Welcome to this crazy heaven
探偵は事件を解決する職業ではない。
最近では推理小説の世界でも。
いわゆる探偵役が職業も探偵であることは少ない。
本当に私立探偵の設定でも人探しや浮気調査の過程で事件と接点を持つ流れが大多数だ。
なぜなら、事件解決の依頼なんか来ないから。
来ても手に負えないから。
探偵が扱うのは民事案件。
刑事事件のエキスパートはもちろん警察。
警察が解決できないなら探偵にできることなんかあるはずもない。
ヘブン探偵事務所所長・
客だってわかっているはずだ。
警察にも解けない難事件の解決を依頼されるなんてあるわけもない。
「加賀美ライラ、見つけてください」
事務所中央に設けられた応接スペース。
ソファの右側に浅く腰掛けているのが依頼人・佑月真昼だ。
ボブカットに眼鏡、ブレザー姿。
市内の女子高の三年だとかで、
隣は保護者で付き添いの佑月汐。
マッシュヘアで黒のセットアップ。
中性的な装いはファッションに疎い
「それはあの加賀美ライラで?」
「……」
「真昼」
「え、あ、はいっ」
「例の事件で注目されている加賀美ライラを探して欲しい、というご依頼ですか?」
「そ、そうですっ」
自分で依頼に来たというのに彼女は心ここにあらずといった調子だ。
事務所に足を踏み入れてから、中へと案内されソファに腰掛け、こうして依頼を語った後も周囲を見てばかりいる。
「気になりますか、事務所」
「あ、はい、素敵ですね」
まあ、目移りする客は珍しくない。
駅から徒歩数分、年季の入ったファミリーマンションの一階。
信頼と実績の大手事務所にも、逆に新進気鋭のフレッシュさからも程遠い。
開業間もないのにすでにくたびれた雰囲気が漂っている。
しかし中に入るととどうだろう。
真紅の絨毯、木目の壁紙、艷やかな黒壇の本棚には業務関係のファイルと共にアンティークな装丁の洋書がずらり。
いっそ下品なくらいに全体がクラシカルだ。
客用ソファが本革なのはともかく事務机まで無駄にマホガニーで、パソコンがあるのにタイプライターがどっかり居座る。
極めつけは受話器が筒になった木製の壁掛け電話。
デザインだけで選んだ骨董品だが、案の定ベルが壊れて鳴らなくなった。
どれもこれも今は不在の調査員の趣味だった。
好きになったものを安直に真似する奴なのだ。
「あ、後で見せてもらってもいいですか?」
「構いませんが、先に依頼内容の確認を。
この加賀美ライラの捜索を依頼、ということで」
画面に表示されているのは見るからに時代がかったモノクロの家族写真だ。
スーツに山高帽、髭をたくわえた男性と着物姿の白人女性に挟まれて、ワンピース姿の少女がカメラを見つめている。
年齢は十歳になるかどうかだろう。
お人形さんみたい、という表現は多分こんな顔のためにある。
長過ぎるまつ毛に彩られた切れ長の目、優美なカーブを描く鼻筋、薄さと艷めきを備えた唇。
造形も配置も、顔の輪郭とのバランス含め、完璧な端正さでそこにあった。
この少女が加賀美ライラだ。
写真は明示末期のもので、少女が生きているとしたら百歳を超える。
そして恐らく、生きている。この写真とそう変わらない姿のまま。
撮影時期からおよそ一年後、彼女は吸血鬼となっているから。
エイブラハム・ヴァン・ヘルシングが発見した、人間の血を啜り、血を注ぐことで殖える超常存在、それが吸血鬼だ。
老化せず病に冒されることもなく、どんなダメージもすぐさま回復する生命力。
圧倒的な身体能力と人間の数十倍の感度の知覚。
コウモリに変身し空を飛ぶ。
影ができず、鏡やカメラなど肉眼以外の光学的手段では存在を観測できない。
所有者の許可がない建物には入れない。
これらの性質を科学的に解明しようと数々の科学者が挑み、そして敗れ去っていった。
何しろ吸血鬼は、生物としてヒト過ぎる。
DNAも人間時代から変化せず、人間との交配すら可能――生まれるのは人間の子供。
牙を通して注ぐのでなければ輸血したって吸血鬼になることはない。
その牙だってやはり、形が獣じみているだけでヒトの犬歯と組成も構造も変わらない。
超常性の要因は何一つ見出せず、だからこそ超常としか言いようがなかった。
何より、彼らの弱点。
日光だけならともかく、教会由来の聖銀――ただの純銀は全くの無害だ――というのは、未知の怪物を悪魔的に見せるには十分過ぎる説得力があった。
ヘルシングが存在を明かすと、世界中で吸血鬼狩りの嵐が吹き荒れた。
都市の下水や地下道、住民を長らく見かけない人家、山間の洞窟。
そういった場所に潜む吸血鬼たちは昼間の襲撃に悲しいほど無力だった。
ヘルシングを信じ、聖銀の武器で身を固めた狩人たちに踏み込まれ、彼らは応戦する間もなく日光の中に消えた。
