英雄はただ一人じゃダメ
「僕はお前の味方じゃないぞ!!
戦争はすぐに辞めろ!!
犯罪は隠すな!!
じゃなきゃお前が外に出るたびぶん殴りに行くからな!!」
太陽による大統領恫喝の生中継は世界に衝撃を与えた。
見えない力で宙に吊るされる大統領、響き渡るカタカナ英語。
中継の一時間後には太陽を勝手に描き足した雑コラを出席者が投稿、リポスト数の世界記録を樹立した。
吸血鬼が自分を救ったと知って、大統領は直接会って感謝を伝えたいと表明した。
自分は差別主義者ではない。
悪魔派とのあれこれはちょっとした手違いでしかない。
会談の翌日、今は公園になったクリプト跡地を訪問する。
公園片隅の墓碑に献花し、恭しく追悼文を読み上げ、ゲストの太陽を手招きした。
キュートなヒーローだねと肩を叩くと、途端に顔を真っ赤にする。
他愛もない。
反体制気取りほど権威に褒められただけで相好を崩すものだ。
だけど彼が赤くなったのは怒りのためだった。
式典の最中、大統領がすぐ横の国務長官に「見てろ。この手の奴らの股を開かせるのは上手いんだ」と小声で囁いていた。吸血鬼の聴覚をナメた結果だ。
すっかり手懐けたと思った矢先、大統領は世界の見ている前で文字通りの吊し上げを喰らうことになった。
「何やってんだい、あんた」
「うん……」
荒湧署の面会室。
世界を騒がせた犯罪者と、遠田はガラス越しに対面する。
太陽は大統領を離すや否やSPに取り囲まれ、
殺人犯と探偵なのにまるっきり立場が逆だ。
「しかしまあ、正直すっとしたところもあるよ。
お嬢ちゃんなんて言って悪かった。男じゃねえか」
「僕は女に生まれたって同じことするよ」
女みたいな顔をムスッとさせて言う太陽に、悪い悪いと謝る。
「探偵さんは、何つってた?」
「…………撃たれなくて、よかったって」
太陽は一転表情を変える。
うれしさと罪悪感がないまぜの顔で、全てを包むような声で述懐する。
それを見て、遠田の胸には巨大な後悔が沸き起こった。
なぜ自分は。
「あんたらみたいにするんだったな、あたしも」
何やってるんだとアーニャを怒鳴りつけて、止めて、それで終わらせるべきだった。
殺さなきゃ絶対に止められないなんてことはなかった。
教祖が自殺すれば彼らが止まる保証もなかった。
恐らくは、「もういい」と思ってしまったのだ。
妻の計画を告発したところで、妻は捕まるだろうが死刑にも無期懲役にもならない。
老いと無縁の彼女はいつか出所する。
自分は老い先短い。
彼女は、死なない限りは永遠の人生が今後も続く。
そこでまた同じ行為をする気がしてならなかった。
自分はもういない。止められない。
妻の今後に対して「もういい」と思ってしまった。
若者たちの人生を守りたいなんてのはついでの口実でしかない。
「投げちまってたよ、あたしも
全部どうでもよかった」
教団の理念の果てのなさに疲れていた。
取り返しのつかない喪失を何度も重ね、悪の栄えを見せつけられ、神に見放されているのを覚悟の果てない歩みに。
全部が片付いたら死ぬつもりだった。
アーニャの待つ地獄へ行こうと。
それがこの二人に暴かれて、凶行を代わりに止めてもらって。
遠田は死に損なったまま今も生きている。
遠田は自首した。
妻を殺したと訴えた。年齢を考えれば獄死を覚悟で。
しかし結局、検察は不起訴処分の判定を下す。
光ファイバーの購入記録、IOTアプリのログ、それら証拠が重なっても、そもそもの死を立証できないことは覆されなかった。
多くの悪魔派が罪を免れるのと全く同じ理由で。
「いいのかね。シャバにいて」
「いいんだよ」
太陽は迷いなく言い切った。
ガラス越しの言葉はどこか滲んだ響きだった。
「
罰よりもその後の人生で同じことをしないのが大事だって。
遠田さんがもう絶対やっちゃいけないと思ってるならそれでいい。
刑務所に行かなくてよかったって人生にしてよ」
「……あの年で進んでるんだな、あんたの相棒は」
「正義の人だからね、
誇らしさだけが詰まった表情に羨望とやっかみの気持ちが湧く。
正義や理想。楽になろうと手放してしまったものだ。
「漫画のこと知ってるか?」
「何か超バズってるんでしょ?」
「ばずってる?」
「人気ってこと。
湊の漫画だもんね」
湊の遺作の原稿は
