に消えた。
突然の存亡の危機に、彼らが選んだ対抗手段は殖えること。
コンサートホールやサッカースタジアム、祭り会場へと客に化けて紛れ込み、手当たり次第に人間に噛みついては血を注ぎ、血が足りなくなったら人間から補給してまた注ぐのを繰り返す。
こんなシンプルな作戦で、一人の吸血鬼が数千にまで殖えた夜もあった。
世に言うドラキュラ事変だ。
計画は、ドラキュラ伯爵を名乗る首謀者が討たれて終息を見る。
それでもわずかな間に、世界中で数百万の吸血鬼が生まれた。
とあるジャーナリストは現代をAD――Anno Draculaと名付けた。
AD51年、世界が変わって半世紀という時代を
「……望み薄、ということはお伝えしておきます」
人探しは探偵にとってごく普通の依頼だ。依頼の数で言えば浮気調査に次いで多い。
問題は探す相手が普通ではないところ。
ただの吸血鬼ではない。
加賀美ライラは警察の総力を以ても捕まえられない連続殺人の容疑者だった。
あるいは犯人の名前から加賀美ライラ事件。
メディアでの呼び方はその二パターンだ。
七月十日。
市内の墓地の一角で男が死んでいるのが見つかった。
名前は風波省吾。
死因は失血性ショック。
全身の血液の99.9%が失われていた。
普通の失血死ではあり得ない量で、なのに衣服も地面も血の汚れは全くない。
首筋には
典型的な“
風波は反吸血鬼連合、“銀十字”の一員で、だから狙われたとも噂された。
それから二ヶ月後の九月十二日。
今度はこの事務所から近い
そこのベンチで槇原幹康という男が座ったまま死んでいた。
この男も風波と同じ“銀十字”の一員で、死因もやはり
十一月八日。被害者は斎藤晴臣。現場は市営バスの車内。牙痕は左の手のひら。
吸血鬼の牙は指紋や静脈、虹彩と同じように一人一人異なっている。
そして、一連の遺体の牙痕は全て一致した。
ICPO加盟国の吸血鬼データベースを参照し、ある吸血鬼がヒットした。
それが加賀美ライラ。
彼女は事変前の世代の吸血鬼で、“伯爵”を除けば最も有名な個体の一人だ。
母の故郷イギリスで吸血鬼になったらしい。
自宅からは叔父の
死に方の奇妙さから現地の好事家が買い取ってミイラとして保存していたのだが、その首の牙痕は今回の被害者たちとやはり一致している。
叔父を殺して行方をくらました後、彼女はヨーロッパ各地を渡り歩き、生ける伝説として恐れられた。
闇夜に舞い降りマシンガンで蜂の巣にしようが手榴弾でバラバラになろうが蘇って襲いかかる。
狙われるのはもっぱら権力者だ。
政治家や富豪からマフィアといった犯罪組織、軍人、ナチス、政府の要人。
支配階層の男たちは魔の牙に眠れぬ夜を過ごした。
だがヘルシングの発表はこの怪物の正体をも白日の下に晒し、彼女の悪名はぱたりと途絶えた。
死んだと言われていた。
吸血鬼は死体が残らない。死ぬ時は全身が、一度切り離された体組織まで含めて消滅する。
弱点を知った奴らに狩られたにちがいないと。
ところが生きていて、今や生まれ故郷日本で連続殺人に及んでいる。
世間を騒がせる理由は犯人のネームバリュー以外にもあった。
生前の目撃情報から割り出された各人の死亡推定時刻。
風波が午前六時から八時。
槇原が午後三時から五時。
斎藤が午前八時十五分から九時二十八分。
遺体は死亡時から動かした形跡がなく、つまりどの被害者も日光の注ぐ場所で吸殺されたことになる。
聖銀と日光の吸血鬼への侵襲性は絶対だ。
触れた体組織が一瞬で消滅し、その部分は彼らの無類の再生力が一切働かない。
そんな滅びの光の中を、加賀美ライラは悠々と闊歩する。
だから世間は恐怖した。
吸血鬼の歴史上、初めて日光を克服した吸血鬼が現れたのかと。
ヨーロッパを震え上がらせた伝説の吸血鬼が、史上初めての日光への耐性を得て復活。
しかも敢えて日中に犯行を重ね、隠滅できたはずの牙痕をそのまま残して正体を晒すなど、警察を挑発するような振る舞い。
犯罪史でも類を見ないほどセンセーショナルなこの事件の行く末を、世界中が恐怖と好奇のないまぜの視線で見守っていた。
警察は威信にかけて事件を解決すると発表、空前の規模の体制で捜査に臨んでいる。
警察以上にナメられていると思ったのが団員を殺された銀十字だろう。
各地で活動するハンターたちが続々と荒湧市に結集。
パトロールと称し武装して練り歩く様が昼夜問わず市内の至るところで見られた。
この状況下で尻尾を掴ませもしない怪物が加賀美ライラなのだ。
「他の事務所へは依頼されましたか? ウチは開業して日も浅い零細ですよ」
「所長さん、凄く優秀な人って聞いて」
「誰ですかね言ったのは。買いかぶりですよ。申しわけないが」
「ダメ元でいいんです。母の保険金でお金はあるので」
やはり目線を合わさず彼女は続ける。
「お願いします。私にも義姉の仇なんです」
「お母さんとは佑月
「はい」
風波省吾より遡ること一月ほど前だ。
真昼の母・
メディアではあまり注目されていないが、一連の事件の最初の犠牲者だ。
「これが、母です」
高校の入学式の写真らしく、真新しい制服の真昼の隣、でっぷりと太った中年女性が陽気に笑っている。
「これが、お母さんが、これっ、こんなに……」
震える手で携帯を操作し、次の写真を表示する。
さっきまで泳いでいた視線が、携帯を弄り出してからまっすぐ固定されている。その目で訴えてくる。
赤黒く血に染まった草むら。
横たわる遺体は、あまりにも凄惨だった。
上半身を膾切りと言っていいほど刃物で念入りに切り刻まれ、首に至っては文字通り首の皮一枚の有様だ。
「真昼っ! ……すみません、この子、第一発見者で」
「母もライラに、こんなにされたのにっ。全然調べてくれないんです」
「捜査の進展がないというのは聞き及んでます。
それだけ困難な仕事ってことです。加えてウチは警察のような権限もなく人員も二人」
「見つからない時はちゃんと諦めますから」
「この子には探偵さんだけが頼みなんです」
どうしたものか。
正直に言えば受けたくない。
十中八九警察の捜査の後追いになるからだ。人員も予算も権限も何一つ敵わない以上、新たに何か得られる可能性はゼロに近い。
そんな依頼を当てもなく受けるのは覚悟の上と言われても抵抗がある。
それに、受けるまでもなく――
ちょうどそんなことを思ったタイミングだった。
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