突然の存亡の危機に、彼らが選んだ対抗手段は殖えること。
コンサートホールやサッカースタジアム、祭り会場へと客に化けて紛れ込み、手当たり次第に人間に噛みついては血を注ぎ、血が足りなくなったら人間から補給してまた注ぐのを繰り返す。
こんなシンプルな作戦で、一人の吸血鬼が数千にまで殖えた夜もあった。
世に言うドラキュラ事変だ。
計画は、ドラキュラ伯爵を名乗る首謀者が討たれて終息を見る。
それでもわずかな間に、世界中で数百万の吸血鬼が生まれた。
とあるジャーナリストは現代をAD――Anno Draculaと名付けた。
AD51年、世界が変わって半世紀という時代を
「……望み薄、ということはお伝えしておきます」
人探しは探偵にとってごく普通の依頼だ。依頼の数で言えば浮気調査に次いで多い。
問題は探す相手が普通ではないところ。
ただの吸血鬼ではない。
加賀美ライラは警察の総力を以ても捕まえられない連続殺人の容疑者だった。
あるいは犯人の名前から加賀美ライラ事件。
メディアでの呼び方はその二パターンだ。
七月十日。
市内の墓地の一角で男が死んでいるのが見つかった。
名前は風波省吾。
死因は失血性ショック。
全身の血液の99.9%が失われていた。
普通の失血死ではあり得ない量で、なのに衣服も地面も血の汚れは全くない。
首筋には
典型的な“
風波は反吸血鬼連合、“銀十字”の一員で、だから狙われたとも噂された。
それから二ヶ月後の九月十二日。
今度はこの事務所から近い
そこのベンチで槇原幹康という男が座ったまま死んでいた。
この男も風波と同じ“銀十字”の一員で、死因もやはり
十一月八日。被害者は斎藤晴臣。現場は市営バスの車内。牙痕は左の手のひら。
吸血鬼の牙は指紋や静脈、虹彩と同じように一人一人異なっている。
そして、一連の遺体の牙痕は全て一致した。
ICPO加盟国の吸血鬼データベースを参照し、ある吸血鬼がヒットした。
それが加賀美ライラ。
彼女は事変前の世代の吸血鬼で、“伯爵”を除けば最も有名な個体の一人だ。
母の故郷イギリスで吸血鬼になったらしい。
自宅からは叔父の
死に方の奇妙さから現地の好事家が買い取ってミイラとして保存していたのだが、その首の牙痕は今回の被害者たちとやはり一致している。
叔父を殺して行方をくらました後、彼女はヨーロッパ各地を渡り歩き、生ける伝説として恐れられた。
闇夜に舞い降りマシンガンで蜂の巣にしようが手榴弾でバラバラになろうが蘇って襲いかかる。
狙われるのはもっぱら権力者だ。
政治家や富豪からマフィアといった犯罪組織、軍人、ナチス、政府の要人。
支配階層の男たちは魔の牙に眠れぬ夜を過ごした。
だがヘルシングの発表はこの怪物の正体をも白日の下に晒し、彼女の悪名はぱたりと途絶えた。
死んだと言われていた。
吸血鬼は死体が残らない。死ぬ時は全身が、一度切り離された体組織まで含めて消滅する。
弱点を知った奴らに狩られたにちがいないと。
ところが生きていて、今や生まれ故郷日本で連続殺人に及んでいる。
世間を騒がせる理由は犯人のネームバリュー以外にもあった。
生前の目撃情報から割り出された各人の死亡推定時刻。
風波が午前六時から八時。
槇原が午後三時から五時。
斎藤が午前八時十五分から九時二十八分。
遺体は死亡時から動かした形跡がなく、つまりどの被害者も日光の注ぐ場所で吸殺されたことになる。
聖銀と日光の吸血鬼への侵襲性は絶対だ。
触れた体組織が一瞬で消滅し、その部分は彼らの無類の再生力が一切働かない。
そんな滅びの光の中を、加賀美ライラは悠々と闊歩する。
だから世間は恐怖した。
吸血鬼の歴史上、初めて日光を克服した吸血鬼が現れたのかと。
ヨーロッパを震え上がらせた伝説の吸血鬼が、史上初めての日光への耐性を得て復活。
しかも敢えて日中に犯行を重ね、隠滅できたはずの牙痕をそのまま残して正体を晒すなど、警察を挑発するような振る舞い。
犯罪史でも類を見ないほどセンセーショナルなこの事件の行く末を、世界中が恐怖と好奇のないまぜの視線で見守っていた。
警察は威信にかけて事件を解決すると発表、空前の規模の体制で捜査に臨んでいる。
警察以上にナメられていると思ったのが団員を殺された銀十字だろう。
各地で活動するハンターたちが続々と荒湧市に結集。
パトロールと称し武装して練り歩く様が昼夜問わず市内の至るところで見られた。
この状況下で尻尾を掴ませもしない怪物が加賀美ライラなのだ。
「他の事務所へは依頼されましたか? ウチは開業して日も浅い零細ですよ」
「所長さん、凄く優秀な人って聞いて」
「誰ですかね言ったのは。買いかぶりですよ。申しわけないが」
「ダメ元でいいんです。母の保険金でお金はあるので」