本人曰く、こんなのは世に出しちゃいけないと、それでも捨てることはできず密かに隠し持っていたらしい。
半分下書きだったが、それでもちゃんと読める状態まで書き上げられていた。
警察から原稿を渡された遠田は湊の後輩たちの助言を受けて各種投稿サイトに原稿をアップし、それが反響を呼んだのだ。
センセーショナルな文脈に乗った結果、あっという間に世界へ拡散した。
無断の翻訳版が動画サイトに出回り、かの国では漫画のコマを旗印に政府批判デモが大々的に行われた。
早々に軍の撤収が発表されたのは選挙結果を恐れてのことだろう。
ネットのことも、漫画のこともよくわからない。
それでも、無駄じゃなかったんだなと息子を褒めてやりたくなる。
それから、吸血鬼探偵はお前が見込んだ通りの男だと。
「伯爵教、どうするの?」
「……まあ、解散だろうな」
脱退者を含め連絡がつく限りの信徒に、自分の罪を打ち明けた。
テロの目論見を知れば責められないという者も許せないという者もいた。
遠田は教団幹部を退き、後継者も出なかった。
テロリストを出したことへのバッシングはやはり苛烈だ。
「女房に気に入られりゃそれでよかったんだ。
女の前でいいかっこしたいだけの助平心さ。
挙句の果てにその女を殺してんだから。くだらねえ」
「それでもさ」
スキップするような声で言う。
「ずっと続けてこられたんだから。
世界を壊したくないって気持ちがあったんだから。
遠田さんは人を助けられるし、助けてくれる人はいっぱいいるよ。
僕らは絶対助けに行く――ヘブン探偵事務所におまかせを」
ガラスにぺたっと顔を押し付けて、留置係に引き剥がされそうになりながら。
こんな老いぼれに何を期待しているのだろう。
何がこれからだ。
自分は年取らないからっていい気になりやがって。
それでも、と思った。
余生がどれだけ短くともやはり、失意のまま生きるのはつらすぎる。
遠田嘉也はこの十年後、肺炎で命を落とすことになる。
伯爵教の解散後、元教団メンバーを中心に政治団体を立ち上げ、死の数日前まで先頭に立って働き続けた。
死の間際まで胸に刻まれていたのは太陽から受けた励まし。
それにこの面会の数カ月後、
――
裁判所前、証人の一人として裁判に出席した
弱者による暴力の権利を自身の罪への弁明そっちのけで訴えていた。
湊の死後に書き連ねていたブログも見つかったのだが、そこでも彼の主張は変わらなかった。
大衆の無関心をなじりながら、こんな自分が世界に取り残されているのではという焦燥も伺わせた。
誇大妄想、被害者意識の塊、傲慢で世間知らずと散々に嘲笑された。
『彼が本当に実行したとしても、世の中がよくなったとは思えない。
航空機も鉄道も船舶も聖銀でコーティングされ、同じ手が通じる期間は長くなかったんじゃないでしょうか。
事実、世界ではそういう動きがすでに起きている。
吸血鬼対策を促しただけでしょう。
それに、秩序が崩壊した社会ではただただ弱者が虐げられるだけだ。
彼の姿勢は行動という体の怠慢です。
わかりやすく過激で破壊的な行動で面倒な問題から逃げた。
ただ』
――ただ?
『我々は行動しないという怠慢を穏健や慎重と偽る。楽だからです。
しかしその、非暴力の手段の模索と実践を怠る姿勢が、彼の批判した世界を作った。事変後はなおさらだ。いつか神が解決してくれると。
それじゃダメだ。
たしかに、人間社会の本質は力かも知れない。
しかし歴史上のどんな独裁者も、国民の支持あって権力の座に就く。
独裁確立後もおどろくほど国民の支持を気にする。
あの大統領がいい例だ。
強い国の強い力も、弱い市民の持つ労働力、軍事力、政治力の集合だ。
この世の全てである力を、我々は本来コントロールできるんです。
関わり続けさえすれば。
全ての人が力の担い手として、不当な行使を拒み続ける。
私はそういう世界がいい。そうあろうと思います』
それを聞いて思った。
あんなことをすべきじゃなかった。失敗してよかったと思わせる。
天国を掲げる探偵たちのように、この世界にいられる限り戦い続けるのだ。
そうあろう。
その意志一つで生きていける気がした。
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