やはり目線を合わさず彼女は続ける。
「お願いします。私にも義姉の仇なんです」
「お母さんとは佑月
「はい」
風波省吾より遡ること一月ほど前だ。
真昼の母・
メディアではあまり注目されていないが、一連の事件の最初の犠牲者だ。
「これが、母です」
高校の入学式の写真らしく、真新しい制服の真昼の隣、でっぷりと太った中年女性が陽気に笑っている。
「これが、お母さんが、これっ、こんなに……」
震える手で携帯を操作し、次の写真を表示する。
さっきまで泳いでいた視線が、携帯を弄り出してからまっすぐ固定されている。その目で訴えてくる。
赤黒く血に染まった草むら。
横たわる遺体は、あまりにも凄惨だった。
上半身を膾切りと言っていいほど刃物で念入りに切り刻まれ、首に至っては文字通り首の皮一枚の有様だ。
「真昼っ! ……すみません、この子、第一発見者で」
「母もライラに、こんなにされたのにっ。全然調べてくれないんです」
「捜査の進展がないというのは聞き及んでます。
それだけ困難な仕事ってことです。加えてウチは警察のような権限もなく人員も二人」
「見つからない時はちゃんと諦めますから」
「この子には探偵さんだけが頼みなんです」
どうしたものか。
正直に言えば受けたくない。
十中八九警察の捜査の後追いになるからだ。人員も予算も権限も何一つ敵わない以上、新たに何か得られる可能性はゼロに近い。
そんな依頼を当てもなく受けるのは覚悟の上と言われても抵抗がある。
それに、受けるまでもなく――
ちょうどそんなことを思ったタイミングだった。
「受けよう、
唐突に、しかし高らかに響いた。
軽くて柔らかで、それから甘い声だった。
ボーイソプラノ。
声変わり前の少年が持つ期限付きのギフト。
窓が開け放たれる。
冬の夜気と共に、コウモリが一羽、室内へ飛び込んでくる。
皆の視線を浴びながら、たっぷりと間を取るように、円を描いて飛ぶ。
いいからさっさと変わって閉めろ。寒い。
思念が届いたのか直後にコウモリの姿は消え、三日月の浮かぶ夜空を背にそいつは立っていた。
小柄な体に羽織った真紅のスカジャン、アッシュグレーの三つ編みが夜風に揺れる。
十代半ばの、少年にも少女にも見える顔立ち。
薄い眉の下、綺羅星のような双眸が室内を見渡し、にっと笑った口元からは長く伸びた牙の先端が覗く。
その吸血鬼はこちらへカツカツ歩み寄ったかと思うと、「あっ」と声をあげて進行方向を微修正。
窓は開けっ放しのまま。
冷蔵庫のドアを開け、赤い液体で満ちたパックを取り出す。
彼の一日分の血液だ。
余り気味の袖から覗く白い指が両端を摘む。
相応に厚めのビニル樹脂を、スナック菓子の袋みたく無造作に破いてみせた。
慣性の法則に従い躍り出た血液は、重力に従い床に溢れることはなかった。
息を吸う。
突風めいた気流が生まれ、全ての血が赤い奔流となって吸い込まれていく。
そして最後は、長く伸びた二本の牙の先端へ消えた。
全部で一秒にも満たない出来事だ。
何度見ても不思議に思う。
体重60kgの吸血鬼なら必要量は一日あたり四百ml。必要量は体重の½乗に比例するらしい。
しかし四百mlの血液なんてカロリーに換算すればおにぎり一個分程度だ。足りるわけがない。
そもそも彼らはコウモリやヒルのように血を消化吸収しているわけでもない。
体積よりはるかに多くの血を吸うことも可能で、吸った血の行き先は完全なブラックボックスだ。
彼らの吸血は食事というより儀式だ。
吸血という行程を踏むことで量に応じた不死性を得る、何らかの魔術的な。
儀式を終えると空のパックをゴミ箱に放り、改めて依頼人の前へ歩み出る。
わざわざ吸血してみせたのは多分、吸血鬼であることのアピールが最近の彼のマイブームだからだろう。
あの吸い方も本人曰くかっこいいからと。かっこいいだろうか。
「僕は神野太陽。
きらりと白い歯、トレードマークの牙を見せつける。
「ライラは僕と
ヘブン探偵事務所にお任せを」
事務所唯一の調査員。
サイトのスタッフ紹介に曰く猫探しから魔王討伐まで吸血鬼パワーで何でも解決、と。
窓を閉めつつ、佑月真昼へと視線を戻す。
彼女は弾かれるように立ち上がる。
ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。香水か何かだろうか。
依頼を受けると告げられて、彼女は頬を真っ赤に上気させ、涙ぐんでさえいた。
真昼の前に、太陽の真っ白でピカピカの手が差し出される。
彼女は渇いた音を立ててその手を払った。
「冗談じゃないっ!! 死ねっ!! 化け物!!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます